兼本 浩祐
愛知医大精神科学講座
DOI:10.14931/bsd.6627 原稿受付日:2015年12月29日 原稿完成日:2016年1月1日
担当編集委員:加藤 忠史(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
仏:déjà vu 英:Déjà vu 独:Déjà-vu
類義語:既視感、 false recognition、 false memory、paramnesia、reminiscence、intellectual aura、illusion of familiarity、dysmnestic seizure
既知感の歴史的記載は、紀元前に遡るが、近代での記載は十九世紀であり、医学的術語としての同用語の使用も十九世紀頃から始まるとされる。健常者においても特に若年層では8割程度の人が既知感の経験があるとされ、特に疲労時などには広範に体験される感覚であるが、側頭葉てんかんで出現する既知感とは実際には質が異なるとの指摘もある。側頭葉てんかんで出現する既知感は、同じことを以前にも体験したことがあるという懐かしさとともに、世界が急にさっきまでとは異なったものに感じられる未知感とも関連が深く、さらにこれから起こることが予知できてしまうという予知感として訴えられることもある。
既知感とは
既知感は、フランス語のdéjà vu の日本語訳であるが、フランス語の原語では文字どおりは「既に見た」、すなわち既視感という意味であり、他の五感、特に味覚や嗅覚はむしろ視覚よりもよりこの感覚と結びつきが強いことを考えると本来 “déjà vécu”「既に体験された」と呼ばれるべきであり、既知感という日本語はより実態に近い訳となっている。
医学用語としては、この用語は false recognition、 false memory、paramnesia、reminiscenceなど様々の表現で呼ばれていたが、1896年にF. L. Arnaudが主導してdéjà vuという名称が汎用されるようになり、以降、この名称が定着している。てんかん学の分野ではintellectual aura、illusion of familiarity、dysmnestic seizureなど様々の名称で呼ばれているが、それぞれ用語の守備範囲が微妙にくいちがっている。
頻度
一般的経験としては、若年者に多く、8割近い人が時々感ずるとされている[1]。疾病の中では側頭葉てんかんとしての症状があまりにも有名であり、いわゆる上腹部不快感に次いで2番目に頻度の高い前兆であるが、てんかん全体からみるとその頻度は数%程度にすぎない[2]。てんかんによる既知感と非てんかん性の既知感は性質の違いがあるとの報告もある[3]。
歴史
既知感の最も古い記載の1つは紀元前1世紀に書かれたOvidiusの『変身物語』の中の菜食主義を擁護する論説の中でPythagorasが語った言葉に遡るとされる[4]。Pythagorasは輪廻転生を信じており、アルゴスの神殿で飾ってあった盾を見て、トロイ戦争の時に別人だった自分が使っていた盾だと感じ、これを魂の不死の証明だと主張している。
既知感についてのこのPythagorasの説はその後数百年にわかり流布していたようであり、聖Augustinusは4世紀に『三位一体論』の中で、夢の中で何か体験して同じことを今体験しているたと思い込んでしまい、時にその混乱が日中にも及んでしまうことがあるが、この錯覚と同じ錯覚をPythagorasは体験したに過ぎないと反論している。
近年しばしば引用されるのは1850年のCharles Dickensによって書かれた『デヴィット・カッパーフィールド』の次の節である。
「私達は皆、今自分が言おうとしていることややろうとしていることが、以前言ったことやしたことの繰り返したという感覚に捉われたことがあるでしょう・・・(中略)・・今まさに周りにいる人が何を言おうとしているが前もってわかるかのような錯覚に捉われるのです」。
医学文献においては、Arthur L. Wiganによって1844年に書かれた『心の二重性』が最も初期の記載であり、その中で Wiganは、「シャルロッテ王女の葬儀の際に飲まず食わずで列席した時の体験として、気を失うほどに疲れ果ててぼんやりとしていたい時、突然棺が運び出される段になって、まさにその時にその情景と同じ情景を以前、間違いなく見たことを確信した」という記載を残している。その体験から Wiganは、過労の際に、一方の大脳半球が休眠状態となってしまい、出来事が起こって覚醒する時に2つの半球で覚醒度の時差ができてしまうのが、こうした既知感の原因ではないかと述べている。この説は、Kraepelinによって後に徹底して批判されているが、John Hughlings Jacksonもこれと近い発想をしており、近年、その見直しを行われている。
てんかんとの関係
てんかん、分けても側頭葉てんかんと既知感の関係を最初に本格的に問題としたのが、John Hughlings Jacksonであることに異を唱える人はいまい。Jacksonの業績を理解するためには、当時、てんかん発作というのはけいれんを伴う大発作のことだと認識されていたことを思い起しておく必要がある。”Des Acce`s Incomplets d’Epilepsie” という著作でHerpinがJacksonとは独立に意識が変容するだけでけいれんしないエピソ-ドの後にけいれんが起こる場合があることに着目し、前兆や意識消失発作もてんかんの部分症状かもしれないと考えたのは、Jacksonの直前の時代であった[5]。Jacksonは、Quaerensという偽名を用いて自身が体験した既知感とてんかん発作との関連を漠然と示唆した内科医の手記とZというやはり医師の受け持ち患者の体験の問診から、この二人の既知感がてんかん発作の前兆であることを確信し、これを想起 “reminiscence” と名付けた[6][7][8]。
Jacksonの後で既知感について強い興味をもって論じているのは多数の大脳の刺激実験を行ったPenfieldであるが、Penfieldは既知感に関連する症状を解釈現象と体験現象に分け、解釈現象は錯覚であるが、体験現象は幻覚であるとして区別した[9][10]。通常の既知感は現在起こっている事態に対する感覚が変化するだけなので解釈現象であるが、側頭葉てんかんでは過去の光景が実際に想起されることがあり、この点は一般的な既知感とは異なる。ただし側頭葉てんかんでの想起はいわゆる覚醒剤などの後遺症のフラッシュバックなどとは異なり典型的な場合には、後からどんな場面が体験されたのか思い出せないことが多いのとしばしば懐かしさを惹起される点が大きく異なる[2]。
Gloorは、解釈現象は単純に体験現象のより不全型ではないかという説を既知感に関して主張している[11]。
てんかん性の既知感は、実際には広範な現象を含んでおり、よく見慣れた場所や人を一度も見たことがないと感ずる未知感 “jamais vu”、さらにこれから起こることが全て分かってしまうという予知感なども密接な繋がりがある。未知感は他の精神疾患における離人感と言葉として表現すると似ているように聞こえるが、「夢の中に入っていくような」と表現されることもあり、今まで一度も体験したことがないような新奇性にその特徴がある。これは既知感にも当てはまり、それまで体験したことがないような親近感の変容 “illusion of familiarity” がその真骨頂である。こうした特徴を踏まえ、Jacksonは、意識変容も含めて既知感とそれに関連するてんかんの症状を “dreamy state” 「夢様状態」と名付けた。Penfield に由来することの述語はJanzによって側頭葉てんかんを特徴づける体験として強調されている[12]。
健常人の既知感は、こうした未知感との密接な繋がりは認められない。Jacksonが上腹部不快感などの “crude sensation” と対比して “intellectual aura” と呼んだ既知感などの前兆は他の前兆と重なって起こった場合には相対的に後に出現することが多く[13]、また発症年齢は相対的に高いことが多い[14]。
関連項目
参考文献
- ↑
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Dysmnestic seizure (記憶障害発作)を訴えた72例のてんかん患者の臨床的検討-自律神経性前兆との比較を中心として-
てんかん研究 11: 101-109, 1993 - ↑
Adachi, N., Akanuma, N., Ito, M., Adachi, T., Takekawa, Y., Adachi, Y., ..., & Kato, M. (2010).
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On a partilcular variety of epilepsy (‘intellectual aura'), one case with symptoms of organic brain disease.
Brain 11, 179-207, 1888 - ↑ Jackson,J.H., Stewart,P.
Epileptic attacks with a warning of a crude sensation of smell and with the intellectual aura (dreamy state) in a patient who had symptoms pointing to gross organic disease of right temoro-sphenoidal lobe.
Brain 22,534-549, 1899 - ↑ Penfield,W., Jasper,H.
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