ネプリライシン
岩田 修永
長崎大学 大学院医歯薬学総合研究科
城谷 圭朗
福島県立医科大学 医学部 医学科
浅井 将
長崎大学 大学院医歯薬学総合研究科
DOI:10.14931/bsd.3557 原稿受付日:2013年3月27日 原稿完成日:2013年8月12日
担当編集委員:林 康紀(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
英語名: Neprilysin、英略語: NEP
同義語: エンケファリナーゼ、中性エンドペプチダーゼ24.11、CD10、membrane metallo-endopeptidase、common acute lymphoblastic leukemia antigen (CALLA、急性リンパ性白血病共通抗原)
ネプリライシンとは
ネプリライシンは活性部位が存在するカルボキシル末端側は管腔側/細胞外に配向するⅡ型の膜貫通型ペプチダーゼである。活性中心にZn結合モチ−フ(HEXXH配列)を有することから、メタロペプチダ−ゼに分類される[1][2]。プロテアーゼのM13ファミリーのMA(E)クランに分類される。脊椎動物に広く分類し、バクテリア由来のサーモライシンと高い相同性を示す[1][2]。
構造
全長は750のアミノ酸残基で構成されるが、プロセッシングにより通常1番目のメチオニンは取り除かれている[5]。細胞内ドメインは27アミノ酸残基と短く、リン酸化部位が認められるが、その生理的役割は不明である。一方、細胞外ドメインには4つのN型糖鎖結合部位があり、これらの糖鎖を欠失させると酵素活性が低下する[2]。
サブファミリー
ネプリライシンの遺伝子転写産物は選択的スプライシングによって数種類のタイプがあり、神経細胞に特異的な遺伝子転写産物が存在する [6][7][8]。しかし、このスプライスバリアントの構造的な違いは、5’側の非翻訳領域にあるため、翻訳後のアミノ酸配列の一次構造には影響を与えない。
相同性の高いタンパク質としては、ネプリライシン様ペプチダーゼ(NEPLP, neprilysin-like peptidase, Membrane metallo-endopeptidase-like, Neprilysin-2)がある[9][10]。NEPLPにはスプライスバリアント(α、β、γ)があり、ネプリライシンとのアミノ酸配列の相同性はそれぞれ53.5、54.8、51.3%(ヒトの場合)であるが、ネプリライシンに比較するとAβ分解活性が著しく低い[10]。
発現
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組織分布
ネプリライシンは体内で広く分布しているが、特に腎臓の刷子縁膜、小腸、胎盤、免疫系の細網細胞、精巣および卵巣に高発現している[1][2][3]。脳では尾状核被殻、脈絡叢、淡蒼球、黒質、嗅結節、海馬歯状回分子層およびアンモン角網状分子層に強い発現が見られる[11]。新皮質ではⅡ・ⅢおよびV層に、嗅内野のような旧皮質ではIおよびⅢ層に豊富に存在し、層間で異なる局在性を示す。
細胞内分布
貫通線維束、Schaffer側枝、反回側枝など海馬体の主要神経回路を構成する神経線維の終末部位(シナプス前部)に存在している[11]。ネプリライシンは膜タンパク質であり、タンパク合成後、分泌小胞に乗り、軸索を通してシナプス終末に運ばれるので、上述のような神経回路をつなぐシナプス間隙でAβを分解していると考えられている。
機能
基質特異性
ネプリライシンは一般に5kDa以下のペプチド(アミノ酸としては40残基ほど)に作用して、ペプチド内部の疎水性アミノ酸残基のアミノ末端側でペプチド結合の切断を行う。酵素反応の至適pHが中性(やや弱酸性のpH 6.0)であることが、中性エンドペプチダーゼの由来となっている。
特異的阻害剤として、チオルファン(thiorphan)がある[1][2]。
酵素化学的基質にはエンケファリン、ニューロペプチドY、ソマトスタチン、心房性ナトリウム利尿ペプチド、ブラジキニンおよびタキキニン類(サブスタンスPなど)のような神経ペプチドが知られている(図)[1][2][3][12]。
また、アルツハイマー病の発症に中核的役割を果たすアミロイドβペプチド(Aβ)の分解に関与する脳内主要酵素である [3][4][13][14]。Aβについては単量体Aβだけでなく、より神経毒性が強いオリゴマー型Aβも分解することができる唯一のペプチダーゼである[15]。従って、プレシナプスに局在するネプリライシンの活性を増強してやれば、オリゴマー型Aβによる毒性からシナプスを保護できることを意味する。
遺伝子欠損マウスの表現型と生理的役割
遺伝子欠損マウスは生存可能で、繁殖能力も見掛け上正常であるが、末梢組織では幾つかの表現型を呈する。
たとえば、エンドトキシン[注 1])ショックによる感受性[16]や低酸素負荷による換気応答[17]が著しく増大している。消化管では血管透過性が2〜3倍亢進しているが、これはリコンビナントのネプリライシンやブラジキニンまたはサブスタンスPの受容体アンタゴニストの投与によって回避される[18]。
また、遺伝子欠損マウスでは心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)の分解が抑制されるため、血圧が20%程度低下している[18]。しかし、慢性的低酸素負荷を与えると、野生型マウスに比較して、肺動脈の血管平滑筋細胞が異常増殖するため、肺組織内は高血圧状態になることが示されている[19]。サブスタンスP誘発アレルギー性接触皮膚炎[20]やブラジキニン誘発痛覚過敏[21]に対する感受性の亢進も観察されることから、ネプリライシンは末梢組織でブラジキニン、サブスタンスPやANPに作用して炎症反応や血圧の調節に携わると考えられている。
また、カルシトニンに作用して、カルシウム濃度の恒常性維持にも関与する。後述のように、骨芽細胞のネプリライシンはカルシトニンで発現が誘導されることも知られている。
一方、大脳皮質・海馬ではネプリライシンがどのような内因性基質の代謝に関わり、どのような機能を調節するかについては、阻害剤を用いた実験のみで、欠損マウスを用いた解析は行われていないので、厳密な意味で脳における役割はほとんど判っていない。ネプリライシンは元々エンケファリンを分解するエンケファリナ-ゼとして同定されたペプチダ−ゼであるが、欠損マウス脳ではエンケファリン量は大脳皮質、脳幹のどちらにおいてもほとんど変化していない[22]。従って、エンケファリンの分解にはネプリライシンの欠損または活性低下を補償する別の分解経路が存在すると考えられている。
しかし、Aβの分解に関しては補償的分解経路が十分でないために、ネプリライシン活性が低下しただけで脳内Aβ濃度が上昇する。前脳特異的に発現するように遺伝子操作したネプリライシントランスジェニックマウスでは脳内のニューロペプチドYレベルが顕著に低下することが明らかにされている[23]。この研究では、ネプリライシンによって限定分解を受けたニューロペプチドYのカルボキシル末端フラグメント(NPY-CTF: NPY21-36またはNPY 31-36)が神経保護作用をもつことが示されている。しかし、ネプリライシン欠損マウス脳ではNPY-CTF 量は減少しているがNPY量はほとんど変化していないので、ニューロペプチドYの場合にも脳内で分解を補償する系が十分に機能していると考えられる。
アルツハイマー病との関係
加齢に伴う発現レベルの変化
正常老化脳で観察されるAβ蓄積やアルツハイマー病のアミロイド病態の進行と脳内のネプリライシンレベルの低下を関連づける結果が繰り返し報告されている。正常マウス(C57BL/6)やアルツハイマー病のマウスの大脳皮質や海馬で加齢と共に発現レベルが顕著に低下する[24]。最近では、ヒトの場合にも同様な低下が起こるが明らかにされ、ネプリライシンレベルの低下と不溶性画分のAβ42レベルが逆相関することが示されている[25]。
アルツハイマー病脳での発現レベル
アルツハイマー病脳におけるネプリライシンレベルの低下については、独立した複数の研究グループで一致した結果が報告されている[2][26][27][28][29][30]。アルツハイマー病の前段階(Braak stage II(脚注2))の海馬および側頭葉で、ネプリライシンの発現量およびタンパク量が50%近く低下していることが知られている[28][29]。アミロイド病理に抵抗性を示す小脳ではネプリライシンの発現量は海馬や側頭葉に比較して高く、ネプリライシンの発現低下も認められない。アミロイド病理が進んだ剖検脳(Braak stage V)ではネプリライシンレベル低下はさらに強まって、対照群の70%まで激減することが示されている[30]。
一方、脳血管にアミロイドが蓄積するアミロイドアンギオパチーにおいても、ネプリライシンの発現低下で病理形成を説明する報告もある[31][32]。
脚注2: Braak stage[33]:アルツハイマー病病理の進行度を示す尺度の一つで、神経原線維変化の進行ステージ。最初に移行嗅内皮質から病変が出現し、辺縁系、新皮質へと広がる。Ⅰ:移行嗅内皮質、Ⅱ:嗅内皮質に進展、Ⅲ: 海馬に進展、Ⅳ: 海馬に多量に出現+新皮質に進展、V:新皮質連合野に多数出現、Ⅵ: 新皮質一次野に多数出現の6段階に分けられる。Ⅰ~Ⅱ:移行嗅内皮質ステージ、Ⅲ~Ⅳ:辺縁系ステージ、V~Ⅵ:新皮質ステージに大別され、各々、認知機能正常,軽度認知障害、認知症に対応する。
ネプリライシン活性の調節
ネプリライシンの発現は様々な組織で認められるが、その発現制御は組織または細胞特異的である。線維芽細胞、好中球、骨芽細胞や骨髄細胞などの末梢系の細胞では、サブスタンスP、オピオイドやカルシトニンによって、ネプリライシンレベルが上昇する[34][35][36][37]。
脳内においてはネプリライシンの発現を制御する神経細胞特異的な因子としてソマトスタチンが同定されている[3][4][38][39]。 脳内ソマトスタチンレベルもアルツハイマー病脳で低下することが古くから知られ、[3][4][38][39]、最近の研究ではヒトや霊長類の脳では加齢と共に低下(ヒトの場合は40歳以降から低下)することが明らかになっている[40]。このように、加齢に伴うソマトスタチンの低下がネプリライシンの活性減弱を通してAβ量を上昇させると考えられ、ソマトスタチン量やネプリライシン活性の低下速度の個人差が、アルツハイマー病の発症の有無や発症年齢を決定するという仮説が提唱されている[3][4]。
ネプリライシン遺伝子を利用したアルツハイマー病の遺伝子治療
加齢脳やアルツハイマー病脳で低下したネプリライシン活性を補うことで、脳内に蓄積していくAβを分解・除去できるとして、ネプリライシン遺伝子を脳内に導入する遺伝子治療実験がモデルマウスで試みられている[41][42][43] 。中枢神経系の遺伝子治療では、定位脳手術によりウイルスベクターを脳の実質に直接注入する必要があったが、最近では遺伝子工学技術の進歩により、末梢血から投与して脳の神経細胞にだけ遺伝子発現を行う遺伝子治療用のウイルスベクターが開発されており、これによりモデルマウス脳内のアミロイド蓄積を回避し、障害を受けた認知機能が回復することが報告されている。
がんとの関連
別名、急性リンパ性白血病共通抗原(CALLA)としても知られているように、白血病小児の特定のリンパ球の細胞表面に一過性に過剰発現するため、診断マーカーとしても用いられている[1][2]。また、血液系以外にも、前立腺、子宮内膜、腎臓および肺などのがんの進行にも関与している。特に注目されているのは前立腺がんで、ネプリライシンの発現レベルの低下により、ボンベシンなどの細胞増殖作用を持つペプチドの分解低下を通してアンドロゲン非依存的にがんの進行に関わるとされている。実際、in vitroで前立腺がん細胞にネプリライシン遺伝子を過剰発現させると腫瘍の増殖が抑制されることが示されている。
脚注
関連項目
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