「伝令RNA」の版間の差分

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英語:messenger RNA 独:Boten-RNA 仏:ARN messager<br>
英語:messenger RNA 独:Boten-RNA 仏:ARN messager<br>
同義語:メッセンジャーRNA<br>
同義語:メッセンジャーRNA<br>
英略語:mRNA
英略語:mRNA


{{box|text= 伝令RNA (messenger RNA, mRNA)は、タンパク質合成反応の鋳型となる一本鎖のリボ核酸である。遺伝情報はDNAを鋳型としてRNAに写し取られる(転写)。RNAプロセシング・核外輸送を経てmRNAに引き継がれる遺伝情報は、細胞質においてタンパク質合成装置リボソームによって読み取られ、タンパク質が合成される(翻訳)。固有の形態的特徴を有する神経細胞では、細胞質から細胞小器官へのmRNAの輸送とその場所でのタンパク質の翻訳(局所翻訳)が多くの神経機能の調節メカニズムに直結する。またmRNAは多様な化学修飾を受け、固有の修飾パターンにより遺伝情報を拡張させることができる。この化学修飾によるmRNAの機能化が神経細胞における精密なmRNA制御機構の一端を担うと考えられている。。}}
{{box|text= 伝令RNA (messenger RNA, mRNA)は、タンパク質合成反応の鋳型となる一本鎖のリボ核酸である。遺伝情報はDNAを鋳型としてRNAに写し取られる(転写)。RNAプロセシング・核外輸送を経てmRNAに引き継がれる遺伝情報は、細胞質においてタンパク質合成装置リボソームによって読み取られ、タンパク質が合成される(翻訳)。固有の形態的特徴を有する神経細胞では、細胞質から細胞小器官へのmRNAの輸送とその場所でのタンパク質の翻訳(局所翻訳)が多くの神経機能の調節メカニズムに直結する。またmRNAは多様な化学修飾を受け、固有の修飾パターンにより遺伝情報を拡張させることができる。この化学修飾によるmRNAの機能化が神経細胞における精密なmRNA制御機構の一端を担うと考えられている。}}


== mRNAとは ==
== mRNAとは ==
 mRNAは、[[細胞]]が[[タンパク質]]を合成する過程で、[[DNA]]から[[転写]]される一本鎖の[[リボ核酸]]である。その遺伝情報は[[リボソーム]]によって読み取られ、タンパク質へと翻訳される。
 mRNAは、[[細胞]]が[[タンパク質]]を合成する過程で、[[DNA]]から[[転写]]される一本鎖の[[リボ核酸]]である。その遺伝情報は[[リボソーム]]によって読み取られ、タンパク質へと[[翻訳]]される。


 mRNAの転写・[[輸送]]・翻訳の制御はタンパク質の量と細胞内局在を規定する。特に[[神経細胞]]は、多数の枝分かれや突起形成により特徴づけられ、[[軸索]]・[[樹状突起]]・[[シナプス]]といった形態的区画が独立した機能を有するため、神経活動や局所シグナルに応じて、mRNAの転写・輸送・翻訳を精密に制御するmRNA制御機構が重要である<ref name=Baser2019><pubmed>30700908</pubmed></ref><ref name=Kojima2011><pubmed>21242310</pubmed></ref> 。
 mRNAの転写・[[輸送]]・翻訳の制御はタンパク質の量と細胞内局在を規定する。特に[[神経細胞]]は、多数の枝分かれや突起形成により特徴づけられ、[[軸索]]・[[樹状突起]]・[[シナプス]]といった形態的区画が独立した機能を有するため、神経活動や局所シグナルに応じて、mRNAの転写・輸送・翻訳を精密に制御するmRNA制御機構が重要である<ref name=Baser2019><pubmed>30700908</pubmed></ref><ref name=Kojima2011><pubmed>21242310</pubmed></ref> 。
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 しかしその後、損傷した軸索の修復過程において軸索内でmRNAの局所翻訳が起きることがわかり、軸索修復におけるその重要性が示された。さらに、[[蛍光イメージング]]手法の発展に伴い、成熟した軸索における局所翻訳のin vivoでの証拠も多く報告されてきた。これらの発見から、軸索におけるmRNAの局所制御メカニズムと軸索損傷・修復とのつながりが改めて議論されている<ref name=Kalinski2015><pubmed>26180210</pubmed></ref><ref name=Shigeoka2016><pubmed>27321671</pubmed></ref><ref name=Taliaferro2016><pubmed>26907613</pubmed></ref> 。
 しかしその後、損傷した軸索の修復過程において軸索内でmRNAの局所翻訳が起きることがわかり、軸索修復におけるその重要性が示された。さらに、[[蛍光イメージング]]手法の発展に伴い、成熟した軸索における局所翻訳のin vivoでの証拠も多く報告されてきた。これらの発見から、軸索におけるmRNAの局所制御メカニズムと軸索損傷・修復とのつながりが改めて議論されている<ref name=Kalinski2015><pubmed>26180210</pubmed></ref><ref name=Shigeoka2016><pubmed>27321671</pubmed></ref><ref name=Taliaferro2016><pubmed>26907613</pubmed></ref> 。


 軸索におけるmRNAの局所制御研究は、軸索を脳組織から単離する工学的技術・高感度RNA検出・画像検出・解析手法等の進歩により進化している。また、近年の大規模RNAシーケンシング技術によって、数千種類にのぼるRNAが軸索において検出され、生理的な環境や損傷等に応答し局所翻訳が生じることが示された<ref name=Bigler2017><pubmed>28377585</pubmed></ref><ref name=Taylor2009><pubmed>19369540</pubmed></ref> 。これまでに、[[受容体]]と翻訳因子の複合体<ref name=Tcherkezian2010><pubmed>20434207</pubmed></ref> 、局所[[Ca2+|Ca<sup>2+</sup>]]の上昇に応答する[[マイクロRNA]]やRNA結合タンパク質の制御<ref name=Ben-Yaakov2012><pubmed>22246183</pubmed></ref><ref name=Hanz2003><pubmed>14687545</pubmed></ref><ref name=Perlson2005><pubmed>15748847</pubmed></ref><ref name=Vuppalanchi2012><pubmed>22522146</pubmed></ref><ref name=Ying2014><pubmed>25349404</pubmed></ref><ref name=Yudin2008><pubmed>18667152</pubmed></ref> 等が局所翻訳のメカニズムとして報告されてきた一方で、特異的な応答を生み出すために特定の機能に関係する対象分子を選択するメカニズムの詳細は明らかになっていない。
 軸索におけるmRNAの局所制御研究は、軸索を脳組織から単離する工学的技術・高感度RNA検出・画像検出・解析手法等の進歩により進化している。また、近年の大規模RNAシーケンシング技術によって、数千種類にのぼるRNAが軸索において検出され、生理的な環境や損傷等に応答し局所翻訳が生じることが示された<ref name=Bigler2017><pubmed>28377585</pubmed></ref><ref name=Taylor2009><pubmed>19369540</pubmed></ref> 。これまでに、[[受容体]]と翻訳因子の複合体<ref name=Tcherkezian2010><pubmed>20434207</pubmed></ref> 、局所[[Ca2+|Ca<sup>2+</sup>]]の上昇に応答する[[マイクロRNA]]やRNA結合タンパク質の制御<ref name=Ben-Yaakov2012><pubmed>22246183</pubmed></ref><ref name=Hanz2003><pubmed>14687545</pubmed></ref><ref name=Perlson2005><pubmed>15748847</pubmed></ref><ref name=Vuppalanchi2012><pubmed>22522146</pubmed></ref><ref name=Ying2014><pubmed>25349404</pubmed></ref><ref name=Yudin2008><pubmed>18667152</pubmed></ref>等が局所翻訳のメカニズムとして報告されてきた一方で、特異的な応答を生み出すために特定の機能に関係する対象分子を選択するメカニズムの詳細は明らかになっていない。


=== ミエリンにおけるmRNA制御と翻訳制御 ===
=== ミエリンにおけるmRNA制御と翻訳制御 ===
 軸索の周りは[[ミエリン]](myelin; 髄鞘)という[[オリゴデンドロサイト]]の[[細胞膜]]の多層構造体に覆われている。mRNA局在研究の初期に、ミエリンの構成タンパク質の一つである[[myelin basic protein]] ([[MBP]])をコードするMbp mRNAがオリゴデンドロサイトの細胞体の外に輸送されることが発見された<ref name=Colman1982><pubmed>6183276</pubmed></ref> 。さらに、蛍光ラベルされたMbp mRNAを用いることにより、オリゴデンドロサイト内でMbp mRNAを含むRNA顆粒が形成され、微小管に沿って末端へ輸送される様子が観察された<ref name=Ainger1993><pubmed>7691830</pubmed></ref><ref name=Carson1997><pubmed>9415374</pubmed></ref> 。これらの研究はmRNA輸送メカニズムの存在を鮮明に示した。MBPは可溶性が低く、また細胞内膜を圧縮する機能を持つことから、細胞体でタンパク質が作られると細胞機能に大きく障害をもたらすと予想されていた。
 軸索の周りは[[ミエリン]](myelin; [[髄鞘]])という[[オリゴデンドロサイト]]の[[細胞膜]]の多層構造体に覆われている。mRNA局在研究の初期に、ミエリンの構成タンパク質の一つである[[myelin basic protein]] ([[MBP]])をコードするMbp mRNAがオリゴデンドロサイトの細胞体の外に輸送されることが発見された<ref name=Colman1982><pubmed>6183276</pubmed></ref> 。さらに、蛍光ラベルされたMbp mRNAを用いることにより、オリゴデンドロサイト内でMbp mRNAを含むRNA顆粒が形成され、微小管に沿って末端へ輸送される様子が観察された<ref name=Ainger1993><pubmed>7691830</pubmed></ref><ref name=Carson1997><pubmed>9415374</pubmed></ref> 。これらの研究はmRNA輸送メカニズムの存在を鮮明に示した。MBPは可溶性が低く、また細胞内膜を圧縮する機能を持つことから、細胞体でタンパク質が作られると細胞機能に大きく障害をもたらすと予想されていた。


 その後、Mbp mRNAを分子モデルとして、3'UTRに存在する、長距離のmRNA輸送に必要なRNA配列 ([[A2RE]]と呼ばれるGCCAAGGAGCC配列)<ref name=Munro1999><pubmed>10567417</pubmed></ref>  およびそれを認識して結合するタンパク質[[heterogeneous nuclear ribonucleoprotein]] ([[hnRNP]])  [[hnRNPA2|A2]] がそれぞれ同定された<ref name=Hoek1998><pubmed>9578590</pubmed></ref> 。また、[[キネシン]]タンパク質である[[Kif1b]]がMbp mRNAの輸送に必須な分子であること、Kif1b遺伝子に変異を持つ[[ゼブラフィッシュ]]ではMBPおよびミエリン形成場所に異常が起きることが報告された<ref name=Lyons2009><pubmed>19503091</pubmed></ref> 。このA2RE配列はオリゴデンドロサイトや神経細胞において輸送される様々なmRNAに保存されていることが明らかになった。これらの研究から、微小管による細胞内長距離輸送メカニズムに対して、特異的なRNA配列が局在情報をコードするというモデルが確立された<ref name=Barbarese1999><pubmed>10739569</pubmed></ref><ref name=Gao2008><pubmed>18305102</pubmed></ref> 。
 その後、Mbp mRNAを分子モデルとして、3'UTRに存在する、長距離のmRNA輸送に必要なRNA配列 ([[A2RE]]と呼ばれるGCCAAGGAGCC配列)<ref name=Munro1999><pubmed>10567417</pubmed></ref>  およびそれを認識して結合するタンパク質[[heterogeneous nuclear ribonucleoprotein]] ([[hnRNP]])  [[hnRNPA2|A2]] がそれぞれ同定された<ref name=Hoek1998><pubmed>9578590</pubmed></ref> 。また、[[キネシン]]タンパク質である[[Kif1b]]がMbp mRNAの輸送に必須な分子であること、Kif1b遺伝子に変異を持つ[[ゼブラフィッシュ]]ではMBPおよびミエリン形成場所に異常が起きることが報告された<ref name=Lyons2009><pubmed>19503091</pubmed></ref> 。このA2RE配列はオリゴデンドロサイトや神経細胞において輸送される様々なmRNAに保存されていることが明らかになった。これらの研究から、微小管による細胞内長距離輸送メカニズムに対して、特異的なRNA配列が局在情報をコードするというモデルが確立された<ref name=Barbarese1999><pubmed>10739569</pubmed></ref><ref name=Gao2008><pubmed>18305102</pubmed></ref> 。


 しかし、Mbp mRNAが輸送される途中で翻訳が起きると細胞機能に障害をもたらすことが予想される。そのため、輸送メカニズムを想定するだけでは不十分であり、「mRNAの輸送途中では何らかのメカニズムで翻訳が抑制される」とする仮説が提唱された。その抑制分子の候補として、内在性[[siRNA]]<ref name=Bauer2012><pubmed>22744314</pubmed></ref> および[[hnRNPE1]]<ref name=Kosturko2006><pubmed>16775011</pubmed></ref> が同定された。いずれの分子も輸送中のRNA顆粒に存在する。また、MBPが正常に産生されない[[慢性多発性硬化症]]においては[[small non-coding RNA 715]] ([[sncRNA715]])の発現量が異常に多い。
 しかし、Mbp mRNAが輸送される途中で翻訳が起きると細胞機能に障害をもたらすことが予想される。そのため、輸送メカニズムを想定するだけでは不十分であり、「mRNAの輸送途中では何らかのメカニズムで翻訳が抑制される」とする仮説が提唱された。その抑制分子の候補として、内在性[[siRNA]]<ref name=Bauer2012><pubmed>22744314</pubmed></ref> および[[hnRNPE1]]<ref name=Kosturko2006><pubmed>16775011</pubmed></ref> が同定された。いずれの分子も輸送中のRNA顆粒に存在する。また、MBPが正常に産生されない慢性[[多発性硬化症]]においては[[small non-coding RNA 715]] ([[sncRNA715]])の発現量が異常に多い。


 さらに、Mbp mRNAが輸送された場所でミエリンを形成するには、前述の翻訳抑制状態が解除される必要がある。翻訳を活性化するシグナル経路は、神経軸索の表面にある[[L1]]膜タンパク質とオリゴデンドロサイトの表面に発現する[[コンタクチン]]/[[インテグリン]]分子の結合から開始する。その結合はオリゴデンドロサイトにある[[FYN]]キナーゼを活性化し、Mbp mRNA輸送顆粒上にある[[hnRNPF]]がリン酸化を受ける。このリン酸化により輸送顆粒が崩壊し、hnRNPFは[[hnRNPA2]]・[[hnRNPE2]]と共に Mbp mRNAから離れ、翻訳抑制が解除されるという仕組みが報告されている<ref name=Kramer-Albers2011><pubmed>21207100</pubmed></ref><ref name=White2012><pubmed>22128153</pubmed></ref><ref name=White2008><pubmed>18490510</pubmed></ref> 。さらに、軸索の発火に応答して、L1膜タンパク質の発現量およびFYNキナーゼ活性は調節されることが報告され、軸索に伝わる電気シグナルによって、Mbp mRNAの局所翻訳やミエリン形成が制御される動的な制御機構が明らかとなった<ref name=Wake2011><pubmed>21817014</pubmed></ref> 。
 さらに、Mbp mRNAが輸送された場所でミエリンを形成するには、前述の翻訳抑制状態が解除される必要がある。翻訳を活性化するシグナル経路は、神経軸索の表面にある[[L1]]膜タンパク質とオリゴデンドロサイトの表面に発現する[[コンタクチン]]/[[インテグリン]]分子の結合から開始する。その結合はオリゴデンドロサイトにある[[FYN]]キナーゼを活性化し、Mbp mRNA輸送顆粒上にある[[hnRNPF]]がリン酸化を受ける。このリン酸化により輸送顆粒が崩壊し、hnRNPFは[[hnRNPA2]]・[[hnRNPE2]]と共に Mbp mRNAから離れ、翻訳抑制が解除されるという仕組みが報告されている<ref name=Kramer-Albers2011><pubmed>21207100</pubmed></ref><ref name=White2012><pubmed>22128153</pubmed></ref><ref name=White2008><pubmed>18490510</pubmed></ref> 。さらに、軸索の発火に応答して、L1膜タンパク質の発現量およびFYNキナーゼ活性は調節されることが報告され、軸索に伝わる電気シグナルによって、Mbp mRNAの局所翻訳やミエリン形成が制御される動的な制御機構が明らかとなった<ref name=Wake2011><pubmed>21817014</pubmed></ref> 。