嗅球

2012年4月10日 (火) 13:02時点におけるTakeshiimai (トーク | 投稿記録)による版

英:olfactory bulb

嗅球(きゅうきゅう)は脊椎動物の終脳吻側に位置する脳の領域で嗅覚情報処理に関わる。嗅上皮で匂い受容を行う嗅神経細胞からの入力を受け、嗅皮質に出力する。いわゆる五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)の情報のうち、視床を介さずに大脳皮質に感覚入力するのは嗅覚だけである。げっ歯類においては、嗅球は嗅上皮からの入力を受ける主嗅球(main olfactory bulb)、鋤鼻器からの入力を受ける副嗅球(accessory olfactory bulb)、およびその他の特殊な嗅神経細胞からの入力を受けるネックレス糸球体(necklace glomeruli)などからなるが、ヒトにおいては主嗅球のみが機能的であると考えられている。ここでは主にマウスでの知見に基づいて述べる。

主嗅球

嗅神経細胞の軸索投射

匂い分子は嗅上皮の嗅神経細胞によって検出される。嗅神経細胞(olfactory sensory neuron; OSN)は単一の樹状突起を嗅上皮の表面に向かって伸ばしており、その先端から20-30の嗅繊毛を嗅粘膜中に伸ばしている。嗅繊毛にはGタンパク質共役型受容体である嗅覚受容体(odorant receptor; OR)が発現しており、嗅粘液中に溶け込んだ匂い分子を検出している。嗅覚受容体遺伝子はマウスで約1,000種類、ヒトで約350種類存在するが、個々の嗅神経細胞はこれらの中から1種類のみを発現している。嗅神経細胞は単一の軸索を有し、軸索は軸索束を形成しながら篩骨(ethmoid bone)の篩板(cribriform plate)を経て嗅球の糸球体(glomerulus)に接続する。他の感覚系や昆虫の嗅覚系と比較した場合、左右の交叉がなく同側(ipsilateral)の脳にのみ投射するという点は特徴的である。また、嗅神経細胞の軸索はミエリンをもたないという特徴がある。 マウスの嗅球には約1,800個の糸球体が存在するが(図1)、同一の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞の軸索はこのうち1ないし2個の糸球体(glomerulus)と呼ばれる構造に収斂する[1]。逆に、単一の糸球体は特定の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞の軸索のみを受け入れている。従って、匂い刺激によってどの嗅覚受容体が反応したかという情報は、嗅球のどの糸球体が発火したかという情報へと変換される。特定の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞の軸索投射位置は、局所的には個体差があるものの、大域的には個体間で保存されている。多くの嗅覚受容体では、嗅球の内側と外側に一対の投射先が認められる。嗅球内側と外側の糸球体配置はおおむね鏡像対称の配置となっている。 嗅球には、嗅神経細胞の嗅上皮上での位置および発現する嗅覚受容体のクラスに応じたドメイン構造が存在する[2]。嗅上皮上の背内側領域(Dゾーン)由来の嗅神経細胞軸索は嗅球背側のDドメインに投射する。Dゾーンの中でも、クラスI嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞軸索はよりより背側のDIドメインに、クラスII嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞軸索はより腹側のDIIドメインに投射する。嗅上皮上の腹外側領域(Vゾーン)由来の嗅神経細胞軸索は嗅球の腹側のVドメインに投射する。Vゾーン内でも嗅覚受容体の種類によって発現領域に偏りがあり、嗅上皮の背内-腹外軸方向の発現分布が嗅球背腹軸方向の投射位置におおよそ対応する。

嗅球の匂い地図

視覚、体性感覚の情報は脳でも末梢における位置関係を保って表現されており、これはしばしばトポグラフィックマップ(それぞれ視覚地図、体性感覚地図)と呼ばれる。これに対し、嗅球の匂い地図(嗅覚地図)は末梢の位置情報を表現している訳ではない。活性化した嗅覚受容体の種類を糸球体の発火パターンという形で表現している。匂い分子の種類によって活動する糸球体の種類や数が異なる。実際には自然界の匂いは複数の匂い分子の混合物からなっていることも多く、その場合、活動する糸球体はそれらの組み合わせとなる。 大域的には嗅球の領域によって匂い分子に対する特異性やチューニングが異なることが観察されており、匂いクラスターと呼ばれるが[3]、局所レベルでは必ずしも近傍の糸球体が似た匂い分子に応答するわけではなく、他の感覚系の地図のように、受容野の類似性にもとづく厳密なマップ、すなわちケモトピー(chemotopy)が存在するわけではない[4]。また、古くは嗅覚にも味覚の五味のような基本臭があるのではないかという説もあったが、嗅球の匂い地図からその根拠を見出すことは困難である。 遺伝学的手法を用いてDドメインのみを欠失させたマウスでは先天的嗅覚恐怖行動が無くなることが知られており、機能的には何らかのドメイン構造があるものと考えられている[2]

嗅球内の回路

嗅球には層構造があり、表層から順に、嗅神経層(olfactory nerve layer)、糸球層(glomerular layer)、外網状層(external plexiform layer)、僧帽細胞層(mitral cell layer)、内網状層(internal plexiform layer)、顆粒細胞層(granule cell layer)からなる。嗅球の神経細胞には、興奮性ニューロンとして僧帽細胞(mitral cell)と房飾細胞(tufted cell)があり、抑制性ニューロンとして傍糸球体細胞(periglomerular cell)と顆粒細胞(granule cell)がある。実際には傍糸球体細胞と顆粒細胞は多様な抑制性神経細胞の総称であり、多様な神経細胞が存在する。この他に、短軸索細胞(short axon cell)と総称される神経細胞も存在する。嗅球から嗅皮質へ出力するのは僧帽細胞と房飾細胞のみである[2][5](図2)。 嗅神経細胞の軸索は嗅神経層を経て糸球層に存在する直径50-100μm(マウスの場合)の糸球体に接続する。糸球体の中では嗅神経細胞軸索が僧帽細胞・房飾細胞の樹状突起興奮性シナプス接続している。球状の糸球体の周りには傍糸球体細胞が配置しており、これらも僧帽・房飾細胞や嗅神経細胞軸索に抑制性シナプスを作っている。僧帽細胞の細胞体は僧帽細胞層に局在するが、房飾細胞の細胞体は僧帽細胞から外網状層の間に分布する。僧帽細胞と房飾細胞は匂い刺激に対する応答特性が異なることから、異なる機能を有していると考えられている。僧帽・房飾細胞は単一の主樹状突起をもち、糸球体内でのみ房状分岐をもつ。このため、個々の僧帽・房飾細胞単一の糸球体からのみ直接的な興奮性入力を受け入れている。1つの糸球体には20-50個の僧帽・房飾細胞の主樹状突起が接続する。同じ糸球体に接続している僧帽・房飾細胞は姉妹僧帽・房飾細胞と呼ばれる。姉妹僧帽細胞同士は糸球体内で樹状突起間ギャップ結合を形成している。僧帽・房飾細胞はまた側方樹状突起(lateral dendrite)を外網状層に伸ばしており、顆粒細胞樹状突起との間でシナプスを作っている。僧帽・房飾細胞と傍糸球体細胞の間のシナプス、僧帽・房飾細胞と顆粒細胞の間のシナプスはしばしば双方向性シナプスであるという点が特徴的である。樹状突起間双方向性シナプスにおいては、僧帽・房飾細胞からの興奮性シナプスと、顆粒細胞・傍糸球体細胞からの抑制性シナプスとがセットになって存在する。個々の僧帽・房飾細胞は複数の側方樹状突起を放射状に嗅球内の広い範囲に伸ばして顆粒細胞と連絡しており、これは周辺の僧帽・房飾細胞との間の側方抑制において重要である。側方抑制は匂いシグナルのコントラストをつける働きがあるほか、嗅球における同期活動や非同期化にも重要であると考えられている。側方抑制の結果、僧帽・房飾細胞が中心-周辺型受容野(center-surround receptive field)を有するのかについては議論があるが、現在は否定的であり、抑制回路の特異性は良く分かっていない[4]。房飾細胞の一部の軸索は内網状層を経て内側・外側の同種糸球体カラム同士を正確に、かつ双方向に接続していることが知られているが、機能は不明である。また嗅球には嗅皮質の多くの領域から遠心性入力があるほか、ノルアドレナリンアセチルコリンセロトニンなどの遠心性神経修飾も存在する[6]

嗅球から嗅皮質への出力回路

嗅球から嗅皮質へと出力するのは興奮性神経細胞である僧帽細胞と房飾細胞のみである。僧帽・房飾細胞の軸索は軸索束を形成し、嗅球の後方外側で外側嗅索(lateral olfactory tract)となって嗅皮質へと伸びる。嗅皮質は前嗅核(anterior olfactory nucleus; anterior olfactory cortex)、嗅結節(olfactory tubercle)、梨状皮質(piriform cortex)、扁桃体皮質核(cortical amygdala)、嗅内皮質(entorhinal cortex)などからなる[2]。個々の僧帽・房飾細胞は外側嗅索から多くの軸索分岐を伸ばして複数の皮質領域へと投射する。僧帽細胞は梨状皮質に多く出力するが、房飾細胞は嗅結節に多く出力する、という違いが見られる[2]。梨状皮質への投射においては嗅球上での位置関係は保たれていない。梨状皮質の個々の錐体細胞には複数の糸球体からの情報が入力されていることが知られている。

発生と再生

嗅神経細胞の嗅球への軸索投射は胎生後期から開始し、生後数日までには糸球体および嗅覚地図が完成する。嗅神経細胞の軸索投射においては、嗅覚受容体が種々の軸索ガイダンス分子細胞接着分子の遺伝子発現を制御し、軸索投射制御を行うというユニークな機構が知られている[2]。嗅神経細胞は生涯に亘って常時再生し続けており、30-120日で新しい嗅神経細胞に置き換わる。通常の再生時には嗅神経細胞は嗅球の正しい位置に接続するが、重篤なウイルス感染によって一度に多くの嗅神経細胞が死んでしまったり、嗅神経細胞軸索が物理的に切断された場合には正しい嗅覚地図が再現されないことが知られており、これが異臭症の一因と考えられている[2]。 僧帽・房飾細胞は出生直後には複数の樹状突起を複数の糸球体に伸ばしているが、生後数日までにシナプスの刈り込みを行い、最終的に単一の主樹状突起を単一の糸球体に接続し、同時に複数の側方樹状突起を形成する。僧帽細胞・房飾細胞は生後再生しない。一方、顆粒細胞と傍糸球体細胞は生後においても除去と新生が起こることが知られている[7]。これらは側脳室側壁に面した脳室下帯で産生され、吻側細胞移動経路(rostral migratory stream)を細胞移動して嗅球に到達する。中枢神経系において生後でも持続して神経新生が起こるのは脳室下帯と海馬歯状回だけである。

副嗅球

副嗅球は嗅球の後背側に位置し、鋤鼻器からの入力を受ける。鋤鼻器は揮発性のみならず、ペプチド性の化学物質も受容するという点が嗅上皮と異なる。こうしたリガンドはしばしばフェロモンとして作用することが知られていることから、鋤鼻受容体はしばしばフェロモン受容体とも呼ばれる。しかしながら、鋤鼻器は通常の匂い分子も一部受容しているし、主嗅覚系でもフェロモン分子を受容していることから、嗅上皮=匂い受容、鋤鼻器=フェロモン受容という図式は正確ではない。 鋤鼻器の鋤鼻神経細胞は、V1Rと呼ばれる受容体ファミリーと三量体Gタンパク質Gi2を発現する表層の神経細胞と、V2Rと呼ばれる受容体ファミリーとMHC H2-Mvファミリー、三量体Gタンパク質Goを発現する深層の神経細胞とからなるが、前者が副嗅球の吻側領域へ、後者が副嗅球の尾側領域へと投射する[8]。主嗅球の場合とは異なり、同一の鋤鼻受容体を発現する鋤鼻神経細胞の軸索は10以上もの糸球体に収斂する。主嗅球のマップのような内側・外側の鏡像対称性は存在しない。副嗅球では、個々の僧帽・房飾細胞は複数の樹状突起を複数の糸球体に伸ばしている。これらは必ずしも同種鋤鼻受容体の糸球体にのみ接続する訳ではなく、類似した異なる鋤鼻受容体の糸球体に接続する場合もある。従って、副嗅球においては、僧帽・房飾細胞のレベルで複数の受容体由来の情報が一部統合されていると考えられる[8]。 副嗅球の僧帽・房飾細胞は、扁桃体内側核(medial amygdala)や扁桃体後内側皮質核(posteromedial cortical amygdala)、分界条床核(bed nucleus of the stria terminalis)など、主嗅球の僧帽・房飾細胞とは異なる領域に投射している。 嗅覚系には主嗅覚系と副嗅覚系の他にもいくつかのサブシステムが存在する。主嗅上皮においてグアニル酸シクラーゼDを発現する嗅神経細胞は、副嗅球周辺を取り囲む複数の糸球体構造、ネックレス糸球体に投射する。この特殊な嗅神経細胞は二酸化炭素を検出するという報告や、グアニリン・ウログアニリンに応答するという報告がある。他に、鼻腔先端部に存在するグリューンベルク核(Grüneberg ganglion)に存在する嗅神経細胞もネックレス糸球体の一部に投射する。グリューンベルク核は警報フェロモンを検出するという報告や低温度環境に応答するといった報告があるが、まだ不明な点が多い。

  1. Mombaerts, P., Wang, F., Dulac, C., Chao, S.K., Nemes, A., Mendelsohn, M., ..., & Axel, R. (1996).
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  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 Mori, K., & Sakano, H. (2011).
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