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[[Image:CalyxFig1.png|thumb|350px|'''図1.Held萼状シナプス前終末からのパッチクランプ記録'''<br>(左)ラット脳幹スライス標本におけるシナプス前終末とシナプス後細胞(=台形体核主細胞)からの同時パッチクランプ記録の例。画面中央円形の構造が台形体核主細胞の細胞体、その細胞体上部辺縁に位置する三日月形の構造がHeld萼状シナプスの前終末である。(右)パッチ電極より蛍光色素を注入し、萼状シナプス前終末の形態を可視化した顕微鏡写真。透過光像と重ね合わせてある。]]
[[Image:CalyxFig1.png|thumb|350px|'''図1.Held萼状シナプス前終末からのパッチクランプ記録'''<br>(左)ラット脳幹スライス標本におけるシナプス前終末とシナプス後細胞(=台形体核主細胞)からの同時パッチクランプ記録の例。画面中央円形の構造が台形体核主細胞の細胞体、その細胞体上部辺縁に位置する三日月形の構造がHeld萼状シナプスの前終末である。(右)パッチ電極より蛍光色素を注入し、萼状シナプス前終末の形態を可視化した顕微鏡写真。透過光像と重ね合わせてある。]]


 [[脳幹]]の[[蝸牛神経核]]から伸長した[[軸索]]終末端が、対側[[台形体核]]の主細胞に形成するカリックス(calyx、萼)状の[[シナプス]]。ドイツの解剖学者[[wikipedia:de:Hans Held (Mediziner)|Hans Held]](1866-1942)が[[ゴルジ染色]]によって同定した<ref name=ref1>'''Hans von Held'''<br>Die zentrale Gehorleitung.<br>''Arch. Anat. Physiol. Anat. Abt. '' :1893, 17;201-248.</ref>。[[聴覚]]神経回路を構成し、両耳間強度差による[[音源定位]]に重要な情報処理機能を果たしている。音入力を聴覚中枢へ高速かつ正確に伝達するため、前終末端が台形体核主細胞の細胞体を萼状に包み込み、入力信号に応じて多量の興奮性[[神経伝達物質]][[グルタミン酸]]を放出する。1994年、Forsytheはこの巨大[[シナプス前終末]]から[[パッチクランプ記録]]を行うことに成功した<ref name=ref2><pubmed> 7837096 </pubmed></ref>。ついでシナプス前終末と台形体核主細胞からの同時パッチクランプ記録(図1)が可能になり、温血動物中枢シナプス伝達機構の研究上、格好のモデルとなっている<ref name=ref3><pubmed> 16896951 </pubmed></ref><ref name=ref4>'''高橋 智幸, 堀 哲也, 中村 行宏, 山下 貴之'''<br>プレシナプス機構のスライスパッチクランプ研究法<br>岡田泰伸編 最新パッチクランプ実験技術法, pp.96-102.  ''吉岡書店(東京)'':2011</ref><ref name=ref5><pubmed> 22035348 </pubmed></ref>。なお、calyxは「萼(がく)」と「杯」の両方の和訳が可能であり、腎臓のcalyxのように腎杯と訳されることもある。しかし実際のシナプスの形態、特に成熟後の形態を考慮すると杯よりも花萼がふさわしく、本邦のcalyx of Held研究者間ではこの見解を支持する見方が多かったこともあり、本稿では一貫して「Held萼状シナプス」の和訳を用いた。
 [[脳幹]]の[[蝸牛神経核]]から伸長した[[軸索]]終末端が、対側[[台形体核]]の主細胞に形成するカリックス(calyx、萼)状の[[シナプス]]。ドイツの解剖学者[[wikipedia:de:Hans Held (Mediziner)|Hans Held]](1866-1942)が[[ゴルジ染色]]によって同定した<ref name=ref1>'''Hans Held'''<br>Die centrale Gehörleitung.<br>''Arch. Anat. Physiol. Anat. Abt. '' :1893, 17;201-248. [http://bsd.neuroinf.jp/wiki/ファイル:Hans_Held.pdf PDF]</ref>。[[聴覚]]神経回路を構成し、両耳間強度差による[[音源定位]]に重要な情報処理機能を果たしている。音入力を聴覚中枢へ高速かつ正確に伝達するため、前終末端が台形体核主細胞の細胞体を萼状に包み込み、入力信号に応じて多量の興奮性[[神経伝達物質]][[グルタミン酸]]を放出する。1994年、Forsytheはこの巨大[[シナプス前終末]]から[[パッチクランプ記録]]を行うことに成功した<ref name=ref2><pubmed> 7837096 </pubmed></ref>。ついでシナプス前終末と台形体核主細胞からの同時パッチクランプ記録(図1)<ref name=ref3>'''高橋 智幸, 堀 哲也, 中村 行宏, 山下 貴之'''<br>プレシナプス機構のスライスパッチクランプ研究法<br>岡田泰伸編 最新パッチクランプ実験技術法, pp.96-102.  ''吉岡書店(東京)'':2011</ref>が可能になり、温血動物中枢シナプス伝達機構の研究上、格好のモデルとなっている<ref name=ref4><pubmed> 16896951 </pubmed></ref><ref name=ref5><pubmed> 22035348 </pubmed></ref>
 
 なお、calyxは「[[wj:萼|萼]](がく)」と「杯」の両方の和訳が可能であり、[[wj:腎臓|腎臓]]のcalyxのように腎杯と訳されることもある。しかし実際のシナプスの形態、特に成熟後の形態を考慮すると杯よりも花萼がふさわしく、本邦のcalyx of Held研究者間ではこの見解を支持する見方が多かったこともあり、本稿では一貫して「Held萼状シナプス」の和訳を用いた。


==構造==
==構造==
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=== 発生 ===
=== 発生 ===
 内側蝸牛神経核球形房状細胞の軸索は、[[Robo3]]によって[[脳幹]]対側への伸長が誘導され、[[EphB]]によって台形体核主細胞にターゲッティングされる<ref name=ref6><pubmed> 21093567 </pubmed></ref>。
 内側蝸牛神経核球形房状細胞の軸索は、[[Robo]]3によって[[脳幹]]対側への伸長が誘導され、[[Eph]]Bによって台形体核主細胞にターゲッティングされる<ref name=ref6><pubmed> 21093567 </pubmed></ref>。


 齧歯類では、軸索末端が台形体核に到達してコンタクトを形成するのは胎生17日齢頃であり、この時点ですでにシナプスは台形体核神経細胞に[[活動電位]]を誘発する強度を有している<ref name=ref7><pubmed> 20855433 </pubmed></ref>。生後1日齢までは樹状に分岐したシナプス前終末が台形体核主細胞の細胞体や[[樹状突起]]に接触しており、1つの台形体核主細胞には複数の軸索が投射している。特徴的な萼状シナプス前終末は、生後2~4日齢にかけて形成される。この期間に1つの主要な投射入力を残して他の入力線維は排除され、生後5日齢までにはシナプス前終末と台形体核主細胞の間に1:1対応が確立する<ref name=ref8><pubmed> 16707803 </pubmed></ref>。しかし、一部の蝸牛神経細胞の軸索は分岐して複数の台形体核主細胞へ投射・支配することがあるため、蝸牛神経細胞と台形体核主細胞の関係は必ずしも1対1ではない。
 齧歯類では、軸索末端が台形体核に到達してコンタクトを形成するのは胎生17日齢頃であり、この時点ですでにシナプスは台形体核神経細胞に[[活動電位]]を誘発する強度を有している<ref name=ref7><pubmed> 20855433 </pubmed></ref>。生後1日齢までは樹状に分岐したシナプス前終末が台形体核主細胞の細胞体や[[樹状突起]]に接触しており、1つの台形体核主細胞には複数の軸索が投射している。特徴的な萼状シナプス前終末は、生後2~4日齢にかけて形成される。この期間に1つの主要な投射入力を残して他の入力線維は排除され、生後5日齢までにはシナプス前終末と台形体核主細胞の間に1:1対応が確立する<ref name=ref8><pubmed> 16707803 </pubmed></ref>。しかし、一部の蝸牛神経細胞の軸索は分岐して複数の台形体核主細胞へ投射・支配することがあるため、蝸牛神経細胞と台形体核主細胞の関係は必ずしも1対1ではない。
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 マウスおよび[[ラット]]では生後12日齢頃に聴覚機能が完成するが、この時期にHeld萼状シナプス伝達の性質が変化することが知られている。
 マウスおよび[[ラット]]では生後12日齢頃に聴覚機能が完成するが、この時期にHeld萼状シナプス伝達の性質が変化することが知られている。


 例えば、シナプス前終末における[[カリウムチャネル]]の発現増加と活性化速度の上昇によって、シナプス前終末の活動電位幅が短縮し(図3)、高頻度での活動電位発生が可能となる<ref name=ref33><pubmed> 23633571 </pubmed></ref>。活動電位幅の短縮はCa<sup>2+</sup>流入のタイミングを早めシナプス応答の立ち上がりを早くするが、一方でカルシウムチャネルの開口数の減少と開口時間の短縮をもたらし、シナプス前末端へのCa<sup>2+</sup>流入量の減少によって小胞放出確率を低下させる。しかし、この[[放出確率]]の減少は、生後発達に伴って[[Ca2+センサー|Ca<sup>2+</sup>センサー]]がカルシウムチャネルクラスターに接近して、より高濃度のCa<sup>2+</sup>を感知することによって部分的に補償される<ref name=ref18/><ref name=ref34><pubmed> 15843616 </pubmed></ref>。シナプス強度は、更に[[アクティブゾーン]]の個数<ref name=ref9/>と[[即時放出可能プール]]サイズが増大することによって維持される<ref name=ref35><pubmed> 11483715 </pubmed></ref>。放出確率の減少と放出可能プールの増大は、1回のシナプス伝達で消費されるシナプス小胞の割合を低く抑え、高頻度でのシナプス伝達の持続を可能とする。
 例えば、シナプス前終末における[[カリウムチャネル]]の発現増加と活性化速度の上昇によって、シナプス前終末の活動電位幅が短縮し(図3)、高頻度での活動電位発生が可能となる<ref name=ref33><pubmed> 17331991 </pubmed></ref>。活動電位幅の短縮はCa<sup>2+</sup>流入のタイミングを早めシナプス応答の立ち上がりを早くするが、一方でカルシウムチャネルの開口数の減少と開口時間の短縮をもたらし、シナプス前末端へのCa<sup>2+</sup>流入量の減少によって小胞放出確率を低下させる。しかし、この[[放出確率]]の減少は、生後発達に伴って[[Ca2+センサー|Ca<sup>2+</sup>センサー]]がカルシウムチャネルクラスターに接近して、より高濃度のCa<sup>2+</sup>を感知することによって部分的に補償される<ref name=ref18/><ref name=ref34><pubmed> 15843616 </pubmed></ref>。シナプス強度は、更に[[アクティブゾーン]]の個数<ref name=ref9/>と[[即時放出可能プール]]サイズが増大することによって維持される<ref name=ref35><pubmed> 11483715 </pubmed></ref>。放出確率の減少と放出可能プールの増大は、1回のシナプス伝達で消費されるシナプス小胞の割合を低く抑え、高頻度でのシナプス伝達の持続を可能とする。


 聴覚獲得時期前後でシナプス小胞の開口放出を担う電位依存性[[カルシウムチャネル]]サブタイプの構成にも変化が生じる。生後7日齢シナプス前終末では[[Cav2.1]]([[P/Q型カルシウムチャネル|P/Q型]])、[[Cav2.2]]([[N型カルシウムチャネル|N型]])、[[Cav2.3]]([[R型カルシウムチャネル|R型]])が共存してシナプス伝達を担っているが、生後2週齢までにCav2.2とCav2.3は消失しCav2.1だけが残る<ref name=ref36><pubmed> 10627581 </pubmed></ref>。またシナプス前終末内の[[カルシウム結合タンパク質]] [[カルレチニン]]の発現が増加して、シナプスの短期可塑性に影響を与える<ref name=ref37><pubmed> 15355314 </pubmed></ref>。
 聴覚獲得時期前後でシナプス小胞の開口放出を担う電位依存性[[カルシウムチャネル]]サブタイプの構成にも変化が生じる。生後7日齢シナプス前終末では[[Cav2.1]]([[P/Q型カルシウムチャネル|P/Q型]])、[[Cav2.2]]([[N型カルシウムチャネル|N型]])、[[Cav2.3]]([[R型カルシウムチャネル|R型]])が共存してシナプス伝達を担っているが、生後2週齢までにCav2.2とCav2.3は消失しCav2.1だけが残る<ref name=ref36><pubmed> 10627581 </pubmed></ref>。またシナプス前終末内の[[カルシウム結合タンパク質]] [[カルレチニン]]の発現が増加して、シナプスの短期可塑性に影響を与える<ref name=ref37><pubmed> 15355314 </pubmed></ref>。
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 シナプス促通は、初回の活動電位によって流入したCa<sup>2+</sup>が原因となって生じる。[[シナプス前終末内]]に残存したCa<sup>2+</sup>が2回目の活動電位によって流入するCa<sup>2+</sup>に加算され、小胞のCa<sup>2+</sup>センサーはより高濃度のCa<sup>2+</sup>を感知する。また残存Ca<sup>2+</sup>はカルシウムチャネルの開口速度を速めて<ref name=ref51><pubmed> 9769416 </pubmed></ref>、[[シナプス促通]]をもたらす<ref name=ref44/>。生後発達に伴い[[放出確率]]が低下し[[放出可能プール]]が大きくなるため、聴覚獲得後の萼状シナプスでは、促通傾向が優勢になる。
 シナプス促通は、初回の活動電位によって流入したCa<sup>2+</sup>が原因となって生じる。[[シナプス前終末内]]に残存したCa<sup>2+</sup>が2回目の活動電位によって流入するCa<sup>2+</sup>に加算され、小胞のCa<sup>2+</sup>センサーはより高濃度のCa<sup>2+</sup>を感知する。また残存Ca<sup>2+</sup>はカルシウムチャネルの開口速度を速めて<ref name=ref51><pubmed> 9769416 </pubmed></ref>、[[シナプス促通]]をもたらす<ref name=ref44/>。生後発達に伴い[[放出確率]]が低下し[[放出可能プール]]が大きくなるため、聴覚獲得後の萼状シナプスでは、促通傾向が優勢になる。


 なお聴覚獲得前の萼状シナプスでは、連続高頻度刺激によってシナプス伝達の数分にわたる増強([[postsynaptic potentiation]]; [[PTP]])が誘発可能である<ref name=ref52><pubmed> 15695246 </pubmed></ref>。このメカニズムはCa<sup>2+</sup>濃度上昇によって活性化した[[PKC]]が小胞Ca<sup>2+</sup>センサーのCa<sup>2+</sup>感受性を高めることによる<ref name=ref46/>。
 なお聴覚獲得前の萼状シナプスでは、連続高頻度刺激によってシナプス伝達の数分にわたる増強([[post-tetanic potentiation]]; [[PTP]])が誘発可能である<ref name=ref52><pubmed> 15695246 </pubmed></ref>。このメカニズムはCa<sup>2+</sup>濃度上昇によって活性化した[[PKC]]が小胞Ca<sup>2+</sup>センサーのCa<sup>2+</sup>感受性を高めることによる<ref name=ref46/>。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

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