「情動」の版間の差分

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 扁桃体と情動機能に深い関わりがあることを示した例として、ハインリッヒ・クリューバー(Heinrich Klüver)とポール・ビューシー(Paul Bucy)により見出されたクリューバー・ビューシー症候群(Kluver-Bucy syndrome)が知られる。彼らは扁桃体を含む両側側頭葉の切除されたサルが、恐れをはじめとする基本的情動反応を欠き、本来サルにとっての脅威刺激である蛇や蜘蛛への恐怖反応を示さず、むしろそれらを手づかみし口にもってゆく口唇傾向や対象を選ばない食欲、性行動の異常を観察した。  
 扁桃体と情動機能に深い関わりがあることを示した例として、ハインリッヒ・クリューバー(Heinrich Klüver)とポール・ビューシー(Paul Bucy)により見出されたクリューバー・ビューシー症候群(Kluver-Bucy syndrome)が知られる。彼らは扁桃体を含む両側側頭葉の切除されたサルが、恐れをはじめとする基本的情動反応を欠き、本来サルにとっての脅威刺激である蛇や蜘蛛への恐怖反応を示さず、むしろそれらを手づかみし口にもってゆく口唇傾向や対象を選ばない食欲、性行動の異常を観察した。  


 その後の動物実験、損傷脳研究)<ref><pubmed> 7990957 </pubmed></ref>、ヒトを対象とした神経イメージング研究)<ref><pubmed> 9549487 </pubmed></ref><ref><pubmed> 14741673 </pubmed></ref>等においても、扁桃体がクモ、ヘビ、恐怖表情などの個体への脅威を示すシグナルの検出にかかわることがほぼ一貫して見出されている。この他にも扁桃体は、関与の程度は少ないものの他者の幸福情動を検出し<ref><pubmed> 12791983 </pubmed></ref>(Adams et al., 2003)、外向性などの個人要因をも修飾しうるように、扁桃体は、基本情動の検出・認識、出力の基礎を成すものと考えられている。
 その後の動物実験、損傷脳研究)<ref><pubmed> 7990957 </pubmed></ref>、ヒトを対象とした神経イメージング研究)<ref><pubmed> 9549487 </pubmed></ref><ref><pubmed> 14741673 </pubmed></ref>等においても、扁桃体がクモ、ヘビ、恐怖表情などの個体への脅威を示すシグナルの検出にかかわることがほぼ一貫して見出されている。この他にも扁桃体は、関与の程度は少ないものの他者の幸福情動を検出し<ref><pubmed> 12791983 </pubmed></ref>、外向性などの個人要因をも修飾しうるように、扁桃体は、基本情動の検出・認識、出力の基礎を成すものと考えられている。


==== <br>'''社会的刺激の検出・評価'''  ====
==== <br>'''社会的刺激の検出・評価'''  ====


 扁桃体は、知覚刺激の社会的評価次元の評価にも関与する。例えば、他人種のような外集団は意識的な修正に先立って否定的な情動を生ずる対象とされているが、他人種の顔が提示されると扁桃体が賦活し、その活性値は他人種に対する否定的な潜在的態度と正相関する(Hart et al., 2000)。
 扁桃体は、知覚刺激の社会的評価次元の評価にも関与する。例えば、他人種のような外集団は意識的な修正に先立って否定的な情動を生ずる対象とされているが、他人種の顔が提示されると扁桃体が賦活し、その活性値は他人種に対する否定的な潜在的態度と正相関する。


 あるいは、非定型発達(自閉症等)にともなう左扁桃体の機能低下ないし扁桃体を損傷すると、一般的に「近寄り難く信用できない」と評される顔の相貌に対し、これを「好ましい」と評価するポジティブシフトが生じる(Adolphs, Sears, &amp; Piven, 2001)。また、扁桃体にペプチドホルモンの一種であるオキシトシンを作用させると、提示される顔を魅力的に評価したり、あるいは他者一般への信頼感が増し、起こりうるリスクに対して寛容になる(Kosfeld et al., 2005)。
 あるいは、非定型発達(自閉症等)にともなう左扁桃体の機能低下ないし扁桃体を損傷すると、一般的に「近寄り難く信用できない」と評される顔の相貌に対し、これを「好ましい」と評価するポジティブシフトが生じる<ref><pubmed> 11244548 </pubmed></ref>。また、扁桃体にペプチドホルモンの一種であるオキシトシンを作用させると、提示される顔を魅力的に評価したり、あるいは他者一般への信頼感が増し、起こりうるリスクに対して寛容になる<ref><pubmed> 15931222 </pubmed></ref>。


=== <br>'''情動と腹内側前頭前野'''  ===
=== <br>'''情動と腹内側前頭前野'''  ===


 扁桃体は主に基本情動(basic emotion)の評価次元を担うのに対して、前頭前野の腹側部に位置する腹内側前頭前野は、道徳や罪悪感などの社会的感情やユーモアの理解に関わる。また、刺激に対するその時々の評価を行う扁桃体に対し、腹内側前頭前野は刺激・反応・結果(報酬または罰)の随伴性をモニターし、行為の価値を速やかに更新する。加えて、個体に中長期的な利益をはかる上で重要な衝動や欲求の制御過程にも関わるなど、より大局的な情報処理に関与する(O'Doherty et al., 2003)。  
 扁桃体は主に基本情動(basic emotion)の評価次元を担うのに対して、前頭前野の腹側部に位置する腹内側前頭前野は、道徳や罪悪感などの社会的感情やユーモアの理解に関わる。また、刺激に対するその時々の評価を行う扁桃体に対し、腹内側前頭前野は刺激・反応・結果(報酬または罰)の随伴性をモニターし、行為の価値を速やかに更新する。加えて、個体に中長期的な利益をはかる上で重要な衝動や欲求の制御過程にも関わるなど、より大局的な情報処理に関与する<ref><pubmed> 12944524 </pubmed></ref>(O'Doherty et al., 2003)。  


 この腹内側前頭前野に関わる象徴的な出来事として、アメリカ郊外で生じた爆発事故が広く知られている。1848年,鉄道工事の現場監督であったフィネアス・ゲイジ(Phineas Gage)は、爆発事故において腹内側前頭前野を損傷した。この事故において直径3㎝ほどの鉄棒が腹内側前頭前野を突抜けたものの、彼は一命を取り留め、感覚障害や麻痺もなく、言語機能も正常であった。しかしながら、本来は知的で、周囲に尊敬される人であったゲイジは、事故の後に衝動的になり、計画性のない場当たり的な生活を送るようになってしまった。腹内側前頭前野が個体の社会性を実現する上で欠かせない領域であることを示す象徴的な出来事である。  
 この腹内側前頭前野に関わる象徴的な出来事として、アメリカ郊外で生じた爆発事故が広く知られている。1848年,鉄道工事の現場監督であったフィネアス・ゲイジ(Phineas Gage)は、爆発事故において腹内側前頭前野を損傷した。この事故において直径3㎝ほどの鉄棒が腹内側前頭前野を突抜けたものの、彼は一命を取り留め、感覚障害や麻痺もなく、言語機能も正常であった。しかしながら、本来は知的で、周囲に尊敬される人であったゲイジは、事故の後に衝動的になり、計画性のない場当たり的な生活を送るようになってしまった。腹内側前頭前野が個体の社会性を実現する上で欠かせない領域であることを示す象徴的な出来事である。  
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 例えば、ギャンブリング課題での意思決定の質は腹内側前頭前野を損傷すると低下する。ギャンブリング課題とは、一般的に複数あるカードの山のいずれからからカードを1枚づつ引いてゆき、カードに書かれている金額を獲得したり失ったりする中で、より多くの金額を稼ぐことを目指すものである。カードの山にはハイリスク・ハイリターン、およびローリスク・ローリターンのものがあり、前者の山からカードを引き続けると中長期的には必ず損をするよう確率的に固定されている。  
 例えば、ギャンブリング課題での意思決定の質は腹内側前頭前野を損傷すると低下する。ギャンブリング課題とは、一般的に複数あるカードの山のいずれからからカードを1枚づつ引いてゆき、カードに書かれている金額を獲得したり失ったりする中で、より多くの金額を稼ぐことを目指すものである。カードの山にはハイリスク・ハイリターン、およびローリスク・ローリターンのものがあり、前者の山からカードを引き続けると中長期的には必ず損をするよう確率的に固定されている。  


 健常の場合、課題の進行に伴ってリスキーな前者の山を避けるようになるが、腹内側前頭前野の損傷者は短期的に得られる大報酬にこだわり続けた結果、大きく損をする。また後者においては、危険な山からカードを引く際の本来生じるはずの予期的な身体において生じるSCR(Skin Conductance Response)の減弱が観察される(Bechara et al., 1996)。このように腹内側前頭前野は中・長期的な展望に立った意思決定を導くための基盤として、中枢-末梢の機能的連関のもと、リスクを回避し、意思決定を最適化に関わる。<br>  
 健常の場合、課題の進行に伴ってリスキーな前者の山を避けるようになるが、腹内側前頭前野の損傷者は短期的に得られる大報酬にこだわり続けた結果、大きく損をする。また後者においては、危険な山からカードを引く際の本来生じるはずの予期的な身体において生じるSCR(Skin Conductance Response)の減弱が観察される<ref><pubmed> 8670652 </pubmed></ref>。このように腹内側前頭前野は中・長期的な展望に立った意思決定を導くための基盤として、中枢-末梢の機能的連関のもと、リスクを回避し、意思決定を最適化に関わる。<br>  


= <br> '''関連項目'''&nbsp;  =
= <br> '''関連項目'''&nbsp;  =
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<references/>  
<references/>  
8. Morris, J. S., Friston, K. J., Buchel, C., Frith, C. D., Young, A.W., Calder, A.J., &amp; Dolan, R. J. (1998). A neuromodulatory role for the human amygdala in processing emotional facial expressions. Brain, 121, 47-57.
9. Nomura, M., Ohira, H., Haneda, K., Iidaka, T., Sadato, N., Okada, T., Yonekura, Y. (2004). Functional association of the amygdala and ventral prefrontal cortex during cognitive evaluation of facial expressions primed by masked angry faces: An event related fMRI study. Neuroimage, 21, 352-363.
10. Adams, R. B., Jr., Gordon, H. L., Baird, A. A., Ambady, N., &amp; Kleck, R. E. (2003). Effects of gaze on amygdala sensitivity to anger and fear faces. Science, 300, 1536-1537.
11. Adolphs, R., Sears, L., &amp; Piven, J. (2001). Abnormal processing of social information from faces in autism. Journal of Cognitive Neuroscience, 13, 232-240.
12. Kosfeld, M., Heinrichs, M., Zak, P. J., Fischbacher, U. &amp; Fehr, E. (2005). Oxytocin increases trust in humans. Nature, 435, 673-676.
13. O'Doherty, J., Critchley, H., Deichmann, R., &amp; Dolan, R. J. (2003). Dissociating valence of outcome from behavioral control in human orbital and ventral prefrontal cortices. The Journal of Neuroscience, 23, 7931-7939.
14. Bechara, A., Tranel, D., Damasio, H., &amp; Damasio, A. R. (1996). Failure to respond autonomically to anticipated future outcomes following damage to prefrontal cortex. Cerebral Cortex. 6, 215-225.


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(執筆者:野村理朗 担当編集委員:定藤規弘)
(執筆者:野村理朗 担当編集委員:定藤規弘)
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