無意識

提供:脳科学辞典
2013年6月27日 (木) 16:44時点におけるTfuruya (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「<div align="right"> <font size="+1">[http://www.fennel.rcast.u-tokyo.ac.jp/profilej_kw.html 渡邊 克巳]</font><br> ''東京大学 先端科学技術研究センタ...」)

(差分) ← 古い版 | 承認済み版 (差分) | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

渡邊 克巳
東京大学 先端科学技術研究センター 認知科学分野
DOI XXXX/XXXX 原稿受付日:2013年6月27日 原稿完成日:2013年XX月XX日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構 生理学研究所 大脳皮質機能研究系)

英:unconscious, subconscious 独: Unterbewusstsein

 心的あるいは脳内での過程・状態・関係性などが意識にのぼらない状態あるいは過程。意識の定義あるいは観察者の視点・観察方法によって、その意味するものは変わってくる。

概念

 心理学・脳科学における現在の一般的な用法としては、無意識とは志向的な表現が可能であるにも関わらず一人称的主観として体験されない事態のことを指す。すなわち、失神状態のような心身状態の喪失ではなく、心的(あるいは脳内)で志向性のある何らかの過程があると想定できるにも関わらず、その一部あるいは全部が意識の流れ[1]として体験されない事態を意味する。無意識がどのような事態を意味するのかは、覚醒(arousal,vigilance)・気付き(awareness)・自己意識(self-consciousness)など、どのレベルの意識を想定するかによって変わるために、学術的記述においても概念および用法は流動的である。無意識は単一の過程・現象と考えるよりは、複数の現象群に対して与えられた名称と捉えた方が良いだろう。また、意識と無意識の境界はどこにあるのか、意識的過程と無意識的過程はどのような関係にあるのかなどに関しては、まだ議論の余地が多く残されている。

歴史的変遷

 無意識・潜在意識(あるいは類似)の概念は古来からあったものの、学術的かつ日常的な単語として一般的に広がる一つのきっかけなったのは、Freudであると言われている[2]。自分の行動・認知・思考が自分の知り得ない過程によって影響を受けているという考え方は、あらゆる学問分野に影響を与えた。心理学・行動科学においては、WatsonやSkinnerらの行動主義心理学が心的過程を観測不能なものとし、特に主観的意識を研究の射程から積極的に排除することを目指したが[3]、それに対する部分的な批判としての情報処理心理学・認知心理学[4]の台頭は、再び心的過程(意識)を研究の対象とすることを可能にし、必然的に無意識も研究の俎上にのせられることとなった。

無意識と観察者

 無意識の過程が観察できるという状況が成立するためには、観察者が無意識過程とはある程度切り離された関係にあることが条件となっている。従って基本的に、無意識過程の研究はメタ認知の研究でもある。そのために、無意識は記憶(観察者が時間的にずれたところにいる)やコントロール(目的と行動の一致・不一致)といった概念と結びついて研究されることが多い。

無意識と記憶

 フロイトにさかのぼるまでもなく、無意識の研究は記憶の研究と深い関わりを持っており、無意識的記憶とメタ認知との多重的な関係を見て取ることができる。記憶のモデルとして「記銘→保持→想起」を想定した場合、「記銘したのは覚えているが内容が思い出せない」「内容は思い出せるがどこで記銘したのか思い出せない」「記銘したことも保持している事も明らかであるが想起できない」など、無意識的記憶あるいは潜在的記憶と呼ぶことができる状況が多岐にわたることが見てとれる。

無意識とコントロール

 無意識を議論する際には、意思による操作(コントロール)が可能かどうかという観点もしばしば取り入れられる。例えば、複雑な行動や精緻な動作を学習(手続き学習)する場合、初期段階では学習前の行動や動作を引きずっていたり複数動作の協調がうまく行えないために、「やるべき事は分かっているのにできない」状態になる。しかし、何度もくり返すことによって習慣化された行動に関しては、細かな意識的コントロールなしに遂行できるようになり、「どうやってやっているのかは説明できないけどできる」状態になる。両方とも、自己の意思によるコントロールからの逸脱を観察することによって、無意識的過程が存在することが推測されている。また、多くの人が感情や情動の自己操作は難しいと感じている。このような意思や知識によるトップダウン的なコントロールの困難さは、他にも、錯覚などの知覚現象、ステレオタイプや社会的偏見などにも広く見られ、コントロール可能性と無意識の概念は分けて考えることはできない。

内容の無意識性/関係性の無意識性/過程の無意識性

 気づき(awareness)を心理物理学的に計測するときには閾値が使われることが多いが、閾下知覚(subliminal perception)や盲視(blindsight)のような現象に見られるように、意識にのぼらなかったコンテンツ(内容)の影響が、行動や他の判断などに現れることがある[5]。この場合無意識的なのは刺激の内容ということになるが、多くの場合気づかれなかった内容が、行動に判断に影響を与えているという関係性にも、またそれが「なぜ/どのように」影響を与えているのかというプロセス(過程)も意識されず、主に判断や行動の結果のみが意識上に存在することが多い。日常生活における多くの複雑な判断(感性判断・好みの判断など)においては、内容の無意識性よりも、関係性・過程の無意識性のに関連する現象が多く存在する[6]

関連項目

参考文献

  1. James, W.
    Psychology (Briefer Course).
    University of Notre Dame Press, 1985
    (今田寛改訳 『心理学(上下)』 岩波文庫、 1992-93)
  2. 竹田青嗣、山竹伸二
    『フロイト思想を読む―無意識の哲学』
    日本放送出版協会NHKブックス、2008年
  3. 宇津木保、うつきただし
    『心理学的ユートピア』
    誠信書房、1969年
    原書:Walden Two, 1948. ISBN 0-02-411510-X.
  4. Neisser,U
    Cognitive psychology
    Appleton-Century-Crofts, New York, 1967
    (大羽蓁訳、認知心理学、誠信書房、1987)
  5. 下條信輔
    『サブリミナル・マインド—潜在的人間観のゆくえ』
    中央公論社、1996
  6. Nisbett, R. & Wilson, T.
    Telling More than we can Know: Verbal reports on mental processes.
    Psychological Review 84, 231-259. 1977