16,039
回編集
細 (→記憶不安定化) |
細編集の要約なし |
||
10行目: | 10行目: | ||
英語名:memory retrieval, memory reactivation | 英語名:memory retrieval, memory reactivation | ||
<u>(編集部コメント:抄録とイントロは別々にお願い致します)</u> | |||
== | {{box|text=「記憶想起」とは一度覚えた記憶を「思い出す」プロセスのことを指す。「特定のものを認識しているにもかかわらず、その名前がなかなか思い出せない」などという気分に陥ることがあるが、これは記憶しているが想起ができないことを示している。さまざまな経験から得られた情報は、まず不安定化状態の短期記憶として形成され、その後、固定化のプロセスを経て、安定した状態の長期記憶として脳内に保存される。想起された記憶は再度不安定化状態となる場合があり、元の記憶を安定化状態の記憶として脳内に再保存するために再固定化のプロセスを誘導する。一方、記憶想起は元の記憶と相反する記憶を学習する消去学習(extinction)のプロセスを誘導することもある。}} | ||
==記憶想起とは== | |||
「記憶想起」とは一度覚えた[[記憶]]を「思い出す」プロセスのことを指す。「特定のものを認識しているにもかかわらず、その名前がなかなか思い出せない」などという気分に陥ることがあるが、これは記憶しているが想起ができないことを示している。 | |||
さまざまな経験から得られた情報は、まず不安定化状態の[[短期記憶]]として形成され、その後、[[記憶固定化|固定化]]のプロセスを経て、安定した状態の[[長期記憶]]として脳内に保存される。 | |||
想起された記憶は再度不安定化状態となる場合があり、元の記憶を安定化状態の記憶として脳内に再保存するために[[再固定化]]のプロセスを誘導する。 | |||
一方、記憶想起は元の記憶と相反する記憶を学習する[[消去学習]](extinction)のプロセスを誘導することもある(図1)。 | |||
== メカニズム == | |||
脳内には学習時の刺激に応答して活動するニューロン群が存在するが、それら活動したニューロン群は強い[[シナプス]]結合で結ばれ、[[セルアセンブリ]]([[細胞集成体]])を形成し、記憶はその中に[[符号化]]して蓄えられると想定されている。つまり記憶は、学習時に活動した特定のニューロンの集団という形で脳のなかに保存される。 | |||
このような学習時に活動した特定のニューロン集団という形で脳内に残った物理的な痕跡のことを[[記憶痕跡]](memory engram)と呼び、2012年、[[wj:利根川進|利根川進]]らのグループにより記憶痕跡の物理的存在が示された[1]。何らかのきっかけでこのニューロン集団に属する一部のニューロンが活動すると、強いシナプス結合で結ばれたニューロン集団全体が活動し、その結果として記憶が[[想起]]されると考えられている(図2)。また、記憶は学習した当時とまったく同じ状況ではなくとも類似した状況など一部の手がかりでその記憶全体を想起することが可能である。 | |||
このように不完全な情報から完全な情報の神経活動パターンを再現し、記憶を想起する働きは[[パターン・コンプリション]] (pattern completion)と呼ばれ,[[海馬]][[CA3]]領域内のフィードバック機能をもつ[[リカレント回路]]([[反回性回路]])にその機能があると想定されている[2]。 | |||
== 記憶想起を制御する脳領域 == | == 記憶想起を制御する脳領域 == | ||
現在のところ、想起を直接調べる実験系が少ないため、記憶の他のプロセスに比べ研究が進んでいないのが現状ではあるものの、徐々に記憶想起のメカニズムが明らかになってきている。記憶の固定化には海馬や[[扁桃体]]などが関与することが示されているが、これまでの研究により想起にも多くの脳領域が関与することが示唆されている。 | |||
2015年にKarim | === 扁桃体 === | ||
2015年にKarim Naderらのグループは[[聴覚性恐怖条件づけ]]学習課題を用いて、[[恐怖]]記憶を憶えさせた[[ラット]]の扁桃体に[[タンパク質合成阻害剤]]を注入した後に聴覚刺激を与えても、ラットは記憶を想起することが出来なかった。このことから、後に記す再固定化や消去のプロセスと同様に想起にはタンパク質合成が必要であることが示されている[3]。 | |||
=== 海馬 === | |||
また2002年、利根川らのグループは海馬のCA3領域がパターン・コンプリションに極めて重要な役割を果たすと考えられえていることから、CA3特異的に[[NMDA型グルタミン酸受容体]]をノックアウトした[[マウス]]を作製した。それらのマウスを[[モリス水迷路]]に供し、[[空間記憶]]を評価した。この実験において、初めマウスはプールに入れられるとそこから逃れるためにプール内を泳ぎ回り、偶然、水面下に設置されたプラットフォームに辿り着くが、この試行を繰り返すうちにマウスは周囲の目印からプラットフォームの空間的な位置を学習し、プラットフォームまで素早く辿り着くようになった。マウスがプラットフォームの位置を十分に認識した後、プラットフォームおよび周囲の目印をいくつか取り除き、再度試験を行った。正常なマウス、NMDA型グルタミン酸受容体をノックアウトしたマウス共に、周囲の目印が4つすべて揃っている場合では、プラットフォームが存在していた場所を泳ぐ割合に差はなかった。しかし、周囲の目印を1つだけに減らした場合では、NMDA受容体[[ノックアウトマウス]]は正常なマウスに比べ、プラットフォームが存在していた場所を泳ぐ割合が有意に少なく、NMDA型グルタミン酸受容体ノックアウトマウスは想起に異常を示した。このことから、CA3領域におけるNMDA型グルタミン酸受容体は記憶の想起に重要であることが示唆された[4]。 | |||
=== 大脳皮質 === | |||
また、[[大脳皮質]]と想起の関連性も研究されてきている。海馬依存的に形成された記憶は時間経過に伴って大脳皮質依存性に移行し保存される([[遠隔記憶]])と考えられている。このような移行メカニズムにより固定化された記憶は記憶形成後に長時間が経過しても想起することが可能となっている。しかし、想起を担う神経回路が時間とともにどう変化するかは、ほとんど分かっていなかった。2015年、Gregory Quirkらのグループは聴覚性恐怖条件づけ学習課題を用いて、恐怖記憶を形成させ、一定期間経過後にラットの背側視床正中核(Dorsal midline thalamus)に[[GABA]]-A受容体のアゴニストであるムシモールを注入することで背側視床正中核の活動を抑制し、想起と背側視床正中核の関連性を検討した。その結果、学習後短い時間(30分、6時間)ではラットは恐怖記憶を想起でき、背側視床正中核を必要としないが、学習から長い時間(24時間、7、28日)が経過した後ではラットは恐怖記憶を想起できず、長時間経過後の想起には、背側視床正中核が必要であることが明らかになった。同様に、背側視床正中核の一部である視床[[室傍核]](Paraventricular nucleus of the thalamus)では、長時間経過後(24時間経過後)から想起時にc-Fosの発現が増加することや、視床室傍核ニューロンの聴覚性刺激(音)に対する条件反応が増大したことを発見し、記憶後の経過時間と共に視床室傍核が恐怖記憶の想起に関わっていくことを示した。視床室傍核には大脳皮質の一部である前辺縁皮質(Prelimbic cortex)から高密度にニューロンが投射しており、学習から長時間経過後に記憶を想起すると、視床室傍核に投射する前辺縁皮質ニューロンが活性化した。[[光遺伝学]]的手法を用いて、これらの[[投射ニューロン]]を抑制すると長時間経過後の記憶想起が阻害されるが、短時間経過後の想起は阻害されない。これとは対照的に、前辺縁皮質から扁桃体基底外側部への入力を光遺伝学的に抑制すると短時間経過後の記憶想起が阻害されるが、長時間経過後の想起は阻害されないことから、記憶想起を司る神経回路が時間に応じて変化することが明らかになった[5]。 | また、[[大脳皮質]]と想起の関連性も研究されてきている。海馬依存的に形成された記憶は時間経過に伴って大脳皮質依存性に移行し保存される([[遠隔記憶]])と考えられている。このような移行メカニズムにより固定化された記憶は記憶形成後に長時間が経過しても想起することが可能となっている。しかし、想起を担う神経回路が時間とともにどう変化するかは、ほとんど分かっていなかった。2015年、Gregory Quirkらのグループは聴覚性恐怖条件づけ学習課題を用いて、恐怖記憶を形成させ、一定期間経過後にラットの背側視床正中核(Dorsal midline thalamus)に[[GABA]]-A受容体のアゴニストであるムシモールを注入することで背側視床正中核の活動を抑制し、想起と背側視床正中核の関連性を検討した。その結果、学習後短い時間(30分、6時間)ではラットは恐怖記憶を想起でき、背側視床正中核を必要としないが、学習から長い時間(24時間、7、28日)が経過した後ではラットは恐怖記憶を想起できず、長時間経過後の想起には、背側視床正中核が必要であることが明らかになった。同様に、背側視床正中核の一部である視床[[室傍核]](Paraventricular nucleus of the thalamus)では、長時間経過後(24時間経過後)から想起時にc-Fosの発現が増加することや、視床室傍核ニューロンの聴覚性刺激(音)に対する条件反応が増大したことを発見し、記憶後の経過時間と共に視床室傍核が恐怖記憶の想起に関わっていくことを示した。視床室傍核には大脳皮質の一部である前辺縁皮質(Prelimbic cortex)から高密度にニューロンが投射しており、学習から長時間経過後に記憶を想起すると、視床室傍核に投射する前辺縁皮質ニューロンが活性化した。[[光遺伝学]]的手法を用いて、これらの[[投射ニューロン]]を抑制すると長時間経過後の記憶想起が阻害されるが、短時間経過後の想起は阻害されない。これとは対照的に、前辺縁皮質から扁桃体基底外側部への入力を光遺伝学的に抑制すると短時間経過後の記憶想起が阻害されるが、長時間経過後の想起は阻害されないことから、記憶想起を司る神経回路が時間に応じて変化することが明らかになった[5]。 | ||
45行目: | 61行目: | ||
消去学習とは、恐怖条件付けにより恐怖反応を誘発するようになった動物に対し、条件刺激(CS;チャンバー、音、臭いなど)を繰返し与える、もしくは長時間再曝露することにより条件付けされた恐怖反応の表出(すくみ反応など)が減弱する現象を指す。重要なのは、恐怖記憶自体が消去されるのではなく、恐怖体験と恐怖条件付けに用いた条件刺激とのあいだに関連性がないことを改めて新規に学習するプロセスということである。つまり消去学習とは、想起した記憶とは相反する記憶を形成するプロセスであり、再固定化阻害によって引き起こされる恐怖記憶の消失とは異なり、消去学習後も、元の恐怖記憶自体は脳内に保存されているが、消去学習によって抑制されている状態となっている。したがって、消去学習により抑制された恐怖反応は、他の感覚刺激などが引き金となり再び回復し得ることが知られている。これまでに観察されている恐怖反応が回復する現象として、次のことが報告されている[14],[15](図3)。 | 消去学習とは、恐怖条件付けにより恐怖反応を誘発するようになった動物に対し、条件刺激(CS;チャンバー、音、臭いなど)を繰返し与える、もしくは長時間再曝露することにより条件付けされた恐怖反応の表出(すくみ反応など)が減弱する現象を指す。重要なのは、恐怖記憶自体が消去されるのではなく、恐怖体験と恐怖条件付けに用いた条件刺激とのあいだに関連性がないことを改めて新規に学習するプロセスということである。つまり消去学習とは、想起した記憶とは相反する記憶を形成するプロセスであり、再固定化阻害によって引き起こされる恐怖記憶の消失とは異なり、消去学習後も、元の恐怖記憶自体は脳内に保存されているが、消去学習によって抑制されている状態となっている。したがって、消去学習により抑制された恐怖反応は、他の感覚刺激などが引き金となり再び回復し得ることが知られている。これまでに観察されている恐怖反応が回復する現象として、次のことが報告されている[14],[15](図3)。 | ||
* Reinstatement(復元): 消去学習成立後に、通常では恐怖条件付けが成立しないような弱い嫌悪刺激(無条件刺激(US)の再提示など)を与えることで、条件付け刺激(CS‐US pairing)誘発性恐怖反応が再び現れる。 | |||
* Renewal(更新): 消去学習成立後に再度CSを提示すると、その後のCS提示に対して恐怖反応が再生される。 | |||
* Spontaneous recovery(自発的回復): 消去学習成立後に1 ヵ月程度の期間をおいて再びCSのみを与えると、元の高いレベルの恐怖反応が現れる。 | |||
消去学習には前頭前野(Prefrontal cortex)と扁桃体(Amygdala)が深く関与する[16]。 | 消去学習には前頭前野(Prefrontal cortex)と扁桃体(Amygdala)が深く関与する[16]。 |