9,444
回編集
細編集の要約なし |
細編集の要約なし |
||
113行目: | 113行目: | ||
PTSD患者では、上記症状や合併障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、再体験症状、麻痺症状、過覚醒症状のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなど社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。 | PTSD患者では、上記症状や合併障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、再体験症状、麻痺症状、過覚醒症状のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなど社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。 | ||
PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT) | PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT)で有効性を証明された治療法に[[認知行動療法]]([[Cognitive Behavior Therapy]]:[[CBT]])、[[EMDR]]([[眼球運動による脱感作と再処理法]]:[[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]])、薬物療法がある。2005年のNICE(英国国立医療技術評価機構:National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインでは、心理療法(CBTないしはEMDR)を基本的な第一選択としている。薬物療法が推奨されるのは、心理療法を患者が望まない時や実施が困難は場合としている。また、2007年に示された全米アカデミーズ医学院PTSD治療評価委員のレポートでは、PTSDへの治療的有効性が確立されているのは曝露療法のみで、その他の心理療法、薬物療法の有効性に関するエビデンスは不十分と結論づけられている。但し、実際にはPTSDのための認知行動療法等を実施できる治療者数が限られていることから、多くの患者は薬物と支持的カウンセリングにより治療を受けているのが現状である。 | ||
=== 薬物療法 === | === 薬物療法 === | ||
119行目: | 119行目: | ||
==== 抗うつ薬 ==== | ==== 抗うつ薬 ==== | ||
PTSDに対する薬物療法として、[[sertraline]]、[[paroxetine]]、[[fluoxetine]]といった選択的セロトニン再取り込阻害薬 (selective serotonine reuptake inhibitor:SSRI)が海外の複数のランダム化比較試験でPTSDの3つの中核症状(DSM-Ⅳ-TRの基準B,C,D)全てと抑うつなどの合併する精神症状に有効性が証明され、第一選択として推奨されている<ref name="ref1">'''Edna B.Foa, Terence M. Keane, Mattew J.Friedman, Judith A. Cohen'''<br>Effective Treatment for PTSD: Practice Guidelines from the International Society for Traumatic Stress Studies<br>''Guilford press'':2008</ref>。また、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込阻害薬]](serotonine norepinephrine reuptake inhibitor:SNRI)である[[venlafaxine]]も第一選択として推奨されている<ref name="ref1" />が、日本では厚生労働省に承認されていない薬剤である。[[三環系抗うつ薬]]である[[imipramine]]、[[amitriptyline]]もランダム化比較試験で効果が認められている<ref name="ref1" />が、SSRI、SNRIと比較して一般的に副作用の出現や忍容性が懸念される薬剤である。その他、mirtazapineは小規模のランダム化比較試験で有効性が示され<ref name="ref1" />、trazodoneは小規模のオープン試験で有効性を示した研究報告がある<ref name="ref1" />。 | |||
米国ではparoxetineとsertralineがPTSD治療の薬剤として認可されているが、現在、日本でPTSD治療への適応を認可された薬剤はない。 | 米国ではparoxetineとsertralineがPTSD治療の薬剤として認可されているが、現在、日本でPTSD治療への適応を認可された薬剤はない。 | ||
125行目: | 125行目: | ||
==== モノアミン酸化酵素阻害薬 ==== | ==== モノアミン酸化酵素阻害薬 ==== | ||
[[モノアミン酸化酵素阻害薬]](MAOI)は食事制限などを厳密に遵守する必要がある薬剤で、[[phenelzine]]のBとD症状への効果が示されている<ref name="ref1" />。phenelzineは日本では[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]に承認されていない。 | |||
==== | ==== 拮抗アドレナリン拮抗薬 ==== | ||
拮抗アドレナリン拮抗薬には[[prazosin]]、[[propranolol]]、[[clonidine]]、[[guanfacine]]が含まれる。このうち、guanfacineは日本国内では2005年に製造が中止されている。これらの薬剤は一般的に安全性の高い薬剤であるが[[wikipedia:ja:血圧|血圧]]の低下などの可能性に留意する必要がある。prazosinは不眠と悪夢への有効性が小規模のRCTで示されている<ref name="ref1" />。propranololは小児を対象とした試験で[[過覚醒]]と[[再体験]]への有効性が示されている<ref name="ref1" />。clonidineはオープン試験で[[解離症状]]に有効である可能性が報告されている<ref name="ref1" />。 | |||
==== 非定型抗精神病薬 ==== | ==== 非定型抗精神病薬 ==== | ||
[[非定型抗精神病薬]]である[[risperidone]]、[[olanzapine]]、[[quetiapine]]はSSRIで症状が残存した時、治療抵抗性のPTSD患者への増強療法として複数の小規模なランダム化比較試験で有効性が報告されている<ref name="ref1" />。過覚醒、[[攻撃行動]]、妄想や精神病性の症状を呈するPTSD患者への効果も期待されている。 | |||
==== Benzodiazepine系薬 ==== | ==== Benzodiazepine系薬 ==== | ||
161行目: | 161行目: | ||
Ehlersらが考案した治療法である。週1回90分のセッションを12回実施する方法が標準とされるが、1週間連日集中的に行う方法もある。トラウマ体験の物語作りと想像での再体験を通じて、体験に対して現在では脅威にならない意味づけを与えるなど認知の再構成を重視した治療法である。 | Ehlersらが考案した治療法である。週1回90分のセッションを12回実施する方法が標準とされるが、1週間連日集中的に行う方法もある。トラウマ体験の物語作りと想像での再体験を通じて、体験に対して現在では脅威にならない意味づけを与えるなど認知の再構成を重視した治療法である。 | ||
===== 子どもへのトラウマフォーカスト認知行動療法 | ===== 子どもへのトラウマフォーカスト認知行動療法 ===== | ||
子どものPTSDに対してエビデンスが最も蓄積されているのが認知行動療法(TF-CBT)である。その構成要素はPRACTICEの頭文字で表されており、順に<u>P</u>sychoeducation and parenting skill(心理教育と親の役割の理解)、<u>R</u>elaxation(リラクゼーション)、<u>A</u>ffective expression and regulation(感情の表出と調整)、<u>C</u>ognitive coping(認知的な対処法)、<u>T</u>rauma narrative development and processing(トラウマナラティブと非機能的認知の修正)、<u>I</u>n vivo gradual exposure(トラウマ記憶への漸進的曝露)、<u>C</u>onjoint parent child sessions(親子合同セッション)、<u>E</u>nhancing safety and future development(安心と発達の強化)である。PE療法と比べてトラウマ記憶への曝露はゆるやかに行うことが特徴とされる。 | |||
==== EMDR ==== | ==== EMDR ==== | ||
177行目: | 177行目: | ||
日本国内のデータも川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、12か月有病率0.70%、生涯有病率1.27%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。 | 日本国内のデータも川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、12か月有病率0.70%、生涯有病率1.27%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。 | ||
発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など) | 発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など)、トラウマ体験時の解離反応、トラウマ体験後の生活ストレス、過去の精神的問題、過去のトラウマ体験、家族の精神的問題、女性、若年者、低学歴、[[wikipedia:ja:IQ|IQ]]、[[wikipedia:ja:人種|人種]]がある <ref>'''飛鳥井望'''<br>PTSDになる人とならない人<br>''臨床精神医学'':157-162,2012</ref>。 | ||
=== 併存障害 === | === 併存障害 === | ||
PTSDには[[抑うつ]]、[[不安障害]]、[[物質関連障害]]など精神疾患の合併が多いことが知られている。Kesslerの調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>では男性の88%、女性の79% | PTSDには[[抑うつ]]、[[不安障害]]、[[物質関連障害]]など精神疾患の合併が多いことが知られている。Kesslerの調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>では男性の88%、女性の79%に精神障害が合併していた。男性では[[アルコール関連疾患]]52%、[[うつ病]]48%、[[行為障害]]43%、[[薬物依存]]35%、[[恐怖症]]31%であり、女性ではうつ病49%、アルコール関連疾患30%、薬物依存27%、恐怖症29%、行為障害15%だったとしている。 | ||
== 病態メカニズム == | == 病態メカニズム == | ||
[[Image:Tutsui file 3.jpg|thumb|350px|'''図2.扁桃帯と神経回路'''<br>Neumeister A, Henry S, Krystal JH | [[Image:Tutsui file 3.jpg|thumb|350px|'''図2.扁桃帯と神経回路'''<br><ref>'''Neumeister A, Henry S, Krystal JH'''<br>Neurocircuitry and neuroplasticity in PTSD. Handbook of PTSD: Science and practice (ed. by Friedman MJ, Keane TM, Resick PA)<br>''The Guilford Press'', 151-165, 2007</ref>より一部改変]] | ||
PTSDの病態メカニズムについて神経生理学研究、神経内分泌研究、脳画像研究、遺伝子研究などさまざまな観点からの報告がなされている。 | PTSDの病態メカニズムについて神経生理学研究、神経内分泌研究、脳画像研究、遺伝子研究などさまざまな観点からの報告がなされている。 | ||
191行目: | 191行目: | ||
=== 神経生理学的知見 === | === 神経生理学的知見 === | ||
PTSDの再体験、過覚醒症状は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ]] | PTSDの再体験、過覚醒症状は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件づけの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件づけを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側前頭前野の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(図2)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の海馬体積が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性の同胞(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。 | ||
その他、PTSDがストレス反応であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進と[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。 | |||
=== 遺伝子研究 === | === 遺伝子研究 === | ||
恐怖条件づけの消去現象と[[NMDA受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[gene-by-environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[糖質コルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多形のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。 | |||
== 関連項目 == | == 関連項目 == |