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岸本泰司 | |||
徳島文理大学香川薬学部 | |||
英語名: eyeblink conditioning 仏: conditionnement du clignement de paupières | |||
{{box|text= | {{box|text= 瞬目反射条件づけは、聴覚刺激もしくは視覚刺激を条件刺激とし、角膜や眼瞼への穏やかな刺激を無条件刺激として両刺激を繰り返し対提示すると条件刺激だけで、まばたきの条件応答が出現する古典的(パブロフ型)条件づけの一種である。ウサギから人間にいたるまで多様な実験[[動物]]を利用してその学習メカニズムが研究され、[[脊椎動物]]の記憶•学習系の中で、その責任神経回路がもっとも詳らかにされている行動パラダイムの一つとされる。また、CSとUSの時間的関係によって、大きく遅延課題と痕跡課題の2種類が存在し、前者は[[小脳]]依存性の運動学習として、後者は[[海馬]]依存性の[[連合学習]]としてよく記述•利用される。遅延課題において小脳が記憶形成の場であることの根拠は、主にウサギの脳損傷実験と小脳疾患患者の臨床例よりもたらされた。遺伝子改変[[マウス]]に本学習系が適応された90年代以降は、記憶形成に重要な機能分子が同定され、特定の[[シナプス]]の役割も明らかにされつつある。また、多様な神経・[[精神疾患]]患者での研究報告例があり、こうした疾患モデルマウスの認知機能の評価系としても有用性が期待されている。}} | ||
== 瞬目反射条件づけとは== | == 瞬目反射条件づけとは== | ||
瞬目反射条件づけ(eyeblink classical conditioning; EBCC、EBC)は、古典的条件付け(パブロフ型条件づけ)の一種であり、記憶・学習の基盤となる神経構造や機構を研究するための行動課題として長年実験心理学および神経生理学の分野で利用されてきた。古典的条件付けは、「本来は生理的な反応を引き起こさない条件刺激(CS ; conditioned stimulus)」と「生理的な反応(無条件反応応答、UR; unconditioned responses)を引き起こす無条件刺激(US ; unconditioned stimulus)」を組み合わせて繰り返し提示すると、CSを与えただけでURに類似した応答である条件応答(CR ; conditioned responses)が見られるようになる学習形態である。最もよく知られている例はいわゆる“パブロフの犬”であり、CSとしてメトロノームの音を、USとして肉を提示すると、この対刺激によって、音のみで唾液の[[分泌]]を出すようになる<ref>'''藤田尚男、藤田恒夫'''<br>標準組織学 総論 第4版<br>''医学書院(東京)'':2002''</ref>。瞬目条件付けの場合、通常、聴覚刺激もしくは視覚刺激をCSとし、瞬目を引き起こすUSとしては、角膜や眼瞼への穏やかな空気刺激もしくは電気刺激が用いられる。このCSとUSを組み合わせて何度も繰り返し提示すると、被験動物は、やがてUSに先行してCSのみでまばたきや瞬膜の伸張を起こすようになる。学習の度合いはCRの出現率、すなわち全試行中でCRが出現した試行数の割合によって示される。動物種や後述するパラダイムによってその値は大きく異なるものの、ウサギの場合、よく訓練されると非常に高い学習率(90%以上)に到達する。なお、条件付けが成立したのち、USを伴わずCSだけ繰り返し提示するとCRは次第に消失する。これを実験的消去と呼ぶ。しかし、一見完全に消去が起こったように見えても、[[記憶痕跡]]が消失した訳ではなく、その後CSを呈示するとCRは急速に出現し、最初よりも少ない試行回数で元の学習到達率まで回復する。これを自発的回復と呼ぶ。また、マウス、[[ラット]]、モルモット、[[ネコ]]、[[サル]]、そして人間にいたるまで多様な[[ほ乳類]]種を実験動物種としてその学習メカニズムが研究されてきたことも本学習の特徴的な点である(最も集中的に調べられてきた動物種はウサギである。また特殊な標本を利用して、[[カメ]]などの非ほ乳類での研究例も存在する) [2] [3] [4]。後述する遅延課題の場合、その学習の記憶痕跡の場が、主に小脳にあることから、特に神経科学の分野で小脳依存性学習もしくは運動学習としてよく分類•記述される。小脳が記憶形成の場であるとのエビデンスは、主に実験動物の脳損傷実験と小脳疾患患者の臨床例よりもたらされた[5] [6]。また多くのニューラルネットワークモデルによっても瞬目反射条件づけの小脳理論が構築され、行動実験の結果との擦り合わせが図られている。 | |||
== 学習パラダイムとしての利点と独自性 == | |||
瞬目反射条件づけは、脊椎動物の記憶•学習系の中で、その責任神経回路がもっとも詳らかにされている行動パラダイムの一つである[6]。また、実験動物と人間の双方において、ほぼ同一の課題で学習能力を測定できる数少ない学習系としても独自性がもち(例えば[[げっ歯類]]で頻用されるモリス式[[水迷路]]試験をそのままの課題で人間に適用することは不可能である)、マウスで得られた行動データを、人間の患者を対象とした臨床的知見に照らし合わせてその脳内機構に切り込むことも可能となる。また、パラダイムの使い分け(CSとUSの時間関係を変えること)により、小脳と海馬それぞれの機能を評価できることも本学習系がもつ優位性のひとつである。さらに、まばたき行動は仮に筋萎縮や麻痺といった四肢の障害がある場合でも、その出力が比較的最後まで保たれることから、例えば運動失調があるモデル動物でも認知機能の評価がしやすい。 | |||
== CSとUSの時間関係 == | |||
他の古典的条件づけと同様に、CSとUSが提示される順序が、瞬目反射条件づけの成立に非常に重要な要因となる。すなわち、CSより前にUSが提示されるような課題(逆向性条件づけ)では、原則的に学習の成立は困難である。一方、CSがUSに先行する課題(先行性条件づけ)で、学習の成立に有効となる。CSの開始とUSの開始の時間的間隔を刺激時間間隔(Interstimulus Interval; ISI)と呼び、一般にISIが250 ms程度で最も学習獲得効率が大きくなることが知られている[7]。 | |||
== 遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題 == | |||
前述したように、瞬目反射条件づけではUSの開始前にCSが提示されるが、この学習には、主に両刺激の時間特性の違いによって、遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題の2種類の行動パラダイムが存在する(図1)。遅延課題は、CSとUSに時間的な重なりがあり、かつ同時に終了するようなパラダイムである。一方、痕跡課題では、CSが終了してからUSが提示される。すなわち痕跡課題では、CSとUSの間に、無刺激の期間(Trace Interval; TI)が挿入される。両課題ともその記憶獲得に小脳が必要であるが、痕跡課題においては、TIが十分に大きい場合では、記憶の獲得に小脳に加えて海馬が必須となる。例えば、ウサギやマウスではTIが500 ms以上の場合、ラットでは250 ms以上の場合、痕跡課題が海馬依存性学習になることが示されている[8] [9] [10]。なお、遅延課題の場合、海馬を除去しても学習は成立するが、海馬ニューロンの活動を電気的に、あるいはスコポラミンの投与などで薬理学的に撹乱させると、CRの獲得が遅くなることが知られている[11]。すなわち遅延課題の成立に海馬は不要であるが、海馬の異常は遅延課題に影響を与えるという意味において両者は関連性を持つ。実際70年代までは、遅延課題を対象とした研究でさえも、小脳よりも、むしろ海馬ニューロン活動との関連が興味の中心とされていた。小脳と遅延課題との関係が実験的に検討され始めたのは80年代になってからである。ところで、小脳は痕跡課題においても必要と前述したが、小脳皮質のシナプス可塑性に障害を持つノックアウトマウスや小脳皮質の唯一の出力細胞である[[プルキンエ細胞]](PC)が消失したpcd (Purkinje cell deficient) マウスでは、痕跡課題の学習能力が正常に保たれていることが発見されてから、痕跡課題には小脳皮質は必須ではないという同意が得られつつある[12] [13]。つまり、小脳核は、遅延、痕跡両課題に必須であるものの、小脳皮質は遅延課題のみで重要な役割を担っている可能性がある。 | |||
== 研究の歴史 == | |||
もっとも初期の瞬目反射条件づけの現象についての報告は人間を対象としたもので、1922年の文献まで遡れる[14]。その後、心理学における行動主義の台頭に相まって、多くの重要な心理学的知見が、この瞬目反射条件づけを利用して発見された。例えば、ハンフリーズ効果、すなわち、連続強化よりも、部分強化で条件付けられた行動の方が、消去抵抗が強くなる現象は、この学習系を用いて発見されたものである[15](ちなみに、この効果の発見により、瞬目反射条件づけの実験では通常CSとUSの対提示だけではなく10回に1回程度CSのみ、あるいはさらにUSのみの試行を組み合わせて行うことが多い)。60年代、Isidore Gormezanoによりウサギに対してこの連合学習が導入されて以降は、数多くの実験動物を用いた生理•心理学的研究が行われた[7]。我が国においても、主に人間を用いた瞬目反射条件づけの心理学的研究が盛んに行われていた時期がある[16]。1980年代後半になり、Ronald W. Stantonによって、発達と学習との関係を調べる目的で、ラットに対して非拘束下での瞬目反射条件づけを可能とする手技が開発された[17]。これは、眼下に4本の電極を埋め込み、そのうち2本を眼輪筋のEMGの取得、残る2本をUSとしての電気刺激に用いるものである(図2)。90年代に入ると、このラットの方法論がノックアウトマウスにそのまま適応され、瞬目反射条件づけの行動遺伝学が開始された[18]。特に、小脳のシナプス可塑性である[[長期抑圧]] (Long-term depression; LTD)(後述)と瞬目反射条件づけ遅延課題との関係性が集中的に調べられることになる[18]。こうした行動遺伝学的研究によって、代謝[[グルタミン酸受容体]]1型(mGluR1)、PKCγ、GluRδ2、内在性[[カンナビノイド受容体]]CB1など多くの分子が小脳LTDと瞬目反射条件づけ遅延課題の双方に必要であることが明らかとなり、[[前庭動眼反射]]と同様、瞬目反射条件づけにおいても、LTDが瞬目反射条件づけのシナプス基盤であるという「小脳LTD仮説(後述)」が90年代後半には説得力をもって醸成されていった[13]。さらに、今世紀に入り、瞬目反射条件づけの痕跡課題もマウスに適応され、海馬におけるシナプス可塑性との相関性が示唆されている[19]。さらには、特定の時期かつ特定の神経細胞のみで機能を失活させたミュータントマウスに適用することにより、特定のシナプス回路が瞬目反射条件づけの記憶形成や保持に果たす役割も詳らかにされつつある[9] [20] [21]。 | |||
[[ファイル:MouseEBCC.jpg|サムネイル|300px|右|'''図2. タイトル'''<br>図の説明をお願いいたします。]] | |||
== 瞬目反射条件づけの神経回路とLTD仮説 == | |||
瞬目反射条件づけ(遅延課題)に関与する小脳の神経回路(図2)について概説する。 | |||
=== 瞬目反射経路 === | |||
USが角膜に到達すると、その感覚情報は[[三叉神経]]核(trigeminal nucleus)に運ばれ、[[外転神経]]核に中継される。これらの神経核からの出力が、角膜刺激に対する瞬目の無条件反射を引き起こす様々な眼筋を制御している。瞬目の主動筋である眼輪筋(orbicularis oculi muscle)筋電図(EMG)法は、有効で感度の高い瞬目の検出法と考えられ、現在では瞬目反射条件づけ研究においてもっとも頻用される行動出力の評価指標である。眼輪筋筋電図法の短所として、顔面部への電極装着による異物感があることがあげられるが、瞬目反射の動作筋そのものの活動を記録するという意味においてもっとも適しているとされる[16]。この他に、ビデオカメラを用いて、瞼の物理的な位置を測定する方法[4]や、小型の磁気サーチコイルを用いた方法論が利用されることもある[16] 。 | |||
=== CS経路 === | |||
CSとしての聴覚や視覚情報は、橋核(pontine nuclei, PN)を経由する。もっとも一般的なCSが音の場合、聴覚情報は[[蝸牛神経]]核を経て、橋核から苔状線維(mossy fiber, MF)を伝わり、さらには中小脳脚を介して小脳皮質に入る。小脳皮質では、この情報は顆粒細胞(granule cells, [[GR]])に受け継がれ、その[[軸索]]である平行線維(parallel fiber, PF)を辿ってプルキンエ細胞(Purkinje cell, PC)へ入力する。また、苔状線維は小脳核にも投射しシナプスを形成しており、CS情報は直接小脳核に入力されることも重要である。 | |||
=== US経路 === | |||
US情報は、三叉神経核を経由して延髄の下オリーブ核(inferior olive, IO)に投射する。下オリーブ核は登上線維(climbing fiber, CF)の起始核であり、その結果USに関する情報は小脳核とPCの双方に入力する。 | |||
=== 小脳におけるCS-US入力の統合と長期[[抑圧]] (Long-term depression; LTD) === | |||
前述のように、CSとUSの連合情報は、小脳において2つの部位で収斂される。すなわち小脳皮質と小脳核である。小脳核の中でも、瞬目反射条件づけに特に重要な領域は中位核(interpositus nucleus)である。橋核と下オリーブ核からそれぞれ運ばれてきたCSとUS情報の統合に加え、小脳核のニューロンは小脳皮質のPCから強力な[[GABA作動性]]の[[抑制性]]入力を受けている。中位核からの出力は、赤核を経て、[[顔面神経]]核や外転神経核へと投射される。これらの神経核は瞬目の運動出力を担っている。すなわち、小脳核は、CSとUSの収斂の場であるだけでなく、小脳からの出力構造としてもはたらいているといえる。 | |||
なお、平行線維とPC間にはシナプス伝達効率の長期抑圧(LTD)が生じることが知られている。PCの抑制性の出力が解除されることで、驚愕反射としても知られる「音を聴いて瞬きが起こる経路」が堰を切ったように現れるという説明がこのモデルの主眼である[22]。前述のように、これまでにLTDに欠損があるマウス系統の多くで瞬目反射条件づけ(遅延課題)に重篤な障害が起きていることが示されてきた。これは、小脳LTDと瞬目反射条件づけが少なくとも同じ分子基盤を共有していることを強く示す証左であった。しかしながら、近年、小脳LTDが障害されているミュータントマウスでも、瞬目反射条件づけ(遅延課題)は正常であったと主張する報告もある [23]。また、小脳LTDは、運動記憶の獲得よりも表出のタイミングを担っているとする論調もあるが、いずれにせよこれらの研究はマウスにおける行動とシナプス機能の相関関係を論じたものであり、因果関係は明確ではない。 | |||
== 小脳皮質vs.小脳核の論争 == | |||
1980年代に南カルフォルニア大学のRichard F Thompsonのグループが、同側の小脳破壊(小脳皮質と小脳核の両方の破壊)によって、瞬目反射条件づけ遅延課題の学習獲得が失われることを発見し[4]、これが瞬目反射条件づけ(遅延課題)に小脳が必要であるとのコンセンサスの端緒となった(当初、小脳破壊は単純に、CRの出力を損傷させているだけで、記憶の形成を阻害している訳ではないという反論もアイオワ大学の研究者からなされ両者との間で論争となったことも付記する[24] [25])。しかし、小脳核を完全に傷つけずに小脳皮質のみを除去することは実質的に困難であることから、小脳皮質が瞬目反射条件づけ(遅延課題)に必須であるかどうかが大きな論争となった。Thompsonらが、小脳核の重要性を強調したのに対し(ただし彼らのグループは後に、ミュータントマウスを用いて、むしろ後者の立場を支持する一連の研究を行ったことにも注意したい)、代表的にはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのChristopher H. Yeoのグループは、注意深い損傷実験により、小脳皮質がより瞬目反射条件づけ(遅延課題)の記憶獲得に重要であるとの言説を唱えた[26]。以下の2項で、小脳皮質と小脳核の役割に着目した研究例をより具体的に紹介する。 | |||
=== 小脳皮質の重要性についての議論 === | |||
小脳皮質の中でも特に重要な領域とされるのが、第VI半球小葉と前葉である。これらの部位の損傷•除去、不活性化、もしくは発現分子の欠損によって、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害されるとの多くの報告がある。Lavond and Steinmetzは、小脳核を残したまま、第VI半球小葉と小脳前葉を含む大きな領域を吸引除去したところ、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることを示した[27]。ただし、一度学習が成立した後に、こうした領域を除去してもCRの発現に大きな影響は見られないことから、学習の保持には重要ではないと考えられた。また、[[GABAA受容体]]アゴニストであるムシモルやAMPA受容体アンタゴニストCNQXを小脳第VI半球小葉に注入しても、同様に瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害される [6]。ただし、こうした方法論は、実際には小脳核の機能を完全に保持したままでの実行が困難なこともあり、小脳皮質の小脳核に対する相対的優位性に関しては未だに必ずしも評価が定まっていない。なお、小脳皮質の唯一の出力細胞であるPCが欠落したpcdマウスでも、小脳除去動物と同様に、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることが示されている[28]。ただし、この実験結果も、学習が完全に抑制されるわけではないことから、むしろ小脳皮質が瞬目反射条件づけ(遅延課題)に必須ではないとの文脈で参照されることも多い。また、平行線維からPCに対する神経伝達物質の放出を可逆的に阻害できるマウスを利用した研究によれば、小脳皮質における神経伝達が瞬目反射条件づけの記憶成立には必須でなく、CRの表出に重要であることも示唆されている[21]。 | |||
=== 小脳核(中位核)の重要性についての議論 === | |||
[[ | Richard F Thompsonのグループは、前中位核(anterior interpositus nucleus)のみに限局した損傷でも、同側小脳損傷(皮質と核の双方の損傷)の場合と同程度に、1) ナイーブ動物での瞬目反射条件づけ(遅延課題)の獲得を防ぐこと、さらに、2) よく学習が成立した後でさえCRの出現を阻害すること、を示した[6]。また、局所的なムシモルや麻酔剤の投与、あるいは冷却によって中位核を可逆的に不活性化しても、被験動物で完全にCRが出現しなくなることが相次いで報告された。さらに、瞬目反射条件づけ中の、中位核ニューロン活動のマルチユニット活動解析からは、中位核ニューロンはCRの表出に先んじて活動し始め、さらにこの神経発火の時間パターンはCRの時間パターンを非常に良く予測することが明らかにされた[29]。中位核においては、電気生理学的に長期増強現象も報告されていることから[30]、現時点においては、瞬目反射条件づけの記憶形成において最も重要な部位と認識されるにいたっている。 | ||
[ | |||
== | == 神経・精神疾患と瞬目反射条件づけ == | ||
人間を対象とした臨床研究によって、多様な神経・精神疾患の患者で瞬目反射条件づけの学習異常が観察•報告されている。ごく一部を本項で紹介する。 | |||
# [[アルツハイマー型認知症]]患者では痕跡課題は正常な学習を示すのに対し、遅延課題では顕著な学習障害が見られた[31]。 | |||
# 統合失調症の患者では、遅延課題において顕著な学習の亢進が見られた[32] 。 | |||
# パーキンソン病患者でも、遅延課題の学習獲得の速度が速くなる傾向にあった[33] 。 | |||
# [[自閉症]]スペクトラムと診断された小児では、痕跡課題のCRは正常であるが、遅延課題におけるCRの潜時が有意に早くなった[34]。 | |||
また、こうした疾患のモデル動物の認知機能の評価系としても有用性が期待されている。 | |||
== 展望・課題 == | |||
初めて瞬目反射条件づけが報告されてから100年弱のあいだに,様々な技術の発展を取り込みながら、本学習のメカニズムが解析されてきた。特に小脳の神経回路において明らかにされた遅延課題の学習機構は、記憶学習の生物学的研究における最大の事績の一つといえる。ただし、小脳皮質の役割まだ未解決の問題も内包しており、今後新しい方法論により、より直接的に瞬目反射条件づけにおける小脳LTDの貢献を明らかにすることが期待される。また、特性の異なる遅延課題と痕跡課題の利用により、疾患モデルの認知機能の評価法、治療法への応用など,今後は前臨床研究の推進による臨床研究あるいは創薬への橋渡しも期待される。 | |||
==参考文献== | |||
<References /> | |||
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2015年8月13日 (木) 19:49時点における版
岸本泰司
徳島文理大学香川薬学部
英語名: eyeblink conditioning 仏: conditionnement du clignement de paupières
瞬目反射条件づけは、聴覚刺激もしくは視覚刺激を条件刺激とし、角膜や眼瞼への穏やかな刺激を無条件刺激として両刺激を繰り返し対提示すると条件刺激だけで、まばたきの条件応答が出現する古典的(パブロフ型)条件づけの一種である。ウサギから人間にいたるまで多様な実験動物を利用してその学習メカニズムが研究され、脊椎動物の記憶•学習系の中で、その責任神経回路がもっとも詳らかにされている行動パラダイムの一つとされる。また、CSとUSの時間的関係によって、大きく遅延課題と痕跡課題の2種類が存在し、前者は小脳依存性の運動学習として、後者は海馬依存性の連合学習としてよく記述•利用される。遅延課題において小脳が記憶形成の場であることの根拠は、主にウサギの脳損傷実験と小脳疾患患者の臨床例よりもたらされた。遺伝子改変マウスに本学習系が適応された90年代以降は、記憶形成に重要な機能分子が同定され、特定のシナプスの役割も明らかにされつつある。また、多様な神経・精神疾患患者での研究報告例があり、こうした疾患モデルマウスの認知機能の評価系としても有用性が期待されている。
瞬目反射条件づけとは
瞬目反射条件づけ(eyeblink classical conditioning; EBCC、EBC)は、古典的条件付け(パブロフ型条件づけ)の一種であり、記憶・学習の基盤となる神経構造や機構を研究するための行動課題として長年実験心理学および神経生理学の分野で利用されてきた。古典的条件付けは、「本来は生理的な反応を引き起こさない条件刺激(CS ; conditioned stimulus)」と「生理的な反応(無条件反応応答、UR; unconditioned responses)を引き起こす無条件刺激(US ; unconditioned stimulus)」を組み合わせて繰り返し提示すると、CSを与えただけでURに類似した応答である条件応答(CR ; conditioned responses)が見られるようになる学習形態である。最もよく知られている例はいわゆる“パブロフの犬”であり、CSとしてメトロノームの音を、USとして肉を提示すると、この対刺激によって、音のみで唾液の分泌を出すようになる[1]。瞬目条件付けの場合、通常、聴覚刺激もしくは視覚刺激をCSとし、瞬目を引き起こすUSとしては、角膜や眼瞼への穏やかな空気刺激もしくは電気刺激が用いられる。このCSとUSを組み合わせて何度も繰り返し提示すると、被験動物は、やがてUSに先行してCSのみでまばたきや瞬膜の伸張を起こすようになる。学習の度合いはCRの出現率、すなわち全試行中でCRが出現した試行数の割合によって示される。動物種や後述するパラダイムによってその値は大きく異なるものの、ウサギの場合、よく訓練されると非常に高い学習率(90%以上)に到達する。なお、条件付けが成立したのち、USを伴わずCSだけ繰り返し提示するとCRは次第に消失する。これを実験的消去と呼ぶ。しかし、一見完全に消去が起こったように見えても、記憶痕跡が消失した訳ではなく、その後CSを呈示するとCRは急速に出現し、最初よりも少ない試行回数で元の学習到達率まで回復する。これを自発的回復と呼ぶ。また、マウス、ラット、モルモット、ネコ、サル、そして人間にいたるまで多様なほ乳類種を実験動物種としてその学習メカニズムが研究されてきたことも本学習の特徴的な点である(最も集中的に調べられてきた動物種はウサギである。また特殊な標本を利用して、カメなどの非ほ乳類での研究例も存在する) [2] [3] [4]。後述する遅延課題の場合、その学習の記憶痕跡の場が、主に小脳にあることから、特に神経科学の分野で小脳依存性学習もしくは運動学習としてよく分類•記述される。小脳が記憶形成の場であるとのエビデンスは、主に実験動物の脳損傷実験と小脳疾患患者の臨床例よりもたらされた[5] [6]。また多くのニューラルネットワークモデルによっても瞬目反射条件づけの小脳理論が構築され、行動実験の結果との擦り合わせが図られている。
学習パラダイムとしての利点と独自性
瞬目反射条件づけは、脊椎動物の記憶•学習系の中で、その責任神経回路がもっとも詳らかにされている行動パラダイムの一つである[6]。また、実験動物と人間の双方において、ほぼ同一の課題で学習能力を測定できる数少ない学習系としても独自性がもち(例えばげっ歯類で頻用されるモリス式水迷路試験をそのままの課題で人間に適用することは不可能である)、マウスで得られた行動データを、人間の患者を対象とした臨床的知見に照らし合わせてその脳内機構に切り込むことも可能となる。また、パラダイムの使い分け(CSとUSの時間関係を変えること)により、小脳と海馬それぞれの機能を評価できることも本学習系がもつ優位性のひとつである。さらに、まばたき行動は仮に筋萎縮や麻痺といった四肢の障害がある場合でも、その出力が比較的最後まで保たれることから、例えば運動失調があるモデル動物でも認知機能の評価がしやすい。
CSとUSの時間関係
他の古典的条件づけと同様に、CSとUSが提示される順序が、瞬目反射条件づけの成立に非常に重要な要因となる。すなわち、CSより前にUSが提示されるような課題(逆向性条件づけ)では、原則的に学習の成立は困難である。一方、CSがUSに先行する課題(先行性条件づけ)で、学習の成立に有効となる。CSの開始とUSの開始の時間的間隔を刺激時間間隔(Interstimulus Interval; ISI)と呼び、一般にISIが250 ms程度で最も学習獲得効率が大きくなることが知られている[7]。
遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題
前述したように、瞬目反射条件づけではUSの開始前にCSが提示されるが、この学習には、主に両刺激の時間特性の違いによって、遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題の2種類の行動パラダイムが存在する(図1)。遅延課題は、CSとUSに時間的な重なりがあり、かつ同時に終了するようなパラダイムである。一方、痕跡課題では、CSが終了してからUSが提示される。すなわち痕跡課題では、CSとUSの間に、無刺激の期間(Trace Interval; TI)が挿入される。両課題ともその記憶獲得に小脳が必要であるが、痕跡課題においては、TIが十分に大きい場合では、記憶の獲得に小脳に加えて海馬が必須となる。例えば、ウサギやマウスではTIが500 ms以上の場合、ラットでは250 ms以上の場合、痕跡課題が海馬依存性学習になることが示されている[8] [9] [10]。なお、遅延課題の場合、海馬を除去しても学習は成立するが、海馬ニューロンの活動を電気的に、あるいはスコポラミンの投与などで薬理学的に撹乱させると、CRの獲得が遅くなることが知られている[11]。すなわち遅延課題の成立に海馬は不要であるが、海馬の異常は遅延課題に影響を与えるという意味において両者は関連性を持つ。実際70年代までは、遅延課題を対象とした研究でさえも、小脳よりも、むしろ海馬ニューロン活動との関連が興味の中心とされていた。小脳と遅延課題との関係が実験的に検討され始めたのは80年代になってからである。ところで、小脳は痕跡課題においても必要と前述したが、小脳皮質のシナプス可塑性に障害を持つノックアウトマウスや小脳皮質の唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞(PC)が消失したpcd (Purkinje cell deficient) マウスでは、痕跡課題の学習能力が正常に保たれていることが発見されてから、痕跡課題には小脳皮質は必須ではないという同意が得られつつある[12] [13]。つまり、小脳核は、遅延、痕跡両課題に必須であるものの、小脳皮質は遅延課題のみで重要な役割を担っている可能性がある。
研究の歴史
もっとも初期の瞬目反射条件づけの現象についての報告は人間を対象としたもので、1922年の文献まで遡れる[14]。その後、心理学における行動主義の台頭に相まって、多くの重要な心理学的知見が、この瞬目反射条件づけを利用して発見された。例えば、ハンフリーズ効果、すなわち、連続強化よりも、部分強化で条件付けられた行動の方が、消去抵抗が強くなる現象は、この学習系を用いて発見されたものである[15](ちなみに、この効果の発見により、瞬目反射条件づけの実験では通常CSとUSの対提示だけではなく10回に1回程度CSのみ、あるいはさらにUSのみの試行を組み合わせて行うことが多い)。60年代、Isidore Gormezanoによりウサギに対してこの連合学習が導入されて以降は、数多くの実験動物を用いた生理•心理学的研究が行われた[7]。我が国においても、主に人間を用いた瞬目反射条件づけの心理学的研究が盛んに行われていた時期がある[16]。1980年代後半になり、Ronald W. Stantonによって、発達と学習との関係を調べる目的で、ラットに対して非拘束下での瞬目反射条件づけを可能とする手技が開発された[17]。これは、眼下に4本の電極を埋め込み、そのうち2本を眼輪筋のEMGの取得、残る2本をUSとしての電気刺激に用いるものである(図2)。90年代に入ると、このラットの方法論がノックアウトマウスにそのまま適応され、瞬目反射条件づけの行動遺伝学が開始された[18]。特に、小脳のシナプス可塑性である長期抑圧 (Long-term depression; LTD)(後述)と瞬目反射条件づけ遅延課題との関係性が集中的に調べられることになる[18]。こうした行動遺伝学的研究によって、代謝グルタミン酸受容体1型(mGluR1)、PKCγ、GluRδ2、内在性カンナビノイド受容体CB1など多くの分子が小脳LTDと瞬目反射条件づけ遅延課題の双方に必要であることが明らかとなり、前庭動眼反射と同様、瞬目反射条件づけにおいても、LTDが瞬目反射条件づけのシナプス基盤であるという「小脳LTD仮説(後述)」が90年代後半には説得力をもって醸成されていった[13]。さらに、今世紀に入り、瞬目反射条件づけの痕跡課題もマウスに適応され、海馬におけるシナプス可塑性との相関性が示唆されている[19]。さらには、特定の時期かつ特定の神経細胞のみで機能を失活させたミュータントマウスに適用することにより、特定のシナプス回路が瞬目反射条件づけの記憶形成や保持に果たす役割も詳らかにされつつある[9] [20] [21]。
瞬目反射条件づけの神経回路とLTD仮説
瞬目反射条件づけ(遅延課題)に関与する小脳の神経回路(図2)について概説する。
瞬目反射経路
USが角膜に到達すると、その感覚情報は三叉神経核(trigeminal nucleus)に運ばれ、外転神経核に中継される。これらの神経核からの出力が、角膜刺激に対する瞬目の無条件反射を引き起こす様々な眼筋を制御している。瞬目の主動筋である眼輪筋(orbicularis oculi muscle)筋電図(EMG)法は、有効で感度の高い瞬目の検出法と考えられ、現在では瞬目反射条件づけ研究においてもっとも頻用される行動出力の評価指標である。眼輪筋筋電図法の短所として、顔面部への電極装着による異物感があることがあげられるが、瞬目反射の動作筋そのものの活動を記録するという意味においてもっとも適しているとされる[16]。この他に、ビデオカメラを用いて、瞼の物理的な位置を測定する方法[4]や、小型の磁気サーチコイルを用いた方法論が利用されることもある[16] 。
CS経路
CSとしての聴覚や視覚情報は、橋核(pontine nuclei, PN)を経由する。もっとも一般的なCSが音の場合、聴覚情報は蝸牛神経核を経て、橋核から苔状線維(mossy fiber, MF)を伝わり、さらには中小脳脚を介して小脳皮質に入る。小脳皮質では、この情報は顆粒細胞(granule cells, GR)に受け継がれ、その軸索である平行線維(parallel fiber, PF)を辿ってプルキンエ細胞(Purkinje cell, PC)へ入力する。また、苔状線維は小脳核にも投射しシナプスを形成しており、CS情報は直接小脳核に入力されることも重要である。
US経路
US情報は、三叉神経核を経由して延髄の下オリーブ核(inferior olive, IO)に投射する。下オリーブ核は登上線維(climbing fiber, CF)の起始核であり、その結果USに関する情報は小脳核とPCの双方に入力する。
小脳におけるCS-US入力の統合と長期抑圧 (Long-term depression; LTD)
前述のように、CSとUSの連合情報は、小脳において2つの部位で収斂される。すなわち小脳皮質と小脳核である。小脳核の中でも、瞬目反射条件づけに特に重要な領域は中位核(interpositus nucleus)である。橋核と下オリーブ核からそれぞれ運ばれてきたCSとUS情報の統合に加え、小脳核のニューロンは小脳皮質のPCから強力なGABA作動性の抑制性入力を受けている。中位核からの出力は、赤核を経て、顔面神経核や外転神経核へと投射される。これらの神経核は瞬目の運動出力を担っている。すなわち、小脳核は、CSとUSの収斂の場であるだけでなく、小脳からの出力構造としてもはたらいているといえる。
なお、平行線維とPC間にはシナプス伝達効率の長期抑圧(LTD)が生じることが知られている。PCの抑制性の出力が解除されることで、驚愕反射としても知られる「音を聴いて瞬きが起こる経路」が堰を切ったように現れるという説明がこのモデルの主眼である[22]。前述のように、これまでにLTDに欠損があるマウス系統の多くで瞬目反射条件づけ(遅延課題)に重篤な障害が起きていることが示されてきた。これは、小脳LTDと瞬目反射条件づけが少なくとも同じ分子基盤を共有していることを強く示す証左であった。しかしながら、近年、小脳LTDが障害されているミュータントマウスでも、瞬目反射条件づけ(遅延課題)は正常であったと主張する報告もある [23]。また、小脳LTDは、運動記憶の獲得よりも表出のタイミングを担っているとする論調もあるが、いずれにせよこれらの研究はマウスにおける行動とシナプス機能の相関関係を論じたものであり、因果関係は明確ではない。
小脳皮質vs.小脳核の論争
1980年代に南カルフォルニア大学のRichard F Thompsonのグループが、同側の小脳破壊(小脳皮質と小脳核の両方の破壊)によって、瞬目反射条件づけ遅延課題の学習獲得が失われることを発見し[4]、これが瞬目反射条件づけ(遅延課題)に小脳が必要であるとのコンセンサスの端緒となった(当初、小脳破壊は単純に、CRの出力を損傷させているだけで、記憶の形成を阻害している訳ではないという反論もアイオワ大学の研究者からなされ両者との間で論争となったことも付記する[24] [25])。しかし、小脳核を完全に傷つけずに小脳皮質のみを除去することは実質的に困難であることから、小脳皮質が瞬目反射条件づけ(遅延課題)に必須であるかどうかが大きな論争となった。Thompsonらが、小脳核の重要性を強調したのに対し(ただし彼らのグループは後に、ミュータントマウスを用いて、むしろ後者の立場を支持する一連の研究を行ったことにも注意したい)、代表的にはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのChristopher H. Yeoのグループは、注意深い損傷実験により、小脳皮質がより瞬目反射条件づけ(遅延課題)の記憶獲得に重要であるとの言説を唱えた[26]。以下の2項で、小脳皮質と小脳核の役割に着目した研究例をより具体的に紹介する。
小脳皮質の重要性についての議論
小脳皮質の中でも特に重要な領域とされるのが、第VI半球小葉と前葉である。これらの部位の損傷•除去、不活性化、もしくは発現分子の欠損によって、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害されるとの多くの報告がある。Lavond and Steinmetzは、小脳核を残したまま、第VI半球小葉と小脳前葉を含む大きな領域を吸引除去したところ、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることを示した[27]。ただし、一度学習が成立した後に、こうした領域を除去してもCRの発現に大きな影響は見られないことから、学習の保持には重要ではないと考えられた。また、GABAA受容体アゴニストであるムシモルやAMPA受容体アンタゴニストCNQXを小脳第VI半球小葉に注入しても、同様に瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害される [6]。ただし、こうした方法論は、実際には小脳核の機能を完全に保持したままでの実行が困難なこともあり、小脳皮質の小脳核に対する相対的優位性に関しては未だに必ずしも評価が定まっていない。なお、小脳皮質の唯一の出力細胞であるPCが欠落したpcdマウスでも、小脳除去動物と同様に、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることが示されている[28]。ただし、この実験結果も、学習が完全に抑制されるわけではないことから、むしろ小脳皮質が瞬目反射条件づけ(遅延課題)に必須ではないとの文脈で参照されることも多い。また、平行線維からPCに対する神経伝達物質の放出を可逆的に阻害できるマウスを利用した研究によれば、小脳皮質における神経伝達が瞬目反射条件づけの記憶成立には必須でなく、CRの表出に重要であることも示唆されている[21]。
小脳核(中位核)の重要性についての議論
Richard F Thompsonのグループは、前中位核(anterior interpositus nucleus)のみに限局した損傷でも、同側小脳損傷(皮質と核の双方の損傷)の場合と同程度に、1) ナイーブ動物での瞬目反射条件づけ(遅延課題)の獲得を防ぐこと、さらに、2) よく学習が成立した後でさえCRの出現を阻害すること、を示した[6]。また、局所的なムシモルや麻酔剤の投与、あるいは冷却によって中位核を可逆的に不活性化しても、被験動物で完全にCRが出現しなくなることが相次いで報告された。さらに、瞬目反射条件づけ中の、中位核ニューロン活動のマルチユニット活動解析からは、中位核ニューロンはCRの表出に先んじて活動し始め、さらにこの神経発火の時間パターンはCRの時間パターンを非常に良く予測することが明らかにされた[29]。中位核においては、電気生理学的に長期増強現象も報告されていることから[30]、現時点においては、瞬目反射条件づけの記憶形成において最も重要な部位と認識されるにいたっている。
神経・精神疾患と瞬目反射条件づけ
人間を対象とした臨床研究によって、多様な神経・精神疾患の患者で瞬目反射条件づけの学習異常が観察•報告されている。ごく一部を本項で紹介する。
- アルツハイマー型認知症患者では痕跡課題は正常な学習を示すのに対し、遅延課題では顕著な学習障害が見られた[31]。
- 統合失調症の患者では、遅延課題において顕著な学習の亢進が見られた[32] 。
- パーキンソン病患者でも、遅延課題の学習獲得の速度が速くなる傾向にあった[33] 。
- 自閉症スペクトラムと診断された小児では、痕跡課題のCRは正常であるが、遅延課題におけるCRの潜時が有意に早くなった[34]。
また、こうした疾患のモデル動物の認知機能の評価系としても有用性が期待されている。
展望・課題
初めて瞬目反射条件づけが報告されてから100年弱のあいだに,様々な技術の発展を取り込みながら、本学習のメカニズムが解析されてきた。特に小脳の神経回路において明らかにされた遅延課題の学習機構は、記憶学習の生物学的研究における最大の事績の一つといえる。ただし、小脳皮質の役割まだ未解決の問題も内包しており、今後新しい方法論により、より直接的に瞬目反射条件づけにおける小脳LTDの貢献を明らかにすることが期待される。また、特性の異なる遅延課題と痕跡課題の利用により、疾患モデルの認知機能の評価法、治療法への応用など,今後は前臨床研究の推進による臨床研究あるいは創薬への橋渡しも期待される。
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