同義語:血管内皮細胞由来弛緩因子、EDRF、Nitric oxide
一酸化窒素(NO)は分子量30の無色透明なガスで、酸素に触れると直ちに酸化されて二酸化窒素となる。このような不安定な無機ガスは、近年まで生体とは全く無縁であると考えられていたが、血管内皮細胞由来の血管平滑筋弛緩因子(EDRF)として循環制御に重要な役割を果たすことが発見された。NOの物質としての特徴はガス状物質であり、細胞膜を透過して拡散しやすいこと、及び生体内で速やかに酸化され、半減期が1秒程度と短いことである。これらのユニークなNOの特性による情報伝達の発見は1998年のノーベル医学・生理学賞の受賞対象となった。
NOの生体内シグナル伝達経路
NOは生体内ではアルギニンから合成される。血管内皮型(eNOS)、神経型(nNOS)及び誘導型(iNOS)の3タイプの合成酵素がある[1]。eNOSはカルシウム/カルモジュリンによって活性が制御され、細胞膜に結合しやすい性質を持っている。nNOSも、カルシウム/カルモジュリンによって活性が制御されるが、主に細胞質に存在すると考えられてきた。しかしPSD95などの特定の膜タンパク質に結合しやすいことが明らかにされた。iNOSは主に免疫系の細胞などで発現し、サイトカインなどによって酵素自体が誘導されることでNOの合成調節がなされる点が特徴である。NOの作用メカニズムは多様であるが、主要なものとしてグアニル酸シクラーゼを活性し、細胞内のcGMPレベルを上げることが挙げられる。さらに神経細胞でもNOは合成され、脳の様々な場所で情報伝達を担うことにより、非常に多彩な機能に関与している。従来研究されてきたNOの主要な脳機能としては、シナプス可塑性の調節因子、脳血流量の調節因子、神経細胞死への関与などが挙げられる。
シナプス可塑性の調節物質としてのNO
NOの脳における重要な機能としてシナプス可塑性の調節因子としての働きが挙げられる[2]。NOが関与するシナプス可塑性としては小脳の長期抑圧、海馬の長期増強、大脳皮質の長期増強などがある。いずれの場合も、特定の膜に閉ざされたコンパートメントから、別の膜に閉ざされたコンパートメントに、NOのガス拡散特性によって情報を伝達しているという点に特徴がある(図)。
小脳皮質からの唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞は、平行線維と登上線維からシナプス入力を受け。この二つが同期して起きたときに平行線維-プルキンエ細胞間シナプスが長期抑圧を起こす。小脳の長期抑圧は、ある種の運動学習の基礎メカニズムであると考えられている。小脳の長期抑圧は、シナプス後部であるプルキンエ細胞において生ずる。一方、平行線維を出す顆粒細胞はnNOSを多量に含み、NOは平行線維から放出されてプルキンエ細胞に、あるいは平行線維自身に作用すると考えられている。培養プルキンエ細胞を用た単純な実験系ではNOの関与なしにグルタミン酸応答の抑圧が起きるが、小脳長期抑圧を必要とする運動学習はNO依存性を示す、つまり標本による違いはあるものの、少なくとも個体レベルにおいて運動学習はNOによって促進的な修飾作用を受けると考えられる。
海馬錘体細胞への入力線維を高頻度で刺激すると、シナプス後膜のNMDA型グルタミン酸受容体が活性化されてカルシウムが流入し、長期増強が起きる。長期増強には、シナプス後部のグルタミン酸受容体数が増加する型と、シナプス前部からのグルタミン酸放出量が増大する型がある。シナプス前部でグルタミン酸の放出が起きるためには、カルシウム流入があったシナプス後部からシナプス前部へと逆行性に情報を伝達するメカニズムがあるのではないかと想定され、NOもそのような逆行性情報伝達物質の候補として考えられた。しかしNOが長期増強の誘導に関与するにしても実験温度や動物の週令、刺激強度や刺激パターンなど様々な実験条件が適切に設定された場合のみであることが判ってきた。即ちNOは長期増強の成立には必須ではないが、実験条件によっては長期増強を促進する調節物質の一つであると思われる。
大脳皮質でも長期増強は起きる。この長期増強とNOとの関係には大脳皮質の層毎の違いがある。即ち大脳皮質のIV層を刺激するとII/III層及びV層の両方にLTPが起きるが、V層のLTPのみがNO合成酵素阻害剤によって有意に小さくなる。大脳皮質のNO合成酵素は主に深い層の小型のインターニューロンに局在し、これが活動する時にNOも放出される。
以上、小脳、海馬、大脳皮質の例を挙げたが、NOの放出部位はシナプス前部、後部、抑制性インターニューロンと多彩であり(図)、NOはシナプスの可塑性に必須な因子というより、状況に応じて誘発を促進する調節因子であるという点が共通している。
脳血流量の調節因子としてのNO
NOが血管内皮細胞由来弛緩因子という機能を有する以上、脳の血流量の調節も他の臓器と同様に関わる[3]。また、血管内皮細胞以外にも、ある種の自立神経終末はNOを直接放出する機能を持ち、血流調節に関わっている。脳に特徴的な血流調節として興味深いのは、脳活動によって局所の脳血流量が増大する現象で、神経細胞の少なくとも一部がNO合成酵素を有する以上、局所血流量調節の少なくとも一部はNOを介すると思われる。しかし、それ以外の複数の血流調節因子の関与も想定されており、NOの役割は部分的である。
神経細胞死とNO
NOは免疫系の細胞においてiNOSから作られ、細胞障害性を示す。従って脳に炎症があるとき、免疫系の細胞が動員されて、神経細胞死に関わる。また、本来はシナプス可塑性や脳血流の調節因子として作り出されるNOが、脳虚血などの病態に伴って、細胞障害性を示すという場合もある。しかし、その一方でNOは低濃度で神経細胞保護作用を有するという知見もあり、どのような実験条件下でどのような評価法によりその効果を判定したかということに留意する必要がある[4]。
関連語
参考文献
- ↑
Garthwaite, J. (2008).
Concepts of neural nitric oxide-mediated transmission. The European journal of neuroscience, 27(11), 2783-802. [PubMed:18588525] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑
Hardingham, N., Dachtler, J., & Fox, K. (2013).
The role of nitric oxide in pre-synaptic plasticity and homeostasis. Frontiers in cellular neuroscience, 7, 190. [PubMed:24198758] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑
Gordon, G.R., Mulligan, S.J., & MacVicar, B.A. (2007).
Astrocyte control of the cerebrovasculature. Glia, 55(12), 1214-21. [PubMed:17659528] [WorldCat] [DOI] - ↑
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Nitric oxide in the central nervous system: neuroprotection versus neurotoxicity. Nature reviews. Neuroscience, 8(10), 766-75. [PubMed:17882254] [WorldCat] [DOI]