16,039
回編集
細編集の要約なし |
細編集の要約なし |
||
7行目: | 7行目: | ||
英語名:sound localization 独:Schallokalisation 仏:localisation sonore | 英語名:sound localization 独:Schallokalisation 仏:localisation sonore | ||
{{box|text= | {{box|text= 動物は音情報を元に対象物の位置を特定することができ、この能力は音源定位と呼ばれる。音源定位に関わる情報としては、両耳の間に生じるわずかな時間差や音圧差の他に、単耳性情報として耳介による周波数成分の変化などが上げられる。これらの情報は脳幹に存在する種々の神経核によって抽出され、それを上位の脳領域が統合することによって音源定位が実現される。音源定位を実現する神経機構を明らかにする為の研究が哺乳類や鳥類を対象に行われている。}} | ||
== 音源定位とは == | == 音源定位とは == | ||
音源定位とは[[聴覚]]入力をもとに外空間における音源の位置を特定することである。つまり求める物体や回避する物体の方向、あるいは注意を向けるべき方向を決定することであり、我々人間を含めた動物にとって重要な能力である。その精度は非常に高く、人間や[[wj:フクロウ|フクロウ]] | 音源定位とは[[聴覚]]入力をもとに外空間における音源の位置を特定することである。つまり求める物体や回避する物体の方向、あるいは注意を向けるべき方向を決定することであり、我々人間を含めた動物にとって重要な能力である。その精度は非常に高く、人間や[[wj:フクロウ|フクロウ]]では角度にして1度程度の精度で音の方向を識別できることが知られている。 | ||
== 音源定位に関わる聴覚情報 == | == 音源定位に関わる聴覚情報 == | ||
19行目: | 19行目: | ||
音源定位は主に、音源の位置によって左右の耳に生じる音情報の僅かな差を使って行われる。代表的なものは音の到達時間および強度の違いであり、それぞれ[[両耳間時差]](interaural time difference: ITD)、[[両耳間音圧差]](interaural level difference: ILD)と呼ばれる('''図1''')。 | 音源定位は主に、音源の位置によって左右の耳に生じる音情報の僅かな差を使って行われる。代表的なものは音の到達時間および強度の違いであり、それぞれ[[両耳間時差]](interaural time difference: ITD)、[[両耳間音圧差]](interaural level difference: ILD)と呼ばれる('''図1''')。 | ||
[[ヒト]]も含めた多くの哺乳類においては一般に高周波音ではILDを、低周波音ではITDを使っていると考えられている<ref>'''Moore B.C.J. '''<br>An introduction to the psychology of hearing<br>''London Academic'':2004</ref> | [[ヒト]]も含めた多くの哺乳類においては一般に高周波音ではILDを、低周波音ではITDを使っていると考えられている<ref>'''Moore B.C.J. '''<br>An introduction to the psychology of hearing<br>''London Academic'':2004</ref>。これは音の物理的特性とうまく合致している。つまり高周波音は頭部を回折しにくい為に、より大きなILDを生じ易い。一方、低周波数音は周期が長いために、ITDを検出する際の音の周期性に由来するあいまいさ(位相多義性)が生じにくい。このような考えは[[二重理論]]duplex theoryと呼ばれ[[wj:ジョン・ウィリアム・ストラット|Rayleigh]](1904)の時代から提言されていた<ref>'''Rayleigh L.'''<br>On our perception of sound direction<br>''Philos. Mag.: 13; 214'' :1907</ref>。 | ||
ヒトも含めた多くの哺乳類や鳥類においては、主にITDおよびILDの情報を検出することで水平方向の音源定位を行っている。他に音源定位に関与する聴覚情報としては、単耳性情報として各周波数成分の相対強度や耳介による変化の程度等が上げられ、特に哺乳類においては上下方向や前後方向の識別に重要である<ref>'''Blauert J.'''<br>“Spatial hearing with one sound source” in “Spatial hearing: The psychophysics of human sound localization”<br>''Cambridge, MA: MIT Press'' :1997</ref>。ヒトも含めた動物はそうした様々な音の情報を統合することで音源の位置を特定している。実際に[[wj:純音|純音]]の場合や反響の起こるような環境下では音源定位の精度は落ちる。 | |||
===ITD検出〜Jeffressモデル〜=== | ===ITD検出〜Jeffressモデル〜=== | ||
28行目: | 28行目: | ||
'''(b)''' Jeffress モデルで想定される細胞ごとの発火確率の分布。細胞ごとに異なるITD に応答することでITD は細胞の位置としてコードされる。]] | '''(b)''' Jeffress モデルで想定される細胞ごとの発火確率の分布。細胞ごとに異なるITD に応答することでITD は細胞の位置としてコードされる。]] | ||
上記の聴覚情報のうちITD検出を実現する神経回路機構としては、[[w:Lloyd A. Jeffress|Lloyd A. Jeffress]]が1948年に当時の心理物理学データを説明する為に提唱した[[Jeffressモデル]]がよく知られている<ref><pubmed>18904764</pubmed></ref>(''' | 上記の聴覚情報のうちITD検出を実現する神経回路機構としては、[[w:Lloyd A. Jeffress|Lloyd A. Jeffress]]が1948年に当時の心理物理学データを説明する為に提唱した[[Jeffressモデル]]がよく知られている<ref><pubmed>18904764</pubmed></ref>('''図2''')。このモデルは一列に並んだ同時検出器細胞と[[遅延線回路]](delay line)と呼ばれる配線様式を持った左右の耳由来の神経投射で構成される。遅延線回路においては、左右からの投射線維が順次枝分かれし、一列に並んだ細胞に順序よくシナプス結合を形成する。これにより投射線維の長さに体系だった違いが生じ、個々の細胞においては、その位置によって活動電位の到達時間に差が生じる。このような回路構成により、両側からの信号入力が同時刻に到達する同時検出器細胞の位置がITDに対応して変化することで、ITDは発火する同時検出器細胞の位置として符号化される。 | ||
== | == 哺乳類 == | ||
===脳幹神経回路=== | ===脳幹神経回路=== | ||
[[Image:ongenteii_fig2.png|thumb|right|300px|'''図2. 哺乳類における聴覚情報処理の経路''' <br /> | [[Image:ongenteii_fig2.png|thumb|right|300px|'''図2. 哺乳類における聴覚情報処理の経路''' <br /> | ||
39行目: | 39行目: | ||
上オリーブ核群 (SOC)に含まれる神経核とその配線様式。右側にITD 検出に関わる回路、左側にILD検出に関わる回路を強調して示している。ITD は内側上オリーブ核 (MSO)において左右の興奮性入力を比較することで検出される。ILD は外側上オリーブ核 (LSO)において同側の興奮性入力と対側の抑制性入力を比較することで検出される。]] | 上オリーブ核群 (SOC)に含まれる神経核とその配線様式。右側にITD 検出に関わる回路、左側にILD検出に関わる回路を強調して示している。ITD は内側上オリーブ核 (MSO)において左右の興奮性入力を比較することで検出される。ILD は外側上オリーブ核 (LSO)において同側の興奮性入力と対側の抑制性入力を比較することで検出される。]] | ||
聴覚情報は[[蝸牛]]の段階で周波数分解され、音の位相に対応したスパイク列として[[聴神経]]により[[脳幹]]の[[蝸牛神経]] | 聴覚情報は[[蝸牛]]の段階で周波数分解され、音の位相に対応したスパイク列として[[聴神経]]により[[脳幹]]の[[蝸牛神経]]核に伝達される。脳幹には様々な聴覚情報処理に関わる神経核が存在し、各神経核においては個々の神経細胞が、その反応する周波数の高低にしたがって整然と配置されている。このような構造は[[トノトピー]]([[tonotopy]])が保持されていると表現される。 | ||
ITDおよびILDの情報は、[[哺乳類]]では脳幹に存在する[[上オリーブ核群]](superior olivaly complex: SOC)と呼ばれる部位で最初に抽出される(''' | ITDおよびILDの情報は、[[哺乳類]]では脳幹に存在する[[上オリーブ核群]](superior olivaly complex: SOC)と呼ばれる部位で最初に抽出される('''図3''')。上オリーブ核群は主に[[外側上オリーブ核]] (lateral superior olive: LSO)、[[内側上オリーブ核]](medial superior olive: MSO)、[[内側台形体核]](medial nucleus of trapezoid body: MNTB)などから構成される('''図4''')。これらの神経核は蝸牛神経核のうち主に[[前腹側蝸牛核]](anteroventral cochlear nucleus: AVCN)から[[興奮性]]投射を受ける。特に内側台形体核は対側の前腹側蝸牛核から投射を受け、同側の外側上オリーブ核と内側上オリーブ核に[[抑制性]]の出力を送る重要な神経核である。 | ||
耳介による周波数スペクトルの変化は[[背側蝸牛神経核]](dorsal cochlear nucleus: DCN)で検出されると考えられている <ref name=young2001>'''Young E.D., Davis K.A.''' <br>“Circuitry and functions of dorsal cochlear nucleus”, in “Integrative functions of the mammalian auditory pathway”<br>Oertel D., Popper A.N., Fay R.R., Eds. :2001</ref>。 | 耳介による周波数スペクトルの変化は[[背側蝸牛神経核]](dorsal cochlear nucleus: DCN)で検出されると考えられている <ref name=young2001>'''Young E.D., Davis K.A.''' <br>“Circuitry and functions of dorsal cochlear nucleus”, in “Integrative functions of the mammalian auditory pathway”<br>Oertel D., Popper A.N., Fay R.R., Eds. :2001</ref>。 | ||
===ITD検出=== | ===ITD検出=== | ||
哺乳類において始めにITD検出を行う[[神経核]]は内側上オリーブ核である。内側上オリーブ核細胞は内側と外側の両極に分枝した樹状突起をもつ。外側[[樹状突起]]には同側の、内側樹状突起には対側の前腹側蝸牛核からの投射[[軸索]]が[[シナプス]] | 哺乳類において始めにITD検出を行う[[神経核]]は内側上オリーブ核である。内側上オリーブ核細胞は内側と外側の両極に分枝した樹状突起をもつ。外側[[樹状突起]]には同側の、内側樹状突起には対側の前腹側蝸牛核からの投射[[軸索]]が[[シナプス]]を形成し、左右耳由来の同時検出が細胞体で行われる<ref name=grothe2010><pubmed>20664077</pubmed></ref>。 | ||
[[ネコ]]や[[wj:モルモット|モルモット]]を用いた実験から、前腹側蝸牛核からの軸索が遅延線回路を形成すること、それにより個々の内側上オリーブ核細胞は最適なITDを持つことなど、Jeffressモデルに対応する特徴が示されている<ref name=joris2007><pubmed>17188761</pubmed></ref>。しかしモルモット等の小動物においては、頭の大きさから予測される生理的ITDの範囲から外れた位置にITD応答のピークを持つ細胞も観察され、Jeffressモデルで説明しきれない要素も存在する<ref name=joris2007/>。 | [[ネコ]]や[[wj:モルモット|モルモット]]を用いた実験から、前腹側蝸牛核からの軸索が遅延線回路を形成すること、それにより個々の内側上オリーブ核細胞は最適なITDを持つことなど、Jeffressモデルに対応する特徴が示されている<ref name=joris2007><pubmed>17188761</pubmed></ref>。しかしモルモット等の小動物においては、頭の大きさから予測される生理的ITDの範囲から外れた位置にITD応答のピークを持つ細胞も観察され、Jeffressモデルで説明しきれない要素も存在する<ref name=joris2007/>。 | ||
さらに[[wj:スナネズミ|スナネズミ]]を用いた最近の研究が示すところによると、ITD応答曲線のピークは200-300µ秒ほど反対側が先行する方向にずれた位置に集中しているという報告もある<ref><pubmed>12037566</pubmed></ref>(''' | さらに[[wj:スナネズミ|スナネズミ]]を用いた最近の研究が示すところによると、ITD応答曲線のピークは200-300µ秒ほど反対側が先行する方向にずれた位置に集中しているという報告もある<ref><pubmed>12037566</pubmed></ref>('''図2d''')。つまりスナネズミにおいては遅延線回路が存在しないことが推測され、必ずしもJeffressモデルに合致しない動物も存在するようである。このような動物の内側上オリーブ核においては、生理的な範囲では神経活動レベルとITDが一義的に対応し、多くの内側上オリーブ核細胞は音源の位置が対側へ向かうほど発火頻度を上げる。このような所見から、音源の位置による内側上オリーブ核細胞群の発火頻度変化を上位神経核が総合的に判断することでITD検出を行うというモデルも提唱されている<ref name=grothe2010/>。 | ||
===ILD検出=== | ===ILD検出=== | ||
63行目: | 63行目: | ||
== 鳥類 == | == 鳥類 == | ||
ITD、ILDを用いた音源定位について[[wj:メンフクロウ|メンフクロウ]]を用いて特に詳しく調べられている。メンフクロウにおいても左右方向の音源の位置はITDとしてとらえられる。メンフクロウにおいて特異な点は、ITD検出に高周波音も利用することと、[[外耳道]] | ITD、ILDを用いた音源定位について[[wj:メンフクロウ|メンフクロウ]]を用いて特に詳しく調べられている。メンフクロウにおいても左右方向の音源の位置はITDとしてとらえられる。メンフクロウにおいて特異な点は、ITD検出に高周波音も利用することと、[[外耳道]]開口部の高さが左右で異なっており上下方向の音源の位置をILDとして捉え易いことである。メンフクロウはITDとILDの情報を下丘において統合する。前述の様に高周波音においては位相多義性が生じやすいが、下丘の外側核における周波数統合によってITD情報の持つ位相多義性が除去され、それぞれの細胞がコードするITDが一義的に決まる。外側核ではさらにITD情報とILD情報を統合することで、三次元空間の特定の位置に応答する細胞が規則的に配列した構造、つまり聴覚情報を元にした空間マップが形成される。このような神経情報処理を行うことで、メンフクロウは三次元空間での正確な音源の位置を特定でき、暗闇でも聴覚情報を手がかりに獲物を捕らえることができると考えられている<ref><pubmed>14527266</pubmed></ref>。 | ||
===ITD検出=== | ===ITD検出=== |