「気分安定薬」の版間の差分

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<font size="+1">[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史]</font><br>
''独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月16日 原稿完成日:2013年5月28日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ryosuketakahashi 高橋 良輔](京都大学大学院医学研究科)<br>
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| drug_name        = Lithium
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<!--Chemical data-->
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<!--Chemical data-->
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英語名:mood stabilizer 独:Phasenprophylaktikum、Stimmungsstabilisierer 仏:stabilisateur de l'humeur
英語名:mood stabilizer 独:Phasenprophylaktikum、Stimmungsstabilisierer 仏:stabilisateur de l'humeur


 気分安定薬とは[[躁病]]エピソードと[[うつ病]]エピソードに対する急性期の効果と予防効果を持つ薬剤である。リチウム(lithium)、ラモトリギン(lamotrigine)、バルプロ酸(valproic acid)とカルバマゼピン(carbamazepine)が含まれる。
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 気分安定薬とは[[躁病]]エピソードと[[うつ病]]エピソードに対する急性期の効果と予防効果を持つ薬剤である。[[リチウム]](lithium)、[[ラモトリギン]](lamotrigine)、[[バルプロ酸]](valproic acid)と[[カルバマゼピン]](carbamazepine)が含まれる。
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== 定義 ==
== 定義 ==


 気分安定薬(mood stabilizer)という用語の起源は、Cadeによる「[[mood normalizer]]([[気分正常化薬]])」にさかのぼることができるが<ref name=ref1>'''Goodwin FK, Jamison KKR'''<br>Manic-Depressive Illness: Bipolar Disorders and Recurrent Depression.<br>''Oxford University Press;'' 2007. </ref>、現実的には、バルプロ酸の躁状態に対する適応が認められ、その販売促進の折に使われたことによって定着した面がある。
 気分安定薬(mood stabilizer)という用語の起源は、Cadeによる「[[mood normalizer]]([[気分正常化薬]])」にさかのぼることができるが<ref name=ref1>'''Goodwin FK, Jamison KKR'''<br>Manic-Depressive Illness: Bipolar Disorders and Recurrent Depression.<br>''Oxford University Press;'' 2007. </ref>、現実的には、[[バルプロ酸]]の躁状態に対する適応が認められ、その販売促進の折に使われたことによって定着した面がある。


 気分安定薬に関する、コンセンサスの得られた定義は存在しない。もっとも厳しい定義は、「躁病エピソードとうつ病エピソードに対する急性期の効果と予防効果を持つ薬剤」というBauerとMitchnerの2×2の定義<ref name=ref2><pubmed>14702242</pubmed></ref>であるが、「[[双極性障害]]において予防効果がある薬」という、GoodwinとJamisonの定義<ref name=ref1 />の方が、より現実的であろう。
 気分安定薬に関する、コンセンサスの得られた定義は存在しない。もっとも厳しい定義は、「躁病エピソードとうつ病エピソードに対する急性期の効果と予防効果を持つ薬剤」というBauerとMitchnerの2×2の定義<ref name=ref2><pubmed>14702242</pubmed></ref>であるが、「[[双極性障害]]において予防効果がある薬」という、GoodwinとJamisonの定義<ref name=ref1 />の方が、より現実的であろう。


 リチウム(lithium)、ラモトリギン(lamotrigine)は、躁病エピソードとうつ病エピソードの両方に対する予防効果が認められているが、リチウムは躁病エピソードの予防効果が強く、ラモトリギンはうつ病エピソードの予防効果が強いという特徴がある。バルプロ酸(valproic acid)とカルバマゼピン(carbamazepine)の予防効果に関するエビデンスは十分ではない<ref name=ref3>'''加藤忠史、神庭重信、寺尾岳、山田和男'''<br>日本うつ病学会治療ガイドライン I 双極性障害 2012.</ref>。
 [[リチウム]](lithium)、[[ラモトリギン]](lamotrigine)は、躁病エピソードとうつ病エピソードの両方に対する予防効果が認められているが、リチウムは躁病エピソードの予防効果が強く、ラモトリギンはうつ病エピソードの予防効果が強いという特徴がある。バルプロ酸(valproic acid)と[[カルバマゼピン]](carbamazepine)の予防効果に関するエビデンスは十分ではない<ref name=ref3>'''加藤忠史、神庭重信、寺尾岳、山田和男'''<br>日本うつ病学会治療ガイドライン I [[双極性障害]] 2012.</ref>。


 一方、[[非定型抗精神病薬]]のうち、[[オランザピン]]、[[クエチアピン]]については、躁状態、うつ状態の両方に対する予防効果が示されており、[[アリピプラゾール]]については、躁状態に対する予防効果が示されている<ref name=ref3 />。
 一方、[[非定型抗精神病薬]]のうち、[[オランザピン]]、[[クエチアピン]]については、躁状態、うつ状態の両方に対する予防効果が示されており、[[アリピプラゾール]]については、躁状態に対する予防効果が示されている<ref name=ref3 />。


 このように、予防効果のみを指標とした場合には、むしろ非定型抗精神病薬の効果の方が気分安定薬の基準を満たしているが、実際には、リチウム、ラモトリギン、バルプロ酸、カルバマゼピンの4剤が気分安定薬と呼ばれることが多い。従って、「双極性障害に対する再発予防効果が(不十分なエビデンスであっても)示唆されている薬剤のうち、[[抗精神病薬]]でないもの」が気分安定薬と呼ばれているのが現状である。
 このように、予防効果のみを指標とした場合には、むしろ[[非定型抗精神病薬]]の効果の方が気分安定薬の基準を満たしているが、実際には、リチウム、ラモトリギン、バルプロ酸、カルバマゼピンの4剤が気分安定薬と呼ばれることが多い。従って、「[[双極性障害]]に対する再発予防効果が(不十分なエビデンスであっても)示唆されている薬剤のうち、[[抗精神病薬]]でないもの」が気分安定薬と呼ばれているのが現状である。


 こうした用語の不確実さは、これらの薬剤の双極性障害に対する作用機序が解明されていないことに起因しており、将来的には、化学的薬理作用に基づいた分類へと収斂することが期待される。
 こうした用語の不確実さは、これらの薬剤の双極性障害に対する作用機序が解明されていないことに起因しており、将来的には、化学的薬理作用に基づいた分類へと収斂することが期待される。
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 日本では炭酸リチウムが用いられているが、海外ではクエン酸リチウム等、他の塩も用いられている。双極性障害の治療薬のうち、最初に発見されたものであるというだけでなく、精神科領域の薬物療法においても、最も歴史の古い薬である。リチウムは、抗躁効果、抗うつ効果、躁病エピソードおよびうつ病エピソードへの病相予防効果のすべてを持ち、双極性障害治療の基本となる薬剤である。
 日本では炭酸リチウムが用いられているが、海外ではクエン酸リチウム等、他の塩も用いられている。双極性障害の治療薬のうち、最初に発見されたものであるというだけでなく、精神科領域の薬物療法においても、最も歴史の古い薬である。リチウムは、抗躁効果、抗うつ効果、躁病エピソードおよびうつ病エピソードへの病相予防効果のすべてを持ち、双極性障害治療の基本となる薬剤である。


 治療中の血中濃度(服薬前の最低値)(編集コメント:服薬前は0ではないでしょうか?)は、およそ0.4~1.2mM程度である。有効量と中毒量が近いため、その臨床使用においては、定期的な血中濃度測定が必要である。
 治療中の血中濃度(次回服薬直前の最低値)は、およそ0.4~1.2mM程度である。有効量と中毒量が近いため、その臨床使用においては、定期的な血中濃度測定が必要である。


===薬理機構===
===薬理機構===
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 IMPaseの阻害は、基質である[[イノシトール-1-リン酸]]の蓄積と、[[イノシトール]]の欠乏を招き、その結果[[ホスファチジルイノシトール]]を細胞内で枯渇させる<ref name=ref7><pubmed>2553271</pubmed></ref>。
 IMPaseの阻害は、基質である[[イノシトール-1-リン酸]]の蓄積と、[[イノシトール]]の欠乏を招き、その結果[[ホスファチジルイノシトール]]を細胞内で枯渇させる<ref name=ref7><pubmed>2553271</pubmed></ref>。


 GSK-3βは、[[細胞死]]、あるいは[[細胞増殖]]に関わる[[PI3K]] ([[ホスファチジルイノシトール-3 キナーゼ]]) -[[Akt]]-GSK3β-[[Wnt]]/[[β-カテニン]]系における役割、[[Reverb-α]]→[[Clock]]/[[BmaL1]]を介した[[サーカディアンリズム]]制御系、[[タウ]]の[[リン酸化]]、などにおける役割が注目されている<ref name=ref8><pubmed>15136794</pubmed></ref>。
 [[GSK-3β]]は、[[細胞死]]、あるいは[[細胞増殖]]に関わる[[PI3K]] ([[ホスファチジルイノシトール-3 キナーゼ]]) -[[Akt]]-[[GSK3β]]-[[Wnt]]/[[β-カテニン]]系における役割、[[Reverb-α]]→[[Clock]]/[[BmaL1]]を介した[[サーカディアンリズム]]制御系、[[タウ]]の[[リン酸化]]、などにおける役割が注目されている<ref name=ref8><pubmed>15136794</pubmed></ref>。


 その他、リチウムには多くの神経細胞に対する作用が報告されており、[[成長円錐]]の拡大作用<ref name=ref9><pubmed>12015604</pubmed></ref>、[[神経新生]]の促進<ref name=ref10><pubmed>10987856</pubmed></ref>、神経細胞保護作用<ref name=ref11><pubmed>16179524</pubmed></ref>、[[脳由来神経栄養因子]] ([[BDNF]])増加<ref name=ref12><pubmed>17925795</pubmed></ref>、[[小胞体ストレス]]に対する作用などがあるものの、これらもIMPase 阻害作用やGSK-3β阻害作用を介すると推測されている。
 その他、リチウムには多くの神経細胞に対する作用が報告されており、[[成長円錐]]の拡大作用<ref name=ref9><pubmed>12015604</pubmed></ref>、[[神経新生]]の促進<ref name=ref10><pubmed>10987856</pubmed></ref>、神経細胞保護作用<ref name=ref11><pubmed>16179524</pubmed></ref>、[[脳由来神経栄養因子]] ([[BDNF]])増加<ref name=ref12><pubmed>17925795</pubmed></ref>、[[小胞体ストレス]]に対する作用などがあるものの、これらもIMPase 阻害作用や[[GSK-3β]]阻害作用を介すると推測されている。


 しかしながら、リチウムのどの作用が本質かということについて、一致した見解には至っていない。GSK-3β阻害薬やIMPase阻害薬の双極性障害への臨床応用を目指した開発は、今のところ成功していない。その一因は、双極性障害に対する予防効果を検定できる動物モデルが存在しないことにある。
 しかしながら、リチウムのどの作用が本質かということについて、一致した見解には至っていない。[[GSK-3]]β阻害薬やIMPase阻害薬の双極性障害への臨床応用を目指した開発は、今のところ成功していない。その一因は、双極性障害に対する予防効果を検定できる[[動物モデル]]が存在しないことにある。


===代謝===
===代謝===
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===薬理作用===
===薬理作用===
 その作用機序としては、[[電位依存性ナトリウムチャネル|電位依存性Na<sup>+</sup>チャンネル]]への作用などが考えられている<ref name=ref13>'''加藤忠史'''<br>ラモトリギンの気分安定作用のメカニズム<br>''精神科'' 2011;19:45-9.</ref>。また、この作用を介して、[[グルタミン酸]]放出を抑制する。また、リチウムと同様の神経保護作用を持つことが示唆されており、これもおそらくは、電位依存性ナトリウムチャネルの阻害という直接作用から、BDNFの増加などを介したものと考えられる<ref name=ref13 />。
 その作用機序としては、[[電位依存性ナトリウムチャネル]]への作用などが考えられている<ref name=ref13>'''加藤忠史'''<br>ラモトリギンの気分安定作用のメカニズム<br>''精神科'' 2011;19:45-9.</ref>。また、この作用を介して、[[グルタミン酸]]放出を抑制する。また、リチウムと同様の神経保護作用を持つことが示唆されており、これもおそらくは、電位依存性ナトリウムチャネルの阻害という直接作用から、BDNFの増加などを介したものと考えられる<ref name=ref13 />。


===代謝===
===代謝===
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===薬理作用===
===薬理作用===
 作用機序としては、電位依存性Na<sup>+</sup>チャンネルの抑制作用、[[電位依存性カルシウムチャネル|電位依存性Ca<sup>2+</sup>チャンネル]]の抑制作用、[[アセチル化#ヒストン脱アセチル化酵素|ヒストン脱アセチル化酵素]]阻害作用など、多くの説があり、細胞レベルでは、リチウムと同様の神経保護作用、成長円錐拡大作用<ref name=ref9><pubmed>12015604</pubmed></ref>などが知られている。
 作用機序としては、電位依存性Na<sup>+</sup>チャンネルの抑制作用、[[電位依存性カルシウムチャネル|電位依存性Ca<sup>2+</sup>チャンネル]]の抑制作用、[[アセチル化#ヒストン脱アセチル化酵素|ヒストン脱アセチル化酵素]]阻害作用など、多くの説があり、細胞レベルでは、リチウムと同様の神経保護作用、[[成長円錐]]拡大作用<ref name=ref9><pubmed>12015604</pubmed></ref>などが知られている。


===代謝===
===代謝===
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===代謝===
===代謝===
 肝臓で主として[[エポキシ化]]と[[水酸化]]により代謝される。副作用としては、スティーヴンス-ジョンソン症候群、白血球減少症などがある。
 肝臓で主として[[エポキシ化]]と[[水酸化]]により代謝される。


===副作用===
===副作用===
 
 副作用としては、[[wikipedia:ja:スティーブンス・ジョンソン症候群|スティーヴンス-ジョンソン(Stevens-Johnson)症候群]]、白血球減少症などがある。
(特記すべきことがございましたら御記述ください)


==関連項目==
==関連項目==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<references />
<references />
(執筆者:加藤忠史 担当編集者:高橋良輔)