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== 概説 == | == 概説 == | ||
神経科学の分野で最も多く使用されている[[中枢神経系]]の実験標本のひとつが、[[哺乳類]] | [[ファイル:Kobayashi Brain slice preparation fig1.png|サムネイル|'''図1. 急性海馬スライス標本'''<br> 振動刃マイクロスライサーを用いて400ミクロンの厚さに切り出した冠状断海馬スライス標本。<br>DG: dentate gyrus (歯状回)、fi:fimbria (海馬采)]] | ||
神経科学の分野で最も多く使用されている[[中枢神経系]]の実験標本のひとつが、[[哺乳類]]の脳スライス標本である('''図1''')。対象となる脳領域の組織を薄切し、生体内での細胞構築や神経連絡を保ったまま実験に使用することができるという利点を持つことから、[[電気生理学]]、[[生化学]]、[[形態学]]、[[薬理学]]などさまざまな分野で使用されている。 | |||
生体内から切り出した後、生きた状態のまま維持されているものを特に[[急性スライス標本]]([[acute slice preparation]])と呼び、[[培養スライス標本]]([[cultured slice]])や組織固定を行ったスライス標本とは区別される。対象脳領域も多岐にわたり、[[海馬]]、[[大脳皮質]]、[[視床下部]]をはじめとして、ほとんどあらゆる脳部位に適用されている。 | 生体内から切り出した後、生きた状態のまま維持されているものを特に[[急性スライス標本]]([[acute slice preparation]])と呼び、[[培養スライス標本]]([[cultured slice]])や組織固定を行ったスライス標本とは区別される。対象脳領域も多岐にわたり、[[海馬]]、[[大脳皮質]]、[[視床下部]]をはじめとして、ほとんどあらゆる脳部位に適用されている。 | ||
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また薄切の過程で、細胞や軸索が切断されることにより細胞外に多量の[[グルタミン酸]]が排出されるが、これらは[[興奮毒性]]をもつことが知られているため、ピペット等によりスライス周辺からこまめに除去することが望ましい。グルタミン酸の興奮毒性から細胞を保護する手段として、スライス作製時に用いるACSFのイオン組成を変更する(Na<sup>+</sup>, Ca<sup>2+</sup>濃度を下げる、Mg<sup>2+</sup>濃度を上げるなど)場合もあるが、変更する場合には、[[浸透圧]]や[[pH]]に変化を及ぼすことがないよう十分考慮しなければならない。 | また薄切の過程で、細胞や軸索が切断されることにより細胞外に多量の[[グルタミン酸]]が排出されるが、これらは[[興奮毒性]]をもつことが知られているため、ピペット等によりスライス周辺からこまめに除去することが望ましい。グルタミン酸の興奮毒性から細胞を保護する手段として、スライス作製時に用いるACSFのイオン組成を変更する(Na<sup>+</sup>, Ca<sup>2+</sup>濃度を下げる、Mg<sup>2+</sup>濃度を上げるなど)場合もあるが、変更する場合には、[[浸透圧]]や[[pH]]に変化を及ぼすことがないよう十分考慮しなければならない。 | ||
=== 回復 === | === 回復 === | ||
切り出したスライス標本は氷冷ACSFにより十分冷却された状態にあるため、そのままでは測定に用いることができない。室温に設置した回復用のチェンバー内で1-2時間程度回復を待つ必要がある。回復用チェンバーには大きく分けて二種類あり、スライス全体が常温のACSFに完全に浸った状態のもの(submerged chamber)と、スライスの下面のみが液に浸っている状態のもの(interface chamber)があるが、実験用途に応じて使い分ける必要がある。十分に回復したスライス標本はその後実験に用いられるが、適切に作製された標本であれば作製後12時間程度までは、正常な神経細胞応答を計測することができる。 | 切り出したスライス標本は氷冷ACSFにより十分冷却された状態にあるため、そのままでは測定に用いることができない。室温に設置した回復用のチェンバー内で1-2時間程度回復を待つ必要がある。回復用チェンバーには大きく分けて二種類あり、スライス全体が常温のACSFに完全に浸った状態のもの(submerged chamber)と、スライスの下面のみが液に浸っている状態のもの(interface chamber)があるが、実験用途に応じて使い分ける必要がある。十分に回復したスライス標本はその後実験に用いられるが、適切に作製された標本であれば作製後12時間程度までは、正常な神経細胞応答を計測することができる。 | ||
[[ファイル:Hayashi patch clamp.png|thumb|250px|right| '''図2. ホールセルパッチクランプ法の記録の例'''<br>[[海馬]][[スライス培養細胞]]の[[wj:微分干渉顕微鏡|ノマルスキー型微分干渉]]像。左下から電極がアプローチしている。スケールバー:30 µm。]] | |||
== 応用 == | == 応用 == | ||
[[細胞内記録]](intracellular recording)や[[細胞外電位記録]] (extracellular field potential recording) は脳スライス標本で行うことができ、いずれも一般的な[[実体顕微鏡]]があれば十分に電極操作等を行うことができる。 | [[細胞内記録]](intracellular recording)や[[細胞外電位記録]] (extracellular field potential recording) は脳スライス標本で行うことができ、いずれも一般的な[[実体顕微鏡]]があれば十分に電極操作等を行うことができる。 | ||
[[パッチクランプ法]]もまた、Edwardsらによる[[スライスパッチクランプ法]]の開発以降、中枢神経系の[[シナプス]]機能解析法として今日でも広く用いられている。スライスパッチクランプ法には大きく分けて、実体顕微鏡下で細胞層を同定したのち、目視によらず(盲目的に)記録用パッチ電極を進めて[[ギガオームシール]]を形成する[[ブラインド法]](blind method)と、[[赤外微分干渉]](infra-red differential interference contrast: IR-DIC)顕微鏡下などでニューロンを直接目視しながら行う可視化法(visualized | [[パッチクランプ法]]もまた、Edwardsらによる[[スライスパッチクランプ法]]の開発以降、中枢神経系の[[シナプス]]機能解析法として今日でも広く用いられている。スライスパッチクランプ法には大きく分けて、実体顕微鏡下で細胞層を同定したのち、目視によらず(盲目的に)記録用パッチ電極を進めて[[ギガオームシール]]を形成する[[ブラインド法]](blind method)と、[[赤外微分干渉]](infra-red differential interference contrast: IR-DIC)顕微鏡下などでニューロンを直接目視しながら行う可視化法(visualized method、'''図2''')の二つがある。あらかじめ標的細胞を蛍光分子などで標識しておけば、蛍光顕微鏡下で目視による標的細胞の探索、計測が可能である。また、[[多電極アレイ]](muti-electrode array)を用いた細胞外電位の多細胞同時記録や、複数のパッチ電極を用いた計測(dual patch clamp recording)による局所回路の解析なども、スライス標本を対象として行われている。 | ||
いずれの手法の場合も、測定開始から終了までの間、スライス標本の健康状態を良好に保ち続けることが最も重要となる。そのためには記録用チェンバー内のスライス標本に、常時95%O<sub>2</sub>, 5% CO<sub>2</sub> の混合ガスを通気したACSFを潅流し、温度管理を適切に行う必要がある。潅流液の供給にはミニパルスポンプを使用することが多く、温度管理には循環恒温槽を用いるとよい。 | いずれの手法の場合も、測定開始から終了までの間、スライス標本の健康状態を良好に保ち続けることが最も重要となる。そのためには記録用チェンバー内のスライス標本に、常時95%O<sub>2</sub>, 5% CO<sub>2</sub> の混合ガスを通気したACSFを潅流し、温度管理を適切に行う必要がある。潅流液の供給にはミニパルスポンプを使用することが多く、温度管理には循環恒温槽を用いるとよい。 |