17,548
回編集
細 (→基質) |
細編集の要約なし |
||
| 9行目: | 9行目: | ||
英略語:SSH | 英略語:SSH | ||
{{box|text= | {{box|text= スリングショット(SSH)は、二重特異性ホスファターゼ(Dual-specificity phosphatase)に属するタンパク質脱リン酸化酵素で、ヒトでは類似した構造を持つ3種類のSSH1, SSH2, SSH3が存在し、サブファミリーを形成している。これらのSSHは全て、アクチン線維の切断・脱重合因子であるコフィリンを基質とし、その3番目のリン酸化されたセリン残基を脱リン酸化する。コフィリンは、細胞内アクチン線維を切断・脱重合することで単量体アクチンの生成とアクチン骨格のダイナミクスを生み出す細胞の生存に必須のタンパク質である。コフィリンは、主にLIMキナーゼ(LIMK)によって3番目のセリン残基がリン酸化されると不活性化し、SSHによって脱リン酸化されると再活性化される。SSHとLIMKは、アクチン線維の重合と脱重合のバランスを制御することから、神経細胞を含む様々な細胞の形態や機能に関与し、多様なシグナル伝達経路によって活性が制御されている。その機能の欠損や異常は、アルツハイマー病や癌の悪性化に関わることが示唆されている。}} | ||
== スリングショットとは == | == スリングショットとは == | ||
最初、[[ショウジョウバエ]]の翅の毛や背の[[剛毛]]の形態異常の変異体の原因遺伝子として同定された。変異体では剛毛の先が二股に分かれるY字型の形状をもつことからslingshotと名付けられた<ref name=Niwa2002><pubmed>11832213</pubmed></ref>。この遺伝子は、二重特異性[[ホスファターゼ]] (dual-specificity phosphatase)に属する[[タンパク質脱リン酸化酵素]]をコードしていた。また、剛毛の形態異常は[[アクチン]]細胞骨格の制御因子の変異に起因する例が知られており、slingshot変異細胞ではアクチンの過重合がみられることから、SSHの基質の候補としてアクチン線維の切断・脱重合因子であり、脱リン酸化によって活性化されるコフィリンが推測された。その可能性は[[哺乳類]]の培養細胞を用いて検討され、コフィリンがSSHの基質であることが明らかにされた<ref name=Niwa2002 />。ショウジョウバエにおけるssh遺伝子の機能不全は、毛だけではなく、[[上皮]]組織、[[個眼]]などでアクチンの過重合を伴う形態異常を示す。コフィリンのリン酸化酵素である[[LIMドメイン含有キナーゼ]] ([[LIMキナーゼ]], [[LIMK]])を過剰発現させてもアクチンの過重合が生じるが、LIMKとSSHを共発現させると過重合がなくなることから、SSHはコフィリン脱リン酸化酵素であることが支持された<ref name=Niwa200 />。 | |||
[[ファイル:Ohashi LIMK Fig1.png|サムネイル|'''図1. コフィリンのリン酸化・脱リン酸化によるアクチン骨格のダイナミクス制御]] | [[ファイル:Ohashi LIMK Fig1.png|サムネイル|'''図1. コフィリンのリン酸化・脱リン酸化によるアクチン骨格のダイナミクス制御]] | ||
コフィリンは、哺乳類では[[非筋肉型コフィリン]](別名[[n-cofilin]]、[[cofilin-1]])、[[筋肉型コフィリン]](別名[[m-cofilin]]、[[cofilin-2]])、[[Actin depolymerizing factor]]([[ADF]])(別名[[デストリン]]([[destrin]]))の3種類が存在し、同様の機能をもち、同様のリン酸化制御を受ける<ref name=Mizuno2013><pubmed>23153585</pubmed></ref>。本項ではこれらを総称してコフィリンと表記する。ショウジョウバエではssh遺伝子は1種類であるが、哺乳類では類似した3種類の遺伝子が存在している(ssh1, ssh2, ssh3)。それら全て、コフィリンに対する脱リン酸化活性を有する。 | |||
コフィリンは、主にLIMキナーゼによる3番目のセリン残基のリン酸化により不活性化されるが、SSHによって脱リン酸化されると再活性化される('''図1''')。コフィリンのリン酸化と脱リン酸化による活性制御は、アクチン骨格の再構築を制御し、細胞の形態や機能発現に重要な役割を担っていると考えられ、LIMKとSSHは多様なシグナル伝達経路によって活性が制御されている。SSHにおいても、結合タンパク質や[[リン酸化]]修飾による調節を受けており、細胞の形態・機能発現や様々な疾患に関与することが明らかにされている<ref name=Mizuno2013></ref> <ref name=Ohashi2015><pubmed>25864508</pubmed></ref>[2][3]。 | |||
[[ファイル:Ohashi SSH Fig2.png|サムネイル|'''図2. SSHファミリーの構造と機能制御に関与する部位'''<br>リン酸化を受けるセリン残基、アクチン線維との結合部位、リン酸化コフィリン認識部位、SQSTM1/p62結合部位をSSH1に示す。 A: Aドメイン、B: Bドメイン、P: ホスファターゼドメイン、S: セリンリッチドメイン]] | [[ファイル:Ohashi SSH Fig2.png|サムネイル|'''図2. SSHファミリーの構造と機能制御に関与する部位'''<br>リン酸化を受けるセリン残基、アクチン線維との結合部位、リン酸化コフィリン認識部位、SQSTM1/p62結合部位をSSH1に示す。 A: Aドメイン、B: Bドメイン、P: ホスファターゼドメイン、S: セリンリッチドメイン]] | ||
== サブファミリーと構造 == | == サブファミリーと構造 == | ||
SSHは、哺乳類で類似した3種類のSSH1, SSH2, SSH3が存在しファミリーを形成している。各々、スプライシングバリアントが存在し、一番長い転写産物をSSH1L, SSH2L, SSH3Lと区別する場合があるが[1]、本項ではこれら一番長いものをSSH1, SSH2, SSH3と表記する。それらはN末端側にA, | SSHは、哺乳類で類似した3種類のSSH1, SSH2, SSH3が存在しファミリーを形成している。各々、スプライシングバリアントが存在し、一番長い転写産物をSSH1L, SSH2L, SSH3Lと区別する場合があるが[1]、本項ではこれら一番長いものをSSH1, SSH2, SSH3と表記する。それらはN末端側にA, Bと名付けられたファミリー間で保存された領域があり、続いてホスファターゼドメインを持つ('''図2''')。ホスファターゼドメインは、リン酸化されたチロシン残基とセリン/スレオニン残基の両方を脱リン酸化する二重特異性脱リン酸化酵素に類似した配列を有している。SSH1がコフィリンに対する脱リン酸化活性を発揮するためにはN末端のA,Bドメインが必要である<ref name=Kurita2008><pubmed>18809681</pubmed></ref> [4]。ホスファターゼドメインに続くC末端側は、SSH1, SSH2とSSH3では異なり、SSH1とSSH2はC末端付近にリン酸化修飾を受けるセリンに富む短い領域が存在するが、SSH3はそれらに比べてC末端領域は短く、セリンに富む短い領域は存在しない<ref name=Mizuno2013></ref> [2]。 | ||
SSH1は、ホスファターゼドメインのC末端の近くにオートファジーの受容体タンパク質であるSQSTM1/p62タンパク質が結合する領域が存在する<ref name=Fang2021><pubmed>33044112</pubmed></ref>[5]。また、SSH1とSSH2はアクチン線維に結合し、SSH1の分子内に少なくとも3箇所のアクチン線維と結合するモチーフを持つ(図2) <ref name=Kurita2008></ref>[4]。SSH3はアクチン線維との結合能は持たない<ref name=Ohta2003><pubmed>14531860</pubmed></ref>[6]。SSH1とSSH2は、N末端Aドメインが触媒部位をブロックして活性抑制に働く部位であり、それに続くBドメインがコフィリンを結合して基質特異性を決めている領域であることが示されている(図2) <ref name=Yang2018><pubmed>30154244</pubmed></ref>。また、アクチン線維がSSH2のAドメインに結合して、その活性抑制を解除することが示されている(図2) <ref name=Yang2018></ref>[7]。 | |||
== 遺伝子、オーソログ 種間の保存性 == | == 遺伝子、オーソログ 種間の保存性 == | ||
| 44行目: | 44行目: | ||
== 活性制御因子 == | == 活性制御因子 == | ||
細胞応答におけるコフィリンのリン酸化の変動の解析やSSH1に対するプロテオミクス解析などから複数のSSHの制御因子や結合因子が同定されている('''表1''') | 細胞応答におけるコフィリンのリン酸化の変動の解析やSSH1に対するプロテオミクス解析などから複数のSSHの制御因子や結合因子が同定されている('''表1''')。その中でSSH1とSSH2の主要な制御機構を記す。 | ||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
| 85行目: | 85行目: | ||
== 脳神経系における機能 == | == 脳神経系における機能 == | ||
コフィリンのリン酸化・脱リン酸化は、アクチン骨格の動的状態を制御する重要な反応であり、細胞の形態、運動性など様々な細胞応答に関与する。SSH1, SSH2, SSH3はLIMK1, | コフィリンのリン酸化・脱リン酸化は、アクチン骨格の動的状態を制御する重要な反応であり、細胞の形態、運動性など様々な細胞応答に関与する。SSH1, SSH2, SSH3はLIMK1, LIMK2とともに脳神経にも発現しており、これらによるコフィリンのアクチン脱重合活性の正と負の制御によって神経突起の伸展・退縮やスパインの形成に関与する。 | ||
=== 神経突起の伸展、退縮 === | === 神経突起の伸展、退縮 === | ||
トリ後根神経節(DRG)細胞の神経突起やラット副腎髄質褐色腫由来のPC12細胞に対するNGFによる神経突起形成において、LIMK1やSSH1、SSH2の発現抑制はどちらも突起伸展を抑制する。また、LIMK1の過剰発現はコフィリンの過度の不活性化により伸展が抑制される<ref name=Endo2003><pubmed>12684437</pubmed></ref><ref name=Endo2007><pubmed>17360713</pubmed></ref> [22][23]。また、マウスDRG細胞に対するセマフォリンによる成長円錐の退縮や大脳皮質細胞に対するミエリン由来のNogo-66による神経突起の退縮の過程では、刺激直後にコフィリンはリン酸化が促進され、その後、SSH1による脱リン酸化が促進することが示されている<ref name=Aizawa2001><pubmed>11276226</pubmed></ref><ref name=Hsieh2006><pubmed>16421320</pubmed></ref> [24][25]。アフリカツメガエルの胚の脊髄神経細胞の初代培養において、培養後初期の4〜8時間ではBMP7の濃度勾配によって神経突起伸展が誘引されるが、一晩培養後の細胞ではBMP7の濃度勾配に対して反発が起こる。初期の突起伸展の誘引はLIMK1に依存しており、一晩培養後の反発への変換にはTRPチャネル依存的なカルシウム流入によるカルシニューリンの活性化、それに続くSSH1の活性化が必要であることが明らかにされた<ref name=Wen2007><pubmed>17606869</pubmed></ref> [26]。微小管関連蛋白質であるneuron navigator 2 (NAV2)のショウジョウバエのホモログであるSickieは、アクチン線維が豊富なキノコ体の神経軸索に局在してRac依存的な軸索の伸長に寄与する。遺伝学的な解析により、SickieはRacの下流で(Pakを介さずに)SSHによるコフィリンの脱リン酸化を促進し、軸索の伸長に寄与することが示された<ref name=Abe2014><pubmed>25411210</pubmed></ref> [27]。一方、RacはPakを介してLIMKを活性化し、コフィリンのリン酸化を促進する働きもある。sickieの変異体ではRacによるSSHの活性化が抑制され、LIMKの活性化だけが促進されるため、コフィリンの過剰なリン酸化が起こり、そのためアクチン線維のダイナミクスが低下し、軸索の伸長が阻害されると考えられる[27]。つまり、LIMKによるコフィリンのリン酸化(不活性化)とSSHによるコフィリンの脱リン酸化(活性化)の両方が軸索の伸長におけるアクチン線維のダイナミクスの制御に必要であり、LIMKとSSHの活性の適切なバランスと時空間的な制御が神経突起の伸長と退縮を決定する要因となっていると考えられる<ref name=Mizuno2013></ref><ref name=Abe2014><pubmed>25411210</pubmed></ref> [2][27]。 | トリ後根神経節(DRG)細胞の神経突起やラット副腎髄質褐色腫由来のPC12細胞に対するNGFによる神経突起形成において、LIMK1やSSH1、SSH2の発現抑制はどちらも突起伸展を抑制する。また、LIMK1の過剰発現はコフィリンの過度の不活性化により伸展が抑制される<ref name=Endo2003><pubmed>12684437</pubmed></ref><ref name=Endo2007><pubmed>17360713</pubmed></ref> [22][23]。また、マウスDRG細胞に対するセマフォリンによる成長円錐の退縮や大脳皮質細胞に対するミエリン由来のNogo-66による神経突起の退縮の過程では、刺激直後にコフィリンはリン酸化が促進され、その後、SSH1による脱リン酸化が促進することが示されている<ref name=Aizawa2001><pubmed>11276226</pubmed></ref><ref name=Hsieh2006><pubmed>16421320</pubmed></ref> [24][25]。アフリカツメガエルの胚の脊髄神経細胞の初代培養において、培養後初期の4〜8時間ではBMP7の濃度勾配によって神経突起伸展が誘引されるが、一晩培養後の細胞ではBMP7の濃度勾配に対して反発が起こる。初期の突起伸展の誘引はLIMK1に依存しており、一晩培養後の反発への変換にはTRPチャネル依存的なカルシウム流入によるカルシニューリンの活性化、それに続くSSH1の活性化が必要であることが明らかにされた<ref name=Wen2007><pubmed>17606869</pubmed></ref> [26]。微小管関連蛋白質であるneuron navigator 2 (NAV2)のショウジョウバエのホモログであるSickieは、アクチン線維が豊富なキノコ体の神経軸索に局在してRac依存的な軸索の伸長に寄与する。遺伝学的な解析により、SickieはRacの下流で(Pakを介さずに)SSHによるコフィリンの脱リン酸化を促進し、軸索の伸長に寄与することが示された<ref name=Abe2014><pubmed>25411210</pubmed></ref> [27]。一方、RacはPakを介してLIMKを活性化し、コフィリンのリン酸化を促進する働きもある。sickieの変異体ではRacによるSSHの活性化が抑制され、LIMKの活性化だけが促進されるため、コフィリンの過剰なリン酸化が起こり、そのためアクチン線維のダイナミクスが低下し、軸索の伸長が阻害されると考えられる[27]。つまり、LIMKによるコフィリンのリン酸化(不活性化)とSSHによるコフィリンの脱リン酸化(活性化)の両方が軸索の伸長におけるアクチン線維のダイナミクスの制御に必要であり、LIMKとSSHの活性の適切なバランスと時空間的な制御が神経突起の伸長と退縮を決定する要因となっていると考えられる<ref name=Mizuno2013></ref><ref name=Abe2014><pubmed>25411210</pubmed></ref> [2][27]。 | ||