「カタトニア」の版間の差分

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== フィンクとテイラーのカタトニア症候群 ==
== フィンクとテイラーのカタトニア症候群 ==
(4)
<ref name=ref4>'''Fink M, Taylor MA.'''<br>Catatonia: A Clinician’s Guide to Diagnosis and Treatment. <br>Cambridge, UK: Cambridge University Press, 2003<br>(鈴木一正訳 カタトニア―臨床医のための診断・治療ガイド 星和書店 2007)</ref>


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 このようにフィンクのカタトニア概念は、カタトニア症候群は様々な病因から生ずると言いながらも、カールバウムのカタトニアのうちクレッペリンが躁うつ病に含めたせん妄躁病、昏迷(うつ状態)、混合状態を中核例に据え、クレッペリンが早発性痴呆に組み込んだ慢性カタトニアについては辺縁的な扱いとなっている。そのことより、予後良好性について強調しすぎているとも考えられる。治療については、カタトニア症候群への特異的な治療法としてBenzodiazepines、Barbiturate、特にECTの有用性を強調し、抗精神病薬(特に高力価の)については禁忌に近い態度をとっている。
 このようにフィンクのカタトニア概念は、カタトニア症候群は様々な病因から生ずると言いながらも、カールバウムのカタトニアのうちクレッペリンが躁うつ病に含めたせん妄躁病、昏迷(うつ状態)、混合状態を中核例に据え、クレッペリンが早発性痴呆に組み込んだ慢性カタトニアについては辺縁的な扱いとなっている。そのことより、予後良好性について強調しすぎているとも考えられる。治療については、カタトニア症候群への特異的な治療法としてBenzodiazepines、Barbiturate、特にECTの有用性を強調し、抗精神病薬(特に高力価の)については禁忌に近い態度をとっている。


 筆者は、カタトニアを基底疾患やその表現型に応じて多種多様な呼称で分裂させるよりも、様々な原因からなる一症候群として統一的に認識してゆくとするフィンクらの態度は慧眼であると考える。その理由は、カタトニアは統合失調症であるという従来の考えから離れて、治療選択肢が広がることにある。以前から幻覚[[妄想]]状態を神経遮断薬で治療しているとカタトニア症状がおこってくることがあり、これを緊張型統合失調症とするか神経遮断薬の副作用とするか気分障害によるカタトニア症状とするか、治療手段として神経遮断薬を増やしても状態は悪化し時に発熱や著しい自律神経症状を生じることがあるし、神経遮断薬を中止し抗パーキンソン薬を投与しても改善はみられないことをcatatonic dilemmaといいこの場合ECTが有効であると報告がなされている(5)。このような状況で、この症状についてカタトニア症候群として認識する視点があればジレンマに陥ることなくECTという治療選択肢をとることができると考える。しかし、ここで今度はカタトニア症候群では抗精神病薬投与は禁忌でありECTを選択しなければならぬという極端な単純化が起こると臨床における治療選択の硬直化がおこる。フィンクらも抗精神病薬の投与に懐疑的でECTの効用を強調してはいるが、これはカタトニアは統合失調症であるという従来の考えではなく躁うつ病に関係することを多少極端に述べる必要があったからのことだろう。フィンクらの本意はむしろ、カタトニア症候群を認識し、全身状態に注意を払いながら、原因(基底疾患)を考慮し(特に身体因)、状態に即応してカタトニアへの治療アプローチをとるか原因(基底疾患)への治療アプローチをとるという柔軟な態度が要請されるところにあるのではないだろうか。その際の心得として、抗精神病薬は使用することがあっても、深追いはせずECTを選択するということではないかと考える。このように病因と表現形態であるカタトニア症候群との“中間に立つ態度”ともいえる複眼的な治療アプローチを駆使することがカタトニアの臨床では大切である。
 筆者は、カタトニアを基底疾患やその表現型に応じて多種多様な呼称で分裂させるよりも、様々な原因からなる一症候群として統一的に認識してゆくとするフィンクらの態度は慧眼であると考える。その理由は、カタトニアは統合失調症であるという従来の考えから離れて、治療選択肢が広がることにある。以前から幻覚[[妄想]]状態を神経遮断薬で治療しているとカタトニア症状がおこってくることがあり、これを緊張型統合失調症とするか神経遮断薬の副作用とするか気分障害によるカタトニア症状とするか、治療手段として神経遮断薬を増やしても状態は悪化し時に発熱や著しい自律神経症状を生じることがあるし、神経遮断薬を中止し抗パーキンソン薬を投与しても改善はみられないことをcatatonic dilemmaといいこの場合ECTが有効であると報告がなされている<ref name=ref5><pubmed>6747176</pubmed></ref>。このような状況で、この症状についてカタトニア症候群として認識する視点があればジレンマに陥ることなくECTという治療選択肢をとることができると考える。しかし、ここで今度はカタトニア症候群では抗精神病薬投与は禁忌でありECTを選択しなければならぬという極端な単純化が起こると臨床における治療選択の硬直化がおこる。フィンクらも抗精神病薬の投与に懐疑的でECTの効用を強調してはいるが、これはカタトニアは統合失調症であるという従来の考えではなく躁うつ病に関係することを多少極端に述べる必要があったからのことだろう。フィンクらの本意はむしろ、カタトニア症候群を認識し、全身状態に注意を払いながら、原因(基底疾患)を考慮し(特に身体因)、状態に即応してカタトニアへの治療アプローチをとるか原因(基底疾患)への治療アプローチをとるという柔軟な態度が要請されるところにあるのではないだろうか。その際の心得として、抗精神病薬は使用することがあっても、深追いはせずECTを選択するということではないかと考える。このように病因と表現形態であるカタトニア症候群との“中間に立つ態度”ともいえる複眼的な治療アプローチを駆使することがカタトニアの臨床では大切である。


== おわりに ==
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