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=== 背景と成長ホルモン分泌促進因子の発展 === | === 背景と成長ホルモン分泌促進因子の発展 === | ||
[[成長ホルモン]]は、[[成長]]、[[代謝]]、[[エネルギー恒常性]]の維持に重要な役割を果たす[[ホルモン]]であり、その分泌は[[視床下部]]から分泌される[[成長ホルモン放出ホルモン]]([[growth hormone-releasing hormone]], [[GHRH]])と[[ソマトスタチン]]([[somatostatin]], [[SST]])によって制御される。1970年代後半になって、成長ホルモン分泌促進活性を持つ化合物として、さまざまな[[成長ホルモン分泌促進因子]]([[growth hormone secretagogue]], [[GHS]])が開発された<ref name=Bowers1980><pubmed>7353536</pubmed></ref>。この探索の契機となったのは、1975年に[[w:John Hughes (neuroscientist)|Hughes]]らによって発見された[[オピオイドペプチド]]の研究である。[[w:Cyril Y. Bowers|Bowers]]らは、[[メチオニンエンケファリン]]および[[ロイシンエンケファリン]]の構造を基に、オピオイド誘導体(Tyr-<small>D</small>-Trp-Gly-Phe-Met-NH₂)を合成し、これが成長ホルモン分泌を弱く促進することを示した<ref name=Bowers1980><pubmed>7353536</pubmed></ref> | [[成長ホルモン]]は、[[成長]]、[[代謝]]、[[エネルギー恒常性]]の維持に重要な役割を果たす[[ホルモン]]であり、その分泌は[[視床下部]]から分泌される[[成長ホルモン放出ホルモン]]([[growth hormone-releasing hormone]], [[GHRH]])と[[ソマトスタチン]]([[somatostatin]], [[SST]])によって制御される。1970年代後半になって、成長ホルモン分泌促進活性を持つ化合物として、さまざまな[[成長ホルモン分泌促進因子]]([[growth hormone secretagogue]], [[GHS]])が開発された<ref name=Bowers1980><pubmed>7353536</pubmed></ref>。この探索の契機となったのは、1975年に[[w:John Hughes (neuroscientist)|Hughes]]らによって発見された[[オピオイドペプチド]]の研究である。[[w:Cyril Y. Bowers|Bowers]]らは、[[メチオニンエンケファリン]]および[[ロイシンエンケファリン]]の構造を基に、オピオイド誘導体(Tyr-<small>D</small>-Trp-Gly-Phe-Met-NH₂)を合成し、これが成長ホルモン分泌を弱く促進することを示した<ref name=Bowers1980><pubmed>7353536</pubmed></ref>。その後、改良が重ねられ、より強力な作用を持つ[[成長ホルモン放出ペプチド6]]([[growth hormone-releasing peptide 6]], [[GHRP-6]], His-<small>D</small>-Trp-Ala-<small>D</small>-Trp-Phe-Lys-NH₂)が開発された。 | ||
===成長ホルモン分泌促進因子受容体のクローニングと内因性リガンドの探索 === | ===成長ホルモン分泌促進因子受容体のクローニングと内因性リガンドの探索 === | ||
さらに1993年、メルク社のSmithらは、経口投与可能な非ペプチド性低分子成長ホルモン分泌促進因子([[L-692,429]])を開発し、それが特定の受容体を介して成長ホルモン分泌を促進することを示した<ref name=Smith1993><pubmed>8503009</pubmed></ref>。この研究を契機に、成長ホルモン分泌促進因子が作用する受容体の同定が進められた。1996年、メルク社の研究チームは[[発現クローニング法]]を用いて、成長ホルモン分泌促進因子が特異的に結合する[[Gタンパク質共役受容体]]([[G protein-coupled receptor]],[[GPCR]])を単離し、これを[[成長ホルモン分泌促進因子受容体]]と命名した<ref name=Howard1996><pubmed>8688086</pubmed></ref>。この受容体は[[視床下部]]、[[下垂体]]、[[海馬]]などに分布しており、成長ホルモン分泌促進因子が典型的なGPCRシグナル伝達を介して作用することが確認された。この発見により生体内にはこの受容体に結合する内因性リガンドが存在すると考えられ、その同定を目指した研究が本格化した。 | |||
=== グレリンの同定と命名の由来 === | === グレリンの同定と命名の由来 === | ||
児島将康、細田洋司、伊達紫、中里雅光、[[wj:松尾壽之|松尾壽之]]、[[wj:寒川賢治|寒川賢治]]の研究グループは、成長ホルモン分泌促進因子受容体発現細胞株を樹立し、細胞内[[カルシウム]]イオン濃度の上昇を指標としてリガンド探索を行った。その結果、[[ラット]]の[[胃]][[粘膜]]から28アミノ酸残基を有するペプチドが単離され、これが成長ホルモン分泌促進因子受容体の内因性リガンドであることが確認された。この新規ペプチドは、1999年に「グレリン(ghrelin)」と命名された<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref> | 児島将康、細田洋司、伊達紫、中里雅光、[[wj:松尾壽之|松尾壽之]]、[[wj:寒川賢治|寒川賢治]]の研究グループは、成長ホルモン分泌促進因子受容体発現細胞株を樹立し、細胞内[[カルシウム]]イオン濃度の上昇を指標としてリガンド探索を行った。その結果、[[ラット]]の[[胃]][[粘膜]]から28アミノ酸残基を有するペプチドが単離され、これが成長ホルモン分泌促進因子受容体の内因性リガンドであることが確認された。この新規ペプチドは、1999年に「グレリン(ghrelin)」と命名された<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref>。この名称は、インド・ヨーロッパ基語の ghre-(成長を意味する語)に由来し、さらにこのペプチドが成長ホルモンの分泌を促進することから"GH release" という意味も込められている。 | ||
グレリンの発見により、成長ホルモンの分泌調節機構に新たな経路が加わることとなった。さらに、グレリンは[[摂食]]調節や[[代謝]]制御にも深く関与することが明らかとなり、その研究は多岐にわたる展開を見せている。またこれまで成長ホルモン分泌促進因子受容体と呼ばれていた受容体はグレリン受容体と呼ばれることとなった。 | グレリンの発見により、成長ホルモンの分泌調節機構に新たな経路が加わることとなった。さらに、グレリンは[[摂食]]調節や[[代謝]]制御にも深く関与することが明らかとなり、その研究は多岐にわたる展開を見せている。またこれまで成長ホルモン分泌促進因子受容体と呼ばれていた受容体はグレリン受容体と呼ばれることとなった。 | ||
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[[ファイル:Kojima Ghrelin Fig2.png|サムネイル|'''図2. 哺乳類グレリン前駆体のアミノ酸配列'''<br>哺乳類グレリン前駆体間の配列比較を示す。同一アミノ酸は色分けされている。アスタリスクはアシル修飾されるSer3の位置を示す。哺乳類のグレリン前駆体のアミノ酸配列はよく保存されており、特に、アシル修飾されるセリンを含む活性グレリンペプチドのNH<sub>2</sub>末端の10アミノ酸はすべて同一である。<ref name=Kojima2005><pubmed>15788704</pubmed></ref>より改変。]] | [[ファイル:Kojima Ghrelin Fig2.png|サムネイル|'''図2. 哺乳類グレリン前駆体のアミノ酸配列'''<br>哺乳類グレリン前駆体間の配列比較を示す。同一アミノ酸は色分けされている。アスタリスクはアシル修飾されるSer3の位置を示す。哺乳類のグレリン前駆体のアミノ酸配列はよく保存されており、特に、アシル修飾されるセリンを含む活性グレリンペプチドのNH<sub>2</sub>末端の10アミノ酸はすべて同一である。<ref name=Kojima2005><pubmed>15788704</pubmed></ref>より改変。]] | ||
[[ファイル:Kojima Ghrelin Fig3.png|サムネイル|'''図3. 脊椎動物グレリンのアミノ酸配列比較'''<br>グレリンは脊椎動物一般に存在して、N末端の活性に必要な部分のアミノ酸配列が非常によく保存されている。特に3番目のアミノ酸は両生類を除いてセリン残基であり、この部位が脂肪酸(主としてn-オクタン酸)によって修飾されている。両生類のグレリンは現在2種明らかになっており、3番目のアミノ酸はどちらもトレオニンである。セリンとトレオニンはともに側鎖に水酸基を持つ同族のアミノ酸で、両生類グレリンのトレオニンも脂肪酸によって修飾されている。魚類のグレリンはC末端がアミド構造になっている。<ref name=Kojima2005><pubmed>15788704</pubmed></ref>より改変。]] | [[ファイル:Kojima Ghrelin Fig3.png|サムネイル|'''図3. 脊椎動物グレリンのアミノ酸配列比較'''<br>グレリンは脊椎動物一般に存在して、N末端の活性に必要な部分のアミノ酸配列が非常によく保存されている。特に3番目のアミノ酸は両生類を除いてセリン残基であり、この部位が脂肪酸(主としてn-オクタン酸)によって修飾されている。両生類のグレリンは現在2種明らかになっており、3番目のアミノ酸はどちらもトレオニンである。セリンとトレオニンはともに側鎖に水酸基を持つ同族のアミノ酸で、両生類グレリンのトレオニンも脂肪酸によって修飾されている。魚類のグレリンはC末端がアミド構造になっている。<ref name=Kojima2005><pubmed>15788704</pubmed></ref>より改変。]] | ||
== 構造 == | == 構造 == | ||
===前駆体=== | ===前駆体=== | ||
グレリンはmRNAから、まず[[プレプログレリン]]([[preproghrelin]]) と呼ばれる117アミノ酸残基(ヒトの場合)からなる前駆体タンパク質として合成される。そのN末端には[[シグナルペプチド]]が存在する。このシグナルペプチドが、[[シグナルペプチダーゼ]]により切断されることで[[プログレリン]]([[proghrelin]], 94残基) が生成される。プログレリンはさらに酵素的切断を受け、28アミノ酸残基からなるグレリンとなる。 | グレリンはmRNAから、まず[[プレプログレリン]]([[preproghrelin]]) と呼ばれる117アミノ酸残基(ヒトの場合)からなる前駆体タンパク質として合成される。そのN末端には[[シグナルペプチド]]が存在する。このシグナルペプチドが、[[シグナルペプチダーゼ]]により切断されることで[[プログレリン]]([[proghrelin]], 94残基) が生成される。プログレリンはさらに酵素的切断を受け、28アミノ酸残基からなるグレリンとなる。 | ||
=== アシル化=== | === アシル化=== | ||
グレリンの最大の特徴はN末端から3番目の[[セリン]](Ser3)残基の[[水酸基]]に[[オクタノイル基]](C8:0)が[[共有結合]]して[[アシルグレリン]]となる点である<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref>('''図1''')。このアシル化はグレリン受容体との結合および生理活性の発現に必須であり、特異的な生理機能を決定する重要な要素である。通常、ペプチドホルモンの活性はアミノ酸配列によって決定されるが、グレリンは受容体への結合と活性発現に脂肪酸修飾が不可欠である。このアシル化修飾は[[グレリン-O-アシル転移酵素]] ([[ghrelin O-acyltransferase]], [[GOAT]])によって触媒される<ref name=Yang2008><pubmed>18267071</pubmed></ref> | グレリンの最大の特徴はN末端から3番目の[[セリン]](Ser3)残基の[[水酸基]]に[[オクタノイル基]](C8:0)が[[共有結合]]して[[アシルグレリン]]となる点である<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref>('''図1''')。このアシル化はグレリン受容体との結合および生理活性の発現に必須であり、特異的な生理機能を決定する重要な要素である。通常、ペプチドホルモンの活性はアミノ酸配列によって決定されるが、グレリンは受容体への結合と活性発現に脂肪酸修飾が不可欠である。このアシル化修飾は[[グレリン-O-アシル転移酵素]] ([[ghrelin O-acyltransferase]], [[GOAT]])によって触媒される<ref name=Yang2008><pubmed>18267071</pubmed></ref>。 | ||
最も一般的に付加される脂肪酸は[[n-オクタン酸]](C8:0)である。加えて、[[ヘキサン酸]](C6:0)や[[デカン酸]](C10:0)などが付加されたグレリンも報告されている。摂取された[[中鎖脂肪酸]]([[medium-chain fatty acid]], [[MCFA]])や[[中鎖トリグリセリド]]([[medium-chain triglyceride]], [[MCT]])が、これらのアシル基として直接利用されることも示されており、食餌成分がグレリンの修飾に影響を与えることが示唆されている<ref name=Nishi2005a><pubmed>15677766</pubmed></ref>。発達段階によるアシル化パターンの変化も報告されている。マウスを用いた研究では、胃内のn-オクタノイルグレリン量が授乳期にかけて徐々に増加し、離乳開始後に急激に減少することが観察されている。さらに、早期に離乳させたマウスでは、胃内の[[n-オクタノイルグレリン]]および[[n-デカノイルグレリン]]の量が有意に低下しており、発達段階がアシル化修飾に影響を及ぼす可能性がある<ref name=Nishi2005b><pubmed>15746259</pubmed></ref>。このペプチドもオクタン酸修飾を受け、生理活性を持つことが示唆されており、グレリン遺伝子の[[選択的スプライシング]]によって産生される。ラット胃におけるグレリンに対するdes-Gln14-グレリンの比率は約1/4とされている。 | 最も一般的に付加される脂肪酸は[[n-オクタン酸]](C8:0)である。加えて、[[ヘキサン酸]](C6:0)や[[デカン酸]](C10:0)などが付加されたグレリンも報告されている。摂取された[[中鎖脂肪酸]]([[medium-chain fatty acid]], [[MCFA]])や[[中鎖トリグリセリド]]([[medium-chain triglyceride]], [[MCT]])が、これらのアシル基として直接利用されることも示されており、食餌成分がグレリンの修飾に影響を与えることが示唆されている<ref name=Nishi2005a><pubmed>15677766</pubmed></ref>。発達段階によるアシル化パターンの変化も報告されている。マウスを用いた研究では、胃内のn-オクタノイルグレリン量が授乳期にかけて徐々に増加し、離乳開始後に急激に減少することが観察されている。さらに、早期に離乳させたマウスでは、胃内の[[n-オクタノイルグレリン]]および[[n-デカノイルグレリン]]の量が有意に低下しており、発達段階がアシル化修飾に影響を及ぼす可能性がある<ref name=Nishi2005b><pubmed>15746259</pubmed></ref>。このペプチドもオクタン酸修飾を受け、生理活性を持つことが示唆されており、グレリン遺伝子の[[選択的スプライシング]]によって産生される。ラット胃におけるグレリンに対するdes-Gln14-グレリンの比率は約1/4とされている。 | ||
一方、アシル化されていない[[デスアシルグレリン]]は、グレリン受容体に対する親和性を持たないが、血中ではアシルグレリンよりも高濃度で循環している<ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref>。その生理的役割は未だ完全には解明されていないが、デスアシルグレリンが[[骨格筋]]由来の[[C2C12細胞]]の増殖を抑制しつつ分化を促進して多核の[[筋管細胞]]に変化させることや<ref name=Filigheddu2007><pubmed>17202410</pubmed></ref>、[[膵臓]]や[[皮膚]]、[[副腎]]などの細胞株において細胞増殖の促進やアポトーシスの抑制作用を示すことが報告されている<ref name=Granata2007><pubmed>17068144</pubmed></ref> | 一方、アシル化されていない[[デスアシルグレリン]]は、グレリン受容体に対する親和性を持たないが、血中ではアシルグレリンよりも高濃度で循環している<ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref>。その生理的役割は未だ完全には解明されていないが、デスアシルグレリンが[[骨格筋]]由来の[[C2C12細胞]]の増殖を抑制しつつ分化を促進して多核の[[筋管細胞]]に変化させることや<ref name=Filigheddu2007><pubmed>17202410</pubmed></ref>、[[膵臓]]や[[皮膚]]、[[副腎]]などの細胞株において細胞増殖の促進やアポトーシスの抑制作用を示すことが報告されている<ref name=Granata2007><pubmed>17068144</pubmed></ref>。 | ||
以下,特に記載のない場合、“グレリン”はオクタン酸で修飾されたアシルグレリンを指す。 | |||
=== 種間比較 === | === 種間比較 === | ||
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== 遺伝子と発現調節 == | == 遺伝子と発現調節 == | ||
=== 遺伝子構造 === | === 遺伝子構造 === | ||
ヒトのグレリン遺伝子は第3染色体(3p25–26)に位置し、5つの[[エキソン]]から構成される<ref name=Smith1997><pubmed>9331545</pubmed></ref><ref name=Tanaka2001><pubmed>11459820</pubmed></ref><ref name=Kanamoto2004><pubmed>15142980</pubmed></ref>。グレリン遺伝子には2種類の[[転写開始部位]]があり、それぞれ[[開始コドン]](ATG)の上流-80および-555の位置に存在する。これにより、異なる[[転写産物]]が生成される。-80の転写開始部位から産生される[[mRNA]]は、第2エキソン以下の4つのエキソンから構成され、28アミノ酸残基からなるグレリンをコードする主要なmRNAである。これに対して、-555の転写開始部位から産生されるmRNAは、第1エキソンを含む5つのエキソンから構成される。ラットおよび[[マウス]]のグレリン遺伝子では、第14アミノ酸である[[グルタミン]](Gln)のコドンCAGが選択的スプライシングのシグナルとして機能し、2種類の成熟mRNAが生成される<ref name=Hosoda2000b><pubmed>10801861</pubmed></ref>。一方は28アミノ酸からなるグレリンであり、他方は14番目のGlnが欠失した27アミノ酸型の[[des-Gln14-グレリン]]である。 | |||
=== 発現調節 === | === 発現調節 === | ||
グレリンの発現は[[栄養]]状態や[[ホルモン]]環境に応じて調節される。特に、空腹時には転写が促進され、食後には抑制される<ref name=Asakawa2001><pubmed>11159873</pubmed></ref>。一方、[[レプチン]]投与が[[血漿]]中の胃グレリン濃度を迅速に低下させることから<ref name=Ueno2004><pubmed>15155574</pubmed></ref>、グレリンとレプチンの拮抗作用によってエネルギーバランスは維持されている。さらに、グレリンの発現は[[消化管ホルモン]]や[[神経伝達物質]]によっても調節される。例えば、[[グルカゴン様ペプチド-1]]([[GLP-1]])や[[コレシストキニン]]([[CCK]])はグレリンの分泌を抑制する作用を持つ<ref name=Steinert2017><pubmed>28003328</pubmed></ref>。また、交感神経系の活性化に伴い、ノルアドレナリンがグレリン分泌を増加させることも報告されている<ref name=Mundinger2006><pubmed>16527847</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Steinert2017><pubmed>28003328</pubmed></ref> | |||
<ref name=Mundinger2006><pubmed>16527847</pubmed></ref> | |||
[[ファイル:Kojima Ghrelin Fig4.png|サムネイル|'''図4. (A) グレリン受容体 (B) リガンド結合ポケット'''<br>グレリン受容体とCompound 21との複合体の切断面を見ると、リガンド結合ポケットが分岐していることがわかる<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref> | [[ファイル:Kojima Ghrelin Fig4.png|サムネイル|'''図4. (A) グレリン受容体 (B) リガンド結合ポケット'''<br>グレリン受容体とCompound 21との複合体の切断面を見ると、リガンド結合ポケットが分岐していることがわかる<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref>。]] | ||
== | == グレリン受容体 == | ||
=== | === 構造とアイソフォーム === | ||
グレリン受容体はGPCRに分類される膜貫通型受容体であり、成長ホルモン分泌を調節する主要な因子の一つである。グレリン受容体をコードする遺伝子は第3染色体(3q26–27)に位置し、2つのエキソンから構成される | グレリン受容体はGPCRに分類される膜貫通型受容体であり、成長ホルモン分泌を調節する主要な因子の一つである。グレリン受容体をコードする遺伝子は第3染色体(3q26–27)に位置し、2つのエキソンから構成される<ref name=Howard1996><pubmed>8688086</pubmed></ref>。グレリン受容体には選択的スプライシングによって生成される2つの主要なアイソフォームが存在する。機能的な7回膜貫通型受容体である[[グレリン受容体1a]]はグレリンと結合し、シグナル伝達を担う。一方、[[グレリン受容体1b]]は5回膜貫通型であり、リガンド結合能やシグナル伝達機能を持たないが、グレリン受容体1aとのヘテロ二量体形成によって受容体機能を調節する可能性が示唆されている。 | ||
<ref name=Howard1996><pubmed>8688086</pubmed></ref> | |||
=== | === シグナル伝達機構 === | ||
グレリン受容体1aは主に[[Gq]]/[[G11|11]]タンパク質を介して[[ホスホリパーゼC]]([[phospholipase C]], [[PLC]])経路を活性化する。これにより[[イノシトール三リン酸]]([[inositol 1,4,5-trisphosphate]], [[IP3]])と[[ジアシルグリセロール]]([[diacylglycerol]], [[DAG]])が生成され、細胞内Ca²⁺濃度が上昇し、成長ホルモン分泌が促進される。また、グレリン受容体は[[細胞外シグナル調節キナーゼ]]([[extracellular signal-regulated kinase]], [[ERK]])経路や[[AMP活性化プロテインキナーゼ]]([[5' adenosine monophosphate-activated protein kinase]], [[AMPK]])経路も活性化し、代謝調節や細胞の生存維持に関与する。 | |||
=== 立体構造と受容体結合様式 === | === 立体構造と受容体結合様式 === | ||
近年の研究により、グレリン受容体の立体構造が明らかになった。2020年には、[[アンタゴニスト]]である[[Compound 21]]が結合した不活性型グレリン受容体の[[X線結晶構造]]が解明され、受容体のリガンド結合ポケットがE124³·³³とR283⁶·⁵⁵ (上付の数字は[[Ballesteros-Weinstein numbering]]による) の[[イオン結合]](塩橋)により二股構造(Cavity IとCavity II)を形成していることが示された('''図4''')<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref>。2021年には、グレリンが結合した活性型グレリン受容体の構造が[[クライオ電子顕微鏡]]解析により解明された<ref name=Liu2021><pubmed>34737341</pubmed></ref><ref name=Qin2022><pubmed>35027551</pubmed></ref><ref name=Wang2021><pubmed>34417468</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref> | グレリンのN末端から7番目の[[プロリン]]までの領域がリガンド結合部位を占め、8番目のグルタミン酸以降の部分が[[αヘリックス]]を形成する。グレリン受容体の二股構造は、グレリン結合に重要な役割を果たしており、グレリンのペプチド鎖とオクタン酸は、E124³·³³とR283⁶·⁵⁵のイオン結合を跨ぐようにして、それぞれCavity IとIIに収納されている。特に、Ser3に結合したオクタノイル基は、I178⁴·⁶⁰およびL181⁴·⁶³と疎水結合を形成し、受容体の活性化に寄与することが示された。さらに、異なるリガンドや[[Gタンパク質]]が結合したグレリン受容体構造が複数決定され、これらの比較解析が可能になったことで、リガンドに応じた受容体の構造変化がシグナル伝達の多様性に影響を与えることが明らかとなった | ||
<ref name=Shiimura2025><pubmed>39833471</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Liu2021><pubmed>34737341</pubmed></ref><ref name=Qin2022><pubmed>35027551</pubmed></ref><ref name=Wang2021><pubmed>34417468</pubmed></ref> | |||
これらの知見は、グレリン受容体を標的とする新規[[作動薬]]や[[拮抗薬]]の開発を加速させ、個別化医療への応用につながる基盤となっている。 | |||
<ref name=Shiimura2025><pubmed>39833471</pubmed></ref> | |||
== 発現 == | == 発現 == | ||
グレリンは、主に[[胃底腺]]の[[X/A様細胞]](ヒトでは[[P/D1細胞]])で合成・分泌されるが<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref>、その他の組織にも広く発現が認められる。消化管では、[[十二指腸]]や[[小腸]]、[[大腸]]においても発現が確認されているが、その発現量は胃と比較して非常に低い<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref><ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref>。消化管以外の組織では、[[膵臓]]、[[視床下部]]、[[下垂体]]、[[腎臓]]などにおいても発現しており<ref name=Sato2005><pubmed>15774556</pubmed></ref><ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref><ref name=Ghizzoni2004><pubmed>15531502</pubmed></ref><ref name=Korbonits2001><pubmed>11322490</pubmed></ref><ref name=Mori2000><pubmed>11119706</pubmed></ref>、それぞれ異なる機能を担うと考えられている。膵臓では[[ランゲルハンス島]]の[[α細胞]]や[[ε細胞]]に局在しており、[[インスリン]]分泌を調節する<ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref><ref name=Prado2004><pubmed>14970313</pubmed></ref>。インスリンの血中濃度と同様に、グレリンの血中濃度も[[膵動脈]]よりも[[膵静脈]]で高い<ref name=Dezaki2006><pubmed>17130496</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref> | |||
<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref> | |||
<ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref> | |||
<ref name=Sato2005><pubmed>15774556</pubmed></ref> | |||
<ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref> | |||
<ref name=Ghizzoni2004><pubmed>15531502</pubmed></ref> | |||
<ref name=Korbonits2001><pubmed>11322490</pubmed></ref> | |||
<ref name=Mori2000><pubmed>11119706</pubmed></ref> | |||
<ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref> | |||
<ref name=Prado2004><pubmed>14970313</pubmed></ref> | |||
<ref name=Dezaki2006><pubmed>17130496</pubmed></ref> | |||
== 生理機能 == | == 生理機能 == | ||
=== 摂食調節 === | |||
グレリンは、末梢で産生され視床下部の[[摂食中枢]]に作用する唯一の液性空腹シグナルであり、摂食行動の強力な調節因子として機能する<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Wren2000><pubmed>11089570</pubmed></ref><ref name=Wren2001><pubmed>11679432</pubmed></ref>。特に、視床下部の[[弓状核]]([[arcuate nucleus]], [[ARC]])に存在する[[神経ペプチドY]]([[neuropeptide Y]], [[NPY]])および[[アグーチ関連ペプチド]]([[agouti-related peptide]], [[AgRP]])ニューロンを活性化し、これらを介して摂食行動を促進する<ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Kamegai2001><pubmed>11679419</pubmed></ref><ref name=Shintani2001><pubmed>11272130</pubmed></ref><ref name=Cowley2003><pubmed>12597862</pubmed></ref>。神経ペプチドYは[[室傍核]]([[paraventricular nucleus]], [[PVN]])の[[メラノコルチン]]系を抑制し、食欲を増進させる。一方、アグーチ関連ペプチドは[[メラノコルチン-4受容体]]([[melanocortin-4 receptor]], [[MC4R]])を拮抗的に阻害し、摂食行動をさらに促進する<ref name=Ollmann1997><pubmed>9311920</pubmed></ref>。また、グレリンは[[腹内側核]]([[ventromedial hypothalamus]], [[VMH]])において食欲抑制シグナルを抑制することで、摂食行動をさらに増強する<ref name=Lopez2008><pubmed>18460330</pubmed></ref>。 | |||
さらに、[[迷走神経]]を介した中枢シグナル伝達にも関与し、消化管からのグレリン分泌が[[脳幹]]の[[延髄]][[孤束核]]([[nucleus tractus solitarius]], [[NTS]])へ伝達されることで摂食調節に影響を及ぼすことが示されている。 | |||
グレリンの摂食促進作用は、レプチンと拮抗的に働く。レプチンは[[脂肪組織]]由来のホルモンであり、視床下部のNPY/AgRPニューロンを抑制するとともに、[[プロオピオメラノコルチン]]([[pro-opiomelanocortin]], [[POMC]])ニューロンを活性化し摂食抑制を引き起こす。この拮抗作用によりエネルギーバランスが調整される。 | |||
=== 成長ホルモン分泌 === | === 成長ホルモン分泌 === | ||
グレリンは主に下垂体前葉に作用し、成長ホルモンの分泌を強力に促進する内因性ペプチドである<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref>。グレリン受容体1aに結合すると、成長ホルモンが分泌される。また、グレリンは[[脳室]]内に投与することで、血中投与よりもはるかに少ない10 pmolという量から成長ホルモン分泌促進作用を示す<ref name=Date2000b><pubmed>10964690</pubmed></ref>。さらに、その作用は成長ホルモン放出ホルモン(GHRH)よりも強力であり<ref name=Takaya2000><pubmed>11134161</pubmed></ref>、グレリンと同時に投与すると、成長ホルモン分泌に対して相乗的な効果が認められる<ref name=Hataya2001><pubmed>11549707</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Kojima1999><pubmed>10604470</pubmed></ref> | |||
<ref name=Date2000b><pubmed>10964690</pubmed></ref> | |||
<ref name=Takaya2000><pubmed>11134161</pubmed></ref> | |||
<ref name=Hataya2001><pubmed>11549707</pubmed></ref> | |||
=== 代謝調節 === | === 代謝調節 === | ||
グレリンは[[糖代謝]]および[[脂質代謝]]に対して多面的な調節作用を有している。 | |||
<ref name=Broglio2001><pubmed>11600590</pubmed></ref> | |||
ヒトにおける研究では、グレリンの急性静脈内投与によってインスリン分泌が抑制され、[[血糖]]値が上昇することが示されており、抗インスリン作用を持つことが明らかとなっている<ref name=Broglio2001><pubmed>11600590</pubmed></ref>。さらに、グレリンの持続投与によりインスリン感受性が低下し、脂肪分解が促進されることが報告されており、これらの作用は成長ホルモンとは独立して生じるとされる<ref name=Vestergaard2008><pubmed>18776138</pubmed></ref>。 | |||
<ref name=Vestergaard2008><pubmed>18776138</pubmed></ref> | |||
脂質代謝においては、グレリンが骨格筋および肝臓における脂質関連遺伝子の発現を調節し、ミトコンドリア機能や脂肪蓄積に影響を及ぼすことが報告されている<ref name=Barazzoni2005><pubmed>15328073</pubmed></ref>。これらの調節には脂肪酸酸化やエネルギー利用の経路が関与しており、組織脂肪の分布にも変化が生じるとされる。加えて、高脂肪食とアシルグレリンの併用投与を行ったラットの研究では、体重増加が認められたにもかかわらず、骨格筋における炎症は低下し、酸化的代謝機能が維持されていた<ref name=Barazzoni2011><pubmed>22039445</pubmed></ref>。また、グレリンは視床下部や報酬系を介して摂食行動を促進するとともに、ストレスや情動の調節にも関与することが知られており<ref name=Chuang2010><pubmed>20721341</pubmed></ref>、糖・脂質代謝の変化が中枢神経系を介した行動・内分泌応答と密接に関連していることが示唆されている。 | |||
<ref name=Barazzoni2005><pubmed>15328073</pubmed></ref> | |||
<ref name=Barazzoni2011><pubmed>22039445</pubmed></ref> | |||
<ref name=Chuang2010><pubmed>20721341</pubmed></ref> | |||
=== 体温調節 === | === 体温調節 === | ||
グレリンは[[体温]]調節にも関与するとされ、とくにエネルギー不足時の体温低下との関連が報告されている。マウスにグレリンを中枢または末梢に投与すると、摂食が促進されるとともに一過性の体温低下が観察される場合がある。この作用は、[[トーパー]]([[torpor]])と呼ばれる可逆的な低代謝・低体温状態と関係しており、エネルギー節約の手段とされる。絶食時に血中グレリンが上昇し体温が低下する一方、グレリン欠損マウスではトーパーが誘導されず、グレリンがその成立に必要な因子であることが示されている | |||
<ref name=Sato2021><pubmed>34518616</pubmed></ref> | <ref name=Sato2021><pubmed>34518616</pubmed></ref>。 | ||
<ref name=Nakamura2017><pubmed>28065829</pubmed></ref> | この背景には、グレリンで活性化された視床下部のNPYニューロンが、延髄の[[GABA]]作動性ニューロンを介して交感神経出力を抑制し、[[褐色脂肪組織]]での熱産生を低下させる経路がある。また、この回路は[[三叉神経運動核]]にも投射し、摂食行動にも関与することが知られている<ref name=Nakamura2017><pubmed>28065829</pubmed></ref>。グレリンは、体温と摂食を統合的に制御する内因性因子として機能すると考えられるが、その詳細な作用機構については今後の研究が必要である。 | ||
=== 循環機能の調節 === | === 循環機能の調節 === | ||
グレリンは[[血管内皮]]に作用し、[[一酸化窒素]]([[NO]])の産生を促進することで血管拡張を引き起こし、一過性の血圧低下をもたらす | |||
<ref name=Tesauro2005><pubmed>16260640</pubmed></ref> | <ref name=Tesauro2005><pubmed>16260640</pubmed></ref>。この血圧低下は心拍数の変化を伴わず、比較的長時間持続することが知られている。[[交感神経]]活動の抑制と[[副交感神経]]系の活性化を介した自律神経系による循環調節も認められ<ref name=Nagaya2004><pubmed>15569841</pubmed></ref>、また延髄孤束核を介する中枢性経路の関与も報告されている。孤束核へのグレリン注入によって平均血圧および心拍数の低下が誘導されることが示されている。[[心臓]]や[[大動脈]]においてはグレリンおよびその受容体のmRNAが発現しており、[[心筋]]への直接作用も示唆されている。[[心不全]]モデル動物では、グレリン投与により心拍出量、一回拍出量、左心室の最大圧変化率(dP/dt[max])の増加が認められ | ||
<ref name=Nagaya2001><pubmed>11560861</pubmed></ref>、さらに非梗塞領域の心筋後壁の拡張期厚の増加、左室リモデリングの抑制、左室短縮率の改善も報告されている。また、グレリンは心筋細胞および血管内皮細胞に対して[[アポトーシス]]抑制作用を示す<ref name=Baldanzi2002><pubmed>12486113</pubmed></ref><ref name=Pettersson2002><pubmed>12379504</pubmed></ref>。ヒトにおいても、慢性心不全患者へのグレリン投与により左室機能や筋肉量の改善が報告されており<ref name=Nagaya2001><pubmed>11560861</pubmed></ref>、炎症性サイトカインや[[酸化ストレス]]の軽減効果と併せて心筋保護作用が期待されている。これらの知見に基づき、グレリンは心不全や[[カヘキシア]]の新たな治療標的として注目されている。 | |||
<ref name=Nagaya2004><pubmed>15569841</pubmed></ref> | |||
<ref name=Nagaya2001><pubmed>11560861</pubmed></ref> | |||
<ref name=Baldanzi2002><pubmed>12486113</pubmed></ref><ref name=Pettersson2002><pubmed>12379504</pubmed></ref> | |||
<ref name=Nagaya2001><pubmed>11560861</pubmed></ref> | |||
=== その他 === | === その他 === | ||
グレリンは中脳[[腹側被蓋野]](VTA)に存在するドーパミン作動性ニューロンを活性化し、[[側坐核]]([[nucleus accumbens]], [[NAc]])へのドーパミン放出を促進する。この作用は[[快感]]や[[報酬行動]]と密接に関係し、摂食行動の動機づけに関与する。空腹時に食物をより魅力的に感じるのは、こうした神経機構に基づくと考えられている<ref name=Abizaid2006><pubmed>17060947</pubmed></ref>。また、グレリンはエネルギー摂取の生理的必要性と報酬系の活動を結びつけ、高カロリー食や甘味への嗜好、過食傾向の形成にも関与する可能性がある<ref name=Dickson2011><pubmed>21354264</pubmed></ref>。さらに、ドーパミン系を介した報酬処理への関与から、グレリンは[[アルコール]]や薬物など[[依存症|依存性物質]]に対する報酬反応にも影響を及ぼすとされる。動物実験では、グレリン受容体の遮断によりアルコールや薬物への応答が減弱することが報告されている。ドーパミン系が快楽やストレス応答に関与することから、グレリンは気分調節や抗ストレス作用にも寄与する可能性がある。 | |||
<ref name=Abizaid2006><pubmed>17060947</pubmed></ref> | |||
さらに海馬においては学習や記憶にも影響を与えることが報告されている<ref name=Diano2006><pubmed>16491079</pubmed></ref><ref name=Carlini2002><pubmed>12470640</pubmed></ref>。血中のグレリンが海馬に作用し、[[シナプス]]形成や[[長期増強]]([[LTP]])を促進することで、[[空間学習]]記憶の向上に寄与する可能性があると報告されている。グレリン欠損マウスでは[[CA1]]領域のシナプス数減少と記憶障害が見られ、グレリン投与によりこれらの障害が回復することが示されている。ただし、血中グレリンが海馬に直接到達するかどうかは不明であり、迷走神経を介した間接的経路の関与も示唆されている。 | |||
<ref name=Dickson2011><pubmed>21354264</pubmed></ref> | |||
<ref name=Diano2006><pubmed>16491079</pubmed></ref> | |||
<ref name=Carlini2002><pubmed>12470640</pubmed></ref> | |||
== 疾患との関わり == | == 疾患との関わり == | ||
グレリンは[[食欲]] | グレリンは[[食欲]]亢進作用を持つため、食欲不振を伴う疾患([[神経性食欲不振症]]、慢性疾患、高齢者の食欲低下、[[抗がん剤]]治療に伴う食欲不振など)の治療への応用が期待されている<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref>。 | ||
<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref> | |||
=== 神経性食欲不振症 === | === 神経性食欲不振症 === | ||
神経性食欲不振症はやせ、異常な[[食行動]]、体型認識のゆがみ、無月経などを特徴とする疾患である。患者ではやせの重症度と血中グレリン濃度が相関し、症状の改善に伴いグレリン濃度も正常化することから、グレリンと神経性食欲不振症の病態との深い関連が示唆される<ref name=Ariyasu2001><pubmed>11600536</pubmed></ref><ref name=Blom2005><pubmed>15699223</pubmed></ref><ref name=Otto2001><pubmed>11720888</pubmed></ref>。また、高グレリン濃度が成長ホルモンや[[ACTH]]、[[プロラクチン]]、[[コルチゾール]]の上昇を介して[[無月経]]や行動変化を引き起こしている可能性もある。しかし、臨床試験では十分な効果が得られず、逆に摂食量が減少する例も報告され、治療の困難さを示している。 | |||
=== 悪液質 === | === 悪液質 === | ||
[[悪液質]]は[[がん]]、[[後天性免疫不全症候群]]([[acquired immunodeficiency syndrome]], [[AIDS]])、[[慢性心不全]]、[[慢性閉塞性肺疾患]]([[chronic obstructive pulmonary disease]], [[COPD]])などに伴い発症し、特にがん患者の約90%が悪液質を呈する。従来、有効な治療薬がなかったが、グレリン受容体GHS-R1aの選択的[[アゴニスト]]として[[アナモレリン]]が開発され、経口投与可能な治療薬として2021年に日本で『[[エドルミズ]]』として承認された<ref name=Garcia2013><pubmed>22699302</pubmed></ref> | [[悪液質]]は[[がん]]、[[後天性免疫不全症候群]]([[acquired immunodeficiency syndrome]], [[AIDS]])、[[慢性心不全]]、[[慢性閉塞性肺疾患]]([[chronic obstructive pulmonary disease]], [[COPD]])などに伴い発症し、特にがん患者の約90%が悪液質を呈する。従来、有効な治療薬がなかったが、グレリン受容体GHS-R1aの選択的[[アゴニスト]]として[[アナモレリン]]が開発され、経口投与可能な治療薬として2021年に日本で『[[エドルミズ]]』として承認された<ref name=Garcia2013><pubmed>22699302</pubmed></ref>。 | ||
グレリンの発見から22年を経て、[[がん悪液質]]の治療薬として実用化に至ったことは重要な進展であり、今後、他疾患への応用にも期待が寄せられている。 | グレリンの発見から22年を経て、[[がん悪液質]]の治療薬として実用化に至ったことは重要な進展であり、今後、他疾患への応用にも期待が寄せられている。 | ||