内田 周作、渡邉 義文
山口大学 大学院 医学系研究科
DOI:10.14931/bsd.1408 原稿受付日:2012年5月9日 原稿完成日:2012年6月6日
担当編集委員:加藤 忠史(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
英語名: stress 独:Belastung 仏:stress
ストレスとは、元来、環境の変動に対する生体の適応的な反応のことを示す。ストレスの原因はストレッサーと呼ばれ、生体はストレッサーに応じて種々の反応(ストレス反応)を引き起こす。なお、日常語では、ストレッサーのことをストレスと言うことも多い。ストレスには生体にとって有益な快ストレスと不利益な不快ストレスの2種類がある。ヒトが通常の生活を送るためには、これらのストレスが適度なバランスを保って生体の恒常性を維持する必要がある。しかし近年のストレス社会を背景に、過度なストレス負荷によって脳機能のバランスが失われてしまう場合がある。ストレスレベルがある閾値を超えてしまうと、それが原因で脳や身体に障害が発生する。このストレスによる心身の疲弊のことをアロスタティック負荷と呼ぶ。
ストレス神経系
脳はストレス反応の中枢と考えられている。中でも海馬、扁桃体、視床下部などの脳部位はストレス反応に対して特に重要な脳領域である。
海馬
海馬は大脳辺縁系の一部で、記憶・学習能力に関わる脳部位である。海馬はストレスに対して非常に脆弱であるとされ、心理的・肉体的ストレスの負荷により長期間コルチゾールに曝露されると神経細胞の萎縮を引き起こす。また、最近ではストレス負荷が海馬歯状回における神経新生を阻害することで海馬機能に変化を与え、記憶・学習能力や情動行動制御に関与していることが示唆されている。
扁桃体
扁桃体は側頭葉内側の奥に位置するアーモンド形の神経細胞集団で大脳辺縁系の一部を構成している。扁桃体は情動・感情の処理、恐怖記憶形成に重要な役割を担っている。扁桃体はストレス反応機構、特に不安や恐怖反応において重要な役割を担っている。
視床下部
視床下部は脳底部に位置し、自律神経機能の制御を担う中枢で、交感神経・副交感神経機能および内分泌機能を調節している。また、視床下部は摂食行動・性行動・睡眠などの本能行動の中枢、および不安や怒りといった情動行動制御の中枢と考えられている。さらに視床下部はストレス反応の中枢であり、特に視床下部室傍核ではストレスに応答して種々の神経ペプチド・ホルモン群が産生・分泌され、生体のストレス反応に対して重要な役割を担っている。
視床下部-下垂体-副腎系
生体にストレッサーがかかると様々な生体反応が生じる。ストレッサーが引き金となる生体反応のうち、視床下部-下垂体-副腎系(HPA系)を介した内分泌反応は様々な精神疾患との関連が示唆されている。ストレス負荷により視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)が分泌されると下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌が促進される。ACTHは副腎皮質を刺激し、コルチゾールの分泌を促進する。海馬、視床下部、下垂体にはコルチゾールと結合する受容体(糖質コルチコイド受容体(GR)、鉱質コルチコイド受容体(MR))が存在し、コルチゾールの分泌量が増大するとこれら受容体を介してCRHやACTHの合成・分泌を抑制し、結果としてコルチゾールの分泌量が抑制される(ネガティブフィードバック制御)。HPA系はストレッサーから生体を守る正常な機構の1つであり、中でもネガティブフィードバック制御はコルチゾールの神経細胞への過度な曝露を抑制する機構と考えられている。HPA系の機能調節異常は、海馬神経細胞の萎縮を引き起こすこと、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)と関連することが示唆されている。
ストレス脆弱性仮説
脳にはストレッサーを受けてもそれに対処できる適応機構が備わっている。しかし、過度なストレス負荷によってその適応機構が破綻すると正常な脳機能の発現が損なわれる。ストレスの閾値は個人により異なり、通常では適応可能なストレッサーに対しても適応破綻をきたし、神経・精神疾患に陥る。これは神経・精神疾患発病のストレス脆弱性仮説とよばれ、ストレス脆弱性はうつ病や不安障害など、主にストレスが引き金となって発症するストレス性疾患の要因の1つと考えられている。
ストレス反応の脳内分子基盤
分子生物学的・分子遺伝学的技術の進展により、齧歯類を用いたストレス反応の脳内分子機構の研究が展開されている。動物実験により見出されたストレス反応に重要な因子はうつ病や不安障害、記憶障害との関連も示唆されており、ストレスが神経・精神疾患の発症機構に対して重要な要因となり得ることが明らかとなりつつある。
グルココルチコイド受容体
1999年に脳特異的GR遺伝子欠損マウスの報告がなされ[1]、定常状態及び急性ストレス負荷後における血中コルチコステロン値が野生型マウスに比べ顕著に高いこと、行動学的解析より不安、うつ様行動が低いことが示された。その後、前脳特異的GR遺伝子欠損マウスが作製され[2]、脳特異的GR遺伝子欠損マウスと同様にHPA系機能異常が示された。一連のGR遺伝子変異マウスを用いた解析により、GRがHPA系機能に重要であることは見出せたが、不安やうつ様行動制御に関しては未だ不明な部分が多いのが現状である。これは、GR遺伝子を操作した脳部位の違いのみならず、遺伝子操作による遺伝的補償や、脳発達段階の影響などが考えられる。
うつ病・躁うつ病などの気分障害は、遺伝的要因とともに胎生期から思春期までの養育環境ストレスが脳に可塑的変化を引き起こし、これがストレス脆弱性を形成するといった仮説が提唱されている。この発症脆弱性の生物学的基盤の一つとしてGR機能低下が考えられており、GRを介したフィードバック機能の低下が視床下部のCRH系機能の亢進を生じると考えられる。Meaneyらのグループは、高養育ラットと低養育ラットから生まれたラットを解析したところ、低養育ラットから生まれたラットはGR mRNA量が減少しストレス反応性の亢進を示すことを報告した[3]。養育不足により生じるストレス脆弱性形成の基盤は、GRの発現量低下による視床下部-下垂体-副腎皮質(HPA)系のフィードバック障害である可能性が指摘されている。
神経栄養因子
神経栄養因子は神経細胞の生存・機能発現に必須の因子である。ストレスを負荷した動物の脳内で脳由来神経栄養因子(BDNF)やグリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)の量が変化し、神経細胞樹状突起に存在する棘突起(スパイン)の形態・機能変化を引き起こし、その結果不安やうつ、記憶障害を引き起こすことが示唆されている。うつ病治療などに用いられている抗うつ薬投与によってそれらの異常が回復するといった報告がある[4], [5]。うつ病患者においてもこれら栄養因子群の量が変化しているとの報告があり、慢性的なストレス負荷による栄養因子群の低下が精神疾患の発症リスクとなる可能性が指摘されている。
グルタミン酸受容体
グルタミン酸受容体はグルタミン酸を主として受容する受容体群で脳に豊富に存在する。中枢神経系のシナプス部に高発現しており、シナプス可塑性と記憶・学習能力に必須な因子である。グルタミン酸受容体は受容できる化学物質の特性により、イオンチャネル共役型受容体と、Gタンパク質共役受容体である代謝型グルタミン酸受容体に大別され、イオンチャネル共役型グルタミン酸受容体はさらにNMDA型グルタミン酸受容体、AMPA型グルタミン酸受容体、カイニン酸型グルタミン酸受容体に分類される。生体が急性ストレスを受けると、NMDA型グルタミン酸受容体やAMPA型グルタミン酸受容体依存的なシナプス伝達が増強されること、慢性ストレス負荷によりこれら受容体の発現量が変化し、シナプス伝達効率が変化することが示唆されている[6]。
ストレス反応とエピジェネティクス
神経可塑性には脳内の遺伝子発現調節機構が重要な役割を担っている。ストレスなどの環境要因によって脳内遺伝子発現調節機構に異常が生じると、細胞機能さらには生理機能が変化し、最終的に脳高次機能に影響を及ぼす。最近、気分障害の病態には長期的かつ可逆的な遺伝子発現調節機構が関与していることが推測されており、この機構の1つとしてDNAメチル化やヒストンタンパク修飾などのエピジェネティックな遺伝子発現調節機構が、気分障害の病態の一端を説明できる分子イベントである可能性が考えられている。事実、ストレスを負荷した動物脳においても、グルココルチコイド受容体、栄養因子遺伝子群のプロモーター領域のDNAメチル化やヒストンタンパク修飾が変化することが示唆されている[7]。また、それら後成的な修飾を除去する薬剤を投与することでストレス負荷による行動異常が消失することから、エピジェネティックな遺伝子発現制御機構とストレス反応との関連が指摘されている。
関連項目
参考文献
- ↑
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