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Toshikiiwabuchi (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
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脳科学における語彙とは,個人の脳内に[[記憶]]された語に関する知識の総体を指す.一般的な用法と区別するため,単に語彙という代わりにメンタル・レキシコン([[wikipedia:Mental_lexicon|mental lexicon]])という用語を用いることも多い.メンタル・レキシコンには心的語彙,心内語彙,心的辞書,心内辞書など多くの訳語が存在する. | 脳科学における語彙とは,個人の脳内に[[記憶]]された語に関する知識の総体を指す.一般的な用法と区別するため,単に語彙という代わりにメンタル・レキシコン([[wikipedia:Mental_lexicon|mental lexicon]])という用語を用いることも多い.メンタル・レキシコンには心的語彙,心内語彙,心的辞書,心内辞書など多くの訳語が存在する. | ||
=語彙とは= | =語彙とは= | ||
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ことばを見聞きしたとき,われわれは苦も無く語彙情報にアクセスして意味を理解する.こうした単語認知研究の初期における重要なモデルとして,Mortonのロゴジェン・モデル(logogen model)がある.このモデルではメンタル・レキシコンの構成ユニットはロゴジェンと呼ばれ,個々の単語に対応する.ロゴジェンは感覚入力(たとえば単語の視覚刺激)に対して応答するが,この応答値がある閾値を超えたときにのみ「対応する単語が認識された」ものとする.さらに,ロゴジェンは単語の使用頻度や文脈の効果を受け,それによって閾値が低下するという特徴を持つ.以上がロゴジェン・モデルの概要である.このモデルは出現頻度効果や文脈効果による語彙アクセスへの影響をある程度定量的に説明することができる. | ことばを見聞きしたとき,われわれは苦も無く語彙情報にアクセスして意味を理解する.こうした単語認知研究の初期における重要なモデルとして,Mortonのロゴジェン・モデル(logogen model)がある.このモデルではメンタル・レキシコンの構成ユニットはロゴジェンと呼ばれ,個々の単語に対応する.ロゴジェンは感覚入力(たとえば単語の視覚刺激)に対して応答するが,この応答値がある閾値を超えたときにのみ「対応する単語が認識された」ものとする.さらに,ロゴジェンは単語の使用頻度や文脈の効果を受け,それによって閾値が低下するという特徴を持つ.以上がロゴジェン・モデルの概要である.このモデルは出現頻度効果や文脈効果による語彙アクセスへの影響をある程度定量的に説明することができる. | ||
ロゴジェン・モデルに続く重要な単語認知モデルとしては,相互作用活性化(interactive activation: IA)モデルが挙げられる.IAモデルは特徴レベル・文字レベル・単語レベルの3つの階層から成る[[ニューラルネットワーク・モデル]] | ロゴジェン・モデルに続く重要な単語認知モデルとしては,相互作用活性化(interactive activation: IA)モデルが挙げられる.IAモデルは特徴レベル・文字レベル・単語レベルの3つの階層から成る[[ニューラルネットワーク・モデル]]である.ロゴジェン・モデルとは異なり,IAモデルには上述した3つのレベルごとに構成ユニットが存在する.たとえば垂直な線分に対応する特徴ユニット,“A”の文字ユニット,“CAT”の単語ユニットなどがそれぞれの層を構成するのである.特徴ユニットは,対応する特徴を含む文字ユニットに対しては興奮性の,そうでない文字ユニットには抑制性の結合を持つ.文字ユニットと単語ユニットは相互に結合しており,前者の文字が後者の単語に含まれる場合(例.“T”と“TIME”)には両者の結合は興奮性,そうでない場合には抑制性である.また単語レベルのユニット間には強い相互抑制が存在する.IAモデルではこれらの結合を通じてレベル内およびレベル間の相互作用が生じる.単語の視覚入力を最初に受けるのは特徴ユニットであるが,レベル間の結合があるためにその後の処理は各階層で並列的に進行する.またIAモデルの構成ユニットは閾値を持たないが,入力と合う特定の単語ユニットが最も強く活動することで単語認知が実現される.IAモデルもロゴジェン・モデルと同様,頻度や文脈による単語認知の促進効果を再現することが可能である.さらに高次(単語レベル)から低次(文字レベル)へのフィードバックを組み込むことで,先述した単語優位効果も説明できるようになっている. | ||
単語の聴覚的認知に関してはコホート(Cohort)・モデルと呼ばれる概念モデルが有名である.このモデルが提唱する枠組みでは,単語の聴覚的認知は以下3つのステージに大別される.単語(例.stack)が聴覚的に入力されると,1)最初の100-150ミリ秒時点での音素系列(例.sta-)と合致する単語表現(例.stab,stack,stagger…)がまず全て活性化され,2)継起する音や文脈に基づいて候補が絞られていき,3)最終的にひとつの単語(stack)が特定される.この最初に活性化される単語群を語頭コホート(word-initial cohort)という.コホートとはもともとローマの歩兵隊を指すことばであり,単語の大群が徐々に選択されていく過程を軍隊の行進になぞらえているのである.コホート・モデルは,たとえば「captain(船長)-captive(捕虜)」実験などの結果によって支持される.この実験では被験者にcaptainあるいはcaptiveのような語が音声で提示されていき,その途中で視覚的に表示される語の語彙判断が求められた.このとき,音声が「capt-」の時点で視覚刺激が提示されると,captainおよびcaptiveと意味的に関連する「boat(船)」「guard(看守)」といった語に対する反応が促進されたのである.これは語彙的プライミング効果の一種であると言え,聴覚提示が「capt-」の時点ではcaptainとcaptiveが共に活性化されていることを示唆するものといえる.McClellandとElmanの提案したTRACEというニューラルネットワーク・モデルはコホート・モデルの枠組みと合致しており,聴覚提示される単語が複数の候補から徐々に選択されていく過程をシミュレートすることができる. | 単語の聴覚的認知に関してはコホート(Cohort)・モデルと呼ばれる概念モデルが有名である.このモデルが提唱する枠組みでは,単語の聴覚的認知は以下3つのステージに大別される.単語(例.stack)が聴覚的に入力されると,1)最初の100-150ミリ秒時点での音素系列(例.sta-)と合致する単語表現(例.stab,stack,stagger…)がまず全て活性化され,2)継起する音や文脈に基づいて候補が絞られていき,3)最終的にひとつの単語(stack)が特定される.この最初に活性化される単語群を語頭コホート(word-initial cohort)という.コホートとはもともとローマの歩兵隊を指すことばであり,単語の大群が徐々に選択されていく過程を軍隊の行進になぞらえているのである.コホート・モデルは,たとえば「captain(船長)-captive(捕虜)」実験などの結果によって支持される.この実験では被験者にcaptainあるいはcaptiveのような語が音声で提示されていき,その途中で視覚的に表示される語の語彙判断が求められた.このとき,音声が「capt-」の時点で視覚刺激が提示されると,captainおよびcaptiveと意味的に関連する「boat(船)」「guard(看守)」といった語に対する反応が促進されたのである.これは語彙的プライミング効果の一種であると言え,聴覚提示が「capt-」の時点ではcaptainとcaptiveが共に活性化されていることを示唆するものといえる.McClellandとElmanの提案したTRACEというニューラルネットワーク・モデルはコホート・モデルの枠組みと合致しており,聴覚提示される単語が複数の候補から徐々に選択されていく過程をシミュレートすることができる. | ||
===音読・発話に関するモデル=== | ===音読・発話に関するモデル=== | ||
上で見てきた単語の視覚認知モデルは,文字列の視覚的形状をもとに語彙情報へ直接アクセスすることを通常のやり方として仮定していた.しかし,私たちは「モクホジ」などの非単語も発音することは可能である.つまり語彙に含まれない文字列であっても,視覚情報を音韻情報に変換する経路は脳内に存在しているのだと考えられる.こうした背景に基づき,Coltheartらは音読過程の二重経路カスケード・モデル(dual-route cascaded model)を提案した.このモデルでは非単語を読むときには語彙情報を介さず,書記素‐音素対応規則(Grapheme-Phoneme correspondence rule)にしたがって文字列を音素に変換するという過程を経る.一方で語彙情報へのアクセスを介して音素に変換するプロセスもあり,例外的な発音をする単語はこの経路のみで処理される. | |||
SeidenbergとMcClellandの並列分散処理モデル(parallel distributed processing model)も,非単語や例外的発音の音読を説明することができる.このモデルの最も際立った特徴は,そもそもメンタル・レキシコンの存在を仮定しないという点にある.これまで紹介した他のモデルでは語彙項目を単一のユニットで表象していたが,並列分散処理モデルでは語の意味情報・音韻情報・書字情報が3つのユニット群に分散され,これら3つのユニット群は中間層を介して互いに異なるユニット群と結合している.このモデルは三角形の構造を持つことからトライアングル・モデルと呼ばれることもある.綴りと発音,あるいは発音と意味といった組み合わせをモデルに繰り返し提示して学習を進めると,語彙的情報の処理に関する知識はユニット間の結合強度として分散的に蓄積される.二重経路カスケード・モデルとトライアングル・モデルは共に音読過程をある程度うまく説明することができるが,どちらが実際の脳内機構とより合致しているかは今も議論の続いている問題である. | |||
=語彙の脳内表象= | |||
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語彙的知識は脳内でどのように組織されているのだろうか.これまでの研究から,左[[側頭葉]]の広い範囲に単語情報の表現があると考えられている.Damasioらは側頭葉の一部に損傷を持つ被験者に対して名詞の呼称課題を実施した.この実験で用いた語は,著名人の名前,動物,道具の3つの[[カテゴリ]]に分類される.この実験ではまず被験者に絵を提示し,それが何であるかを口頭で答えさせている.障害されている脳部位と各カテゴリにおける課題成績の関係を調べた結果,人名は側頭極,動物名は下側頭回,道具名は後部下側頭回/後頭頭頂側頭接合部の障害により,最も成績が低下していることが明らかとなった. | 語彙的知識は脳内でどのように組織されているのだろうか.これまでの研究から,左[[側頭葉]]の広い範囲に単語情報の表現があると考えられている.Damasioらは側頭葉の一部に損傷を持つ被験者に対して名詞の呼称課題を実施した.この実験で用いた語は,著名人の名前,動物,道具の3つの[[カテゴリ]]に分類される.この実験ではまず被験者に絵を提示し,それが何であるかを口頭で答えさせている.障害されている脳部位と各カテゴリにおける課題成績の関係を調べた結果,人名は側頭極,動物名は下側頭回,道具名は後部下側頭回/後頭頭頂側頭接合部の障害により,最も成績が低下していることが明らかとなった. | ||
== | ==音韻的な語彙表象== | ||
== | ==視覚的な語彙表象== | ||
==意味のネットワーク== | ==意味のネットワーク== |
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