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Hiroakiishida (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
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== 行為としての知覚 == | == 行為としての知覚 == | ||
これまでの心理学・生理学における感覚作用に関する知見は、感覚作用の性質は特定な受容器の興奮の性質であり、相互に独立していると考えに基づいている。これを特殊神経エネルギー仮説という。この仮説を前提とすれば、知覚は、感覚を(知覚者の内部過程で)間接的に加工(推論、演繹、統合など)して得られると結論づけられる。この点に関して、知覚が要素の複合なのか、あるいはある種の構造による体制化なのかという疑問が、[[経験主義心理学]]と[[ゲシュタルト心理学]]の間で議論された。経験主義者は、学習、あるいは連合が知覚の唯一の体制化原理とし、ゲシュタルト理論家は、脳内の自律的な「[[場の力]]」が知覚の体制化の原理だと主張した。知覚理論に関わる心理学史については、Boring<ref name="ref2">'''Boring, E. G.'''<br>Sensation and perception in the history of experimental psychology<br>Appleton-Century.1942</ref>が詳しい。日本語では、<ref>'''中島義明 [編]'''<br>現代心理学 [理論]事典<br>''朝倉書店''</ref>が詳しい。 | |||
古典的な知覚理論に対し、J.J. Gibsonは、受容器に特定的な感覚質を想定しない直接的な知覚経験の可能性を主張した<ref>'''J.J.ギブソン'''<br>生態学的知覚システム 感性をとらえなおす<br>佐々木正人・古山宣大洋・三嶋博之 [監訳]<br>''東京大学出版会''</ref>。この理論では、知覚は動物が能動的に、見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触ることで獲得する(ピックアップする)情報であるとし、諸感覚器官と神経系を基盤とした 知覚システム(基礎定位、聴覚、触覚、味覚−嗅覚、視覚)を構成する。Gibsonによれば、知覚システムへの神経入力は、身体と環境との相互作用によって入力の段階で既に組織されているので(直接知覚)、脳内で改めて連合形成や、記憶照合をする必要がないという。 | |||
古典的な知覚理論に対する同様の批判は、Merleau-Pontyの議論の中にも見ることができる<ref>'''M.メルローポンティ'''<br>知覚の現象学Ⅰ<br>竹内芳郎・小木貞孝 [訳]<br>''みすず書房''</ref> <ref>'''M.メルローポンティ'''<br>知覚の現象学Ⅱ<br>竹内芳郎・小木貞孝 [訳]<br>''みすず書房''</ref>。Merleau-Pontyは、知覚をめぐる古典的な分析が知覚の能動的側面を見失っていると主張し、身体と環境との相互作用が知覚経験の基盤であると強調した。 | 古典的な知覚理論に対する同様の批判は、Merleau-Pontyの議論の中にも見ることができる<ref>'''M.メルローポンティ'''<br>知覚の現象学Ⅰ<br>竹内芳郎・小木貞孝 [訳]<br>''みすず書房''</ref> <ref>'''M.メルローポンティ'''<br>知覚の現象学Ⅱ<br>竹内芳郎・小木貞孝 [訳]<br>''みすず書房''</ref>。Merleau-Pontyは、知覚をめぐる古典的な分析が知覚の能動的側面を見失っていると主張し、身体と環境との相互作用が知覚経験の基盤であると強調した。 |
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