「不平等嫌悪」の版間の差分

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英:inequality aversion
英:inequality aversion


 不平等回避(inequality aversion)とは、「不平等な状態を好まない」という個人の[[wikipedia:jp: 選好|選好]]である。他者の状態・行動が個人の[[wikipedia:jp: 効用|効用]]にも影響する、という社会的選好(social preference)の一形態である。[[wikipedia:jp: 行動経済学|行動経済学]](behavioral economics)と呼ばれる分野で発達した概念であり、90年以降に様々な定式化が試みられている。検証手法として、当初は[[実験経済学]]の手法が用いられ、後に神経科学の手法がとられるようになった。
 不平等回避とは、「不平等な状態を好まない」という個人の選好である。他者の状態・行動が個人の効用にも影響する、という社会的選好(social preference)の一形態である。[[行動経済学]](behavioral economics)と呼ばれる分野で発達した概念であり、90年以降に様々な定式化が試みられている。検証手法として、当初は[[実験経済学]]の手法が用いられ、後に神経科学の手法がとられるようになった。


==社会的選好とは==
==社会的選好とは==


 経済学の世界では伝統的に「個人は自分の利益のみを動機として行動する」と仮定していた。これは、旧来の経済学が、主として多数の個人からなる市場での行動を分析していたことに由来する。実際、市場実験による結果は、利己的な個人をモデルとした予測によりかなりの程度が説明できる。<ref>'''Vernon L Smith'''<br>Microeconomic systems as an experimental science.<br>''American Economic Review'': 1982, 72(5);923-955</ref><ref>'''Vernon L Smith'''<br>An experimental study of competitive market behavior. <br>''Journal of Political Economy'': 1962, 70(2);111-137</ref>
 経済学の世界では伝統的に「個人は自分の利益のみを動機として行動する」と仮定していた。これは、旧来の[[wikipedia:ja:|経済学]]が、主として多数の個人からなる市場での行動を分析していたことに由来する。実際、市場実験による結果は、利己的な個人をモデルとした予測によりかなりの程度が説明できる。<ref>'''Vernon L Smith'''<br>Microeconomic systems as an experimental science.<br>''American Economic Review'': 1982, 72(5);923-955</ref><ref>'''Vernon L Smith'''<br>An experimental study of competitive market behavior. <br>''Journal of Political Economy'': 1962, 70(2);111-137</ref>


 しかし[[ゲーム理論]]の進展に伴い、経済学がより少数の個人からなる経済行動を分析するようになると、利己的な個人を基にしたモデルの当てはまりは悪くなっていった。そこで予測のずれを説明するために導入された概念の1つが、「個人は他者の利益や行動も考慮する」と考える、社会的選好である。
 しかし[[wikipedia:ja:|ゲーム理論]]の進展に伴い、経済学がより少数の個人からなる経済行動を分析するようになると、利己的な個人を基にしたモデルの当てはまりは悪くなっていった。そこで予測のずれを説明するために導入された概念の1つが、「個人は他者の利益や行動も考慮する」と考える、社会的選好である。


==社会的選好の類型と不平等回避==
==社会的選好の類型と不平等回避==


 社会的選好の定式化は。大きく2つに分けられる。1つは分配に関する選好、もう1つは他者の意図に対する選好である。<ref>'''Ernst Fehr, Klaus M Schmidt'''<br>The economics of fairness, reciprocity and altruism―experimental evidence and new theories.<br>In: Serge-Christophe Kolm and Jean M. Ythier (ads), ''Handbook of the Economics of Giving, Altruism and Reciprocity'', North-Holland: Elsevier, 2006;615-691</ref>
 社会的選好の定式化は、大きく2つに分けられる。1つは分配に関する選好、もう1つは他者の意図に対する選好である。<ref>'''Ernst Fehr, Klaus M Schmidt'''<br>The economics of fairness, reciprocity and altruism―experimental evidence and new theories.<br>In: Serge-Christophe Kolm and Jean M. Ythier (ads), ''Handbook of the Economics of Giving, Altruism and Reciprocity'', North-Holland: Elsevier, 2006;615-691</ref>
不平等回避は、前者の一形態である。
不平等回避は、前者の一形態である。


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==経済実験による検証==
==経済実験による検証==


 不平等回避を含む社会的選好は、様々な経済実験によりその存在が確かめられている。経済実験では、簡単なゲームの結果に応じて報酬を支払う。そのゲームにおける行動を分析することで、社会的選好が存在するかどうかを検証している。[[最後通牒ゲーム]]・[[独裁者ゲーム]]・[[信頼ゲーム]]・[[公共財ゲーム]]などの代表的ゲームが、様々な環境で行われている。
 不平等回避を含む社会的選好は、様々な経済実験によりその存在が確かめられている。経済実験では、簡単なゲームの結果に応じて報酬を支払う。そのゲームにおける行動を分析することで、社会的選好が存在するかどうかを検証している。[[wikipedia:ja:|最後通牒ゲーム]]・[[wikipedia:ja:|独裁者ゲーム]]・[[wikipedia:ja:|信頼ゲーム]]・[[wikipedia:ja:|公共財ゲーム]]などの代表的ゲームが、様々な環境で行われている。


 社会的選好を純粋な形で検証するためには、個人の「評判」が行動に影響することを可能な限り避ける必要がある。良い評判が個人の利益につながるような状況を設定すると、自分の一時的な利益を犠牲にしてでも良い評判を得ようとする行動が増える可能性がある。そのような状況では、自分の利益より他者の利益を優先する行動が、社会的選好によるものなのか、評判を通して最終的に自己の利益を増やそうとする利己的な行動なのかが区別できなくなってしまう。
 社会的選好を純粋な形で検証するためには、個人の「評判」が行動に影響することを可能な限り避ける必要がある。良い評判が個人の利益につながるような状況を設定すると、自分の一時的な利益を犠牲にしてでも良い評判を得ようとする行動が増える可能性がある。そのような状況では、自分の利益より他者の利益を優先する行動が、社会的選好によるものなのか、評判を通して最終的に自己の利益を増やそうとする利己的な行動なのかが区別できなくなってしまう。
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 2000年代に入ると、神経科学の手法を通じて人間の意思決定行動を把握しよう、という[[神経経済学]](neuroeconomics)が盛んに行われるようになった。
 2000年代に入ると、神経科学の手法を通じて人間の意思決定行動を把握しよう、という[[神経経済学]](neuroeconomics)が盛んに行われるようになった。


 社会的選好に関する最初の神経経済学研究は、最後通牒ゲームと[[機能的磁気共鳴画像法(fMRI)]]を用いて、より不公平な提案に対し、[[前島皮質]]の両側・[[前帯状皮質]]・背外側[[前頭前皮質]]の両側が賦活化したことを示し、それぞれ不公平な提案に対する憤り・自分の利益と相手への憤りの間の葛藤・憤りの抑制を示しているとした。<ref><pubmed>12805551</pubmed></ref>同様の研究はさらに、不公平な提案を受け入れる時、前島皮質の右側と外側部前頭前皮質の右側が賦活化しなくなることを示している。<ref><pubmed>18399886</pubmed></ref>
 社会的選好に関する最初の神経経済学研究は、最後通牒ゲームと[[機能的磁気共鳴画像法]]([[fMRI]])を用いて、より不公平な提案に対し、[[前島皮質]]の両側・[[前帯状皮質]]・背外側[[前頭前皮質]]の両側が賦活化したことを示し、それぞれ不公平な提案に対する憤り・自分の利益と相手への憤りの間の葛藤・憤りの抑制を示しているとした。<ref><pubmed>12805551</pubmed></ref>同様の研究はさらに、不公平な提案を受け入れる時、前島皮質の右側と外側部前頭前皮質の右側が賦活化しなくなることを示している。<ref><pubmed>18399886</pubmed></ref>


 背外側前頭前皮質の活性化を[[経頭蓋磁気刺激法(TMS)]][[経頭蓋直流電気刺激(tDCS)]]で制御することで、行動に変化があるかどうかを検証した研究は、上記の考察とは異なり、背外側前頭前皮質の右側の活動を落とすと、不公平な提案が受け入られるようになることを示した。背外側前頭前皮質の右側は、公平性を確保する行動を実施する役割があるとしている。<ref><pubmed>17023614</pubmed></ref><ref><pubmed>16237340</pubmed></ref>
 背外側前頭前皮質の活性化を[[経頭蓋磁気刺激法]][[TMS]])や[[経頭蓋直流電気刺激]]([[tDCS]])で制御することで、行動に変化があるかどうかを検証した研究は、上記の考察とは異なり、背外側前頭前皮質の右側の活動を落とすと、不公平な提案が受け入られるようになることを示した。背外側前頭前皮質の右側は、公平性を確保する行動を実施する役割があるとしている。<ref><pubmed>17023614</pubmed></ref><ref><pubmed>16237340</pubmed></ref>


 不平等回避の定式化では、より平等であるほど効用が上がるとされる。不平等を嫌がることや実際に避ける行動が、脳の[[報酬系]]である[[線条体]]に影響を与えるかどうかの研究も多くなされている。[[陽電子画像法(PET)]]を用い、「信頼ゲーム」で相手への罰が実際に利得を下げるかどうかで比較した研究では、実際に利得を下げるほうが、より背側線条体が賦活化することを示した。<ref><pubmed>15333831</pubmed></ref>
 不平等回避の定式化では、より平等であるほど効用が上がるとされる。不平等を嫌がることや実際に避ける行動が、脳の[[報酬系]]である[[線条体]]に影響を与えるかどうかの研究も多くなされている。[[陽電子画像法]]([[PET]])を用い、「信頼ゲーム」で相手への罰が実際に利得を下げるかどうかで比較した研究では、実際に利得を下げるほうが、より背側線条体が賦活化することを示した。<ref><pubmed>15333831</pubmed></ref>
自分の利益が同じでも、他者の利得が異なると線条体の賦活度が異なることも知られている。<ref><pubmed>18033886</pubmed></ref><ref><pubmed>17717096</pubmed></ref>
自分の利益が同じでも、他者の利得が異なると線条体の賦活度が異なることも知られている。<ref><pubmed>18033886</pubmed></ref><ref><pubmed>17717096</pubmed></ref>
また、自分より優れた人に不幸なことが起きると線条体が賦活化すること<ref><pubmed>19213918</pubmed></ref>
また、自分より優れた人に不幸なことが起きると線条体が賦活化すること<ref><pubmed>19213918</pubmed></ref>

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