「両眼視野闘争」の版間の差分

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<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/hiromasatakemura 竹村 浩昌]</font><br>
''Stanford University Department of Psychology''<br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/usotech 土谷 尚嗣]</font><br>
''Monash University''<br>
DOI XXXX/XXXX 原稿受付日:2012年3月21日 原稿完成日:2012年8月13日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br>
</div>
(執筆者:竹村浩昌、土谷尚嗣 担当編集委員:藤田一郎)
英語名:binocular rivalry 独:binokulare Rivalität 仏:antagonisme binoculaire
英語名:binocular rivalry 独:binokulare Rivalität 仏:antagonisme binoculaire


 両眼視野闘争とは、2つの目でそれぞれ異なる視覚図形を見た場合、どちらか一方の図形が知覚され、時間が過ぎるとともに知覚が切り替わる現象。両眼視野闘争は多義知覚の一種であり、今日では視覚入力に対する[[気づき]](visual awareness)について研究する心理物理学的手法として良く用いられている。両眼視野闘争のデモは[http://www.psy.vanderbilt.edu/faculty/blake/rivalry/BR.html こちら]を参照。  
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 両眼視野闘争とは、2つの目でそれぞれ異なる視覚図形を見た場合、どちらか一方の図形が知覚され、時間が過ぎるとともに知覚が切り替わる現象。両眼視野闘争は多義知覚の一種であり、今日では視覚入力に対する[[気づき]](visual awareness)について研究する心理物理学的手法として良く用いられている。両眼視野闘争のデモは[http://www.psy.vanderbilt.edu/faculty/blake/rivalry/BR.html こちら]を参照。  
}}


== 歴史的背景  ==
== 歴史的背景  ==
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=== 研究の歴史  ===
=== 研究の歴史  ===


 両眼視野闘争の歴史は古く、16世紀には既に[[wikipedia:ja:ルネサンス|ルネサンス]]期[[wikipedia:ja:イタリア|イタリア]]の博学者である[[wikipedia:ja:ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ|ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ]](Giambattista della Porta)によって両眼視野闘争に関する記述がなされている(ポルタが仕事の能率を上げるために2冊の本を同時に左目と右目で読もうとしたところ、両眼視野闘争のために両方の本を読むことができなかったという)<ref name="ref1">'''N Wade'''<br> A natural history of vision.<br>  ''MIT Press, Cambridge, MA.'': 1998</ref>。19世紀には、[[wikipedia:ja:チャールズ・ホイートストン|チャールズ・ホイートストン]](Charles Wheatstone)が両眼視野闘争に関する最初の体系的な実験心理学的研究を行った<ref><pubmed> 14000225  </pubmed></ref>。ホイートストンは、自身で発明したミラー式ステレオスコープを用いて、左目と右目でそれぞれ異なるアルファベットを見た際、どちらか片方のアルファベットが知覚されること、どちらのアルファベットが知覚されるかは時間が経つと入れ替わるといった両眼視野闘争の特性に関する記述を行った。このホイートストンの研究に触発されて、[[wikipedia:ja:ドイツ|ドイツ]]の[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]](Hermann von Helmholtz)、 [[wikipedia:ja:アメリカ|アメリカ]]の[[wikipedia:ja:ウィリアム・ジェームズ|ウィリアム・ジェームズ]](William James)、[[wikipedia:ja:イギリス|イギリス]]の[[wikipedia:ja:チャールズ・シェリントン|チャールズ・シェリントン]](Charles Scott Sherrington)といった研究者らによって両眼視野闘争に関する研究が次々となされた<ref name="ref1" /><ref name="ref3">'''W Levelt'''<br> On binocular rivalry.<br>  ''Institute of Perception RVO-TNO, Soesterberg, Netherlands.'': 1965</ref>。  
 両眼視野闘争の歴史は古く、16世紀には既に[[wikipedia:ja:ルネサンス|ルネサンス]]期[[wikipedia:ja:イタリア|イタリア]]の博学者である[[wikipedia:ja:ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ|ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ]](Giambattista della Porta)によって両眼視野闘争に関する記述がなされている(ポルタが仕事の能率を上げるために2冊の本を同時に左目と右目で読もうとしたところ、両眼視野闘争のために両方の本を読むことができなかったという)<ref name="ref1">'''N Wade'''<br> A natural history of vision.<br>  ''MIT Press, Cambridge, MA.'': 1998</ref>。19世紀には、[[wikipedia:ja:チャールズ・ホイートストン|チャールズ・ホイートストン]](Charles Wheatstone)が両眼視野闘争に関する最初の体系的な実験心理学的研究を行った<ref><pubmed> 14000225  </pubmed></ref>。ホイートストンは、自身で発明したミラー式ステレオスコープを用いて、左目と右目でそれぞれ異なるアルファベットを見た際、どちらか片方のアルファベットが知覚されること、どちらのアルファベットが知覚されるかは時間が経つと入れ替わるといった両眼視野闘争の特性に関する記述を行った。このホイートストンの研究に触発されて、[[wikipedia:ja:ドイツ|ドイツ]]の[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]](Hermann von Helmholtz)、 [[wikipedia:ja:アメリカ|アメリカ]]の[[wikipedia:ja:ウィリアム・ジェームズ|ウィリアム・ジェームズ]](William James)、[[wikipedia:ja:イギリス|イギリス]]の[[wikipedia:ja:チャールズ・シェリントン|チャールズ・シェリントン]](Charles Scott Sherrington)といった研究者らによって両眼視野闘争に関する研究が次々となされた<ref name="ref1" /><ref name="ref3">'''W Levelt'''<br> On binocular rivalry.<br>  ''Institute of Perception RVO-TNO, Soesterberg, Netherlands.'': 1965</ref>。  


  [[Image:Rivalry-Example.png|thumb|200px|'''図1.両眼視野闘争刺激の例'''<Br>左目に赤いフィルター、右目に緑色のフィルタをあてて観察した場合、家の画像は左目のみに、顔の画像は右目だけに入力される。このような時に、家の知覚と顔の知覚が不規則に入れ替わる。(Reproduced with permission from Tong, Nakayama, Vaughan & Kanwisher (1998)<ref name="ref60"><pubmed> 9808462 </pubmed></ref>. Copyright 1998, Cell Press)]]
  [[Image:Rivalry-Example.png|thumb|200px|'''図1.両眼視野闘争刺激の例'''<Br>左目に赤いフィルター、右目に緑色のフィルタをあてて観察した場合、家の画像は左目のみに、顔の画像は右目だけに入力される。このような時に、家の知覚と顔の知覚が不規則に入れ替わる。(Reproduced with permission from Tong, Nakayama, Vaughan & Kanwisher (1998)<ref name="ref60"><pubmed> 9808462 </pubmed></ref>. Copyright 1998, Cell Press)]]


=== 日本における研究の歴史  ===
=== 日本における研究の歴史  ===
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== 両眼視野闘争の主観的な特性  ==
== 両眼視野闘争の主観的な特性  ==


 図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて見ると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤い顔と、緑の家を透明にして重ねあわせた画像で、フィルターを通して見ると、それぞれの画像は、物理的には左右の目の[[網膜]]に別々に投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。
 図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて見ると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤い顔と、緑の家を透明にして重ねあわせた画像で、フィルターを通して見ると、それぞれの画像は、物理的には左右の目の[[網膜]]に別々に投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。


 両眼視野闘争やその他の両義図形と呼ばれる知覚においては、知覚の切り替わりが不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない<ref name="ref3" /><ref name="ref8">'''F Fox, J Herrmann '''<br> Stochastic properties of binocular rivalry alternations.<br>  ''Perception and Psychophysics, 2, 432-436'': 1967</ref>。ただし、どちらか一方の目で見る視覚図形の強さを操作すると、もう一つの目で見る図形の知覚される時間が変化する<ref name="ref3" />(例えば[[wikipedia:ja:コントラスト|コントラスト]]・明度の高い図形や動いている図形はより長く知覚される<ref><pubmed> 2765591  </pubmed></ref><ref><pubmed> 14113912  </pubmed></ref><ref name="ref14">'''B B Breese '''<br> Binocular rivalry. <br>  ''Psychological Review, 16, 410-415'': 1909</ref><ref name="ref15">'''S Kakizaki '''<br> Binocular rivalry and stimulus intensity.<br>  ''Japanese Psychological Research, 2(3), 94-105'': 1960</ref>)。
 両眼視野闘争やその他の両義図形と呼ばれる知覚においては、知覚の切り替わりが不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない<ref name="ref3" /><ref name="ref8">'''F Fox, J Herrmann '''<br> Stochastic properties of binocular rivalry alternations.<br>  ''Perception and Psychophysics, 2, 432-436'': 1967</ref>。ただし、どちらか一方の目で見る視覚図形の強さを操作すると、もう一つの目で見る図形の知覚される時間が変化する<ref name="ref3" />(例えば[[wikipedia:ja:コントラスト|コントラスト]]・明度の高い図形や動いている図形はより長く知覚される<ref><pubmed> 2765591  </pubmed></ref><ref><pubmed> 14113912  </pubmed></ref><ref name="ref14">'''B B Breese '''<br> Binocular rivalry. <br>  ''Psychological Review, 16, 410-415'': 1909</ref><ref name="ref15">'''S Kakizaki '''<br> Binocular rivalry and stimulus intensity.<br>  ''Japanese Psychological Research, 2(3), 94-105'': 1960</ref>)。
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 また、知覚が切り替わるタイミングは、観察者の意図や注意などによってある程度制御できる。古くは[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルムホルツ]]が、注意によって知覚交代を変化させることができるという観察結果を残しており<ref>'''H von Helmholtz'''<br>Treatise on physiological optics.<br>  ''Vol.3, trans. by J.P.C. Southall. NewYork:Dover.'': 1925</ref>、日本においても柿崎(1963)が被験者に「一方の刺激を出現せしめようと努力し、出現したならばできるだけこれを持続しようとする態度」を取るよう教示したところ、教示した側の視覚刺激の出現回数が多くなり、知覚時間も長くなるという結果を報告している<ref name="ref6" /><ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争についての予備的研究.<br>  ''心理,2, 55-60.'': 1948</ref>。注意や意図によって、ある一定の時間内での知覚が切り替わるスピードを早めたり遅めたりすることは可能だが、切り替わりを完全にストップさせたり、自由自在に知覚を切り替えることができるかどうかについては、未だにわかっていない<ref><pubmed>22046156 </pubmed></ref><ref><pubmed>22144958</pubmed></ref>。
 また、知覚が切り替わるタイミングは、観察者の意図や注意などによってある程度制御できる。古くは[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルムホルツ]]が、注意によって知覚交代を変化させることができるという観察結果を残しており<ref>'''H von Helmholtz'''<br>Treatise on physiological optics.<br>  ''Vol.3, trans. by J.P.C. Southall. NewYork:Dover.'': 1925</ref>、日本においても柿崎(1963)が被験者に「一方の刺激を出現せしめようと努力し、出現したならばできるだけこれを持続しようとする態度」を取るよう教示したところ、教示した側の視覚刺激の出現回数が多くなり、知覚時間も長くなるという結果を報告している<ref name="ref6" /><ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争についての予備的研究.<br>  ''心理,2, 55-60.'': 1948</ref>。注意や意図によって、ある一定の時間内での知覚が切り替わるスピードを早めたり遅めたりすることは可能だが、切り替わりを完全にストップさせたり、自由自在に知覚を切り替えることができるかどうかについては、未だにわかっていない<ref><pubmed>22046156 </pubmed></ref><ref><pubmed>22144958</pubmed></ref>。


  [[Image:Swap-Example.png|thumb|300px|'''図2.スワップ闘争を起こす視覚刺激の例'''<br>1秒間に3回左目と右目の縞模様を入れ替えたとしても、意識の上では2つの刺激は数秒おきに入れ替わる。(Reproduced with permission from Lee & Blake (1999). <ref><pubmed>10343813  </pubmed></ref> Copyright 1999, Elsevier)]]  
  [[Image:Swap-Example.png|thumb|300px|'''図2.スワップ闘争を起こす視覚刺激の例'''<br>1秒間に3回左目と右目の縞模様を入れ替えたとしても、意識の上では2つの刺激は数秒おきに入れ替わる。(Reproduced with permission from Lee & Blake (1999). <ref><pubmed>10343813  </pubmed></ref> Copyright 1999, Elsevier)]]  


== どのような視覚情報が「闘争」しているか?  ==
== どのような視覚情報が「闘争」しているか?  ==
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 両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力情報は、[[網膜]]から出て、[[視床]]の一部である[[外側膝状体]]を通り、それらの情報は[[一次視覚野]]で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される[[一次視覚野]]で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった<ref name="ref16"><pubmed> 20951722  </pubmed></ref>。
 両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力情報は、[[網膜]]から出て、[[視床]]の一部である[[外側膝状体]]を通り、それらの情報は[[一次視覚野]]で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される[[一次視覚野]]で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった<ref name="ref16"><pubmed> 20951722  </pubmed></ref>。


 しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。[[wikipedia:Nikos Logothetis|Logothetis]] らは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない<ref><pubmed> 8602261   </pubmed></ref>。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることを示した<ref><pubmed> 8986842  </pubmed></ref>。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの現象によって、両眼視野闘争は眼間のレベルだけでの闘争を反映しているのではなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間での闘争も反映していることがわかる。
 しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。[[wikipedia:Nikos Logothetis|Logothetis]] らは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない<ref><pubmed>8602261</pubmed></ref>。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることを示した<ref><pubmed> 8986842  </pubmed></ref>。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの現象によって、両眼視野闘争は眼間のレベルだけでの闘争を反映しているのではなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間での闘争も反映していることがわかる。


 もし闘争が眼間でなく、視覚刺激の表象間で起こっているのであれば、「両眼視野闘争」と言う学術用語は適切な表現ではない。今のところ、「何」が闘争しているのかについては、未だにはっきりとした答えはない。現在、闘争は階層的な視覚処理の中の様々な段階で起こっており、低次の神経メカニズムに基づく眼間闘争と、高次のメカニズムに基づく刺激間闘争のどちらの特徴が現れるかは、闘争を起こすときの刺激条件による、という仮説が主流になっている<ref name="ref16" /><ref><pubmed>11823801  </pubmed></ref><ref><pubmed>12696662  </pubmed></ref><ref><pubmed>16997612  </pubmed></ref><ref><pubmed>14612564  </pubmed></ref> 。  
 もし闘争が眼間でなく、視覚刺激の表象間で起こっているのであれば、「両眼視野闘争」と言う学術用語は適切な表現ではない。今のところ、「何」が闘争しているのかについては、未だにはっきりとした答えはない。現在、闘争は階層的な視覚処理の中の様々な段階で起こっており、低次の神経メカニズムに基づく眼間闘争と、高次のメカニズムに基づく刺激間闘争のどちらの特徴が現れるかは、闘争を起こすときの刺激条件による、という仮説が主流になっている<ref name="ref16" /><ref><pubmed>11823801  </pubmed></ref><ref><pubmed>12696662  </pubmed></ref><ref><pubmed>16997612  </pubmed></ref><ref><pubmed>14612564  </pubmed></ref> 。  


[[Image:FlashSuppression-Example.png|thumb|400px|'''図3.フラッシュ抑制の例'''<br>右眼に突然呈示された顔画像に対する知覚が、それまで左眼に呈示されていた建物の画像に対する知覚を抑制する。]]  
[[Image:FlashSuppression-Example.png|thumb|400px|'''図3.フラッシュ抑制の例'''<br>右眼に突然呈示された顔画像に対する知覚が、それまで左眼に呈示されていた建物の画像に対する知覚を抑制する。]]  


== フラッシュ抑制  ==
== フラッシュ抑制  ==
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=== フラッシュ抑制  ===
=== フラッシュ抑制  ===


 先述した通り、両眼視野闘争において知覚が切り替わるタイミングはランダムであり、実験者はそのタイミングを予測できない。しかし、フラッシュ抑制(flash suppression)という、両眼視野闘争に関連する現象を使えば、知覚が切り替わるタイミングをある程度コントロールできる。フラッシュ抑制とは、片目に図形を突然呈示すると、もう片方の目でそれまで見ていた図形の知覚が抑制される現象である。例えば、左目に建物の画像、右目にブランクのスクリーンを最初に呈示した後に、ある時点で右目に顔の画像を呈示すると、顔の画像の知覚が優位となり、建物の画像に対する知覚は抑制される(図3)。フラッシュ抑制の場合、通常の両眼視野闘争と異なり、知覚交代のタイミングを統制できるため、今日では単一ニューロン記録などの研究に広く用いられている<ref>'''Naotsugu Tsuchiya '''<br>Flash suppression.  <br>  ''Scholarpedia, 3(2):5640'': 2008 http://www.scholarpedia.org/article/Flash_suppression</ref>。
 先述した通り、両眼視野闘争において知覚が切り替わるタイミングはランダムであり、実験者はそのタイミングを予測できない。しかし、フラッシュ抑制(flash suppression)という、両眼視野闘争に関連する現象を使えば、知覚が切り替わるタイミングをある程度コントロールできる。フラッシュ抑制とは、片目に図形を突然呈示すると、もう片方の目でそれまで見ていた図形の知覚が抑制される現象である。例えば、左目に建物の画像、右目にブランクのスクリーンを最初に呈示した後に、ある時点で右目に顔の画像を呈示すると、顔の画像の知覚が優位となり、建物の画像に対する知覚は抑制される(図3)。フラッシュ抑制の場合、通常の両眼視野闘争と異なり、知覚交代のタイミングを統制できるため、今日では単一ニューロン記録などの研究に広く用いられている<ref>'''Naotsugu Tsuchiya '''<br>Flash suppression.  <br>  ''Scholarpedia, 3(2):5640'': 2008 http://www.scholarpedia.org/article/Flash_suppression</ref>。


 近年注目されるようになったフラッシュ抑制だが、現象自体は古くから報告されていた。フラッシュ抑制は1901年にWilliam McDougallによって発見され<ref>'''William McDougall'''<br>On the seat of the psycho-physical processes.  <br>  ''Brain, 24, 579-630'': 1901</ref>、1964年にはRobert Lansingにより再発見された<ref><pubmed>14207465  </pubmed></ref>。日本においても、1950年に柿崎祐一が「視野闘争に及ぼす先行条件の効果」としてフラッシュ抑制と同一の現象を報告した<ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争に及ぼす先行条件の効果.I. <br>  ''心理学研究, 20(2), 24-33'': 1950</ref>。1980年代には、Jeremy Wolfeによって体系的な研究がなされた<ref><pubmed>6740966 </pubmed></ref>。 [[Image:CFS-Example.png|thumb|400px|図4.連続フラッシュ抑制の例。片眼に激しく変化するモンドリアン図形などを呈示すると、もう片眼に呈示された静止した刺激への知覚が長時間抑制される。(Reproduced with permission from Tsuchiya & Koch (2005). <ref name="ref28" /> Copyright 2005, Nature Publishing Group.)]]  
 近年注目されるようになったフラッシュ抑制だが、現象自体は古くから報告されていた。フラッシュ抑制は1901年にWilliam McDougallによって発見され<ref>'''William McDougall'''<br>On the seat of the psycho-physical processes.  <br>  ''Brain, 24, 579-630'': 1901</ref>、1964年にはRobert Lansingにより再発見された<ref><pubmed>14207465  </pubmed></ref>。日本においても、1950年に柿崎祐一が「視野闘争に及ぼす先行条件の効果」としてフラッシュ抑制と同一の現象を報告した<ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争に及ぼす先行条件の効果.I. <br>  ''心理学研究, 20(2), 24-33'': 1950</ref>。1980年代には、Jeremy Wolfeによって体系的な研究がなされた<ref><pubmed>6740966 </pubmed></ref>。 [[Image:CFS-Example.png|thumb|400px|図4.連続フラッシュ抑制の例。片眼に激しく変化するモンドリアン図形などを呈示すると、もう片眼に呈示された静止した刺激への知覚が長時間抑制される。(Reproduced with permission from Tsuchiya & Koch (2005). <ref name="ref28" /> Copyright 2005, Nature Publishing Group.)]]  
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=== 連続フラッシュ抑制  ===
=== 連続フラッシュ抑制  ===


 さらに関連する現象として、連続フラッシュ抑制(continuous flash suppression;図4)が挙げられる。連続フラッシュ抑制とは、短時間で激しく変化する図形を片目に呈示した際に、もう片方の目に呈示された視覚図形が長時間知覚にのぼらなくなる現象である。両眼視野闘争では数秒で知覚が交代するのに対し、連続フラッシュ抑制を用いると、1分あるいはそれ以上の時間、片目の知覚が抑制され続ける<ref name="ref28"><pubmed>15995700  </pubmed></ref>。そのため、時間解像度に制約のあるfMRIを用いた実験などに応用することが容易であり、今日では視覚刺激に対する気づきをコントロールする手法として幅広く用いられている<ref name="ref29"><pubmed>17129748 </pubmed></ref><ref><pubmed>21833272 </pubmed></ref>。連続フラッシュ抑制は、2005年にカリフォルニア工科大学(当時)の[[wikipedia:ja:土谷尚嗣|土谷尚嗣]]と[[wikipedia:ja:クリストフ・コッホ|クリストフ・コッホ]](Christof Koch)によって初めて報告された<ref name="ref28" />。
 さらに関連する現象として、連続フラッシュ抑制(continuous flash suppression;図4)が挙げられる。連続フラッシュ抑制とは、短時間で激しく変化する図形を片目に呈示した際に、もう片方の目に呈示された視覚図形が長時間知覚にのぼらなくなる現象である。両眼視野闘争では数秒で知覚が交代するのに対し、連続フラッシュ抑制を用いると、1分あるいはそれ以上の時間、片目の知覚が抑制され続ける<ref name="ref28"><pubmed>15995700  </pubmed></ref>。そのため、時間解像度に制約のあるfMRIを用いた実験などに応用することが容易であり、今日では視覚刺激に対する気づきをコントロールする手法として幅広く用いられている<ref name="ref29"><pubmed>17129748 </pubmed></ref><ref><pubmed>21833272 </pubmed></ref>。連続フラッシュ抑制は、2005年にカリフォルニア工科大学(当時)の[[wikipedia:ja:土谷尚嗣|土谷尚嗣]]と[[wikipedia:ja:クリストフ・コッホ|クリストフ・コッホ]](Christof Koch)によって初めて報告された<ref name="ref28" />。




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'''Koch, C. (原著), 土谷尚嗣,金井良太(翻訳)'''<br>
'''Koch, C. (原著), 土谷尚嗣,金井良太(翻訳)'''<br>
意識の探求—神経科学からのアプローチ(下巻),第16章「知覚が反転するとき—意識の足跡をたどる」<br>
意識の探求—神経科学からのアプローチ(下巻),第16章「知覚が反転するとき—意識の足跡をたどる」<br>
岩波書店: 2006
岩波書店: 2006


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[http://www.frontiersin.org/Human%20Neuroscience/researchtopics/binocular_rivalry_a_gateway_to/215  Frontiers in Human Neuroscience “Binocular rivalry: a gateway to consciousness” (Research topic)]
[http://www.frontiersin.org/Human%20Neuroscience/researchtopics/binocular_rivalry_a_gateway_to/215  Frontiers in Human Neuroscience “Binocular rivalry: a gateway to consciousness” (Research topic)]
(執筆者:竹村浩昌、土谷尚嗣 担当編集委員:藤田一郎)

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