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1969年、[[w:Lewis Wolpert|Lewis Wolpert]]は、シグナリングセンターから分泌された細胞外物質([[モルフォゲン]](morphogen))が濃度勾配を持って組織内に拡散しており、細胞の分化方向はその濃度に依存して決まるとする組織形成の原理を仮説的に提唱した<ref name=Wolpert1969><pubmed>4390734</pubmed></ref><ref><pubmed>7834908</pubmed></ref><ref name=Briscoe2015><pubmed>26628090</pubmed></ref><ref><pubmed>16410409</pubmed></ref>4-7。モルフォゲンとはギリシャ語で「form giver(形を与えるもの)」という意味であり<ref><pubmed>11483986</pubmed></ref>8、多くの研究から、組織形成に関わる液性因子(分泌タンパク質や化学低分子)のほとんど([[線維芽細胞増殖因子]]([[FGF]])や[[Wnt]]、[[トランスフォーミング増殖因子]]([[TGFβ]])、[[ソニック・ヘッジホッグ]]、[[レチノイン酸]])がモルフォゲンとして働くことがこれまでに示されている<ref><pubmed>23669552</pubmed></ref> | 1969年、[[w:Lewis Wolpert|Lewis Wolpert]]は、シグナリングセンターから分泌された細胞外物質([[モルフォゲン]](morphogen))が濃度勾配を持って組織内に拡散しており、細胞の分化方向はその濃度に依存して決まるとする組織形成の原理を仮説的に提唱した<ref name=Wolpert1969><pubmed>4390734</pubmed></ref><ref><pubmed>7834908</pubmed></ref><ref name=Briscoe2015><pubmed>26628090</pubmed></ref><ref><pubmed>16410409</pubmed></ref>4-7。モルフォゲンとはギリシャ語で「form giver(形を与えるもの)」という意味であり<ref><pubmed>11483986</pubmed></ref>8、多くの研究から、組織形成に関わる液性因子(分泌タンパク質や化学低分子)のほとんど([[線維芽細胞増殖因子]]([[FGF]])や[[Wnt]]、[[トランスフォーミング増殖因子]]([[TGFβ]])、[[ソニック・ヘッジホッグ]]、[[レチノイン酸]])がモルフォゲンとして働くことがこれまでに示されている<ref><pubmed>23669552</pubmed></ref>9。濃度勾配が組織形成を制御するという概念は「[[モルフォゲンモデル]](morphogen model)」と呼ばれ、現在に至るまで組織のパターン形成を分子的に説明する基本概念の1つである。 | ||
モルフォゲンにより器官内で多種類の細胞が生じる様子は、しばしば「フランス国旗」で表される<ref name=Wolpert1969 /><ref name=Kerszberg2007><pubmed>17662932</pubmed></ref>4,10。これは、各細胞の分化方向の決定に[[濃度閾値]](threshold)が存在することを前提にしており、濃度によって3つの異なる細胞が生じる様子をフランス国旗の青、白、赤の3色で表したものである('''図1A''')。このモデルは、濃度勾配を感知した各[[前駆細胞]]が、濃度に応じて3種類(実際にはそれ以上)の細胞に分化していく様子を表している。このことは、濃度依存的に発現する遺伝子が存在することを示している。さらに、隣接する領域に発現する遺伝子同士は互いにその発現を抑制する関係にあることも多い。 | モルフォゲンにより器官内で多種類の細胞が生じる様子は、しばしば「フランス国旗」で表される<ref name=Wolpert1969 /><ref name=Kerszberg2007><pubmed>17662932</pubmed></ref>4,10。これは、各細胞の分化方向の決定に[[濃度閾値]](threshold)が存在することを前提にしており、濃度によって3つの異なる細胞が生じる様子をフランス国旗の青、白、赤の3色で表したものである('''図1A''')。このモデルは、濃度勾配を感知した各[[前駆細胞]]が、濃度に応じて3種類(実際にはそれ以上)の細胞に分化していく様子を表している。このことは、濃度依存的に発現する遺伝子が存在することを示している。さらに、隣接する領域に発現する遺伝子同士は互いにその発現を抑制する関係にあることも多い。 | ||
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しかし、組織内で形成される濃度勾配は静的ではなく(つまり発生過程のある時期に突然形成され、それが永久に保存されるものではなく)、器官発生の進行と連動して経時的に変化し、維持されるものであるから、各細胞が暴露される濃度も時々刻々と変化し、それにつれて細胞の分化状態も変化しながら徐々にパターン形成が確立されて行く('''図1B''')。 | しかし、組織内で形成される濃度勾配は静的ではなく(つまり発生過程のある時期に突然形成され、それが永久に保存されるものではなく)、器官発生の進行と連動して経時的に変化し、維持されるものであるから、各細胞が暴露される濃度も時々刻々と変化し、それにつれて細胞の分化状態も変化しながら徐々にパターン形成が確立されて行く('''図1B''')。 | ||
以下、濃度勾配の形成と細胞の分化状態の変化の関係を記述する。 | 以下、濃度勾配の形成と細胞の分化状態の変化の関係を記述する。 | ||
== | == 神経管背腹軸における領域決定 == | ||
[[Image:ichijoho2.png|thumb|right|350px|'''図2. 脊髄神経管の背腹軸に沿った神経前駆領域・神経領域のパターン形成と、その形成に至る動的なメカニズム''' <br /> | [[Image:ichijoho2.png|thumb|right|350px|'''図2. 脊髄神経管の背腹軸に沿った神経前駆領域・神経領域のパターン形成と、その形成に至る動的なメカニズム''' <br /> | ||
'''A.''' 脊髄レベルにおける神経管断面の模式図。神経管の中で、内側にはdP0-dP6, p0, p1, p2, pMN, p3の各領域が存在し、これらは[[神経前駆細胞]]である(つまり神経としての性質は持たず、増殖する)。領域名についているpはprogenitor(前駆細胞)の意味。一方外側の領域には神経(つまり機能性の神経細胞)領域dP0-dP6, V0, V1, V2, MN, V3が存在する。MNは[[運動神経]](motor neuron)で、そのほかは[[介在神経]]の性質を持つ(各神経の性質については13を参照)。原則として、各領域は対応する前駆領域から分化する(例えば、dI1細胞はdp1細胞から、V1細胞はp1細胞から分化する)。この模式図はマウス10.5-11.5日胚、ニワトリの4-5日胚で見られるものであり、この後分化が進めば前駆領域は徐々に小さくなり、生まれる(孵化する)頃にはほとんどなくなってしまう。<br /> | '''A.''' 脊髄レベルにおける神経管断面の模式図。神経管の中で、内側にはdP0-dP6, p0, p1, p2, pMN, p3の各領域が存在し、これらは[[神経前駆細胞]]である(つまり神経としての性質は持たず、増殖する)。領域名についているpはprogenitor(前駆細胞)の意味。一方外側の領域には神経(つまり機能性の神経細胞)領域dP0-dP6, V0, V1, V2, MN, V3が存在する。MNは[[運動神経]](motor neuron)で、そのほかは[[介在神経]]の性質を持つ(各神経の性質については13を参照)。原則として、各領域は対応する前駆領域から分化する(例えば、dI1細胞はdp1細胞から、V1細胞はp1細胞から分化する)。この模式図はマウス10.5-11.5日胚、ニワトリの4-5日胚で見られるものであり、この後分化が進めば前駆領域は徐々に小さくなり、生まれる(孵化する)頃にはほとんどなくなってしまう。<br /> | ||
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これらの領域はどの個体でも配置が変わることがないため、「パターン」と呼ばれており、そのパターン決定は、[[蓋板]](RP)や[[底板]](FP)からそれぞれ分泌される[[骨形成因子]]([[BMP]])、Wnt、ソニック・ヘッジホッグ(Sonic Hedgehog; Shh)といったモルフォゲンの濃度勾配によっている。つまり、これら各領域の細胞の分化方向はモルフォゲンの種類と濃度という位置情報によって決定されるのであり、その意味で神経管の背腹軸は位置情報を解析する上で良いモデル系である。 | これらの領域はどの個体でも配置が変わることがないため、「パターン」と呼ばれており、そのパターン決定は、[[蓋板]](RP)や[[底板]](FP)からそれぞれ分泌される[[骨形成因子]]([[BMP]])、Wnt、ソニック・ヘッジホッグ(Sonic Hedgehog; Shh)といったモルフォゲンの濃度勾配によっている。つまり、これら各領域の細胞の分化方向はモルフォゲンの種類と濃度という位置情報によって決定されるのであり、その意味で神経管の背腹軸は位置情報を解析する上で良いモデル系である。 | ||
== | === 腹側神経管とソニック・ヘッジホッグ === | ||
発生期におけるパターン形成は、発生過程のある時期に瞬間的に形成されるのではなく、モルフォゲンの時期的な濃度勾配の動的変化に従って徐々に形成されていくものである。この過程で、未分化な状態(または分化度が低い状態)で発現している遺伝子が徐々に他の遺伝子に置き換わっていく。 | 発生期におけるパターン形成は、発生過程のある時期に瞬間的に形成されるのではなく、モルフォゲンの時期的な濃度勾配の動的変化に従って徐々に形成されていくものである。この過程で、未分化な状態(または分化度が低い状態)で発現している遺伝子が徐々に他の遺伝子に置き換わっていく。 | ||
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この関係は常微分方程式によって数理モデル化されており、ShhによるOlig2とNkx2.2発現誘導効果が同等であってもパターン形成は成立する<ref name =Balaskas2012 />18。つまり、Gliのアフィニティー(結合力)の違いによる発現誘導とは異なるメカニズムで遺伝子発現が制御されていると言える。 | この関係は常微分方程式によって数理モデル化されており、ShhによるOlig2とNkx2.2発現誘導効果が同等であってもパターン形成は成立する<ref name =Balaskas2012 />18。つまり、Gliのアフィニティー(結合力)の違いによる発現誘導とは異なるメカニズムで遺伝子発現が制御されていると言える。 | ||
上述のパターン形成で議論した細胞はすべて前駆細胞であり、機能的神経細胞に分化するには[[Neurogenin]]などの神経化転写因子が必要である。最近、Olig2が[[Hes1]],[[Hes5]]という転写因子の発現抑制を介して[[Neurogenin2]] | 上述のパターン形成で議論した細胞はすべて前駆細胞であり、機能的神経細胞に分化するには[[Neurogenin]]などの神経化転写因子が必要である。最近、Olig2が[[Hes1]],[[Hes5]]という転写因子の発現抑制を介して[[Neurogenin2]]の発現を誘導するという転写制御システムが提唱されるようになった<ref><pubmed>29389974</pubmed></ref>。 | ||
== | === 背側神経管とWnt、BMP === | ||
神経管の背側については、各領域に特異的に発現する遺伝子があまり同定されていないこともあり、蓋板から分泌される因子と個々の領域に発現する転写因子との関係は、腹側神経領域ほどは詳細に知られていない。しかし、主にWnt/BMPシグナルと背側神経管の領域決定の関係について、[[ノックアウト]][[マウス]]や[[ニワトリ]]胚を用いた研究が進んでいる。 | 神経管の背側については、各領域に特異的に発現する遺伝子があまり同定されていないこともあり、蓋板から分泌される因子と個々の領域に発現する転写因子との関係は、腹側神経領域ほどは詳細に知られていない。しかし、主にWnt/BMPシグナルと背側神経管の領域決定の関係について、[[ノックアウト]][[マウス]]や[[ニワトリ]]胚を用いた研究が進んでいる。 | ||