「ドリフト拡散モデル」の版間の差分

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* rtdists: ドリフト拡散モデルをはじめとする反応時間のモデリングに有用な関数が含められたRパッケージ。
* rtdists: ドリフト拡散モデルをはじめとする反応時間のモデリングに有用な関数が含められたRパッケージ。


それぞれのモデルや推定方法には仮定がおかれていることがあり,モデルフィッティングに用いるデータがその仮定に合っているかどうかは事前に確認する必要がある。各種推定法に関する専門家による推奨については,Boehm et al.(2018)にまとめられている。また,ドリフト拡散モデルでのモデルフィッティングにあたっては,十分なデータ数が必要になる。特に反応時間の分布の情報を用いてパラメータ推定する方法の場合は,試行数が100程度の場合は,ドリフト拡散モデルの試行間変動性にかかわるパラメータの推定が真値からずれることが示されている(Vandekerckhove, & Tuerlinckx, 2007)。そのため,試行間変動性にかかわるパラメータの推定を行う場合は,できるだけ多くの試行数が必要になるが,試行数を増やすと参加者の動機づけが低下する,疲れの影響が出る,などの問題も生じる。また,そもそも試行数を増やすことが難しい実験状況も多い(Boehm et al., 2018)。そこで,パラメータ推定にあたり,参加者集団のパタメータの分布も仮定した階層ベイズ推定を行うことで,各参加者の試行数は少なくとも安定した推定する方法も提案されている(Wiecki, Sofer, & Frank, 2013; Ahn, Haines, & Zhang, 2017)
それぞれのモデルや推定方法には仮定がおかれていることがあり,モデルフィッティングに用いるデータがその仮定に合っているかどうかは事前に確認する必要がある。各種推定法に関する専門家による推奨については,Boehm et al.(2018)[ref追加]にまとめられている。また,ドリフト拡散モデルでのモデルフィッティングにあたっては,十分なデータ数が必要になる。特に反応時間の分布の情報を用いてパラメータ推定する方法の場合は,試行数が100程度の場合は,ドリフト拡散モデルの試行間変動性にかかわるパラメータの推定が真値からずれることが示されている<ref><pubmed>18229471</pubmed></ref>。そのため,試行間変動性にかかわるパラメータの推定を行う場合は,できるだけ多くの試行数が必要になるが,試行数を増やすと参加者の動機づけが低下する,疲れの影響が出る,などの問題も生じる。また,そもそも試行数を増やすことが難しい実験状況も多い(Boehm et al., 2018)。そこで,パラメータ推定にあたり,参加者集団のパタメータの分布も仮定した階層ベイズ推定を行うことで,各参加者の試行数は少なくとも安定した推定する方法も提案されている<ref><pubmed>23935581</pubmed></ref><ref><pubmed>29601060</pubmed></ref>


==適用事例==
==適用事例==
[[Image:DDM_z_vs_v.png|thumb|420px|<b>図3.反応時間分布に及ぼすドリフト率 (左) 開始点パラメータ (右) の影響。</b>破線は参照となるベースのモデル (<math>v = 1.0, z = 0.5 </math>) を表す。実線はパラメータを変化させたときの結果を表し,左のパネルはドリフト率を大きくした場合 (<math>v = 2.0 </math>) ,右のパネルは開始点を高くした場合 (<math>z = 0.7 </math>) である。]]<br>
[[Image:DDM_z_vs_v.png|thumb|420px|<b>図3.反応時間分布に及ぼすドリフト率 (左) 開始点パラメータ (右) の影響。</b>破線は参照となるベースのモデル (<math>v = 1.0, z = 0.5 </math>) を表す。実線はパラメータを変化させたときの結果を表し,左のパネルはドリフト率を大きくした場合 (<math>v = 2.0 </math>) ,右のパネルは開始点を高くした場合 (<math>z = 0.7 </math>) である。]]<br>


ドリフト拡散モデルを用いることで,反応分布の形状の情報を利用することが可能となり,単純な平均反応時間の解析では取りこぼされていた情報を利用して詳細なプロセスを検討することができる。例えば,開始点パラメータ<math>z</math>を増加させることと,ドリフト率<math>v</math>を増加させることはいずれも反応Aの選択確率を増加させ,その平均的な反応時間を短くする効果があるが,その反応時間分布の形状に与える影響が異なる。図Xの左では,開始点パラメータ<math>z</math>を固定し,ドリフト率を増加させた場合である (実線が増加後)。この場合,反応Aの確率が高くなり,速い反応時間の密度が増加するため平均反応時間は短くなるが,その分布のピーク (最も密度が高くなる地点) はほとんど変化しない。一方,開始点パラメータ<math>z</math>を<math>a</math>に近づけた場合 (図X右図) は,分布の形状が大きく変わり,反応Aの反応時間分布のピークが速い時間帯にシフトし,分布の歪みが大きくなる。
ドリフト拡散モデルを用いることで,反応分布の形状の情報を利用することが可能となり,単純な平均反応時間の解析では取りこぼされていた情報を利用して詳細なプロセスを検討することができる。例えば,開始点パラメータ<math>z</math>を増加させることと,ドリフト率<math>v</math>を増加させることはいずれも反応Aの選択確率を増加させ,その平均的な反応時間を短くする効果があるが,その反応時間分布の形状に与える影響が異なる。図3の左のパネルでは,開始点パラメータ<math>z</math>を固定し,ドリフト率を増加させている (実線が増加後)。この場合,反応Aの確率が高くなり,速い反応時間の密度が増加するため平均反応時間は短くなるが,反応時間の分布のピーク (最も密度が高くなる位置) はほとんど変化しない。一方,開始点パラメータ<math>z</math>を<math>a</math>に近づけた場合 (図3右) は,反応Aの反応時間分布のピークが速い時間帯にシフトし,分布の歪みが大きくなっている。


ヒトやその他の動物の意思決定には,現在の感覚入力や過去の選択の結果のみならず,過去の選択履歴が次の選択に影響することがよく知られている (Akaishi et al.)。同じ選択を繰り返す傾向は選択の慣性 (inertia) や固執性 (perseverance) と呼ばれている。そのような傾向はドリフト拡散モデルではエビデンスの蓄積の開始点にバイアスを与えるという解釈が可能である。しかし,実際の知覚的意思決定課題における選択データにおいては,過去の選択と同じ選択が選ばれる効果は,図X左のように比較的反応が遅い場合でも見られ,そのようなデータは開始点よりはむしろドリフト率が過去と同じ選択をする方向にバイアスがかかるとするモデルでよく説明されることが報告されている (Urai et al.)。この結果は,選択履歴の効果が,知覚的なエビデンスの蓄積過程に影響するということを明らかにしている。
ヒトやその他の動物の意思決定には,現在の感覚入力や過去の選択の結果のみならず,過去の選択履歴が次の選択に影響することがよく知られている。同じ選択を繰り返す傾向は選択の慣性 (inertia) や固執性 (perseverance) と呼ばれている<ref><pubmed>24333055</pubmed></ref>。そのような傾向はドリフト拡散モデルではエビデンスの蓄積の開始点にバイアスを与えるという解釈が可能である。しかし,実際の知覚的意思決定課題における選択データにおいては,過去の選択と同じ選択が選ばれる効果は,図3左のように比較的反応が遅い場合でも見られ,そのようなデータは開始点よりはむしろドリフト率が過去と同じ選択をする方向にバイアスがかかるとするモデルでよく説明されることが報告されている<ref><pubmed>31264959</pubmed></ref>。この結果は,選択履歴の効果が,知覚的なエビデンスの蓄積過程に影響するということを明らかにしている。


ドリフト拡散モデルのパラメータの推定値を利用して,選択に関するプロセスの個人差に影響する要因も検討されている。代表的な事例は加齢の効果であり,例えば高齢者は一般に多くの認知課題において反応が遅くなることが示されているが,ドリフト拡散モデルを適用して検討した研究では,高齢者は長い非決定時間,そして境界の間隔が大きいという特徴はあるものの,ドリフト率は若年者と比べても小さくはないということが報告されている (Ratcliff, Thapar , and McKoon, 2010)
ドリフト拡散モデルのパラメータの推定値を利用して,選択に関するプロセスの個人差に影響する要因も検討されている。代表的な事例は加齢の効果であり,例えば高齢者は一般に多くの認知課題において反応が遅くなることが示されているが,ドリフト拡散モデルを適用して検討した研究では,高齢者は長い非決定時間,そして境界の間隔が大きいという特徴はあるものの,ドリフト率は若年者と比べても小さくはないということが報告されている<ref><pubmed>19962693</pubmed></ref>


一方で,幼児では境界分離が大きく,非決定時間が長いことに加え,ドリフト率も比較的小さいことが示されている (Ratcliff, Love, Thompson, and Opfer, 2012)。また,注意欠如・多動症 (ADHD) や読字障害 (dyslexic) を有する若年者はそうでない統制群に比べ,ドリフト率が低い傾向があることを示した研究もある (Mulder et al.,2010, Zeguers et al., 2011)
一方で,幼児では境界分離が大きく,非決定時間が長いことに加え,ドリフト率も比較的小さいことが示されている<ref><pubmed>22188547</pubmed></ref>。また,注意欠如・多動症 (ADHD) や読字障害 (dyslexic) を有する若年者はそうでない統制群に比べ,ドリフト率が低い傾向があることを示した研究もある <ref><pubmed>20926067</pubmed></ref> <ref><pubmed>22010894</pubmed></ref>
一般知能 (IQ) との関係に関しては,高IQ群は低IQ群よりドリフト率が2倍程度高いという報告もある (Ratcliff et al., 2010; Ratcliff et al., 2011)。一方で,加齢による影響が見られた,境界分離や非決定時間にはIQとの関連は見られなかった。
一般知能 (IQ) との関係に関しては,高IQ群は低IQ群よりドリフト率が2倍程度高いという結果が報告されている <ref><pubmed>19962693</pubmed></ref> <ref><pubmed>21707207</pubmed></ref> 。一方で,加齢による影響が見られた,境界分離や非決定時間にはIQとの有意な関連は認められなかった。


==神経細胞の活動との対応==
==神経細胞の活動との対応==


 主にサルを対象とした単一細胞レベルでの神経活動記録により,エビデンスの蓄積過程に対応する神経活動が検討されてきた。例えば視線でターゲットを選択することで反応する意思決定課題においては,ターゲットの方向へのサッケード時に選択的に活動するLIP野 (lateral intraparietal cortex) の細胞は刺激の呈示とともに徐々に活動が増加し,ある閾値に到達したときにサッケード反応が起こるということが観測されている (Shadlen and Newsome, 1996),エビデンスの蓄積を表現する逐次サンプリングモデルで様子が観察されている。
 主にサルを対象とした単一細胞レベルでの神経活動記録により,エビデンスの蓄積過程に対応する神経活動が検討されてきた。例えば視線でターゲットを選択することで反応する意思決定課題においては,ターゲットの方向へのサッケード時に選択的に活動するLIP野 (lateral intraparietal cortex) の細胞は刺激の呈示とともに徐々に活動が増加し,ある閾値に到達したときにサッケード反応が起こるということが観測されている <ref><pubmed>8570606</pubmed></ref>,エビデンスの蓄積を表現する逐次サンプリングモデルで様子が観察されている。


==その他の逐次サンプリングモデル==
==その他の逐次サンプリングモデル==
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[[Image:LBAの概要.png|thumb|420px|<b>図5.線形弾道蓄積モデルにおける反応と反応時間の生成過程</b>]]<br>
[[Image:LBAの概要.png|thumb|420px|<b>図5.線形弾道蓄積モデルにおける反応と反応時間の生成過程</b>]]<br>


ドリフト拡散モデル以外の代表的な逐次サンプリングモデルとして,線形弾道蓄積モデル(Brown & Heathcote, 2008)がある。図5にあるように,線形弾道蓄積モデルは,ドリフト拡散モデルと類似しているが,エビデンスの蓄積の基準が絶対的なことと確率的ではない点が異なる。ドリフト拡散モデルでは,反応はエビデンス蓄積が上の境界と下の境界のどちらに到達するかで決まる相対的なものであった。一方,線形弾道蓄積モデルでは,それぞれの反応は独立してエビデンスの蓄積を行って,最終的に先に閾値(b)に到達した反応が出力される(図5の場合,先にbに到達した反応Aが出力される)。エビデンスの蓄積が始まる点を開始点(a)と呼び,選択肢で同一のこともあるが,異なることもある。開始点の位置の違いは,エビデンスの蓄積の前に存在する選択肢に対するバイアスとして解釈される。ドリフト拡散モデルと同様にエビデンスの蓄積の速さはドリフト率(d)が決めるが,蓄積過程は線形かつ非確率的である。各試行のドリフト率(d)は,平均v,標準偏差sの正規分布に従い,各試行の開始点(a)は,0からA(開始点の上限)の一様分布に従う。決定時間は,(b-a)/dで求めることができ,非決定時間(τ)は,全試行で一定とする。aとdは,推定するパラメータではなく,v, b, A, s, τ が推定するパラメータになる。線形弾道蓄積モデルは,ドリフト拡散モデルよりも推定するパラメータが少なく,2選択肢以外の状況にも適用できるので,ドリフト拡散モデルと合わせて今後の活用が期待できる。
ドリフト拡散モデル以外の代表的な逐次サンプリングモデルとして,線形弾道蓄積モデル<ref><pubmed></pubmed></ref> (Brown & Heathcote, 2008)がある。図5にあるように,線形弾道蓄積モデルは,ドリフト拡散モデルと類似しているが,エビデンスの蓄積の基準が絶対的なことと確率的ではない点が異なる。ドリフト拡散モデルでは,反応はエビデンス蓄積が上の境界と下の境界のどちらに到達するかで決まる相対的なものであった。一方,線形弾道蓄積モデルでは,それぞれの反応は独立してエビデンスの蓄積を行って,最終的に先に閾値(b)に到達した反応が出力される(図5の場合,先にbに到達した反応Aが出力される)。エビデンスの蓄積が始まる点を開始点(a)と呼び,選択肢で同一のこともあるが,異なることもある。開始点の位置の違いは,エビデンスの蓄積の前に存在する選択肢に対するバイアスとして解釈される。ドリフト拡散モデルと同様にエビデンスの蓄積の速さはドリフト率(d)が決めるが,蓄積過程は線形かつ非確率的である。各試行のドリフト率(d)は,平均v,標準偏差sの正規分布に従い,各試行の開始点(a)は,0からA(開始点の上限)の一様分布に従う。決定時間は,(b-a)/dで求めることができ,非決定時間(τ)は,全試行で一定とする。aとdは,推定するパラメータではなく,v, b, A, s, τ が推定するパラメータになる。線形弾道蓄積モデルは,ドリフト拡散モデルよりも推定するパラメータが少なく,2選択肢以外の状況にも適用できるので,ドリフト拡散モデルと合わせて今後の活用が期待できる。


==モデルの拡張 (強化学習モデルとの統合)==
==モデルの拡張 (強化学習モデルとの統合)==
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