符号化

2012年5月8日 (火) 19:40時点におけるTakashitsukiura (トーク | 投稿記録)による版

英語名:encoding

 符号化とは,記憶の基本的過程のひとつであり,情報を取り込んで記憶情報として保持されるまでの「憶える」過程のことを指す.記銘とも呼ばれる.符号化はすべてのタイプの記憶に共通の過程であるが,顕在的な記銘(意図的記銘)と潜在的な記銘(偶発的記銘)とがある.これまでの認知神経科学的研究から,特にエピソード記憶の記銘には,側頭葉内側面,前頭前野,頭頂葉などの領域が関与していることが知られている.


符号化の心理学的概要

 符号化(または記銘)は記憶の心理過程のひとつである.記憶は大きく分けて記銘・保持・想起の3つの過程から構成されていると考えられており,記銘は情報を取り込んで記憶情報として保持されるまでの「憶える」過程を指している.記銘は顕在的(記銘する意図がある:意図的記銘)にも潜在的(記銘する意図がない:偶発的記銘)にも起こるが,日常場面での記銘は,テスト勉強などの特殊な場合を除き,偶発的記銘が多い. これまでの実験心理学的研究では,意図的な記銘と偶発的な記銘とで異なった記憶成績が現れることが報告されている.たとえばEstesとPolitoの研究[1]では,意図的に記銘された場合と偶発的に記銘された場合とで記憶成績を比較し,再生で記憶が評価された場合には意図的に記銘された記憶の方が偶発的に記銘された記憶よりも成績が良かったが,再認で評価された場合には意図的な記銘と偶発的な記銘との間に成績の差はなかったことが示された.詳細な記憶をより正確に記憶するためには,意図的な記銘の方が重要なのかもしれない. 

 また,どのような操作をして情報を記銘したかによって,エピソード記憶の想起成績に違いが生じることも知られている.記銘時の操作の代表的なもののひとつとして,「処理水準(levels of processing)効果」がある.たとえばCraikとTulvingの研究[2]は,単語の形態的な処理,音韻的な処理,意味的な処理の3つの記銘方略を用いて単語を記銘した場合に,意味的な処理をして記銘した単語の記憶成績が最もよく,次いで音韻的記銘,そして形態的な処理をして単語を記銘した際の記憶成績が最も低下していたことを報告している.すなわち,単語の形態という表層的な処理をする場合は浅い処理であり,音韻的処理,意味的処理と進むにつれて,記銘する対象である単語に対してより処理が深くなり,その処理の深さが記憶の成績の向上と関連しているのである.他にも記銘時に行われた操作と記憶成績との関連については,さまざまな報告がなされている[3]. 

 以上のように,記銘時にどのような意図があったのか,記銘時にどのような処理がなされたのかによって,エピソード記憶の成績は影響を受けると言える.しかしながら,心理学的アプローチにおいては,記銘の影響は想起を介してのみ評価可能であるため,厳密に記銘と想起の過程を分離して論ずることは,方法論上難しい面があることも否定できない.


符号化の神経基盤

 エピソード記憶の記銘に関連する神経基盤の解明に関しては,近年の脳機能イメージング研究が果たした役割は大きい.脳機能イメージング研究が盛んになる以前は,脳損傷患者を対象とした神経心理学的研究が,エピソード記憶の神経基盤の解明の主な手段であったが,記憶の障害は想起させることによって初めて観察可能なものであるため,その障害が記憶の「記銘」における問題か,「想起」における問題かを分離することは,孤立性逆向性健忘などの特殊な症状をもつ症例を除いて,方法論上困難であった.しかし,脳機能イメージングを用いた研究の場合,「記銘」の過程と「想起」の過程を分離して検証することは比較的容易であるため,従来の脳損傷患者を対象とした研究では難しかった「記銘」に関連する神経基盤の検証が進められてきている. 

 エピソード記憶の記銘に関連する神経活動を検証するために,最近の脳機能イメージング研究では,SM(subsequent memory)パラダイム[4]を用いた方法が多く採用されている.このパラダイムでは,記銘時の実験条件を後の想起が成功したか(subsequently remembered),失敗したか(subsequently forgotten)によって分類し,後の想起が失敗した記銘時の試行よりも,後の想起が成功した記銘時の試行において有意に活動が増加した(difference in memory effect:Dm効果)脳領域を求めることによって,記銘の成功(successful encoding)に関連する神経活動のパターンを同定することができる.したがって,この方法を用いる場合は実験参加者個人の行動データをもとにして試行ごとに条件を設定する必要があるため,事象関連デザインを用いたfMRI実験を用いる必要がある,しかし,実験条件ごとの課題の困難さの違いなどの副次的な要因の影響を受けにくいため,より「純粋な」記銘に関連する神経活動のパターンを同定することが可能になる. 

 エピソード記憶の記銘過程に重要な脳領域のひとつは,海馬・海馬傍回を含む側頭葉内側面領域である.近年の脳機能イメージング研究では,エピソード記憶の記銘において,側頭葉内側面に含まれるいくつかの領域が異なった役割を担っていることが示唆されている[5].すなわち,記銘時の前方の海馬傍回の活動は後の想起時のFamiliarityの過程を反映し,海馬と後方の海馬傍回の活動は後の想起時のRecollectionの過程に関連するとされる.さらに,想起時のRecollectionに関連する海馬と後方の海馬傍回の記銘時の活動の間にも異なった役割があり,後方の海馬傍回はエピソード記憶の文脈情報の処理に関与する一方,海馬はエピソード記憶の文脈と前方の海馬傍回で処理されるエピソード記憶の項目とを連合する役割を担っているようである.エピソード記憶の記銘におけるこのような側頭葉内側面領域での機能解離に関しては,現在も盛んに研究が進められている. 

 エピソード記憶の記銘過程に関連する他の脳領域として,先行研究では前頭前野,特に左下前頭回が重要な役割を果たしていることを示している.たとえば,WagnerらによるfMRI研究[6]は,後の想起が成功した単語を記銘している際に,後の想起が失敗した単語を記銘している際と比較して,有意に左下前頭回の活動が増加することを報告している.この左下前頭前野の活動は意味記憶の想起時にもよく認められていることから[7],エピソード記憶の記銘と意味記憶の想起は同時に起こっており,前述した「処理水準効果」の基盤となっていると考えられている. 

 エピソード記憶の記銘過程に重要なもう一つの脳領域として,近年の脳機能イメージング研究では,後方の外側頭頂葉と内側頭頂葉(楔前部,後部帯状回,脳梁膨大部後方領域)の関与を指摘している.たとえばDaselaarらによるfMRI研究[8]は,エピソード記憶の記銘に関連した外側頭頂葉や内側頭頂葉の活動はベースラインの活動よりも低下し,さらに後の想起が成功した記銘時の試行と後の想起が失敗した記銘時の試行とで比較すると,後の想起の成功に関連する試行において活動の低下は顕著であったことを報告している.なぜエピソード記憶の記銘に関連してこのような活動パターンが頭頂葉で認められるのかについては未だ明らかではなく,今後のさらなる研究が必要である.


関連項目


参考文献

  1. Estes, W.K., & Da Polito, F. (1967).
    Independent variation of information storage and retrieval processes in paired-associate learning. Journal of experimental psychology, 75(1), 18-26. [PubMed:6065833] [WorldCat] [DOI]
  2. Craik, Tulving
    Depth of processing and retention of words in episodic memory
    J Exp Psychol Gen: 1975, 104; 268-94
  3. 豊田弘司
    長期記憶Ⅰ 情報の獲得
    認知心理学2 記憶: 1995; 101-116
  4. Paller, K.A., & Wagner, A.D. (2002).
    Observing the transformation of experience into memory. Trends in cognitive sciences, 6(2), 93-102. [PubMed:15866193] [WorldCat]
  5. Diana, R.A., Yonelinas, A.P., & Ranganath, C. (2007).
    Imaging recollection and familiarity in the medial temporal lobe: a three-component model. Trends in cognitive sciences, 11(9), 379-86. [PubMed:17707683] [WorldCat] [DOI]
  6. Wagner, A.D., Schacter, D.L., Rotte, M., Koutstaal, W., Maril, A., Dale, A.M., ..., & Buckner, R.L. (1998).
    Building memories: remembering and forgetting of verbal experiences as predicted by brain activity. Science (New York, N.Y.), 281(5380), 1188-91. [PubMed:9712582] [WorldCat] [DOI]
  7. Cabeza, R., & Nyberg, L. (2000).
    Imaging cognition II: An empirical review of 275 PET and fMRI studies. Journal of cognitive neuroscience, 12(1), 1-47. [PubMed:10769304] [WorldCat]
  8. Daselaar, S.M., Prince, S.E., & Cabeza, R. (2004).
    When less means more: deactivations during encoding that predict subsequent memory. NeuroImage, 23(3), 921-7. [PubMed:15528092] [WorldCat] [DOI]


(執筆者:月浦 崇,担当編集委員:定藤 規弘)