「病識」の版間の差分

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19世紀にKraepelinが早発性痴呆について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もschizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的なコホート調査では、統合失調症と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められた と報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。双極性気分障害での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。
19世紀にKraepelinが早発性痴呆について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もschizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的なコホート調査では、統合失調症と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められた と報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。双極性気分障害での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。
 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら16)によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。1)1970年代までは患者の自由な陳述を臨床的に記載する方法で、「あり」「なし」に2分される。2)1980年代に開発され、一定の設問への応答を臨床的に記載する方法で、Mental Status Examinationがその例である。3)1970-80年代に用いられた、患者の自由な陳述を一定の評価基準に基づいて採点する方法。1973年に行われたWHOによる国際研究もこの方法で行われた。4)一定の設問への応答を評価基準に基づいて採点する方法。1990年代に実証的研究に使われるようになり、SAI6), SUMD2)がその代表である。5)一定の設問に対し、多項選択で回答するもの。
 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら<ref><pubmed>7497711</pubmed></ref>によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。1)1970年代までは患者の自由な陳述を臨床的に記載する方法で、「あり」「なし」に2分される。2)1980年代に開発され、一定の設問への応答を臨床的に記載する方法で、Mental Status Examinationがその例である。3)1970-80年代に用いられた、患者の自由な陳述を一定の評価基準に基づいて採点する方法。1973年に行われたWHOによる国際研究もこの方法で行われた。4)一定の設問への応答を評価基準に基づいて採点する方法。1990年代に実証的研究に使われるようになり、SAI6), SUMD2)がその代表である。5)一定の設問に対し、多項選択で回答するもの。
時代によって統合失調症の診断基準が変化することと、病識の評価方法も変化していることから、たとえば病識欠如の出現率などの調査は時代の制約を受けることになる。本論では主に1990年代以後の実証的手法を用いた研究報告をとりあげている。
時代によって統合失調症の診断基準が変化することと、病識の評価方法も変化していることから、たとえば病識欠如の出現率などの調査は時代の制約を受けることになる。本論では主に1990年代以後の実証的手法を用いた研究報告をとりあげている。
病識についての客観的評価方法が提案されるようになった時期より、後述する病識と脳機能との関連についての実証的研究がおこなわれるようになっている。
病識についての客観的評価方法が提案されるようになった時期より、後述する病識と脳機能との関連についての実証的研究がおこなわれるようになっている。
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 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。
病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている12)。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら1)は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、言語、知覚、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。
病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている12)。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら1)は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、言語、知覚、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。
一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、思考、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから26)、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら20)は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、前頭葉および頭頂葉の灰白質の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、思考、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから26)、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaらref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、前頭葉および頭頂葉の灰白質の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
これまでの実証的研究では、Youngら28)は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
これまでの実証的研究では、Youngら28)は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
Queeら22)は270例の非感情病圏の精神病患者を調査し、神経認知機能よりも社会的認知機能のほうが病識との関連性が高いことを報告し、情動認識や相手の心を推測する機能が関連している可能性について述べているなど、社会的認知の脳科学の発展に伴い、それとの関連で病識欠如の成因を想定しようとする考え方が見られるようになっている。
Queeら<ref><pubmed>21097989</pubmed></ref>は270例の非感情病圏の精神病患者を調査し、神経認知機能よりも社会的認知機能のほうが病識との関連性が高いことを報告し、情動認識や相手の心を推測する機能が関連している可能性について述べているなど、社会的認知の脳科学の発展に伴い、それとの関連で病識欠如の成因を想定しようとする考え方が見られるようになっている。




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=== 多要因・複数成因モデル ===
=== 多要因・複数成因モデル ===


 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度は要因によって異なり、神経認知機能障害のほうが、精神症状よりも障害認識が保たれているとしたが、その逆の報告18)も見られるなど、まだ一定しない。
 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度は要因によって異なり、神経認知機能障害のほうが、精神症状よりも障害認識が保たれているとしたが、その逆の報告<ref><pubmed>19840898</pubmed></ref>も見られるなど、まだ一定しない。




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近年はさまざまな社会的資源が整備されてきているが、病識が不十分な場合にはこうしたせっかくの資源も利用に至らず、結果として社会的孤立の道を歩むことになる。治療面でも、McEvoyら17)が指摘するように、ほかの精神症状が改善してもしばしば病識が一緒に改善しないことがあり、病識欠如は予後の悪さと関連性が高く、いわば治療抵抗性である。
近年はさまざまな社会的資源が整備されてきているが、病識が不十分な場合にはこうしたせっかくの資源も利用に至らず、結果として社会的孤立の道を歩むことになる。治療面でも、McEvoyら17)が指摘するように、ほかの精神症状が改善してもしばしば病識が一緒に改善しないことがあり、病識欠如は予後の悪さと関連性が高く、いわば治療抵抗性である。
病識は多要因であり、成因も複数であることが考えられるため、個々の症例での丁寧なアセスメントにそって治療的アプローチを組み立てていくことが必要であろう。そのために治療効果についての実証的な研究には工夫が求められる。
病識は多要因であり、成因も複数であることが考えられるため、個々の症例での丁寧なアセスメントにそって治療的アプローチを組み立てていくことが必要であろう。そのために治療効果についての実証的な研究には工夫が求められる。
薬物療法ではクロザピンで病識が改善したとの報告21)が見られるものの、まだ十分に検討されていない。
薬物療法ではクロザピンで病識が改善したとの報告<ref><pubmed>10482343</pubmed></ref>が見られるものの、まだ十分に検討されていない。
治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永27は、病覚ないしは病識を姿勢覚になぞらえ、内部図式の知覚であり、運動感覚的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。
治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永27は、病覚ないしは病識を姿勢覚になぞらえ、内部図式の知覚であり、運動感覚的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。
精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers11)は   "pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid5)は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。
精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers11)は   "pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid5)は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。

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