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== エストロゲンとは ==
== エストロゲンとは ==
 ステロイドホルモンのひとつであり、女性において盛んに分泌され、生殖器官の発達や維持に関与していることから女性ホルモンとして機能している。エストロン(E1)、17β-エストラジオール(E2)ならびにエストリオール(E3)の3種が主なエストロゲンである。合成は主に卵巣で行われるが、副腎や脂肪組織、精巣でも行われており、女性だけでなく男性においてもエストロゲンは合成されている。合成されたエストロゲンは分泌され、細胞に取り込まれ、核内受容体であるエストロゲン受容体(estrogen receptor; ER)に結合する。エストロゲンが結合したエストロゲン受容体は二量体を形成し、DNAに結合して特定の遺伝子の転写を活性化する。また、エストロゲンは抗酸化作用を有し、神経細胞において酸化ストレスやアポトーシスに対する保護作用を示すことが報告されており<ref name=Ishihara2019><pubmed>31265900</pubmed></ref><ref name=Sawada1998><pubmed>9843162</pubmed></ref>、エストロゲンの生理作用は多岐にわたる。
 ステロイドホルモンのひとつであり、女性において盛んに分泌され、生殖器官の発達や維持に関与していることから女性ホルモンとして機能している。エストロン(E1)、17β-エストラジオール(E2)ならびにエストリオール(E3)の3種が主なエストロゲンである。中でも17β-エストラジオールが最も活性が強く、生体におけるエストロゲン活性の大半は17β-エストラジオールによって媒介される。合成は主に卵巣で行われるが、副腎や脂肪組織、精巣でも行われており、女性だけでなく男性においてもエストロゲンは合成されている。合成されたエストロゲンは分泌され、細胞に取り込まれ、核内受容体であるエストロゲン受容体(estrogen receptor; ER)に結合する。エストロゲンが結合したエストロゲン受容体は二量体を形成し、DNAに結合して特定の遺伝子の転写を活性化する。また、エストロゲンは抗酸化作用を有し、神経細胞において酸化ストレスやアポトーシスに対する保護作用を示すことが報告されており<ref name=Ishihara2019><pubmed>31265900</pubmed></ref><ref name=Sawada1998><pubmed>9843162</pubmed></ref>、エストロゲンの生理作用は多岐にわたる。
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig1.png|500px|サムネイル|'''図1. ステロイドホルモン合成経路'''<br>典型的なニューロステロイドを太線の四角で示す。破線矢印は、ヒトにおけるback-door pathwayである。estrone-S, estrone sulfate; P4502D, シトクロームP450 2D4(ラット)あるいは2D6(ヒト); RDH, レチノールデヒドロゲナーゼ。文献<ref name=Yamazaki2014>'''Yamazaki T., Ishihara Y. (2014).'''<br>Chapter 9 Neurosteroids: Regional Steroidogenesis. In: Hiroshi Yamazaki, editor. Fifty Years of Cytochrome P450 Research. Tokyo: Springer; 2014. p. 153 - 73.</ref>より引用。]]
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig1.png|500px|サムネイル|'''図1. ステロイドホルモン合成経路'''<br>典型的なニューロステロイドを太線の四角で示す。破線矢印は、ヒトにおけるback-door pathwayである。estrone-S, estrone sulfate; P4502D, シトクロームP450 2D4(ラット)あるいは2D6(ヒト); RDH, レチノールデヒドロゲナーゼ。文献<ref name=Yamazaki2014>'''Yamazaki T., Ishihara Y. (2014).'''<br>Chapter 9 Neurosteroids: Regional Steroidogenesis. In: Hiroshi Yamazaki, editor. Fifty Years of Cytochrome P450 Research. Tokyo: Springer; 2014. p. 153 - 73.</ref>より引用。]]
== 合成 ==
== 合成 ==
 卵巣におけるエストロゲンの合成は、脳によって調節されている。視床下部から分泌された性腺刺激ホルモン放出ホルモン(gonadotropin-releasing hormone; GnRH)が下垂体前葉に作用し、性腺刺激ホルモン(gonadotropins)の分泌が促進される。そして、性腺刺激ホルモンである卵胞刺激ホルモン(follicle-stimulating hormone; FSH)と黄体形成ホルモン(luteinizing hormone; LH)が卵巣におけるエストロゲン合成を促進する。
 卵巣におけるエストロゲンの合成は、脳によって調節されている。視床下部から分泌された性腺刺激ホルモン放出ホルモン(gonadotropin-releasing hormone; GnRH)が下垂体前葉に作用し、性腺刺激ホルモン(gonadotropins)の分泌が促進される。そして、性腺刺激ホルモンである卵胞刺激ホルモン(follicle-stimulating hormone; FSH)と黄体形成ホルモン(luteinizing hormone; LH)が卵巣におけるエストロゲン合成を促進する。


 ステロイドホルモン合成経路を'''図1'''に示す。コレステロールを起点とした複数の経路が存在する<ref name=Samavat2015><pubmed>24784887</pubmed></ref>。コレステロールの側鎖が切断されて産生したプレグネノロンがプロゲステロンまたは17α-ヒドロキシプレグネノロンに変換され、17α-ヒドロキシプロゲステロンが合成される。そして、17α-ヒドロキシプロゲステロンからアンドロステンジオンが生成された後にエストロンが合成される。さらに、エストロンは17β-エストラジオールに変換される。また、シトクロムP450アロマターゼを介した経路では、アンドロステンジオンからテストステロンに、テストステロンから17β-エストラジオールがそれぞれ合成される。シトクロムP450アロマターゼは、3分子のNADPHと酸素を消費し、1分子の17β-エストラジオールを生成する<ref name=Ryan1959><pubmed>13630892</pubmed></ref>
 エストロゲンの合成経路を'''図1'''に示す。コレステロールを起点とした複数の経路が存在する<ref name=Samavat2015><pubmed>24784887</pubmed></ref>。コレステロールの側鎖が切断されて産生したプレグネノロンがプロゲステロンまたは17α-ヒドロキシプレグネノロンに変換され、17α-ヒドロキシプロゲステロンが合成される。そして、17α-ヒドロキシプロゲステロンからアンドロステンジオンが生成された後にエストロンが合成される。さらに、エストロンは17β-エストラジオールに変換される。また、シトクロムP450アロマターゼを介した経路では、アンドロステンジオンからテストステロンに、テストステロンから17β-エストラジオールがそれぞれ合成される。シトクロムP450アロマターゼは、3分子のNADPHと酸素を消費し、1分子の17β-エストラジオールを生成する<ref name=Ryan1959><pubmed>13630892</pubmed></ref>。最近、テストステロンを介さずに17β-エストラジオールが合成されるback-door pathwayも示されている('''図1''')。[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig3.png|サムネイル|'''図2. シトクロムP450アロマターゼの部分的な遺伝子構造'''<br>未翻訳の第一エクソンにおける組織特異的なプロモーターが組織特異的な転写産物に寄与する。プロモーター1.fが脳特異的なプロモーターと考えられている。]]
 
=== 脳における合成 ===
=== 脳における合成 ===
 脳においても、末梢と同様、17β-エストラジオールはシトクロムP450アロマターゼ(CYP19A1)によってテストステロンから合成される。
 脳においても、末梢と同様、17β-エストラジオールはシトクロムP450アロマターゼ(CYP19A1)によってテストステロンから合成される。


 副腎と生殖腺に存在するステロイドホルモン合成に関与する酵素のほとんどが脳でも発現している<ref name=Compagnone2000><pubmed>10662535</pubmed></ref><ref name=DoRego2009><pubmed>19505496</pubmed></ref>。例えば、steroidogenic acute regulatory protein(StAR)、translocator protein(TSPO)、シトクロムP450scc、シトクロムP450 17α、シトクロムP450アロマターゼ、および3β-ヒドロキシ-Δ⁵-ステロイドデヒドロゲナーゼ (3β-hydroxy-Δ5-steroid dehydrogenase, 3β-HSD)と17β-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼ (17β-hydroxysteroid dehydrogenases, 17β-HSD)の複数のサブタイプがヒトおよびげっ歯類の脳で検出されている<ref name=Compagnone2000><pubmed>10662535</pubmed></ref><ref name=DoRego2009><pubmed>19505496</pubmed></ref><ref name=Munetsuna2009><pubmed>19497980</pubmed></ref>。転写産物の相対数は、StAR ではウシ副腎の 1/100 ~ 1/200 程度、シトクロムP450sccでは 1/200,000 未満、シトクロムP450 17αおよび 3β-HSD では 1/10,000 ~ 1/20,000 程度である <ref name=Yamazaki2005><pubmed>16038956</pubmed></ref>。
 副腎と生殖腺に存在するステロイドホルモン合成に関与する酵素のほとんどが脳でも発現している<ref name=Compagnone2000><pubmed>10662535</pubmed></ref><ref name=DoRego2009><pubmed>19505496</pubmed></ref>。例えば、steroidogenic acute regulatory protein(StAR)、translocator protein(TSPO)、シトクロムP450scc、シトクロムP450 17α、シトクロムP450アロマターゼ、および3β-ヒドロキシ-Δ⁵-ステロイドデヒドロゲナーゼ (3β-hydroxy-Δ5-steroid dehydrogenase, 3β-HSD)と17β-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼ (17β-hydroxysteroid dehydrogenases, 17β-HSD)の複数のサブタイプがヒトおよびげっ歯類の脳で検出されている<ref name=Compagnone2000><pubmed>10662535</pubmed></ref><ref name=DoRego2009><pubmed>19505496</pubmed></ref><ref name=Munetsuna2009><pubmed>19497980</pubmed></ref>。一方、転写産物の相対数は小さく、StAR ではウシ副腎の 1/100 ~ 1/200 程度、シトクロムP450sccでは 1/200,000 未満、シトクロムP450 17αおよび 3β-HSD では 1/10,000 ~ 1/20,000 程度である <ref name=Yamazaki2005><pubmed>16038956</pubmed></ref>。


 シトクロムP450アロマターゼは、ヒト15番染色体のq21.2領域に1つの遺伝子としてコードされている。生殖腺、骨、乳房、脂肪、血管組織、皮膚、胎盤、脳など、多くの組織で発現しているが、スプライシングにより組織特異的な転写産物が生じる。mRNA非翻訳領域をコードする第一エクソンにおける組織特異的なプロモーターが、シトクロムP450アロマターゼの組織特異的な転写に寄与する。プロモーター1.fが脳特異的プロモーターであると考えられている('''図2''')。尚、すべての転写産物が同一のタンパク質に翻訳される。
 シトクロムP450アロマターゼは、ヒト15番染色体のq21.2領域に1つの遺伝子としてコードされている。生殖腺、骨、乳房、脂肪、血管組織、皮膚、胎盤、脳など、多くの組織で発現しているが、スプライシングにより組織特異的な転写産物が生じる。mRNA非翻訳領域をコードする第一エクソンにおける組織特異的なプロモーターが、シトクロムP450アロマターゼの組織特異的な転写に寄与する。プロモーター1.fが脳特異的プロモーターであると考えられている('''図2''')。尚、すべての転写産物が同一のタンパク質に翻訳される。


 脳はエストロゲンを合成する一方、末梢で合成されたエストロゲンが脳に供給され得る。このような生体におけるエストロゲン、およびエストロゲン合成の基質であるテストステロンの動態は、川戸らの研究グループによって研究されている<ref name=Hojo2009><pubmed>19589866</pubmed></ref>。オスラットの海馬におけるテストステロン濃度は17 nM、17β-エストラジオール濃度は8 nMであった。精巣摘出したラットの実験を行って比較したところ、海馬内のテストステロンの8割は血中から供給され,2割は海馬内で合成されることが明らかとなった。一方、メスでは海馬の17β-エストラジオール(1 nM)は血中17β-エストラジオール(0.1~0.01 nM)より10倍以上も濃度が高く、また、メスでは血中から海馬に入る17β-エストラジオールの寄与は非常に低く,海馬内合成が主である。海馬における17β-エストラジオール量はオスの方がメスより8倍も多く、性腺や血中での量比とは逆転している。これらの知見から、テストステロンは血液脳関門を透過する一方、17β-エストラジオールの血液脳関門透過性は低いと考えられる。なお、脳においてニューロンおよびアストロサイトが主に17β-エストラジオールを合成すると考えてられており、オリゴデンドロサイトやミクログリアなどの細胞種の17β-エストラジオール合成への寄与は小さい<ref name=Brann2022><pubmed>36552208</pubmed></ref>。
== 受容体 ==
== 受容体 ==
 ヒトおよびマウスにおけるエストロゲン受容体(estrogen receptor; ER)として、核内受容体型のER&alpha;とER&beta;、ならびにGタンパク質共役受容体GPR30 (G protein-coupled receptor 30)が知られている。これらの受容体は卵巣や子宮といった生殖器官に加えて脳、心臓および肝臓など様々な組織に発現している。脳では、ニューロン、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトなど、ほぼすべての細胞種で発現が認められている。
 ヒトおよびマウスにおけるエストロゲン受容体(estrogen receptor; ER)として、核内受容体型のER&alpha;とER&beta;、ならびにGタンパク質共役受容体GPR30 (G protein-coupled receptor 30)が知られている。これらの受容体は卵巣や子宮といった生殖器官に加えて脳、心臓および肝臓など様々な組織に発現している。脳では、ニューロン、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトなど、ほぼすべての細胞種で発現が認められている。
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig2.png|サムネイル|'''図2. ERα、ERβの1次構造'''<br>文献<ref name=Muramatsu2000><pubmed>10733896</pubmed></ref>より引用。]]
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig2.png|サムネイル|'''図3. ERα、ERβの1次構造'''<br>文献<ref name=Muramatsu2000><pubmed>10733896</pubmed></ref>より引用。]]


=== 核内受容体ER ===
=== 核内受容体ER ===
 核内受容体のER&alpha;とER&beta;は細胞内に局在している。細胞内のエストロゲンがERに結合すると、ERはホモ二量体(&alpha;&alpha;, &beta;&beta;)あるいはヘテロ二量体(&alpha;&beta;)を形成して活性化する。活性化したER二量体はZnフィンガーモチーフを介してDNAに結合して遺伝子の転写を促進する('''図2''')。ERが認識する主なDNA配列はGGTCAnnnTGACCであり、エストロゲン応答エレメント(estrogen response element; ERE)と呼ばれる。ERの標的遺伝子にはCCND1やTFF1、NRIP1、GREB1などが存在する<ref name=Eeckhoute2006><pubmed>16980581</pubmed></ref><ref name=Lin2004><pubmed>15345050</pubmed></ref>。CCND1は広く細胞の増殖を促進し、TFF1は乳がん細胞の浸潤<ref name=Prest2002><pubmed>11919164</pubmed></ref>、NRIP1は乳腺の発達<ref name=Lapierre2015><pubmed>26116758</pubmed></ref>、GREB1は乳がん細胞の増殖に関わる<ref name=Hodgkinson2018><pubmed>29973689</pubmed></ref>。エストロゲンは骨代謝にも重要であり、骨代謝過程においてエストロゲン依存的な制御を受けるタンパク質群も同定されている<ref name=Pastorelli2005><pubmed>16237733</pubmed></ref>。また、ERはSERMやNCoRをリクルートして転写のリプレッサーとしても機能することが報告されている<ref name=Huang2002><pubmed>12145334</pubmed></ref><ref name=Shang2000><pubmed>11136970</pubmed></ref>。
 核内受容体のER&alpha;とER&beta;は細胞内に局在している。細胞内のエストロゲンがERに結合すると、ERはホモ二量体(&alpha;&alpha;, &beta;&beta;)あるいはヘテロ二量体(&alpha;&beta;)を形成して活性化する。活性化したER二量体はZnフィンガーモチーフを介してDNAに結合して遺伝子の転写を促進する('''図3''')。ERが認識する主なDNA配列はGGTCAnnnTGACCであり、エストロゲン応答エレメント(estrogen response element; ERE)と呼ばれる。ERの標的遺伝子にはCCND1やTFF1、NRIP1、GREB1などが存在する<ref name=Eeckhoute2006><pubmed>16980581</pubmed></ref><ref name=Lin2004><pubmed>15345050</pubmed></ref>。CCND1は広く細胞の増殖を促進し、TFF1は乳がん細胞の浸潤<ref name=Prest2002><pubmed>11919164</pubmed></ref>、NRIP1は乳腺の発達<ref name=Lapierre2015><pubmed>26116758</pubmed></ref>、GREB1は乳がん細胞の増殖に関わる<ref name=Hodgkinson2018><pubmed>29973689</pubmed></ref>。エストロゲンは骨代謝にも重要であり、骨代謝過程においてエストロゲン依存的な制御を受けるタンパク質群も同定されている<ref name=Pastorelli2005><pubmed>16237733</pubmed></ref>。また、ERはSERMやNCoRをリクルートして転写のリプレッサーとしても機能することが報告されている<ref name=Huang2002><pubmed>12145334</pubmed></ref><ref name=Shang2000><pubmed>11136970</pubmed></ref>。


 EREを介したER依存的な経路がclassical pathwayと称される一方で、non-classical pathwayもいくつか報告されている。セカンドメッセンジャーを介したリガンド非依存的なERの活性化や膜に局在するERを介したシグナル伝達、ERと他の転写因子、例えば、AP-1やSp1、NF-κBとの相互作用を介して、ERE非依存的に遺伝子発現を制御する経路が示されている<ref name=McDevitt2008><pubmed>18534740</pubmed></ref>。
 EREを介したER依存的な経路がclassical pathwayと称される一方で、non-classical pathwayもいくつか報告されている。セカンドメッセンジャーを介したリガンド非依存的なERの活性化や膜に局在するERを介したシグナル伝達、ERと他の転写因子、例えば、AP-1やSp1、NF-κBとの相互作用を介して、ERE非依存的に遺伝子発現を制御する経路が示されている<ref name=McDevitt2008><pubmed>18534740</pubmed></ref>。
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=== Gタンパク質共役受容体GPR30 ===
=== Gタンパク質共役受容体GPR30 ===
 Gタンパク質共役受容体であるGPR30は細胞膜に局在し、17β-エストラジオールに対して高い親和性を示す。17β-エストラジオールに結合したGPR30はcAMPやERKを介した細胞内情報伝達を制御することが示されている<ref name=Filardo2000><pubmed>11043579</pubmed></ref><ref name=Maggiolini2010><pubmed>19767412</pubmed></ref>。
 Gタンパク質共役受容体であるGPR30は細胞膜に局在し、17β-エストラジオールに対して高い親和性を示す。17β-エストラジオールに結合したGPR30はcAMPやERKを介した細胞内情報伝達を制御することが示されている<ref name=Filardo2000><pubmed>11043579</pubmed></ref><ref name=Maggiolini2010><pubmed>19767412</pubmed></ref>。
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig3.png|サムネイル|'''図3. シトクロムP450アロマターゼの部分的な遺伝子構造'''<br>未翻訳の第一エクソンにおける組織特異的なプロモーターが組織特異的な転写産物に寄与する。プロモーター1.fが脳特異的なプロモーターと考えられている。]]
== ニューロステロイドとしてのエストラジオール ==
 エストロゲンの中でも17β-エストラジオールが最も活性が強く、生体におけるエストロゲン活性の大半は17β-エストラジオールによって媒介される。脳においても、末梢と同様、17β-エストラジオールはシトクロムP450アロマターゼ(CYP19A1)によってテストステロンから合成される。シトクロムP450アロマターゼは、ヒト15番染色体のq21.2領域に1つの遺伝子としてコードされている。生殖腺、骨、乳房、脂肪、血管組織、皮膚、胎盤、脳など、多くの組織で発現しているが、スプライシングにより組織特異的な転写産物が生じる。mRNA非翻訳領域をコードする第一エクソンにおける組織特異的なプロモーターが、シトクロムP450アロマターゼの組織特異的な転写に寄与する。プロモーター1.fが脳特異的プロモーターであると考えられている('''図3''')。尚、すべての転写産物が同一のタンパク質に翻訳される。
 脳はエストロゲンを合成する一方、末梢で合成されたエストロゲンが脳に供給され得る。このような生体におけるエストロゲン、およびエストロゲン合成の基質であるテストステロンの動態は、川戸らの研究グループによって研究されている<ref name=Hojo2009><pubmed>19589866</pubmed></ref>。オスラットの海馬におけるテストステロン濃度は17 nM、17β-エストラジオール濃度は8 nMであった。精巣摘出したラットの実験を行って比較したところ、海馬内のテストステロンの8割は血中から供給され,2割は海馬内で合成されることが明らかとなった。一方、メスでは海馬の17β-エストラジオール(1 nM)は血中17β-エストラジオール(0.1~0.01 nM)より10倍以上も濃度が高く、また、メスでは血中から海馬に入る17β-エストラジオールの寄与は非常に低く,海馬内合成が主である。海馬における17β-エストラジオール量はオスの方がメスより8倍も多く、性腺や血中での量比とは逆転している。これらの知見から、テストステロンは血液脳関門を透過する一方、17β-エストラジオールの血液脳関門透過性は低いと考えられる。なお、脳においてニューロンおよびアストロサイトが主に17β-エストラジオールを合成すると考えてられており、オリゴデンドロサイトやミクログリアなどの細胞種の17β-エストラジオール合成への寄与は小さい<ref name=Brann2022><pubmed>36552208</pubmed></ref>。


== ニューロステロイドとしてのエストロゲンの機能 ==
=== 脳の性差と性行動 ===
=== 脳の性差と性行動 ===
 産まれてすぐに去勢したラットにエストロゲンを投与すると、雄の性行動が誘導される一方で、ゴナドトロピンの分泌と雌の性行動が抑制されることが示された<ref name=Booth1977><pubmed>845532</pubmed></ref>。この知見から、脳の性分化が、精巣由来のアンドロゲンが脳内でエストロゲンへ変換されることによって起こることが示唆された。シトクロムP450アロマターゼは性的二型核で高度に発現しており<ref name=Sasano1998><pubmed>9578823</pubmed></ref><ref name=Selmanoff1977><pubmed>891467</pubmed></ref>、これら脳領域でテストステロンをエストロゲンに変換することによって、男性化や男性特有の性行動に寄与すると考えられている<ref name=McCarthy2008><pubmed>18195084</pubmed></ref>。しかし、このメカニズムは鳥類やげっ歯類の研究結果を基に提唱されたものであり、ヒトや霊長類に拡張できるかについてはまだ議論がある。
 産まれてすぐに去勢したラットにエストロゲンを投与すると、雄の性行動が誘導される一方で、ゴナドトロピンの分泌と雌の性行動が抑制されることが示された<ref name=Booth1977><pubmed>845532</pubmed></ref>。この知見から、脳の性分化が、精巣由来のアンドロゲンが脳内でエストロゲンへ変換されることによって起こることが示唆された。シトクロムP450アロマターゼは性的二型核で高度に発現しており<ref name=Sasano1998><pubmed>9578823</pubmed></ref><ref name=Selmanoff1977><pubmed>891467</pubmed></ref>、これら脳領域でテストステロンをエストロゲンに変換することによって、男性化や男性特有の性行動に寄与すると考えられている<ref name=McCarthy2008><pubmed>18195084</pubmed></ref>。しかし、このメカニズムは鳥類やげっ歯類の研究結果を基に提唱されたものであり、ヒトや霊長類に拡張できるかについてはまだ議論がある。

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