「グルタミン酸トランスポーター」の版間の差分

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 グルタミン酸は哺乳類の中枢神経系において記憶・学習などの高次機能を調節する主要な興奮性神経伝達物質として知られている。一方、過剰なグルタミン酸は、グルタミン酸受容体の過剰な活性化によりグルタミン酸興奮毒性と呼ばれる神経細胞障害作用を持つことが知られている。このため細胞外グルタミン酸濃度は厳密に制御される必要があり、グルタミン酸トランスポーターがその役割を担う。これまで哺乳類の中枢神経系において、5種類のグルタミン酸トランスポーターサブファミリー、slc1a1、slc1a2、slc1a3、slc1a6、slc1a7が単離されている。Slc1a2、slc1a3は主にアストロサイトに、slc1a1とslc1a6は神経細胞に、slc1a7は網膜に発現している。シナプス間隙におけるグルタミン酸の除去は、主にアストロサイトに存在する2種類のグルタミン酸輸送体slc1a2、slc1a3により担われている。近年、これらのグルタミン酸トランスポーターの機能障害が様々な精神神経疾患の発症に関与することが明らかになりつつある。
 グルタミン酸は哺乳類の中枢神経系において記憶・学習などの高次機能を調節する主要な興奮性神経伝達物質として知られている。一方、過剰なグルタミン酸は、グルタミン酸受容体の過剰な活性化によりグルタミン酸興奮毒性と呼ばれる神経細胞障害作用を持つことが知られている。このため細胞外グルタミン酸濃度は厳密に制御される必要があり、グルタミン酸トランスポーターがその役割を担う。これまで哺乳類の中枢神経系において、5種類のグルタミン酸トランスポーターサブファミリー、slc1a1、slc1a2、slc1a3、slc1a6、slc1a7が単離されている。slc1a2、slc1a3は主にアストロサイトに、slc1a1とslc1a6は神経細胞に、slc1a7は網膜に発現している。シナプス間隙におけるグルタミン酸の除去は、主にアストロサイトに存在する2種類のグルタミン酸輸送体slc1a2、slc1a3により担われている。近年、これらのグルタミン酸トランスポーターの機能障害が様々な精神神経疾患の発症に関与することが明らかになりつつある。
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|style="background-color:#f0fff0"|遺伝子座(ヒト)
|style="background-color:#f0fff0"|遺伝子座(ヒト)
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|style="background-color:#f0fff0"|Scl1a1
|style="background-color:#f0fff0"|slc1a1
|EAAT3<br>EAAC1
|EAAT3<br>EAAC1
|524
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|9p24
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|-|
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|style="background-color:#f0fff0"|Scl1a2
|style="background-color:#f0fff0"|slc1a2
|EAAT2<br>GLT-1
|EAAT2<br>GLT-1
|574
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|11p13-p12
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|-|
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|style="background-color:#f0fff0"|Scl1a3
|style="background-color:#f0fff0"|slc1a3
|EAAT1<br>GLAST
|EAAT1<br>GLAST
|542
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|5p13
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|-
|-
|style="background-color:#f0fff0"|Scl1a6
|style="background-color:#f0fff0"|slc1a6
|EAAT4
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|564
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|19p13.12
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|-
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|style="background-color:#f0fff0"|Scl1a7
|style="background-color:#f0fff0"|slc1a7
|EAAT5
|EAAT5
|560
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 5種類のグルタミン酸トランスポーターサブファミリーは、中枢神経系だけでなく末梢組織にも発現していることが知られているが、本稿では中枢神経系における発現に関して記述する(表1)。
 5種類のグルタミン酸トランスポーターサブファミリーは、中枢神経系だけでなく末梢組織にも発現していることが知られているが、本稿では中枢神経系における発現に関して記述する(表1)。


 [[Slc1a2]]([[GLT-1]]/[[EAAT2]])は[[大脳皮質]]・[[海馬]]の[[アストロサイト]]に、[[slc1a3]]([[GLAST]]/[[EAAT1]])は[[小脳]]のアストロサイトに優位に発現している<ref name=ref7><pubmed>8733726</pubmed></ref>。[[Slc1a1]]([[EAAC1]]/[[EAAT3]])は神経細胞に存在し、中枢神経系に広く分布している<ref name=ref7 />。[[Slc1a6]]([[EAAT4]])は小脳の[[プルキンエ細胞]]に<ref name=ref8><pubmed>8905715</pubmed></ref>、また[[slc1a7]]([[EAAT]])は[[網膜]]の[[視細胞]]・[[双極細胞]]に特異的に発現している<ref name=ref9><pubmed>10696802</pubmed></ref>(図3)。神経細胞に発現しているslc1a1とscl1a4は、神経細胞の終末ではなく[[細胞体]]・[[樹状突起]]に主に局在している<ref name=ref10><pubmed>7917301</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>9261809</pubmed></ref>。アストロサイトに発現しているslc1a2とscl1a3は、シナプス周囲を覆っている突起に密度高く局在している<ref name=ref12><pubmed>7546749</pubmed></ref>。
 [[slc1a2]]([[GLT-1]]/[[EAAT2]])は[[大脳皮質]]・[[海馬]]の[[アストロサイト]]に、[[slc1a3]]([[GLAST]]/[[EAAT1]])は[[小脳]]のアストロサイトに優位に発現している<ref name=ref7><pubmed>8733726</pubmed></ref>。[[slc1a1]]([[EAAC1]]/[[EAAT3]])は神経細胞に存在し、中枢神経系に広く分布している<ref name=ref7 />。[[slc1a6]]([[EAAT4]])は小脳の[[プルキンエ細胞]]に<ref name=ref8><pubmed>8905715</pubmed></ref>、また[[slc1a7]]([[EAAT]])は[[網膜]]の[[視細胞]]・[[双極細胞]]に特異的に発現している<ref name=ref9><pubmed>10696802</pubmed></ref>(図3)。神経細胞に発現しているslc1a1とscl1a4は、神経細胞の終末ではなく[[細胞体]]・[[樹状突起]]に主に局在している<ref name=ref10><pubmed>7917301</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>9261809</pubmed></ref>。アストロサイトに発現しているslc1a2とscl1a3は、シナプス周囲を覆っている突起に密度高く局在している<ref name=ref12><pubmed>7546749</pubmed></ref>。


 最近、[[CDC42EP4]]/[[septin]]がslc1a3をシナプス周囲を覆う[[バーグマングリア]]の突起に局在させることが明らかになった<ref name=ref13><pubmed>26657011</pubmed></ref>。成人脳ではアストロサイトに局在するscl1a2は、胎児期から生後3日の発生初期には、一過性に神経細胞に発現する<ref name=ref14><pubmed>9671661</pubmed></ref>。
 最近、[[CDC42EP4]]/[[septin]]がslc1a3をシナプス周囲を覆う[[バーグマングリア]]の突起に局在させることが明らかになった<ref name=ref13><pubmed>26657011</pubmed></ref>。成人脳ではアストロサイトに局在するscl1a2は、胎児期から生後3日の発生初期には、一過性に神経細胞に発現する<ref name=ref14><pubmed>9671661</pubmed></ref>。
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===分子機能===
===分子機能===
 グルタミン酸トランスポーターは、細胞膜を介したNa<sup>+</sup>の[[電気化学ポテンシャル]]を利用して、グルタミン酸を輸送する。1分子のグルタミン酸の取り込みは、3個のNa<sup>+</sup>および1個のH<sup>+</sup>の共輸送、1個のK<sup>+</sup>の対向輸送と共役する(図2)。従って、グルタミン酸トランスポーターは[[起電性]]であり、グルタミン酸の細胞内への取り込みにより[[内向き電流]]が生じる。また、これとは別に、熱力学的にグルタミン酸取り込みと連動していないCl-の流入があることが知られているが、Cl-の透過性の順番はScl1a6/7 > slc1a3 > slc1a1 > slc1a2である<ref name=ref17><pubmed>26303507</pubmed></ref>。
 グルタミン酸トランスポーターは、細胞膜を介したNa<sup>+</sup>の[[電気化学ポテンシャル]]を利用して、グルタミン酸を輸送する。1分子のグルタミン酸の取り込みは、3個のNa<sup>+</sup>および1個のH<sup>+</sup>の共輸送、1個のK<sup>+</sup>の対向輸送と共役する(図2)。従って、グルタミン酸トランスポーターは[[起電性]]であり、グルタミン酸の細胞内への取り込みにより[[内向き電流]]が生じる。また、これとは別に、熱力学的にグルタミン酸取り込みと連動していないCl<sup>-</sup>の流入があることが知られているが、Cl<sup>-</sup>の透過性の順番はslc1a6/7 > slc1a3 > slc1a1 > slc1a2である<ref name=ref17><pubmed>26303507</pubmed></ref>。


 Slc1a1は、グルタミン酸の他に電荷をもたない[[L-システイン]]を取り込み、[[グルタチオン]]合成に利用している<ref name=ref18><pubmed>25275463</pubmed></ref>。
 slc1a1は、グルタミン酸の他に電荷をもたない[[L-システイン]]を取り込み、[[グルタチオン]]合成に利用している<ref name=ref18><pubmed>25275463</pubmed></ref>。


===生理機能===
===生理機能===
====海馬のシナプス伝達における役割====
====海馬のシナプス伝達における役割====
 海馬において主要なグルタミン酸トランスポーターはslc1a2である。Slc1a2欠損マウスの海馬の[[シェーファー側枝]]・[[CA1]][[錐体細胞]]間シナプスを電気生理学的に調べたところ、海馬のCA1錐体細胞で記録されるシェーファー側枝による[[興奮性シナプス後電流]]([[Excitatory Postsynaptic Current]]:[[EPSC]])のAMPA(α-amino-3-hydroxy-5-methylisoxazole-4- propionic acid)型グルタミン酸受容体成分・NMDA型グルタミン酸受容体成分とも、その振幅・時間経過は野生型と違いはなかった<ref name=ref19><pubmed>9180080</pubmed></ref>。このことは、GLT1は海馬において、EPSCの振幅・時間経過の重要な決定因子ではないことを示している。海馬におけるEPSCの振幅・時間経過は、[[グルタミン酸受容体]]自体のキネテクスにより規定されていると考えられる。海馬のシナプスは、[[グリア]]細胞の突起によるシナプス部位の被覆が不完全で、主に拡散がシナプス間隙におけるグルタミン酸のクリアランスを規定していると考えられる。
 海馬において主要なグルタミン酸トランスポーターはslc1a2である。slc1a2欠損マウスの海馬の[[シェーファー側枝]]・[[CA1]][[錐体細胞]]間シナプスを電気生理学的に調べたところ、海馬のCA1錐体細胞で記録されるシェーファー側枝による[[興奮性シナプス後電流]]([[Excitatory Postsynaptic Current]]:[[EPSC]])のAMPA(α-amino-3-hydroxy-5-methylisoxazole-4- propionic acid)型グルタミン酸受容体成分・NMDA型グルタミン酸受容体成分とも、その振幅・時間経過は野生型と違いはなかった<ref name=ref19><pubmed>9180080</pubmed></ref>。このことは、GLT1は海馬において、EPSCの振幅・時間経過の重要な決定因子ではないことを示している。海馬におけるEPSCの振幅・時間経過は、[[グルタミン酸受容体]]自体のキネテクスにより規定されていると考えられる。海馬のシナプスは、[[グリア]]細胞の突起によるシナプス部位の被覆が不完全で、主に拡散がシナプス間隙におけるグルタミン酸のクリアランスを規定していると考えられる。


 海馬CA1[[網状分子層]]の[[oriens-lacunosum moleculare]](O-LM)[[介在神経]]に多く存在する[[代謝型グルタミン酸受容体]][[mGluR1]]は、グリア型グルタミン酸トランスポーターslc1a2およびslc1a3により、活性が制御されている。Slc1a2とslc1a3を抑制すると、mGluR1依存性EPSCの振幅が増加し、介在神経の発火が増強され、結果としてCA1錐体細胞の抑制が増強されたる<ref name=ref20><pubmed>15140926</pubmed></ref>。
 海馬CA1[[網状分子層]]の[[oriens-lacunosum moleculare]](O-LM)[[介在神経]]に多く存在する[[代謝型グルタミン酸受容体]][[mGluR1]]は、グリア型グルタミン酸トランスポーターslc1a2およびslc1a3により、活性が制御されている。slc1a2とslc1a3を抑制すると、mGluR1依存性EPSCの振幅が増加し、介在神経の発火が増強され、結果としてCA1錐体細胞の抑制が増強されたる<ref name=ref20><pubmed>15140926</pubmed></ref>。


 また、slc1a2欠損マウスでは、海馬CA1領域のNMDA型グルタミン酸受容体成分が増強され、[[長期増強]]の発現が障害されている<ref name=ref21><pubmed>11553304</pubmed></ref>。逆に、slc1a2の発現を増加すると、[[苔状線維]]—[[CA3]]錐体細胞間シナプスの[[長期抑圧]]の発現が障害される<ref name=ref22><pubmed>19651762</pubmed></ref>。
 また、slc1a2欠損マウスでは、海馬CA1領域のNMDA型グルタミン酸受容体成分が増強され、[[長期増強]]の発現が障害されている<ref name=ref21><pubmed>11553304</pubmed></ref>。逆に、slc1a2の発現を増加すると、[[苔状線維]]—[[CA3]]錐体細胞間シナプスの[[長期抑圧]]の発現が障害される<ref name=ref22><pubmed>19651762</pubmed></ref>。
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===統合失調症===
===統合失調症===
 [[統合失調症]]は、[[幻聴]]・[[妄想]]などの[[陽性症状]]と、[[感情鈍麻]]、[[意欲]]の減退などの[[陰性症状]]、[[作業記憶]]などの[[認知障害]]を示し、有病率約1%の[[精神疾患]]である。統合失調症患者の遺伝子解析から、slc1a3遺伝子座の欠失やslc1a2の機能障害を伴うミスセンス変異を持つ症例が報告された<ref name=ref35><pubmed>18369103</pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed>22863191</pubmed></ref>。また、死後脳の解析からも、slc1a2およびslc1a3の発現が減少することが報告されている<ref name=ref37><pubmed>23356950</pubmed></ref>。Slc1a3欠損マウスは、統合失調症の陽性症状・陰性症状・認知障害に相当する行動異常を示し、slc1a3の異常による脳の興奮性亢進が統合失調症の発症に重要な役割を果たすと考えられる<ref name=ref38><pubmed>18550032</pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed>19078949</pubmed></ref>。さらに、統合失調症の前駆期から初発期への移行に細胞外グルタミン酸濃度の上昇が関与することが報告されている<ref name=ref40><pubmed>24108440</pubmed></ref> <ref name=ref41><pubmed>23583108</pubmed></ref>。
 [[統合失調症]]は、[[幻聴]]・[[妄想]]などの[[陽性症状]]と、[[感情鈍麻]]、[[意欲]]の減退などの[[陰性症状]]、[[作業記憶]]などの[[認知障害]]を示し、有病率約1%の[[精神疾患]]である。統合失調症患者の遺伝子解析から、slc1a3遺伝子座の欠失やslc1a2の機能障害を伴うミスセンス変異を持つ症例が報告された<ref name=ref35><pubmed>18369103</pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed>22863191</pubmed></ref>。また、死後脳の解析からも、slc1a2およびslc1a3の発現が減少することが報告されている<ref name=ref37><pubmed>23356950</pubmed></ref>。slc1a3欠損マウスは、統合失調症の陽性症状・陰性症状・認知障害に相当する行動異常を示し、slc1a3の異常による脳の興奮性亢進が統合失調症の発症に重要な役割を果たすと考えられる<ref name=ref38><pubmed>18550032</pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed>19078949</pubmed></ref>。さらに、統合失調症の前駆期から初発期への移行に細胞外グルタミン酸濃度の上昇が関与することが報告されている<ref name=ref40><pubmed>24108440</pubmed></ref> <ref name=ref41><pubmed>23583108</pubmed></ref>。


===うつ病===
===うつ病===
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#アルツハイマー病患者の脳ではslc1a1、slc12、slc1a3の発現量が減少している<ref name=ref65><pubmed>21743130</pubmed></ref>。
#アルツハイマー病患者の脳ではslc1a1、slc12、slc1a3の発現量が減少している<ref name=ref65><pubmed>21743130</pubmed></ref>。
#アルツハイマー病モデルのslc1a2発現量を低下させると空間学習の障害が促進される<ref name=ref66><pubmed>21677376</pubmed></ref>
#アルツハイマー病モデルのslc1a2発現量を低下させると空間学習の障害が促進される<ref name=ref66><pubmed>21677376</pubmed></ref>
#アルツハイマー病における神経変性の原因物質と考えられている[[βアミロイドタンパク質]]によりGLT1の機能が障害される<ref name=ref67><pubmed>23516295</pubmed></ref>。
#アルツハイマー病における神経変性の原因物質と考えられている[[βアミロイド]]タンパク質によりGLT1の機能が障害される<ref name=ref67><pubmed>23516295</pubmed></ref>。
#GLT1の発現量を増加させる[[ceftriaxone]]はアルツハイマー病モデルの異常を回復させる<ref name=ref68><pubmed>25964214</pubmed></ref> <ref name=ref69><pubmed>25711212</pubmed></ref>。
#GLT1の発現量を増加させる[[ceftriaxone]]はアルツハイマー病モデルの異常を回復させる<ref name=ref68><pubmed>25964214</pubmed></ref> <ref name=ref69><pubmed>25711212</pubmed></ref>。