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Keisukemotomura (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
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==歴史的背景== | ==歴史的背景== | ||
[[ファイル:Reticular formation.jpg|thumb|350px|'''図.脳幹網様体賦活系の概観'''<br>A.脳の正中矢状断面図.B.上丘を通る中脳横断面.C.下丘を通る中脳・橋横断面.D.橋上部横断面.図A中の破線b, c, dはそれぞれ図B, C, Dのレベルに相当する.<br>図中の部位:1.中脳傍正中網様体(斜線はMorruziとMagounの実験で傷害された領域),2.脚橋被蓋核,3.背外側被蓋核,4.視床(核群),5.青斑核,6.背側縫線核,7.正中縫線核群,8.視床下部外側野.赤丸はノルアドレナリン作動性ニューロン群,青丸はアセチルコリン作動性ニューロン群,緑はセロトニン作動性ニューロン群.]] | |||
19世紀末より、意識の神経基盤を[[大脳半球]]に求める説と、それに対して上部脳幹や[[間脳]]尾部の重要性を主張する反論とが存在していた。しかし、覚醒と睡眠の神経基盤に関する重要な知見をもたらしたのは、[[wikipedia:ja:第一次大戦前後|第一次大戦前後]]に流行した[[嗜眠性脳炎]]患者に関する[[wikipedia:Constantin von Economo|Constantin von Economo]]の研究である。彼の報告によれば、覚醒の困難な大半の患者と、逆に睡眠の困難な少数の患者において、それぞれ異なる脳内部位に病変が見られた。その結果から彼は、覚醒の中枢は脳幹上部から[[中脳水道]]と[[第三脳室]]後部までの[[灰白質]]に、睡眠の中枢は[[視床下部]]吻側部に位置していると推測した。 | 19世紀末より、意識の神経基盤を[[大脳半球]]に求める説と、それに対して上部脳幹や[[間脳]]尾部の重要性を主張する反論とが存在していた。しかし、覚醒と睡眠の神経基盤に関する重要な知見をもたらしたのは、[[wikipedia:ja:第一次大戦前後|第一次大戦前後]]に流行した[[嗜眠性脳炎]]患者に関する[[wikipedia:Constantin von Economo|Constantin von Economo]]の研究である。彼の報告によれば、覚醒の困難な大半の患者と、逆に睡眠の困難な少数の患者において、それぞれ異なる脳内部位に病変が見られた。その結果から彼は、覚醒の中枢は脳幹上部から[[中脳水道]]と[[第三脳室]]後部までの[[灰白質]]に、睡眠の中枢は[[視床下部]]吻側部に位置していると推測した。 | ||
1929年、スイスの精神科医[[wikipedia:ja:ハンス・ベルガー|Hans Berger]]が[[脳波]]検査を発明すると、動物実験では[[大脳皮質]]の脱同期化を覚醒の指標として、覚醒および睡眠の神経システムが研究されるようになった。当初は[[感覚]]入力が覚醒をもたらし、感覚の遮断が睡眠をもたらすと考えられていたが、第二次大戦後にMoruzziとMagounの研究によってこれが否定された。彼らは、[[wikipedia:ja:ネコ|ネコ]]の脳に選択的な損傷を加えたり、電気的に刺激したりすることによって、感覚伝導路ではなく網様体([[中脳傍正中網様体中心部]];図中の①)が、大脳皮質に対する覚醒作用の主要な中継路であるということを示した<ref><pubmed>18421835</pubmed></ref>。ここから、1949年に上行性網様体賦活系の概念が生まれたが、この段階では、経路の起点となる部位については不明であった。その後、脳幹のさまざまなレベルで離断を行ったところ、[[橋]]の上部(吻側)のレベルでの離断によって脳波は[[徐波]]化し、行動上は無反応となった。この結果より、覚醒には橋吻側から[[中脳]]尾部にかけての構造([[中脳橋被蓋]])が、不可欠であると考えられた。 | 1929年、スイスの精神科医[[wikipedia:ja:ハンス・ベルガー|Hans Berger]]が[[脳波]]検査を発明すると、動物実験では[[大脳皮質]]の脱同期化を覚醒の指標として、覚醒および睡眠の神経システムが研究されるようになった。当初は[[感覚]]入力が覚醒をもたらし、感覚の遮断が睡眠をもたらすと考えられていたが、第二次大戦後にMoruzziとMagounの研究によってこれが否定された。彼らは、[[wikipedia:ja:ネコ|ネコ]]の脳に選択的な損傷を加えたり、電気的に刺激したりすることによって、感覚伝導路ではなく網様体([[中脳傍正中網様体中心部]];図中の①)が、大脳皮質に対する覚醒作用の主要な中継路であるということを示した<ref><pubmed>18421835</pubmed></ref>。ここから、1949年に上行性網様体賦活系の概念が生まれたが、この段階では、経路の起点となる部位については不明であった。その後、脳幹のさまざまなレベルで離断を行ったところ、[[橋]]の上部(吻側)のレベルでの離断によって脳波は[[徐波]]化し、行動上は無反応となった。この結果より、覚醒には橋吻側から[[中脳]]尾部にかけての構造([[中脳橋被蓋]])が、不可欠であると考えられた。 | ||
==構成要素の複雑化== | ==構成要素の複雑化== |