「ゴルジ染色」の版間の差分

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岩波書店の許可を得て『意識をめぐる冒険<ref>'''クリストフ・コッホ (著) 土谷 尚嗣, 小畑 史哉 (翻訳)'''<br>意識をめぐる冒険<br>''岩波書店'' :2014</ref>』の表紙の一部掲載。著作権で保護されており転載2次使用不可]]
岩波書店の許可を得て『意識をめぐる冒険<ref>'''クリストフ・コッホ (著) 土谷 尚嗣, 小畑 史哉 (翻訳)'''<br>意識をめぐる冒険<br>''岩波書店'' :2014</ref>』の表紙の一部掲載。著作権で保護されており転載2次使用不可]]


 ゴルジ染⾊では、[[wj:クロム酸|クロム酸]]や[[wj:塩化水銀(II)|塩化第⼆⽔銀]]などが⽤いられるが、これらの化合物は歴史的に、[[アルコール]]や[[ホルマリン]]と同様に組織固定液として利⽤されてきた(1)<ref>'''Stephen Polyak ; edited Heinrich Klüver'''<br>The vertebrate visual system : its origin, structure, and function and its manifestations in disease with an analysis of its role in the life of animals and in the origin of man, preceded by a historical review of investigations of the eye, and of the visual pathways and centers of the brain<br>''University of Chicago Press'':1957</ref>。他の病理学者と同様に、ゴルジ⾃⾝も様々な固定液を⽤いて病理標本の観察を⾏っていた。ゴルジはクロム酸とオスミウム酸で固定した脳サンプルを、当時、⽤いられ始めていた[[wj:硝酸銀|硝酸銀]]に沈めて切⽚を作成することを試みた。作成した切⽚を顕微鏡のステージにのせ、レンズを覗き込んだ彼の眼には⿊々と染まった神経細胞が映しだされ、彼はこの⽅法を「⿊い反応」と名付け、すぐさま学術誌に公表した(2)<ref>'''Golgi C'''<br>Sulla struttura fella sostanza grigia del cervello<br>''Gazzetta Medica Italiana, Lombardia,'' 33, 224-246 :2013</ref>。この「⿊い反応」が発⾒されたのは、1873 年ゴルジがちょうど30 歳の時であった。本法は、のちに彼の名前をつけて「ゴルジ染⾊」と呼ばれるようになり、現在に⾄っている。1873 年の「⿊い反応」の発表以降、多くの医師がゴルジの⽅法を⽤いて神経細胞の染⾊を試み、その恩恵を受けたことは想像に難くない。
 ゴルジ染⾊では、[[wj:クロム酸|クロム酸]]や[[wj:塩化水銀(II)|塩化第⼆⽔銀]]などが⽤いられるが、これらの化合物は歴史的に、[[アルコール]]や[[ホルマリン]]と同様に組織固定液として利⽤されてきた(1)<ref>'''Stephen Polyak ; edited Heinrich Klüver'''<br>The vertebrate visual system : its origin, structure, and function and its manifestations in disease with an analysis of its role in the life of animals and in the origin of man, preceded by a historical review of investigations of the eye, and of the visual pathways and centers of the brain<br>''University of Chicago Press'':1957</ref>。他の病理学者と同様に、ゴルジ⾃⾝も様々な固定液を⽤いて病理標本の観察を⾏っていた。ゴルジはクロム酸とオスミウム酸で固定した脳サンプルを、当時、⽤いられ始めていた[[wj:硝酸銀|硝酸銀]]に沈めて切⽚を作成することを試みた。作成した切⽚を顕微鏡のステージにのせ、レンズを覗き込んだ彼の眼には⿊々と染まった神経細胞が映しだされ、彼はこの⽅法を「⿊い反応」と名付け、すぐさま学術誌に公表した(2)<ref>'''Golgi C'''<br>Sulla struttura della sostanza grigia del cervello<br>''Gazzetta Medica Italiana, Lombardia,'' 33, 244-246 :1873 [[media:Golgi original publication 1873.pdf|PDF]]</ref>。この「⿊い反応」が発⾒されたのは、1873 年ゴルジがちょうど30 歳の時であった。本法は、のちに彼の名前をつけて「ゴルジ染⾊」と呼ばれるようになり、現在に⾄っている。1873 年の「⿊い反応」の発表以降、多くの医師がゴルジの⽅法を⽤いて神経細胞の染⾊を試み、その恩恵を受けたことは想像に難くない。


 1888 年にはイタリアの医師カハール(ゴルジと共に1906 年に神経系の構造に関する研究としてノーベル⽣理学医学賞を受賞)がゴルジの原法を改良し[[反応時間]]を短縮させた急速ゴルジ法(ラピッドゴルジ法)を編み出している(3)<ref>'''Cajal S R'''<br>Estructura de los centros nerviosos de las aves<br>''Cerebelo Rev Trim Histol Norm Patol,'' 1, 1-10: 1888</ref>。さらに1891 年には、オランダの医師コックスがゴルジ染⾊を改変した[[ゴルジ・コックス染⾊法]]を発表した(4)<ref name=CoxWH1891>'''Cox WH'''<br>Impragnation des centralen Nervensystems mit Quecksilbersalzen<br>''Arch. F. mikrosk. Anat., 37, 16-21,'': 1891</ref>。ゴルジ・コックス染⾊は、発表当時、ゴルジ染⾊よりも安定した結果が得られると評判になった。
 1888 年にはイタリアの医師カハール(ゴルジと共に1906 年に神経系の構造に関する研究としてノーベル⽣理学医学賞を受賞)がゴルジの原法を改良し[[反応時間]]を短縮させた急速ゴルジ法(ラピッドゴルジ法)を編み出している(3)<ref>'''Cajal S R'''<br>Estructura de los centros nerviosos de las aves<br>''Cerebelo Rev Trim Histol Norm Patol,'' 1, 1-10: 1888</ref>。さらに1891 年には、オランダの医師コックスがゴルジ染⾊を改変した[[ゴルジ・コックス染⾊法]]を発表した(4)<ref name=CoxWH1891>'''Cox WH'''<br>Impragnation des centralen Nervensystems mit Quecksilbersalzen<br>''Arch. F. mikrosk. Anat., 37, 16-21,'': 1891</ref>。ゴルジ・コックス染⾊は、発表当時、ゴルジ染⾊よりも安定した結果が得られると評判になった。

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