「グレリン」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
52行目: 52行目:


=== 発現調節 ===
=== 発現調節 ===
 グレリンの発現は[[栄養]]状態や[[ホルモン]]環境に応じて調節される。特に、空腹時には転写が促進され、食後には抑制される<ref name=Asakawa2001><pubmed>11159873</pubmed></ref>。一方、[[レプチン]]投与が[[血漿]]中の胃グレリン濃度を迅速に低下させることから<ref name=Ueno2004><pubmed>15155574</pubmed></ref>(31)、グレリンとレプチンの拮抗作用によってエネルギーバランスは維持されている。さらに、グレリンの発現は[[消化管ホルモン]]や[[神経伝達物質]]によっても調節される。例えば、[[グルカゴン様ペプチド-1]]([[GLP-1]])や[[コレシストキニン]]([[CCK]])はグレリンの分泌を抑制する作用を持つ<ref name=Steinert2017><pubmed>28003328</pubmed></ref>。また、交感神経系の活性化に伴い、ノルアドレナリンがグレリン分泌を増加させることも報告されている<ref name=Mundinger2006><pubmed>16527847</pubmed></ref>。
 グレリンの発現は[[栄養]]状態や[[ホルモン]]環境に応じて調節される。特に、空腹時には転写が促進され、食後には抑制される<ref name=Asakawa2001><pubmed>11159873</pubmed></ref>。一方、[[レプチン]]投与が[[血漿]]中の胃グレリン濃度を迅速に低下させることから<ref name=Ueno2004><pubmed>15155574</pubmed></ref>、グレリンとレプチンの拮抗作用によってエネルギーバランスは維持されている。さらに、グレリンの発現は[[消化管ホルモン]]や[[神経伝達物質]]によっても調節される。例えば、[[グルカゴン様ペプチド-1]]([[GLP-1]])や[[コレシストキニン]]([[CCK]])はグレリンの分泌を抑制する作用を持つ<ref name=Steinert2017><pubmed>28003328</pubmed></ref>。また、交感神経系の活性化に伴い、ノルアドレナリンがグレリン分泌を増加させることも報告されている<ref name=Mundinger2006><pubmed>16527847</pubmed></ref>。


[[ファイル:Kojima Ghrelin Fig4.png|サムネイル|'''図4. (A) グレリン受容体 (B) リガンド結合ポケット'''<br>グレリン受容体とCompound 21との複合体の切断面を見ると、リガンド結合ポケットが分岐していることがわかる<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref>(34)。]]
[[ファイル:Kojima Ghrelin Fig4.png|サムネイル|'''図4. (A) グレリン受容体 (B) リガンド結合ポケット'''<br>グレリン受容体とCompound 21との複合体の切断面を見ると、リガンド結合ポケットが分岐していることがわかる<ref name=Shiimura2020><pubmed>32814772</pubmed></ref>。]]


== 受容体とシグナル伝達 ==
== 受容体とシグナル伝達 ==
72行目: 72行目:


== 発現 ==
== 発現 ==
 グレリンは、主に[[胃底腺]]の[[X/A様細胞]](ヒトではP/D1細胞)で合成・分泌されるが<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref>、その他の組織にも広く発現が認められる。消化管では、[[十二指腸]]や[[小腸]]、[[大腸]]においても発現が確認されているが、その発現量は胃と比較して非常に低い<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref>,<ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref>。消化管以外の組織では、[[膵臓]]、[[視床下部]]、[[下垂体]]、[[腎臓]]などにおいても発現しており<ref name=Sato2005><pubmed>15774556</pubmed></ref><ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref><ref name=Ghizzoni2004><pubmed>15531502</pubmed></ref><ref name=Korbonits2001><pubmed>11322490</pubmed></ref><ref name=Mori2000><pubmed>11119706</pubmed></ref>、それぞれ異なる機能を担うと考えられている。膵臓では[[ランゲルハンス島]]の[[α細胞]]や[[ε細胞]]に局在しており、[[インスリン]]分泌を調節する<ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref>,<ref name=Prado2004><pubmed>14970313</pubmed></ref>。インスリンの血中濃度と同様に、グレリンの血中濃度も膵動脈よりも膵静脈で高い<ref name=Dezaki2006><pubmed>17130496</pubmed></ref>。
 グレリンは、主に[[胃底腺]]の[[X/A様細胞]](ヒトではP/D1細胞)で合成・分泌されるが<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref>、その他の組織にも広く発現が認められる。消化管では、[[十二指腸]]や[[小腸]]、[[大腸]]においても発現が確認されているが、その発現量は胃と比較して非常に低い<ref name=Date2000><pubmed>11089560</pubmed></ref><ref name=Hosoda2000><pubmed>11162448</pubmed></ref>。消化管以外の組織では、[[膵臓]]、[[視床下部]]、[[下垂体]]、[[腎臓]]などにおいても発現しており<ref name=Sato2005><pubmed>15774556</pubmed></ref><ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref><ref name=Ghizzoni2004><pubmed>15531502</pubmed></ref><ref name=Korbonits2001><pubmed>11322490</pubmed></ref><ref name=Mori2000><pubmed>11119706</pubmed></ref>、それぞれ異なる機能を担うと考えられている。膵臓では[[ランゲルハンス島]]の[[α細胞]]や[[ε細胞]]に局在しており、[[インスリン]]分泌を調節する<ref name=Date2002><pubmed>11756331</pubmed></ref><ref name=Prado2004><pubmed>14970313</pubmed></ref>。インスリンの血中濃度と同様に、グレリンの血中濃度も膵動脈よりも膵静脈で高い<ref name=Dezaki2006><pubmed>17130496</pubmed></ref>。


== 生理機能 ==
== 生理機能 ==
=== 摂食調節 ===
=== 摂食調節 ===
 グレリンは、末梢で産生され視床下部の[[摂食中枢]]に作用する唯一の液性空腹シグナルであり、摂食行動の強力な調節因子として機能する<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Wren2000><pubmed>11089570</pubmed></ref><ref name=Wren2001><pubmed>11679432</pubmed></ref>。特に、視床下部の[[弓状核]]([[arcuate nucleus]], [[ARC]])に存在する[[神経ペプチドY]]([[neuropeptide Y]], [[NPY]])および[[アグーチ関連ペプチド]]([[agouti-related peptide]], [[AgRP]])ニューロンを活性化し、これらを介して摂食行動を促進する<ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Kamegai2001><pubmed>11679419</pubmed></ref><ref name=Shintani2001><pubmed>11272130</pubmed></ref><ref name=Cowley2003><pubmed>12597862</pubmed></ref>。神経ペプチドYは[[室傍核]]([[paraventricular nucleus]], [[PVN]])の[[メラノコルチン]]系を抑制し、食欲を増進させる。一方、アグーチ関連ペプチドは[[メラノコルチン-4受容体]]([[melanocortin-4 receptor]], [[MC4R]])を拮抗的に阻害し、摂食行動をさらに促進する<ref name=Ollmann1997><pubmed>9311920</pubmed></ref>(54)。また、グレリンは[[腹内側核]]([[ventromedial hypothalamus]], [[VMH]])において食欲抑制シグナルを抑制することで、摂食行動をさらに増強する<ref name=Lopez2008><pubmed>18460330</pubmed></ref>。
 グレリンは、末梢で産生され視床下部の[[摂食中枢]]に作用する唯一の液性空腹シグナルであり、摂食行動の強力な調節因子として機能する<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Wren2000><pubmed>11089570</pubmed></ref><ref name=Wren2001><pubmed>11679432</pubmed></ref>。特に、視床下部の[[弓状核]]([[arcuate nucleus]], [[ARC]])に存在する[[神経ペプチドY]]([[neuropeptide Y]], [[NPY]])および[[アグーチ関連ペプチド]]([[agouti-related peptide]], [[AgRP]])ニューロンを活性化し、これらを介して摂食行動を促進する<ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref><ref name=Kamegai2001><pubmed>11679419</pubmed></ref><ref name=Shintani2001><pubmed>11272130</pubmed></ref><ref name=Cowley2003><pubmed>12597862</pubmed></ref>。神経ペプチドYは[[室傍核]]([[paraventricular nucleus]], [[PVN]])の[[メラノコルチン]]系を抑制し、食欲を増進させる。一方、アグーチ関連ペプチドは[[メラノコルチン-4受容体]]([[melanocortin-4 receptor]], [[MC4R]])を拮抗的に阻害し、摂食行動をさらに促進する<ref name=Ollmann1997><pubmed>9311920</pubmed></ref>。また、グレリンは[[腹内側核]]([[ventromedial hypothalamus]], [[VMH]])において食欲抑制シグナルを抑制することで、摂食行動をさらに増強する<ref name=Lopez2008><pubmed>18460330</pubmed></ref>。
さらに、[[迷走神経]]を介した中枢シグナル伝達にも関与し、消化管からのグレリン分泌が[[脳幹]]の[[延髄]][[孤束核]]([[nucleus tractus solitarius]], [[NTS]])へ伝達されることで摂食調節に影響を及ぼすことが示されている。
さらに、[[迷走神経]]を介した中枢シグナル伝達にも関与し、消化管からのグレリン分泌が[[脳幹]]の[[延髄]][[孤束核]]([[nucleus tractus solitarius]], [[NTS]])へ伝達されることで摂食調節に影響を及ぼすことが示されている。


103行目: 103行目:


=== その他 ===
=== その他 ===
 グレリンは中脳[[腹側被蓋野]](VTA)に存在するドーパミン作動性ニューロンを活性化し、[[側坐核]](nucleus accumbens, NAc)へのドーパミン放出を促進する。この作用は[[快感]]や[[報酬行動]]と密接に関係し、摂食行動の動機づけに関与する。空腹時に食物をより魅力的に感じるのは、こうした神経機構に基づくと考えられている<ref name=Abizaid2006><pubmed>17060947</pubmed></ref>。また、グレリンはエネルギー摂取の生理的必要性と報酬系の活動を結びつけ、高カロリー食や甘味への嗜好、過食傾向の形成にも関与する可能性がある
 グレリンは中脳[[腹側被蓋野]](VTA)に存在するドーパミン作動性ニューロンを活性化し、[[側坐核]]([[nucleus accumbens]], [[NAc]])へのドーパミン放出を促進する。この作用は[[快感]]や[[報酬行動]]と密接に関係し、摂食行動の動機づけに関与する。空腹時に食物をより魅力的に感じるのは、こうした神経機構に基づくと考えられている<ref name=Abizaid2006><pubmed>17060947</pubmed></ref>。また、グレリンはエネルギー摂取の生理的必要性と報酬系の活動を結びつけ、高カロリー食や甘味への嗜好、過食傾向の形成にも関与する可能性がある<ref name=Dickson2011><pubmed>21354264</pubmed></ref>。さらに、ドーパミン系を介した報酬処理への関与から、グレリンは[[アルコール]]や薬物など[[依存症|依存性物質]]に対する報酬反応にも影響を及ぼすとされる。動物実験では、グレリン受容体の遮断によりアルコールや薬物への応答が減弱することが報告されている。ドーパミン系が快楽やストレス応答に関与することから、グレリンは気分調節や抗ストレス作用にも寄与する可能性がある。
<ref name=Dickson2011><pubmed>21354264</pubmed></ref>。さらに、ドーパミン系を介した報酬処理への関与から、グレリンはアルコールや薬物など依存性物質に対する報酬反応にも影響を及ぼすとされる。動物実験では、グレリン受容体の遮断により[[アルコール]]や薬物への応答が減弱することが報告されている。ドーパミン系が快楽やストレス応答に関与することから、グレリンは気分調節や抗ストレス作用にも寄与する可能性がある。さらに海馬においては学習や記憶にも影響を与えることが報告されている<ref name=Diano2006><pubmed>16491079</pubmed></ref><ref name=Carlini2002><pubmed>12470640</pubmed></ref>。血中のグレリンが海馬に作用し、[[シナプス]]形成や[[長期増強]]([[LTP]])を促進することで、[[空間学習]]記憶の向上に寄与する可能性があると報告されている。グレリン欠損マウスでは[[CA1]]領域のシナプス数減少と記憶障害が見られ、グレリン投与によりこれらの障害が回復することが示されている。ただし、血中グレリンが海馬に直接到達するかどうかは不明であり、迷走神経を介した間接的経路の関与も示唆されている。
 
 さらに海馬においては学習や記憶にも影響を与えることが報告されている<ref name=Diano2006><pubmed>16491079</pubmed></ref><ref name=Carlini2002><pubmed>12470640</pubmed></ref>。血中のグレリンが海馬に作用し、[[シナプス]]形成や[[長期増強]]([[LTP]])を促進することで、[[空間学習]]記憶の向上に寄与する可能性があると報告されている。グレリン欠損マウスでは[[CA1]]領域のシナプス数減少と記憶障害が見られ、グレリン投与によりこれらの障害が回復することが示されている。ただし、血中グレリンが海馬に直接到達するかどうかは不明であり、迷走神経を介した間接的経路の関与も示唆されている。


== 疾患との関わり ==
== 疾患との関わり ==
 グレリンは[[食欲]]亢進作用を持つため、食欲不振を伴う疾患(神経性食欲不振症、慢性疾患、高齢者の食欲低下、抗がん剤治療に伴う食欲不振など)の治療への応用が期待されている
 グレリンは[[食欲]]亢進作用を持つため、食欲不振を伴う疾患([[神経性食欲不振症]]、慢性疾患、高齢者の食欲低下、[[抗がん剤]]治療に伴う食欲不振など)の治療への応用が期待されている<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref>。
<ref name=Tschop2000><pubmed>11057670</pubmed></ref><ref name=Nakazato2001><pubmed>11196643</pubmed></ref>(47,48)
=== 神経性食欲不振症 ===
=== 神経性食欲不振症 ===
 [[神経性食欲不振症]]はやせ、異常な[[食行動]]、体型認識のゆがみ、無月経などを特徴とする疾患である。患者ではやせの重症度と血中グレリン濃度が相関し、症状の改善に伴いグレリン濃度も正常化することから、グレリンと神経性食欲不振症の病態との深い関連が示唆される<ref name=Ariyasu2001><pubmed>11600536</pubmed></ref><ref name=Blom2005><pubmed>15699223</pubmed></ref><ref name=Otto2001><pubmed>11720888</pubmed></ref>(75–77)。また、高グレリン濃度が成長ホルモンや[[ACTH]]、[[プロラクチン]]、[[コルチゾール]]の上昇を介して[[無月経]]や行動変化を引き起こしている可能性もある。しかし、臨床試験では十分な効果が得られず、逆に摂食量が減少する例も報告され、治療の困難さを示している。
 神経性食欲不振症はやせ、異常な[[食行動]]、体型認識のゆがみ、無月経などを特徴とする疾患である。患者ではやせの重症度と血中グレリン濃度が相関し、症状の改善に伴いグレリン濃度も正常化することから、グレリンと神経性食欲不振症の病態との深い関連が示唆される<ref name=Ariyasu2001><pubmed>11600536</pubmed></ref><ref name=Blom2005><pubmed>15699223</pubmed></ref><ref name=Otto2001><pubmed>11720888</pubmed></ref>。また、高グレリン濃度が成長ホルモンや[[ACTH]]、[[プロラクチン]]、[[コルチゾール]]の上昇を介して[[無月経]]や行動変化を引き起こしている可能性もある。しかし、臨床試験では十分な効果が得られず、逆に摂食量が減少する例も報告され、治療の困難さを示している。


=== 悪液質 ===
=== 悪液質 ===
 [[悪液質]]は[[がん]]、[[後天性免疫不全症候群]]([[acquired immunodeficiency syndrome]], [[AIDS]])、[[慢性心不全]]、[[慢性閉塞性肺疾患]]([[chronic obstructive pulmonary disease]], [[COPD]])などに伴い発症し、特にがん患者の約90%が悪液質を呈する。従来、有効な治療薬がなかったが、グレリン受容体GHS-R1aの選択的[[アゴニスト]]として[[アナモレリン]]が開発され、経口投与可能な治療薬として2021年に日本で『[[エドルミズ]]』として承認された<ref name=Garcia2013><pubmed>22699302</pubmed></ref>(78)
 [[悪液質]]は[[がん]]、[[後天性免疫不全症候群]]([[acquired immunodeficiency syndrome]], [[AIDS]])、[[慢性心不全]]、[[慢性閉塞性肺疾患]]([[chronic obstructive pulmonary disease]], [[COPD]])などに伴い発症し、特にがん患者の約90%が悪液質を呈する。従来、有効な治療薬がなかったが、グレリン受容体GHS-R1aの選択的[[アゴニスト]]として[[アナモレリン]]が開発され、経口投与可能な治療薬として2021年に日本で『[[エドルミズ]]』として承認された<ref name=Garcia2013><pubmed>22699302</pubmed></ref>。
グレリンの発見から22年を経て、[[がん悪液質]]の治療薬として実用化に至ったことは重要な進展であり、今後、他疾患への応用にも期待が寄せられている。
グレリンの発見から22年を経て、[[がん悪液質]]の治療薬として実用化に至ったことは重要な進展であり、今後、他疾患への応用にも期待が寄せられている。


ナビゲーション メニュー