中村 太戯留
東京工科大学
松井 智子
東京学芸大学
DOI:10.14931/bsd.5866 原稿受付日:2015年5月11日 原稿完成日:2015年xx月xx日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)
英語名:language
言語は、ある特定の国や地域や文化に属する人々のコミュニケーションや相互作用において使用されるもので、音声や書かれた記号からなる体系である。表情や身振り手振りなども含む場合がある。脳科学としての言語は、言語学の知見、神経心理学の知見、そしてイメージング研究の知見を総合して考える必要がある。言語学では、音声や書かれた記号を対象として、人々によってそれがどのように使用されるのかを明らかにしようとしている。神経心理学では、脳の物理的損傷の患者を対象として、その損傷により引き起こされたと考えられる症状との関係から、脳における言語機能を明らかにしようとしている。そして、イメージング研究では、主に健常者を対象として、あるタスクを行ってもらい、その際の脳の賦活部位を、機能的磁気共鳴画像(fMRI: Functional Magnetic Resonance Imaging)などの手法を用いて明らかにしようとしている。
言語産出と言語理解
言語処理は、言語産出の相と、言語理解の相とに大別することができる。言語産出の相においては、思考があり、思考が文として表現され、その文が音声や文字に変換される。音声は、空気の振動として、聞き手の耳、そして話し手自身の耳に伝わる。文字は、インクの染みとして読み手の目、そして書き手自身の目に伝わる。言語理解の相においては、知覚した音声や文字から語、語の連鎖から文、そして文から意味が構成される。
ただし、ヒトのコミュニケーションは、コンピュータのコミュニケーションと大きく異なる点に注意する必要がある。コンピュータのコミュニケーションであれば、送信者側で表現されている内容はコード表に従ってエンコードされ、伝送され、そして受信者側で同じコード表に従ってデコードされ、送信者側とまったく同じ内容を受信者側が抽出することが可能である。一方、ヒトのコミュニケーションにおいては、共通のコード表が話し手と聞き手との間で共有されていることを保証することはできないため、(厳密に言えば)話し手と全く同じ内容を聞き手が言葉から抽出することは不可能なのである。そのため、聞き手が受け取った音声の内容を理解するためには、知識や過去の経験、その場の文脈などを手掛かりとして話し手が伝えようとしている内容を推測して構成することが必要である。そのため、ここでは意味や内容の「抽出」ではなく、「構成」という用語を用いている[1][2]。
言語野:ブローカ野とウェルニッケ野
言語処理に関与する脳の領域は、大まかには、環シルビウス溝言語領域、環・環シルビウス溝言語領域、そして右半球言語領域の三領域に分けることができる[3]。環シルビウス溝言語領域は、ブローカ野とウェルニッケ野という言語野、および両者をつなぐ弓状束を含み、音声系列の処理において重要な役割を果たしていると考えられている。ブローカ野は運動性言語野とも呼ばれており、言語処理における言語産出の相の重要な役割を担っていると考えられている。一方、ウェルニッケ野は感覚性言語野(受容性言語野)とも呼ばれており、言語処理における言語理解の相の重要な役割を担っていると考えられている。環・環シルビウス溝言語領域は、環シルビウス溝言語領域の周りの側頭葉、頭頂葉、前頭葉を含み、その活動には補足運動野や視床も加わり、音声系列への言語的意味の充填に関与していると考えられている。
ウェルニッケ=ゲシュビント・モデルでは、言語理解の相と言語産出の相をつなぐことで、ヒトが聞き手ないし読み手として言語理解をしてから、話し手ないし書き手として言語産出をするまでをモデル化している。話し言葉は耳で知覚して、視床の内側膝状体を経由して、大脳皮質の上側頭回にある一次聴覚野へ情報が入り、言語脳であるウェルニッケ野から弓状束を通りブローカ野に至る領域で理解と産出をおこない、そして一次運動野から口を制御して音声を発するという経路をたどる。書き言葉は目で知覚して、視床の外側膝状体を経由して、大脳皮質の後頭葉にある一次視覚野へ情報が入り、側頭頭頂接合部にある角回を経由して、言語脳であるウェルニッケ野から弓状束を通りブローカ野に至る領域で理解と産出をおこない、そして一次運動野から手を制御して文字を記すという経路をたどる。いずれも、主に環シルビウス溝言語領域における活動のモデル化となっている。
イメージング研究とそのメタ分析
イメージング研究では、ある脳活動を表わす画像データから、他の脳活動を表わす画像データを引き算し、残った活動から純粋に言語に関連する領域を見るという研究方略をとる。
例えば、ピーターセンらの実験では[4]、まず(1)注視点として「+」を見ている状態があり、そこに(2a)「ハンマー」という文字が加わる状態や、(2b)「ハンマー」という音声が加わる状態、そして(3)「ハンマー」と復唱する状態、さらに(4)ハンマーに対応する動詞として「打つ」と言う状態を設定した。そこで、(2a)から(1)を引き算すると単語を見ているときの脳活動(視覚野)、(2b)から(1)を引き算すると単語を聞いているときの脳活動(聴覚野、ウェルニッケ野、角回)、(3)から(2a)や(2b)を引き算すると単語を言っているときの脳活動(運動野)、そして(4)から(3)を引き算すると動詞を生成しているときの脳活動(ブローカ野、ウェルニッケ野)が残る。このような差分法の活用により、ウェルニッケ=ゲシュビント・モデルを健常者の脳で確認することができるようになった。
さらに、メタ分析(meta-analysis)、すなわち複数のイメージング研究の結果の俯瞰的な視点からの分析が行われている。Binder他(2009)は[5]、100以上の研究を集めたメタ分析を行い、一般的な意味処理(general semantic processing)に関与する部位の特定を試み、大脳の左半球の7つの領域(下頭頂葉後方、中側頭回、紡錘状回と海馬傍回、背内側前頭前野、下前頭回、腹内側前頭前野、後帯状回)が重要な役割を果たす可能性を示唆している。例えば、下頭頂葉後方は、意味検索や意味統合において重要な役割を果たしている可能性が示唆されている。中側頭回は、モノやその属性、道具や動作といった意味記憶の貯蔵において重要な役割を果たしている可能性が示唆されている。紡錘状回は、側頭葉外側の意味記憶と側頭葉内側のエピソード記憶の仲立ちにおいて重要な役割を果たしている可能性が示唆されている。また、下前頭回に関して、44野は音韻処理、44野と45野は文法処理、45野と47野は意味処理に関与する可能性が示唆されている[6]。
社会的認知に関与する部位の特定に向けて、Van Overwalle (2009)は[7]、200以上の研究を集めたメタ分析を行い、側頭葉と頭頂葉の境界領域(上記の下頭頂葉後方と重なる)、および内側前頭前野が重要な役割を果たしている可能性を示唆している。側頭葉と頭頂葉の境界領域は、他者の行動の目的、意図、そして望みなどを推測する際に重要な役割を果たす可能性が示唆されている。内側前頭前野は、他者や自己の永続的な性質や、間主観的な社会規範や行動様式などを処理する際に重要な役割を果たす可能性が示唆されている。そのため、側頭葉と頭頂葉の境界領域は現在取得可能な複数の情報を統合しているのに対して、内側前頭前野は時系列での複数の情報の統合をしている可能性が示唆されている。
このように、一般的な意味処理に関与する重要な部位と、社会的認知に関与する重要な部位とは重なっており、両者は相補的である可能性が示唆されている。
参考文献
- ↑ 深谷昌弘・田中茂範
コトバの意味づけ論:日常言語の生の営み
紀伊國屋書店:1996 - ↑ 田中茂範・深谷昌弘
意味づけ論の展開:情況編成・コトバ・会話
紀伊國屋書店:1998 - ↑ 山鳥重
言語生成の大脳機構
音声言語医学, 37(2), 262-266:1996 - ↑
Petersen, S.E., Fox, P.T., Posner, M.I., Mintun, M., & Raichle, M.E. (1988).
Positron emission tomographic studies of the cortical anatomy of single-word processing. Nature, 331(6157), 585-9. [PubMed:3277066] [WorldCat] [DOI] - ↑
Binder, J.R., Desai, R.H., Graves, W.W., & Conant, L.L. (2009).
Where is the semantic system? A critical review and meta-analysis of 120 functional neuroimaging studies. Cerebral cortex (New York, N.Y. : 1991), 19(12), 2767-96. [PubMed:19329570] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑
Hagoort, P. (2005).
On Broca, brain, and binding: a new framework. Trends in cognitive sciences, 9(9), 416-23. [PubMed:16054419] [WorldCat] [DOI] - ↑
Van Overwalle, F. (2009).
Social cognition and the brain: a meta-analysis. Human brain mapping, 30(3), 829-58. [PubMed:18381770] [WorldCat] [DOI]