「前頭前野」の版間の差分

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現在のような向精神薬がなかった時代には、精神病の治療法として有効なものはほとんどないに等しい状態であった。1930年代に、前頭前野を取り去ったチンパンジーがたいへんおとなしくなったという動物実験の報告がなされたことから、それに基づいて強度の興奮あるいは不安症状を持つ精神病患者に対して前頭前野を取り去るという脳手術が試みられた。それが前頭葉ロボトミーfrontal lobotomyである。手術の結果、一部の患者では症状の改善が見られたと報告されたことから、世界で約5万人の人に対しこの手術が行われた。しかしその後この手術を受けた患者が、なにごとにもやる気がなくなり,外界に対して無関心,無頓着になること,反応性に乏しく,ものごとに注意を集中したり,状況を深く理解したり,推理したり,計画的に物事を行ったりすることが困難になること,感情が浅薄化し,節操がなくなり,時と場所をわきまえない言動が多くなることが明らかになった。その結果、現在ではこの手術は全く行なわれないが、症例から、前頭前野が意欲、注意、理解、パーソナリティーに重要な関わりがあることが示される。  
現在のような向精神薬がなかった時代には、精神病の治療法として有効なものはほとんどないに等しい状態であった。1930年代に、前頭前野を取り去ったチンパンジーがたいへんおとなしくなったという動物実験の報告がなされたことから、それに基づいて強度の興奮あるいは不安症状を持つ精神病患者に対して前頭前野を取り去るという脳手術が試みられた。それが前頭葉ロボトミーfrontal lobotomyである。手術の結果、一部の患者では症状の改善が見られたと報告されたことから、世界で約5万人の人に対しこの手術が行われた。しかしその後この手術を受けた患者が、なにごとにもやる気がなくなり,外界に対して無関心,無頓着になること,反応性に乏しく,ものごとに注意を集中したり,状況を深く理解したり,推理したり,計画的に物事を行ったりすることが困難になること,感情が浅薄化し,節操がなくなり,時と場所をわきまえない言動が多くなることが明らかになった。その結果、現在ではこの手術は全く行なわれないが、症例から、前頭前野が意欲、注意、理解、パーソナリティーに重要な関わりがあることが示される。  


  4.記憶・思考と前頭前野 
  4.記憶・思考と前頭前野
前頭前野に損傷を受けても、一般に健忘症amnesiaのような記憶障害は生じない。しかし、「いつ、どこかである事柄をしなければならない」という将来の予定に関する記憶(展望記憶prospective memory)の障害、あるいは情報をいつ、どこで得たのかという記憶(出典記憶source memory)の障害、そして時間を隔てて生起したことがらの、どちらが先に起こったのかという順序の記憶 temporal order memoryの障害は見られる。 前頭前野が最も大きく関わる記憶の種類がワーキングメモリーworking memoryである。ヒトで用いられるワーキングメモリー課題の典型の1つに、n-バック課題n-back taskと呼ばれるものがある。この課題では一定間隔をおいて次々に刺激が呈示されるが、被験者はそれぞれの刺激が呈示されるたびに、それがn個前のものと同じか違うかの判断をすることを求められる。nが3の場合を例に取ると、刺激が呈示されて比較が終わった時点では3個前のものを忘れ去り(リセットし)、2個前と1個前に呈示された刺激を「保持」しつつ、呈示されたばかりの刺激を新たに頭の中に入れるという「操作」を繰り返すことを要求される。前頭前野損傷患者はこの課題で著しい障害を示す。人の非侵襲的研究によると、n-バック課題に関係して、前頭前野外側部で顕著な活性化が見られる。 サルで試みられるワーキングメモリー課題の典型として遅延反応delayed responseがある。この課題では、いったん呈示された刺激が消えたあとに、その内容を保持し、それに基づいて適切な反応が求められる。前頭前野破壊ザルは、この課題の遂行に著しい障害を示す。前頭前野からニューロン活動を記録すると、遅延期間中に活動の上昇を示すとともに、保持すべき内容を反映した活動を示すニューロンが多数見出される。 前頭前野損傷患者には評価、計画、推論などの思考過程に障害が見られる。評価に関しては、例えば「この物品はどのくらいの値段だと思いますか」,あるいは「世界で最も大きな船の長さはどのくらいだと思いますか」というような問いに対して,損傷患者は正常と大きくかけ離れた値を出す傾向がある。  計画の立案や遂行においても障害が見られ、損傷患者は「順序だった計画を立てたり」,「計画を完成させたり」,「重要な項目と些細な項目を区別したり」,あるいは「目標と無関係なことがらを持ち込まないようにしたり」することに障害を示す。例えば海外旅行の計画を立てる,というような場合,スーツケースに荷物をつめるという優先度が高いことは重要視しない一方で,親戚にどんなおみやげを買うのか,というような瑣末なことを重要視したりする傾向が見られる[3]。 非侵襲的研究によると、プラニングに関係して前頭前野外側部で活性化が見られるが、特にその中でも外側部の一番前に位置する前頭極frontal poleでは活性化がよく見られる。前頭極は推論に関係した活性化も示すが、この部位は、いくつかの処理を並行的に行う、関係性の統合を行うなど、ワーキングメモリー負荷の高い条件で推論を行うときに重要な役割を果たしていると考えられる。なお、被験者が十分に課題の練習をして熟達してくると、前頭前野の活動性は小さくなり、代わりに大脳基底核の活動性が大きくなる。


5.反応の抑制・切り替えと前頭前野
前頭前野に損傷を受けても、一般に健忘症amnesiaのような記憶障害は生じない。しかし、「いつ、どこかである事柄をしなければならない」という将来の予定に関する記憶(展望記憶prospective memory)の障害、あるいは情報をいつ、どこで得たのかという記憶(出典記憶source memory)の障害、そして時間を隔てて生起したことがらの、どちらが先に起こったのかという順序の記憶 temporal order memoryの障害は見られる。 前頭前野が最も大きく関わる記憶の種類がワーキングメモリーworking memoryである。ヒトで用いられるワーキングメモリー課題の典型の1つに、n-バック課題n-back taskと呼ばれるものがある。この課題では一定間隔をおいて次々に刺激が呈示されるが、被験者はそれぞれの刺激が呈示されるたびに、それがn個前のものと同じか違うかの判断をすることを求められる。nが3の場合を例に取ると、刺激が呈示されて比較が終わった時点では3個前のものを忘れ去り(リセットし)、2個前と1個前に呈示された刺激を「保持」しつつ、呈示されたばかりの刺激を新たに頭の中に入れるという「操作」を繰り返すことを要求される。前頭前野損傷患者はこの課題で著しい障害を示す。人の非侵襲的研究によると、n-バック課題に関係して、前頭前野外側部で顕著な活性化が見られる。 サルで試みられるワーキングメモリー課題の典型として遅延反応delayed responseがある。この課題では、いったん呈示された刺激が消えたあとに、その内容を保持し、それに基づいて適切な反応が求められる。前頭前野破壊ザルは、この課題の遂行に著しい障害を示す。前頭前野からニューロン活動を記録すると、遅延期間中に活動の上昇を示すとともに、保持すべき内容を反映した活動を示すニューロンが多数見出される。 前頭前野損傷患者には評価、計画、推論などの思考過程に障害が見られる。評価に関しては、例えば「この物品はどのくらいの値段だと思いますか」,あるいは「世界で最も大きな船の長さはどのくらいだと思いますか」というような問いに対して,損傷患者は正常と大きくかけ離れた値を出す傾向がある。  計画の立案や遂行においても障害が見られ、損傷患者は「順序だった計画を立てたり」,「計画を完成させたり」,「重要な項目と些細な項目を区別したり」,あるいは「目標と無関係なことがらを持ち込まないようにしたり」することに障害を示す。例えば海外旅行の計画を立てる,というような場合,スーツケースに荷物をつめるという優先度が高いことは重要視しない一方で,親戚にどんなおみやげを買うのか,というような瑣末なことを重要視したりする傾向が見られる[3]。 非侵襲的研究によると、プラニングに関係して前頭前野外側部で活性化が見られるが、特にその中でも外側部の一番前に位置する前頭極frontal poleでは活性化がよく見られる。前頭極は推論に関係した活性化も示すが、この部位は、いくつかの処理を並行的に行う、関係性の統合を行うなど、ワーキングメモリー負荷の高い条件で推論を行うときに重要な役割を果たしていると考えられる。なお、被験者が十分に課題の練習をして熟達してくると、前頭前野の活動性は小さくなり、代わりに大脳基底核の活動性が大きくなる。
 
5.反応の抑制・切り替えと前頭前野  


前頭前野は不必要な反応や不適切な反応を抑制したり、必要に応じて適切な反応に切り替えたりすることに重要な役割を果たしている。 ゴー・ノーゴー課題go-no go taskではある刺激に一定の運動反応(ゴー反応)をし,別の刺激には運動反応を一切しないようにする(ノーゴー反応)ことが要求される。前頭前野に損傷のある患者は,ノーゴー反応が求められても,運動反応をしないように抑制することが困難である。ヒトの非侵襲的研究では、ノーゴーという行動抑制に関係して前頭前野外側部の特に下部で活性化が見られる。サルの前頭前野にも、ノーゴー反応が要求されたときに選択的に活動を示すニューロンが多数見出される。 おいしいものが目の前にあれば飲んだり、食べたりしたくなるもの(短期的欲求)であるが、それは肥満や生活習慣病にもつながることから、健康を考え(長期的欲求)、飲んだり食べたりするのをがまんすることをセルフコントロールself controlと呼ぶ。少しだけ働いて当面のわずかな収入を得る(短期的欲求)のではなく、将来の多くの収入(長期的目標)を目標に収入がほとんどない状態を耐える、ということが出来るのもセルフコントロール能力である。前頭前野はこのセルフコントロールにも重要な役割を果たしており、損傷患者は長期的利益より短期的利益を優先する傾向にある。人の非侵襲的研究においては、セルフコントロールに関係して前頭前野の外側部の活性化が見られている。また、この部位を磁気刺激して活動を抑制すると、セルフコントロール行動が阻害されることも示されている。さらに、サルに課題を訓練してニューロン活動を記録した研究によると、外側部ニューロンがセルフコントロールを担う活動をすることが示されている。 前頭前野損傷患者はまた,反応基準の切り替えset shiftingを要求される事態で障害を示す。反応基準の切り替えに関係して最もよく用いられる課題にウイスコンシン・カード分類課題Wisconsin card sorting taskがある。これは、図2のように色(赤、緑、黄、青)、形(三角、星、十字、丸)、数(1、2、3、4)がそれぞれ違う128枚のカードを、被験者に「色」か「形」か「数」のどれか1つを基準に分類していくことを求めるものである。被験者は分類の基準については教えられない。正答が6回続くと、被験者に知らせることなく突然分類の基準が変えられるので、被験者はフィードバックに従って新しい分類基準を見出し、それに基づいて反応しなければならない。 前頭前野に損傷のある患者は、分類の基準が変わっても、いつまでも前の基準に固執する傾向を示す。この課題遂行の上で最も重要な「分類基準の切り替え」には「左側」前頭前野外側部の下方後ろよりが重要な役割を持つとされる。なお、特に基準が変わった後に、以前の基準に基づく反応を抑制する上では、前頭極の重要性が指摘されている。また、サルにこの課題の簡易版を訓練して前頭前野のニューロン活動を記録した研究によると、現在の分類基準を保持する、それぞれの分類基準に基づく反応が正しかったか誤っていたのかを捉える、という活動を見出されている。  
前頭前野は不必要な反応や不適切な反応を抑制したり、必要に応じて適切な反応に切り替えたりすることに重要な役割を果たしている。 ゴー・ノーゴー課題go-no go taskではある刺激に一定の運動反応(ゴー反応)をし,別の刺激には運動反応を一切しないようにする(ノーゴー反応)ことが要求される。前頭前野に損傷のある患者は,ノーゴー反応が求められても,運動反応をしないように抑制することが困難である。ヒトの非侵襲的研究では、ノーゴーという行動抑制に関係して前頭前野外側部の特に下部で活性化が見られる。サルの前頭前野にも、ノーゴー反応が要求されたときに選択的に活動を示すニューロンが多数見出される。 おいしいものが目の前にあれば飲んだり、食べたりしたくなるもの(短期的欲求)であるが、それは肥満や生活習慣病にもつながることから、健康を考え(長期的欲求)、飲んだり食べたりするのをがまんすることをセルフコントロールself controlと呼ぶ。少しだけ働いて当面のわずかな収入を得る(短期的欲求)のではなく、将来の多くの収入(長期的目標)を目標に収入がほとんどない状態を耐える、ということが出来るのもセルフコントロール能力である。前頭前野はこのセルフコントロールにも重要な役割を果たしており、損傷患者は長期的利益より短期的利益を優先する傾向にある。人の非侵襲的研究においては、セルフコントロールに関係して前頭前野の外側部の活性化が見られている。また、この部位を磁気刺激して活動を抑制すると、セルフコントロール行動が阻害されることも示されている。さらに、サルに課題を訓練してニューロン活動を記録した研究によると、外側部ニューロンがセルフコントロールを担う活動をすることが示されている。 前頭前野損傷患者はまた,反応基準の切り替えset shiftingを要求される事態で障害を示す。反応基準の切り替えに関係して最もよく用いられる課題にウイスコンシン・カード分類課題Wisconsin card sorting taskがある。これは、図2のように色(赤、緑、黄、青)、形(三角、星、十字、丸)、数(1、2、3、4)がそれぞれ違う128枚のカードを、被験者に「色」か「形」か「数」のどれか1つを基準に分類していくことを求めるものである。被験者は分類の基準については教えられない。正答が6回続くと、被験者に知らせることなく突然分類の基準が変えられるので、被験者はフィードバックに従って新しい分類基準を見出し、それに基づいて反応しなければならない。 前頭前野に損傷のある患者は、分類の基準が変わっても、いつまでも前の基準に固執する傾向を示す。この課題遂行の上で最も重要な「分類基準の切り替え」には「左側」前頭前野外側部の下方後ろよりが重要な役割を持つとされる。なお、特に基準が変わった後に、以前の基準に基づく反応を抑制する上では、前頭極の重要性が指摘されている。また、サルにこの課題の簡易版を訓練して前頭前野のニューロン活動を記録した研究によると、現在の分類基準を保持する、それぞれの分類基準に基づく反応が正しかったか誤っていたのかを捉える、という活動を見出されている。  
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