「脳弓下器官」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目: 6行目:
</div>
</div>


英語名:subfornical organ 英略:SFO
英語名:subfornical organ 羅:organum subfornicale 仏:organe subfornical 英略:SFO


同義語:ganglion psalterii, intercolumnar tubercle
同義語:ganglion psalterii, intercolumnar tubercle


{{box|text=
{{box|text=
 脳弓下器官は[[第三脳室]]前壁に位置する[[脳神経]]核であり、体液([[wikipedia:ja:血液|血液]]及び[[脳脊髄液]])に含まれる[[wikipedia:ja:イオン|イオン]]の濃度を監視するとともに、末梢器官由来の[[wikipedia:ja:ホルモン|ホルモン]]を検出することにより、[[wikipedia:ja:体液恒常性|体液恒常性]]を制御する中枢と考えられている。[[血液脳関門]](血液と脳及び脊髄の組織液との間の物質交換を制限する機構)が無い脳室周囲器官(circumventricular organs: CVOs)と呼ばれる神経組織群に属する。脳室周囲器官の中でニューロンの[[細胞体]]が存在する脳弓下器官、[[終板脈管器官]](organum vasculosum laminae terminalis: OVLT)、[[最後野]](area postrema: AP)を特に[[感覚性脳室周囲器官]](sensory circumventricular organs: sCVOs)と総称することもある<ref name=ref1><pubmed>12901335</pubmed></ref>。
 脳弓下器官は[[第三脳室]]前壁に位置する[[脳神経]]核であり、体液([[wj:血液|血液]]及び[[脳脊髄液]])に含まれる[[wj:イオン|イオン]]の濃度を監視するとともに、末梢器官由来の[[wj:ホルモン|ホルモン]]を検出することにより、[[wj:体液恒常性|体液恒常性]]を制御する中枢と考えられている。[[血液脳関門]](血液と脳及び脊髄の組織液との間の物質交換を制限する機構)が無い[[脳室周囲器官]](circumventricular organs, CVOs)と呼ばれる神経組織群に属する。脳室周囲器官の中でニューロンの[[細胞体]]が存在する脳弓下器官、[[終板脈管器官]](organum vasculosum laminae terminalis, OVLT)、[[最後野]](area postrema, AP)を特に[[感覚性脳室周囲器官]](sensory circumventricular organs, sCVOs)と総称することもある<ref name=ref1><pubmed>12901335</pubmed></ref>。
}}
}}


== 位置と構造及び機能 ==
==解剖==
===位置・構造===
 第三脳室の吻側背側に[[海馬交連]]が形成する壁面上の正中部に位置し、大半が[[脳室]]側に突出している。この位置は脳脊髄液が[[側脳室]]から第三脳室に向かって流れる[[室間孔]]に近い。脳弓下器官には、[[前大脳動脈]]から分岐して[[脈絡叢]]に通じる動脈から血管が分岐し、内部で毛細血管網を形成している。血管の一部は小孔を有する[[有窓毛細血管]](fenestrated capillary)である。小孔を通じて各種イオンや血中[[ペプチド]]が脳弓下器官内に拡散すると考えられる。また、脳弓下器官を構成する細胞には、様々なセンサー分子やペプチド[[受容体]]が発現している。こうした構造的特徴から、脳脊髄液と血液の両方の状態をモニターし、その情報に基づき水分/塩分摂取行動と[[抗利尿ホルモン]]の分泌を制御することによって体液恒常性を維持している神経中枢である。また、[[レニン]]・[[アンジオテンシン]]系の作用による血圧調節の中枢としても機能すると考えられている。


 第三脳室の吻側背側に[[海馬交連]]が形成する壁面上の正中部に位置し、大半が[[脳室]]側に突出している。この位置は脳脊髄液が[[側脳室]]から第三脳室に向かって流れる[[室間孔]]に近い。脳弓下器官には、[[前大脳動脈]]から分岐して[[脈絡叢]]に通じる動脈から血管が分岐し、内部で毛細血管網を形成している。血管の一部は小孔を有する[[有窓毛細血管]](fenestrated capillary)である。この小孔を通じて各種イオンや血中[[ペプチド]]が脳弓下器官内に拡散すると考えられる。また、脳弓下器官を構成する細胞には、様々なセンサー分子やペプチド[[受容体]]が発現している。こうした構造的特徴から、脳脊髄液と血液の両方の状態をモニターし、その情報に基づき水分/塩分摂取行動と[[抗利尿ホルモン]]の分泌を制御することによって体液恒常性を維持している神経中枢である。また、[[レニン・アンジオテンシン]]系の作用による血圧調節の中枢としても機能すると考えられている。
=== 神経結合 ===
 
====出力====
== 神経結合 ==
 脳弓下器官からの遠心性の神経投射先には、体液恒常性に関与していると考えられている[[正中視索前核]](median preoptic nucleus, MnPO)や[[終板脈管器官]](OVLT)への神経連絡がある。また、[[分界条床核]](bed nucleus of stria terminalis, BST)や[[扁桃体]](amygdala)などの[[辺縁系]]、[[抗利尿ホルモン]]である[[バソプレッシン]]の分泌制御に関わっている[[視床下部]]の[[室傍核]](paraventricular nucleus, PVN)、[[視索上核]](supraoptic nucleus, SON)に神経投射がある<ref name=ref1 />。さらに、室傍核を介して血圧調節の中枢である[[延髄吻側腹外側部]](rostal ventrolateral medulla, RVLM)の制御に関わっていると考えられている<ref name=ref2><pubmed>17519130</pubmed></ref>。
 
 脳弓下器官からの遠心性の神経投射先には、同じく体液恒常性に関与していると考えられている[[正中視索前核]](median preoptic nucleus: MnPO)や[[終板脈管器官]](OVLT)への神経連絡がある。また、[[分界条床核]](bed nucleus of stria terminalis: BST)や[[扁桃体]](amygdala)などの[[辺縁系]]、抗利尿ホルモンである[[バソプレッシン]]の分泌制御に関わっている[[視床下部]]の[[室傍核]](paraventricular nucleus: PVN)、[[視索上核]](supraoptic nucleus: SON)に神経投射がある<ref name=ref1 />。さらに、室傍核を介して血圧調節の中枢である[[延髄吻側腹外側部]](rostal ventrolateral medulla: RVLM)の制御に関わっていると考えられている<ref name=ref2><pubmed>17519130</pubmed></ref>。


 一方、塩分や水分の摂取行動の制御に関わる神経経路についての詳細は明らかになっていない。
 一方、塩分や水分の摂取行動の制御に関わる神経経路についての詳細は明らかになっていない。


 脳弓下器官から遠心性の投射を受けている正中視索前核、終板脈管器官、分界条床核、室傍核などは、逆に脳弓下器官に対する神経投射をしており、双方向に神経連絡を有する。その他、脳弓下器官に入力する求心性線維を投射する神経核として、[[ストレス反応]]に関わる[[青斑核]]([[locus coeruleus]]: LC)、[[迷走神経]]や[[舌因神経]]からの情報を受け取る弧束核(nucleus tractus solitarius: NTS)が知られている<ref name=ref1 />。
====入力====
 脳弓下器官から遠心性の投射を受けている正中視索前核、終板脈管器官、分界条床核、室傍核などは、逆に脳弓下器官に対する神経投射をしており、双方向に神経連絡を有する。その他、脳弓下器官に入力する求心性線維を投射する神経核として、[[ストレス反応]]に関わる[[青斑核]]([[locus coeruleus]], LC)、[[迷走神経]]や[[舌因神経]]からの情報を受け取る[[弧束核]](nucleus tractus solitarius, NTS)が知られている<ref name=ref1 />。


== 発現するセンサー分子及び受容体 ==
==機能==
=== 発現するセンサー分子及び受容体 ===


 脳弓下器官に発現するセンサータンパク質としては、体液[[ナトリウムセンサー]][[Nax]]<ref name=ref3><pubmed>11027237</pubmed></ref>、[[カルシウムセンサー]][[CaR]]<ref name=ref4><pubmed>9030412</pubmed></ref>、浸透圧の感知に関与するとされる[[TRPV4]]チャンネル<ref name=ref5><pubmed>11081638</pubmed></ref>や[[水チャンネル]]の[[AQP-4]]<ref name=ref6><pubmed>9548213</pubmed></ref>が報告されている。ペプチド受容体としては、[[アンジオテンシンII]]受容体<ref name=ref7><pubmed>1577995</pubmed></ref>、[[アミリン]]受容体<ref name=ref8><pubmed>14715154</pubmed></ref>、[[カルシトニン]]受容体<ref name=ref9><pubmed>6320949</pubmed></ref>、[[ナトリウム利尿ペプチド]]受容体<ref name=ref10><pubmed>2852316</pubmed></ref>、[[エストロゲン]]受容体α<ref name=ref11><pubmed>10098943</pubmed></ref>、[[糖質コルチコイド]]受容体<ref name=ref12><pubmed>9582428</pubmed></ref>などの発現が報告されてきたが、さらに、近年のマイクロアレイ実験から[[エンドセリン]]や[[アディポネクチン]]、[[アペリン]]、[[エンドカンナビノイド]]、[[レプチン]]、[[プロラクチン]]、[[甲状腺ホルモン]]の受容体の発現が、他の脳領域に比べて脳弓下器官に多いと報告されている<ref name=ref13><pubmed>18832082</pubmed></ref>。
 脳弓下器官に発現するセンサータンパク質としては、体液[[ナトリウムセンサー]][[Nax]]<ref name=ref3><pubmed>11027237</pubmed></ref>、[[カルシウムセンサー]][[CaR]]<ref name=ref4><pubmed>9030412</pubmed></ref>、浸透圧の感知に関与するとされる[[TRPV4]]チャンネル<ref name=ref5><pubmed>11081638</pubmed></ref>や[[水チャンネル]]の[[AQP-4]]<ref name=ref6><pubmed>9548213</pubmed></ref>が報告されている。ペプチド受容体としては、[[アンジオテンシンII]]受容体<ref name=ref7><pubmed>1577995</pubmed></ref>、[[アミリン]]受容体<ref name=ref8><pubmed>14715154</pubmed></ref>、[[カルシトニン]]受容体<ref name=ref9><pubmed>6320949</pubmed></ref>、[[ナトリウム利尿ペプチド]]受容体<ref name=ref10><pubmed>2852316</pubmed></ref>、[[エストロゲン]]受容体α<ref name=ref11><pubmed>10098943</pubmed></ref>、[[糖質コルチコイド]]受容体<ref name=ref12><pubmed>9582428</pubmed></ref>などの発現が報告されてきたが、さらに、近年のマイクロアレイ実験から[[エンドセリン]]や[[アディポネクチン]]、[[アペリン]]、[[エンドカンナビノイド]]、[[レプチン]]、[[プロラクチン]]、[[甲状腺ホルモン]]の受容体の発現が、他の脳領域に比べて脳弓下器官に多いと報告されている<ref name=ref13><pubmed>18832082</pubmed></ref>。


== 体液ナトリウムレベル感知機構 ==
=== 体液ナトリウムレベル感知機構 ===


 センサー分子の中で、生理機能が最もよくわかっているのはNaxである。Naxは[[電位依存性ナトリウムチャンネル]]と構造的に近いが電位感受性を示さないチャンネル分子である<ref name=ref14><pubmed>17350991</pubmed></ref>。細胞外のナトリウムレベルが平常レベルから上昇したことに応答して開口する<ref name=ref15><pubmed>11992118</pubmed></ref>。脳弓下器官においては[[エンドセリン3]]([[ET-3]])が発現しており、[[ETBR受容体|ET<sub>B</sub>R受容体]]を介した信号伝達によりNaxのナトリウム濃度感受性を高めている<ref name=ref16><pubmed>23541371</pubmed></ref>。さらに脱水時には、このET-3の発現が上昇することがわかっている<ref name=ref16 />。
 センサー分子の中で、生理機能が最もよくわかっているのはNaxである。Naxは[[電位依存性ナトリウムチャンネル]]と構造的に近いが電位感受性を示さないチャンネル分子である<ref name=ref14><pubmed>17350991</pubmed></ref>。細胞外のナトリウムレベルが平常レベルから上昇したことに応答して開口する<ref name=ref15><pubmed>11992118</pubmed></ref>。脳弓下器官においては[[エンドセリン3]]([[ET-3]])が発現しており、[[ETBR受容体|ET<sub>B</sub>R受容体]]を介した信号伝達によりNaxのナトリウム濃度感受性を高めている<ref name=ref16><pubmed>23541371</pubmed></ref>。さらに脱水時には、このET-3の発現が上昇することがわかっている<ref name=ref16 />。


 脳弓下器官の[[グリア細胞]]([[アストロサイト]]及び[[上衣細胞]])の多くは、膜状突起を伸ばして神経細胞を取り巻いているが、Naxは、主にその突起部に発現している<ref name=ref17><pubmed>16223844</pubmed></ref>。長時間の絶水により体液(血液や脳脊髄液)のナトリウムレベルが通常レベルよりも上昇すると、Naxが開口してナトリウムイオンが流入し、[[Na/Kポンプ]]([[Na+/K+-ATPase|Na<sup>+</sup>/K<sup>+</sup>-ATPase]])が活性化される。これに伴い、[[wikipedia:ja:嫌気的糖代謝活性|嫌気的糖代謝活性]]が上昇し、最終代謝産物である[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]が細胞外に放出される。この乳酸がグリア―ニューロン間の[[伝達物質]]として機能し、[[GABA]]ニューロンの発火活動が亢進することが確認されている<ref name=ref18><pubmed>17408578</pubmed></ref>。
 脳弓下器官の[[グリア細胞]]([[アストロサイト]]及び[[上衣細胞]])の多くは、膜状突起を伸ばして神経細胞を取り巻いているが、Naxは、主にその突起部に発現している<ref name=ref17><pubmed>16223844</pubmed></ref>。長時間の絶水により体液(血液や脳脊髄液)のナトリウムレベルが通常レベルよりも上昇すると、Naxが開口してナトリウムイオンが流入し、[[Na+/K+ポンプ|Na<sup>+</sup>/K<sup>+</sup>ポンプ]]([[Na+/K+-ATPase|Na<sup>+</sup>/K<sup>+</sup>-ATPase]])が活性化される。これに伴い、[[wj:嫌気的糖代謝活性|嫌気的糖代謝活性]]が上昇し、最終代謝産物である[[wj:乳酸|乳酸]]が細胞外に放出される。この乳酸がグリア―ニューロン間の[[伝達物質]]として機能し、[[GABA]]ニューロンの発火活動が亢進することが確認されている<ref name=ref18><pubmed>17408578</pubmed></ref>。


== 脳弓下器官と疾患 ==
==疾患との関わり==


 血中ナトリウムレベルが持続的に高い症状を示す、[[wikipedia:ja:本態性高ナトリウム血症|本態性高ナトリウム血症]]の一部の患者の体内において、Naxに対する[[wikipedia:ja:自己抗体|自己抗体]]の産生が報告された。Naxを発現している上衣細胞やアストロサイトは脳弓下器官の神経細胞を保護する役目も果たしており、[[wikipedia:ja:補体|補体]]活性化によるNax陽性グリア細胞の損傷によって抗利尿ホルモンの分泌を制御する神経の活動制御に異常を来たしたものと考えられた<ref name=ref19><pubmed>20510856</pubmed></ref>。この患者では、脱水時の抗利尿ホルモンの分泌応答がなく、口渇感も欠損していた。
 血中ナトリウムレベルが持続的に高い症状を示す、[[wj:本態性高ナトリウム血症|本態性高ナトリウム血症]]の一部の患者の体内において、Naxに対する[[wj:自己抗体|自己抗体]]の産生が報告された。Naxを発現している上衣細胞やアストロサイトは脳弓下器官の神経細胞を保護する役目も果たしており、[[wj:補体|補体]]活性化によるNax陽性グリア細胞の損傷によって抗利尿ホルモンの分泌を制御する神経の活動制御に異常を来たしたものと考えられた<ref name=ref19><pubmed>20510856</pubmed></ref>。この患者では、脱水時の抗利尿ホルモンの分泌応答がなく、口渇感も欠損していた。


 脳弓下器官を含む脳室周囲器官は、[[血液脳関門]]を欠くことから血中の病原物質に対して脆弱であり、脳への入り口となり得る。近年、[[wikipedia:ja:敗血症|敗血症]]、[[wikipedia:ja:自己免疫性脳炎|自己免疫性脳炎]]、[[wikipedia:ja:全身性アミロイドーシス|全身性アミロイドーシス]]、[[プリオン]]感染等、幅広い疾患に関与する可能性が指摘されている<ref name=ref20><pubmed>20830478</pubmed></ref>。
 脳弓下器官を含む脳室周囲器官は、[[血液脳関門]]を欠くことから血中の病原物質に対して脆弱であり、脳への入り口となり得る。近年、[[wj:敗血症|敗血症]]、[[wj:自己免疫性脳炎|自己免疫性脳炎]]、[[wj:全身性アミロイドーシス|全身性アミロイドーシス]]、[[プリオン]]感染等、幅広い疾患に関与する可能性が指摘されている<ref name=ref20><pubmed>20830478</pubmed></ref>。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==