「エストロゲン」の版間の差分

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 また、17β-エストラジオールと[[長期増強]]([[LTP]])との関連も報告されている。雄ラットの海馬スライスにレトロゾールを処置すると、海馬[[CA1]]領域のLTPの振幅が60%減少する一方、ベースラインには影響しない<ref name=Grassi2011><pubmed>21749911</pubmed></ref>。レトロゾールは、脳内でテストステロンを増加させる可能性があるが、Tozziらは、アンドロゲン受容体阻害薬が雄ラットから調製した海馬切片のLTPに影響を及ぼさないことを示している<ref name=Tozzi2019><pubmed>31866827</pubmed></ref>。従って、17β-エストラジオールは海馬CA1錐体細胞層に作用して、LTPに影響すると考えられる。
 また、17β-エストラジオールと[[長期増強]]([[LTP]])との関連も報告されている。雄ラットの海馬スライスにレトロゾールを処置すると、海馬[[CA1]]領域のLTPの振幅が60%減少する一方、ベースラインには影響しない<ref name=Grassi2011><pubmed>21749911</pubmed></ref>。レトロゾールは、脳内でテストステロンを増加させる可能性があるが、Tozziらは、アンドロゲン受容体阻害薬が雄ラットから調製した海馬切片のLTPに影響を及ぼさないことを示している<ref name=Tozzi2019><pubmed>31866827</pubmed></ref>。従って、17β-エストラジオールは海馬CA1錐体細胞層に作用して、LTPに影響すると考えられる。


 遺伝子発現変化を伴わないnon-genomic signaling pathwaysおよび遺伝子発現変化を伴うgenomic signaling pathwaysの双方が17β-エストラジオールによるシナプスの構造形成や機能の調節に関わっている。Non-genomic signaling pathwaysにおいて、AktシグナルやERKシグナルを中心としたリン酸化シグナルが主要なメカニズムであると考えられている<ref name=Levenga2017><pubmed>29173281</pubmed></ref><ref name=Mao2016><pubmed>26567109</pubmed></ref><ref name=Sweatt2001><pubmed>11145972</pubmed></ref>。一方、17β-エストラジオールはCREBの活性化を介してBDNFやPDS95の発現を増大させ、シナプス可塑性を調節することも示唆されている<ref name=Lu2019><pubmed>30728170</pubmed></ref>。
 遺伝子発現変化を伴わないnon-genomic signaling pathwaysおよび遺伝子発現変化を伴うgenomic signaling pathwaysの双方が17β-エストラジオールによるシナプスの構造形成や機能の調節に関わっている。Non-genomic signaling pathwaysにおいて、[[Ak strain transforming]] ([[Akt]])シグナル([[プロテインキナーゼB]])やERKシグナルを中心としたリン酸化シグナルが主要なメカニズムであると考えられている<ref name=Levenga2017><pubmed>29173281</pubmed></ref><ref name=Mao2016><pubmed>26567109</pubmed></ref><ref name=Sweatt2001><pubmed>11145972</pubmed></ref>。一方、17β-エストラジオールは[[サイクリックAMP応答配列結合タンパク質]] ([[cAMP responsive element binding protein]]; [[CREB]])の活性化を介して[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain-derived neurotrophic factor]]; [[BDNF]])や[[PDS-95]]の発現を増大させ、[[シナプス可塑性]]を調節することも示唆されている<ref name=Lu2019><pubmed>30728170</pubmed></ref>。


=== 認知機能 ===
=== 認知機能 ===
 1996年、Lancet誌に、閉経後の女性にエストロゲンを投与すると、アルツハイマー病発症のリスクが低下するとの論文が掲載され、エストロゲンと認知機能との関連性がとりわけ注目される契機となった<ref name=Tang1996><pubmed>8709781</pubmed></ref>。また、乳がん患者におけるシトクロムP450アロマターゼ阻害剤治療に係る知見から、エストロゲンが言語および視覚学習/記憶、実行機能、処理速度に重要であることが示唆された<ref name=Bender2007><pubmed>17898668</pubmed></ref><ref name=Phillips2011><pubmed>21046229</pubmed></ref><ref name=Rocha-Cadman2012><pubmed>22677000</pubmed></ref><ref name=Underwood2018><pubmed>29264751</pubmed></ref>。また、シトクロムP450アロマターゼ阻害薬による記憶障害が可逆的であることも明らかとなった。げっ歯類を用いてより直接的な研究が実施されており、例えば、雄および雌のラットに 14日間レトロゾールを脳室内投与したところ、海馬17β-エストラジオール濃度が低下し、海馬錐体ニューロンの発火頻度が減少した。またこのとき、作業記憶と新規物体認識記憶にレトロゾール用量依存的な障害が生じた<ref name=Marbouti2020><pubmed>32882397</pubmed></ref>。同様に、雄および雌のマウスにレトロゾールを投与すると、空間記憶障害が生じた<ref name=Zhao2018><pubmed>29452160</pubmed></ref>。さらに、レトロゾール投与により記憶の固定が損なわれたマウスに外因的に E2を補充すると、記憶が回復する<ref name=Tuscher2016><pubmed>27178577</pubmed></ref>。これらの知見から、17β-エストラジオールは記憶や学習に役割を果たしていると考えらえている。
 1996年、Lancet誌に、閉経後の女性にエストロゲンを投与すると、[[アルツハイマー病]]発症のリスクが低下するとの論文が掲載され、エストロゲンと認知機能との関連性がとりわけ注目される契機となった<ref name=Tang1996><pubmed>8709781</pubmed></ref>。また、乳がん患者におけるシトクロムP450アロマターゼ阻害剤治療に係る知見から、エストロゲンが[[言語]]および[[視覚]][[学習]]/[[記憶]]、[[実行機能]]、処理速度に重要であることが示唆された<ref name=Bender2007><pubmed>17898668</pubmed></ref><ref name=Phillips2011><pubmed>21046229</pubmed></ref><ref name=Rocha-Cadman2012><pubmed>22677000</pubmed></ref><ref name=Underwood2018><pubmed>29264751</pubmed></ref>。また、シトクロムP450アロマターゼ阻害薬による記憶障害が可逆的であることも明らかとなった。げっ歯類を用いてより直接的な研究が実施されており、例えば、雄および雌のラットに 14日間レトロゾールを[[脳室]]内投与したところ、海馬17β-エストラジオール濃度が低下し、海馬[[錐体ニューロン]]の発火頻度が減少した。またこのとき、[[作業記憶]]と[[新規物体認識記憶]]にレトロゾール用量依存的な障害が生じた<ref name=Marbouti2020><pubmed>32882397</pubmed></ref>。同様に、雄および雌のマウスにレトロゾールを投与すると、[[空間記憶]]障害が生じた<ref name=Zhao2018><pubmed>29452160</pubmed></ref>。さらに、レトロゾール投与により記憶の固定が損なわれたマウスに外因的にE2を補充すると、記憶が回復する<ref name=Tuscher2016><pubmed>27178577</pubmed></ref>。これらの知見から、17β-エストラジオールは記憶や学習に役割を果たしていると考えらえている。
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig4.png|サムネイル|'''図4. エストロゲンによる神経保護メカニズムの概要'''<br>文献<ref name=Ishihara2015><pubmed>25815107</pubmed></ref>を改変]]
[[ファイル:Ishihara Estrogen Fig4.png|サムネイル|'''図4. エストロゲンによる神経保護メカニズムの概要'''<br>文献<ref name=Ishihara2015><pubmed>25815107</pubmed></ref>を改変]]
=== 神経保護===
=== 神経保護===
 エストロゲンは、アルツハイマー病やパーキンソン病、脳梗塞など、様々な要因により生じる神経障害に対して保護作用を有していることが知られている<ref name=Brann2007><pubmed>17379265</pubmed></ref>。17β-エストラジオールによる神経保護メカニズムの概要を'''図5'''に示した。エストロゲンの神経保護メカニズムはgenomic signaling pathwaysとnon-genomic signaling pathwaysに大別される。
 エストロゲンは、アルツハイマー病や[[パーキンソン病]]、[[脳梗塞]]など、様々な要因により生じる神経障害に対して保護作用を有していることが知られている<ref name=Brann2007><pubmed>17379265</pubmed></ref>。17β-エストラジオールによる神経保護メカニズムの概要を'''図5'''に示した。エストロゲンの神経保護メカニズムはgenomic signaling pathwaysとnon-genomic signaling pathwaysに大別される。


 Genomic signaling pathways('''図5①''')に関与する、17β-エストラジオールによる神経保護を媒介する遺伝子群について'''表1'''に示した。17β-エストラジオールは酸化ストレスやアポトーシス、炎症に関連する遺伝子の発現を制御することにより神経保護作用を示す。
 Genomic signaling pathways('''図5①''')に関与する、17β-エストラジオールによる神経保護を媒介する遺伝子群について'''表1'''に示した。17β-エストラジオールは[[酸化ストレス]]や[[アポトーシス]]、[[炎症]]に関連する遺伝子の発現を制御することにより神経保護作用を示す。


 17β-エストラジオールによるnon-genomic signaling pathwaysを介した神経保護には、主にキナーゼ経路が関わると考えられている('''図5②''')。ERK経路の活性化や<ref name=Mize2003><pubmed>12488359</pubmed></ref>Akt経路の活性化<ref name=Zhang2009><pubmed>19889994</pubmed></ref>、Wntシグナル伝達の調節<ref name=Quintanilla2005><pubmed>15659394</pubmed></ref>などがメカニズムである。
 17β-エストラジオールによるnon-genomic signaling pathwaysを介した神経保護には、主にキナーゼ経路が関わると考えられている('''図5②''')。ERK経路の活性化や<ref name=Mize2003><pubmed>12488359</pubmed></ref>Akt経路の活性化<ref name=Zhang2009><pubmed>19889994</pubmed></ref>、[[Wnt]]シグナル伝達の調節<ref name=Quintanilla2005><pubmed>15659394</pubmed></ref>などがメカニズムである。


 また、17β-エストラジオールはミトコンドリア効率の改善('''図5③''')<ref name=Jones2009><pubmed>18930048</pubmed></ref>や活性酸素種('''図5④''')などの高反応性化学物質の直接消去も行う<ref name=Behl1997><pubmed>9106616</pubmed></ref>。さらに、アストロサイトのグルタミン酸動態に干渉したり<ref name=Acaz-Fonseca2014><pubmed>24444786</pubmed></ref>('''図5⑤''')、ミクログリアの炎症反応を抑制したりと<ref name=Bruce-Keller2000><pubmed>11014219</pubmed></ref>('''図5⑥''')、多種多様なメカニズムにより神経保護に役割を果たす。
 また、17β-エストラジオールは[[ミトコンドリア]]効率の改善('''図5③''')<ref name=Jones2009><pubmed>18930048</pubmed></ref>や[[活性酸素]]種('''図5④''')などの高反応性化学物質の直接消去も行う<ref name=Behl1997><pubmed>9106616</pubmed></ref>。さらに、[[アストロサイト]]の[[グルタミン酸]]動態に干渉したり<ref name=Acaz-Fonseca2014><pubmed>24444786</pubmed></ref>('''図5⑤''')、ミクログリアの炎症反応を抑制したりと<ref name=Bruce-Keller2000><pubmed>11014219</pubmed></ref>('''図5⑥''')、多種多様なメカニズムにより神経保護に役割を果たす。


{| class="wikitable"
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! 標的遺伝子(発現変化) !! 作用
! 標的遺伝子(発現変化) !! 作用
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| スーパーオキシドジスムターゼ1 (SOD1) (↑) || 活性酸素種の除去
| [[スーパーオキシドジスムターゼ1]] ([[SOD1]]) (↑) || 活性酸素種の除去
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| スーパーオキシドジスムターゼ2 (SOD2)(↑) || 活性酸素種の除去
| [[スーパーオキシドジスムターゼ2]] ([[SOD2]])(↑) || 活性酸素種の除去
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| グルタチオンペルオキシダーゼ (GPx) (↑) || 活性酸素種の除去
| [[グルタチオンペルオキシダーゼ]] ([[GPx]]) (↑) || 活性酸素種の除去
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| カタラーゼ (↑) || 活性酸素種の除去
| [[カタラーゼ]] (↑) || 活性酸素種の除去
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| 誘導型一酸化窒素合成酵素 (iNOS) (↓) || 反応性ラジカルの減少
| [[誘導型一酸化窒素合成酵素]] ([[iNOS]]) (↓) || 反応性ラジカルの減少
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| 神経型一酸化窒素合成酵素 (nNOS) (↓) || 反応性ラジカルの減少
| [[神経型一酸化窒素合成酵素]] ([[nNOS]]) (↓) || 反応性ラジカルの減少
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| グルタチオン-S-トランスフェラーゼ (GST) (↑) || 活性酸素種由来反応性代謝物の除去
| [[グルタチオン-S-トランスフェラーゼ]] ([[GST]]) (↑) || 活性酸素種由来反応性代謝物の除去
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| NAD(P)Hキノンオキシドレダクターゼ1 (NQO1) (↑) || 活性酸素種由来反応性代謝物の除去
| [[NAD(P)Hキノンオキシドレダクターゼ1]] ([[NQO1]]) (↑) || 活性酸素種由来反応性代謝物の除去
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| セラジン-1 (↑) || 抗アポトーシス
| [[セラジン-1]] (↑) || 抗アポトーシス
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| ニューログロブリン (↑) || 抗アポトーシス、抗炎症
| [[ニューログロブリン]] (↑) || 抗アポトーシス、抗炎症
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| インターロイキン-6 (↓) || 抗炎症
| [[インターロイキン-6]] (↓) || 抗炎症
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| インターフェロンガンマ誘導性タンパク質10 (IP-10 )(↓) || 抗炎症
| [[インターフェロンガンマ誘導性タンパク質10]] ([[IP-10]] )(↓) || 抗炎症
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| マトリックスメタロプロテイナーゼ-9 (MMP-9) (↓) || 抗炎症
| [[マトリックスメタロプロテイナーゼ-9]] ([[MMP-9]]) (↓) || 抗炎症
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| シトクロムc酸化酵素 (↑) || ミトコンドリア効率の増大
| [[シトクロムc酸化酵素]] (↑) || ミトコンドリア効率の増大
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| Bax(↓) || 抗アポトーシス
| [[Bax]](↓) || 抗アポトーシス
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文献<ref name=Ishihara2015><pubmed>25815107</pubmed></ref>より引用
文献<ref name=Ishihara2015><pubmed>25815107</pubmed></ref>より引用

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