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== 視床下部の機能について ==
== 視床下部の機能について ==
視床下部は摂食行動、睡眠・覚醒、ストレス応答、生殖行動など多様な行動を調節している。それらは単独で機能しているわけではなく互いの活動を促進、抑制することで全体的なモードを規定している。例えば、ストレス応答の際は生存確率を高めるために代謝レベルを高めるが、その際には体温や血圧を上昇させ、睡眠は抑制し、生殖行動のスイッチをオフにするような統合的な調節が行われている。以下に代表的な機能について記す。
視床下部は体温調節、摂食行動、睡眠・覚醒、ストレス応答、生殖行動など非常に多岐にわたる行動を調節している。こうした調節は単独で機能しているわけではなく、相互に関係する複数の行動を、バランスを取って促進・抑制することで全体的なモードを規定している。例えば、ストレス応答の際は生存確率を高めるために代謝レベルを高めるが、その際には体温や血圧を上昇させ、睡眠や生殖行動を抑制するような統合的な調節が行われている。以下に代表的な機能について記す。


=== 体温の調節 ===
=== 体温の調節 ===
動物は外的環境に左右されず内的環境を維持することができるが、鳥類やほ乳類では体温調節もそれに含まれる。外気温が変化しても体内温度を一定に保つことは行動上の制限を大きく広げ、生存に有利に働くものと思われる。視床下部の視索前野には温度感受性の神経細胞が存在して体温調節の中枢を構成しており、背内側核もその調節に関与している<ref><pubmed> 21900642 </pubmed></ref>。体温は概日リズムや性周期、摂食行動などによって変動する。
動物は外的環境に左右されず内的環境を維持することができるが、鳥類や哺乳類では体温調節もそれに含まれる。外気温が変化しても体内温度を一定に保つことは行動上の制限を大きく広げ、生存に有利に働くものと思われる。視床下部の視索前野には温度感受性の神経細胞が存在して体温調節の中枢を構成しており、背内側核もその調節に関与していることが知られている<ref><pubmed> 21900642 </pubmed></ref>。体温は概日リズムや性周期、摂食行動などによって変動する。
 
=== 体液恒常性の調節 ===
体液恒常性を維持するうえで、抗利尿ホルモン バソプレシンは腎臓における水の再吸収の程度を決定し、血液の浸透圧を制御する重要な因子である。視床下部にはバソプレシンを産生する神経細胞が存在し、その軸索は下垂体後葉に投射している。下垂体後葉から血管内に分泌されたバソプレシンは腎集合管にはたらきかけ、水チャネルであるアクアポリンの細胞膜への局在をもたらすことで腎臓での水の再吸収量を増やし<ref><pubmed> 7532304 </pubmed></ref>、利尿を妨げる効果をもたらす。視床下部の一部には血液脳関門が無い部分があり、血液浸透圧をモニターする浸透圧受容器として機能している。


=== 摂食行動と代謝の調節 ===
=== 摂食行動と代謝の調節 ===
多くの動物にとって生存にかかわる最も大きな問題は飢えである。エネルギーを適切に管理するため、視床下部は摂食行動と代謝レベルを調節している。エネルギーに余裕があるときには糖質から脂肪への変換を行い、エネルギーが欠乏しているときにはタンパク質を分解するという一連の代謝システムは視床下部の自律神経と内分泌をコントロールする機能によって管理されている。この機能に関しては、弓状核が主にその役割を担っており、腹内側核、背内側核、室傍核などが協調してはたらいている<ref><pubmed> 16988703 </pubmed></ref>。
多くの動物にとって生存にかかわる最も大きな問題は飢えである。エネルギーを適切に管理するため、視床下部は摂食行動と代謝レベルを調節している。エネルギーに余裕があるときには糖質から脂肪への変換を行い、エネルギーが欠乏しているときにはタンパク質を分解するという一連の代謝システムは視床下部の自律神経と内分泌をコントロールする機能によって管理されている。この機能に関しては、弓状核が主にその役割を担っており、腹内側核、外側野<ref><pubmed> 12797956 </pubmed></ref>、背内側核、室傍核などが協調してはたらいている<ref><pubmed> 16988703 </pubmed></ref>。


=== 生殖行動の調節 ===
=== 生殖行動の調節 ===
哺乳動物の生殖は視床下部、下垂体、そして性腺の各組織が相互にシグナル伝達を行うことで調節されている。例えば、ヒトの女性において、月経を含む性周期は下垂体前葉から放出される卵胞刺激ホルモン(FSH: follicle stimulating hormone)と黄体形成ホルモン(LH: luteinzing hormone)によって調節されているが、これらは視床下部から放出される性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH: Gonadtropin releasing hormone)によって制御されている<ref><pubmed> 19740674 </pubmed></ref>。また、弓状核の神経細胞はホルモン分泌を介して性行動を調節しており、性行動は背内側核や視索前野、乳頭体核などといった領域にも管理されている<ref><pubmed> 12052919 </pubmed></ref>。生殖行動はエネルギー代謝、胎児への血液供給を含めた循環器系、体温調節などのシステムと協調している 。
ほ乳動物の生殖は視床下部、下垂体、そして性腺の各組織が相互にシグナル伝達を行うことで調節されている。例えば、ヒトの女性において、月経を含む性周期は下垂体前葉から放出される卵胞刺激ホルモン(Follicle stimulating hormone: FSH)と黄体形成ホルモン(Luteinizing hormone: LH)によって調節されているが、これらは視床下部から放出される性腺刺激ホルモン放出ホルモン(Gonadotropin releasing hormone: GnRH)によって制御されている<ref><pubmed> 19740674 </pubmed></ref>。また、弓状核の神経細胞はホルモン分泌を介して生殖行動を調節しており、生殖行動は背内側核や視索前野、乳頭体核などといった領域にも管理されている<ref><pubmed> 12052919 </pubmed></ref>。生殖行動はエネルギー代謝、胎児への血液供給を含めた循環器系、体温調節などのシステムと協調している。


=== ストレス応答の調節 ===
=== ストレス応答の調節 ===
動物が攻撃を受けた時には覚醒水準や代謝を高め、闘争や逃走にリソースを集中する必要が生じる。こうしたストレス応答に際しては心理的ストレスも身体的ストレスも共に視床下部の室傍核に伝えられる。この室傍核から下垂体、そして副腎へと伝えられるシグナル伝達はストレス応答にとって非常に重要であり、この回路はHPA axis (Hypothalamic-pituitary-adrenal axis)と呼ばれている。視床下部の室傍核からストレスホルモンとも呼ばれる副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンが放出され、それによって刺激された下垂体前葉から副腎皮質刺激ホルモンが産生・放出され、それによって刺激された副腎皮質は副腎皮質ホルモンとして知られる糖質コルチコイドの分泌を高める。このコルチゾールが循環器機能やエネルギー代謝を高め、ストレスに対して全身の防御反応を引き起こすのである<ref><pubmed> 21663538 </pubmed></ref>。ストレスは睡眠や性行動を抑制する。
動物が攻撃を受けた時には覚醒水準や代謝を高め、闘争や逃走にリソースを集中する必要が生じる。こうしたストレス応答に際しては心理的ストレスも身体的ストレスも共に視床下部の室傍核に伝えられる。この室傍核から下垂体、そして副腎へと伝えられるシグナル伝達はストレス応答にとって非常に重要であり、この回路はHPA axis (Hypothalamic-pituitary-adrenal axis)と呼ばれている。視床下部の室傍核からストレスホルモンとも呼ばれる副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンが放出され、それによって刺激された下垂体前葉から副腎皮質刺激ホルモンが産生・放出され、それによって刺激された副腎皮質は副腎皮質ホルモンとして知られる糖質コルチコイドの分泌を高める。このコルチゾールが循環器機能やエネルギー代謝を高め、ストレスに対して全身の防御反応を引き起こす<ref><pubmed> 21663538 </pubmed></ref>。ストレスは睡眠や性行動を抑制するはたらきをもつ。


=== 睡眠・覚醒の調節 ===
=== 睡眠・覚醒の調節 ===
視床下部が睡眠・覚醒を司っていることは古くから知られており、嗜眠性脳炎の研究などから視床下部の前方部には睡眠中枢が、後方部には覚醒中枢が存在することが提起された。視床下部前方部に存在する腹外側視索前野(Ventrolateral preoptic nucleus: VLPO)におけるGABA作動性ニューロンが睡眠中枢として中心的な役割を果たしており、VLPOの神経細胞は睡眠時に活動を増加させることで睡眠の開始と維持を行っている<ref><pubmed> 12401341 </pubmed></ref>。一方、視床下部後方部に存在する結節乳頭体核はヒスタミン神経の起始核であり、覚醒中枢の一つと考えられている。ヒスタミン神経細胞はここから脳内のほとんどの領域に軸索を投射しており、ヒスタミン神経細胞の活動が高まると覚醒レベルが上昇する。VLPOとTMNは互いに軸索を投射してその活動を抑制し合っており、TMNからVLPOへの抑制が優位になると覚醒が、VLPOからTMNへの抑制が優位になると睡眠が開始されることで迅速な睡眠・覚醒の相転移が行われている(フリップ・フロップ)<ref><pubmed> 16251950 </pubmed></ref>。
視床下部が睡眠・覚醒を司っていることは古くから知られており、嗜眠性脳炎の研究などから視床下部の前方部には睡眠中枢が、後方部には覚醒中枢が存在することが提起された。視床下部前方部に存在する腹外側視索前野(Ventrolateral preoptic nucleus: VLPO)におけるGABA作動性ニューロンが睡眠中枢として中心的な役割を果たしており、VLPOの神経細胞は睡眠時に活動を増加させることで睡眠の開始と維持を行っている<ref><pubmed> 12401341 </pubmed></ref>。一方、視床下部後方部に存在する結節乳頭体核(Tuberomammillary nucleus: TMN)はヒスタミン神経の起始核であり、覚醒中枢の一つと考えられている。ヒスタミン神経細胞はここから脳内のほとんどの領域に軸索を投射しており、ヒスタミン神経細胞の活動が高まると覚醒レベルが上昇する。VLPOとTMNは互いに軸索を投射してその活動を抑制し合っており、TMNからVLPOへの抑制が優位になると覚醒が、VLPOからTMNへの抑制が優位になると睡眠が開始されることで迅速な睡眠・覚醒の相転移が行われている(フリップ・フロップ説)<ref><pubmed> 16251950 </pubmed>。


== 最近の知見について ==
== 最近の知見について ==
このように生理的に重要な機能を多く併せ持つ視床下部ではあるが、その神経回路の機能に関してはいまだに不明な点が多い。形態学的に分類、記載されてきた神経核ではあるが、細胞に発現しているペプチドの染色結果などにより、同じ種類の神経細胞が複数の領域にまたがって存在していたり、一つの神経核の中でも多数の異なる種類の神経細胞が共存していたりすることが分かってきた。そのため、神経細胞が形成する回路としての機能単位を正確に捉えるには新しい実験手法が必要とされている。例えば、神経ペプチドであるオレキシンを産生するオレキシンニューロンは睡眠に関与することが知られていたが、少数の細胞が散在しているため古典的な手法では特異的にその機能を調べることは困難であった。しかし、オレキシンのプロモーター下流でチャネルロドプシンやハロロドプシンといった光活性化タンパク質を発現させ、それを光刺激することによってin vivoでオレキシン神経細胞特異的に活動を制御する、といった[[光遺伝学]]的手法によって現在ではその機能が次第に明らかになりつつある<ref><pubmed> 17943086 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21775598 </pubmed></ref>
このように視床下部は多くの生理的に重要な役割を複合的に果たしているが、その神経回路の機能に関してはいまだに不明な点が多い。形態学的に分類、記載されてきた神経核であるが、細胞に発現しているペプチドの染色結果などにより、同じ種類の神経細胞が複数の領域にまたがって存在していたり、一つの神経核の中でも多数の異なる種類の神経細胞が共存していたりすることが分かってきている。そのため、行動を制御する機能単位としての神経回路を解析するためには古典的な電気刺激等の手法では限界があった。
 近年、遺伝学的手法により特定の神経にだけ光活性化分子を発現させ、光を照射することによってその神経回路特異的にミリ秒単位のオーダーで活性を制御する、光遺伝学とよばれる新たな手法がこの問題を解決しようとしている。例えば、神経ペプチドであるオレキシンを産生するオレキシン神経は睡眠に関与することが知られていたが、少数の細胞が散在しているため古典的手法だけでは特異的にその機能を調べることは困難であった。しかし、オレキシンのプロモーター下流でチャネルロドプシン<ref><pubmed> 17943086 </pubmed>やハロロドプシン</ref><ref><pubmed> 21775598 </pubmed></ref>といった光活性化タンパク質を発現させて光刺激することによって、自由行動しているマウスにおけるオレキシン神経の活性化状態が睡眠・覚醒に及ぼす影響を観察することが可能となっている。他にも、弓状核に存在するAgRP神経の活性化が数分内に摂食行動を亢進させること(26)、腹内側核に攻撃行動の中枢が存在すること<ref><pubmed> 21307935 </pubmed></ref>、など多くの新たな知見が得られてきており、今後一層の展開が期待される。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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