エレベーター運動
宮田卓樹
名古屋大学 大学院医学系研究科 機能構築医学専攻 大学院医学系研究科 機能構築医学専攻
DOI XXXX/XXXX 原稿受付日:2012年5月8日 原稿完成日:2012年10月30日
担当編集委員:村上 富士夫(大阪大学 大学院生命機能研究科)
英語名:elevator movement、interkinetic nuclear migration、またはinterkinetic nuclear movement
神経前駆細胞(neural progenitor cells)が自身の細胞周期進行に伴って示す核移動のことを指す(最近の総説[1][2][3][4][5])。Interkinetic nuclear migration(またはinterkinetic nuclear movement)との呼称が国際的には一般的である(INMあるいはIKNMと略される:INMに対する日本語訳はない)。神経前駆細胞は脳原基の壁の頂端面と基底面を結ぶ細長い形態をとるが、細胞周期のG2期に頂端方向へ、またG1期に基底方向へ核を動かす。エレベーター運動は、すべての上皮細胞に備わるが、「頂端-基底」距離が長い神経前駆細胞において際立つ。脳原基においては、胎生初期の「神経上皮」、および胎生中期以降の「脳室帯」のなかでエレベーター運動が起きており、それぞれの組織は「偽重層」の様相を呈する。エレベーター運動についての研究は、1897年の Schaperによる萌芽的発想、1935年の FC Sauerによる概念提唱、1959年からのME Sauer,Sidman,藤田らによる実験的証明へと進み、ライブ観察がなされるようになった現在、分子機構や意義についての解析が行なわれている。
発見の歴史
「エレベーター運動・INM」の概念の萌芽は 1897年、Schaperによる。それまで支配的であった「神経上皮中に分裂細胞とそれ以外の支持的細胞との2種類の細胞が存在する(CajalとHisによる)」との考え方とは別の可能性として「両者は同じ細胞の2つの異なる局面ではないか」と考えた。1935年、FC Sauerは、核の大きさと頂端面からの距離とに相関を見いだし、神経上皮細胞の分裂に向けた営みの局面進行に応じた核移動の概念を正式に唱え、INMの言葉を送り出した。1959年から1962年にかけてトリチウム標識したチミジンを用いたパルスチェイス法によって、ME Sauer(FC Sauer夫人)ら、Sidmanら、藤田晢也が相次いでこの現象の実験的証明を果たした。すなわち、トリチウムチミジンを投与してすぐに対象を固定し組織切片を観察すると基底域に標識が集中しているのだが、投与から少し後に固定し同様の観察を行なうと、頂端面に存在する分裂中の細胞体に標識が認められた。「エレベーター運動」の命名は藤田による。その後、パルスチェイスの技法向上によってNowakowskiらは頂端向けの核移動がG2期に、基底側への核移動がG1期に起き、S期の間は核移動があまり起きないことを2000年に報じた。
神経前駆細胞の形態・極性との関係
中枢神経系の形成過程において、原基である神経管・脳胞の壁には、神経前駆細胞が満ちている。発生初期、まだニューロンが誕生していないステージにおいては、脳・脊髄の原基の壁は、神経上皮(neuroepithelium)と組織学的に呼称されるのだが、壁を構成する細胞(神経上皮細胞 neuroepithelial cellsと称される)は未分化な神経前駆細胞である。
神経上皮では、壁の最内面(頂端 [apical] 面または脳室面)において近隣の神経上皮細胞群がジャンクションによって接着し、面の維持に貢献している。また、神経前駆細胞が頂端面から壁の最外面(基底 [basal] 面または脳膜面)までをつなぐ形態をしていることも「上皮」との呼称の根拠である。一般的な上皮に対して神経上皮を際立たせている特徴は、それを構成する神経上皮細胞の各々が細長く伸びた(数十マイクロメートル〜百マイクロメートル)形態をしているということである(図参照)。
神経上皮細胞の核・細胞体はG2期に頂端面に向けて動き、細胞分裂が頂端面で起きる。そこで誕生した娘細胞は、胎生初期においては、親細胞と同様に未分化な神経上皮細胞としてふるまう場合が多いが、G1期に頂端面から離れる方向に(基底方向へ)核移動を示す。核・細胞体は神経上皮中の基底域でS期を過ごし、G2期に頂端面を目指す。こうした核の反復的運動(数十マイクロメートル〜百マイクロメートルにも及ぶ)が「エレベーター」と通称される理由である(図中の赤色および青色の軌跡)。
組織の「偽重層化」との関係
神経上皮細胞それぞれが細胞周期進行に伴った核移動を行なっているのだが、神経上皮細胞の「集団」の中で細胞周期進行が同調している訳ではないので、任意の時点において、頂端基底軸上のいろいろなレベルに核・細胞体が存在し得る。それを一挙に組織学的に(静止画像として)観察すると、神経上皮の中に核が「重層」しているような印象を持つ。しかし、核は、細長く伸びて神経上皮の頂端端から基底端までをつなぐ(したがって「単層」の)神経上皮細胞のからだの中を行き来(エレベーター運動・INM)しているのであって、真の「重層」ではない。この「エレベーター運動・INMの総和」としての組織学的様態が「偽重層(pseudostratification)」と称される。
神経上皮は偽重層の度合いが際立つ例として有名であるが、上皮たるものすべて、「背丈」(頂端基底軸上の長さ)の大小にもとづく程度の差こそあれ、エレベーター運動・INMを行い、したがって核の偽重層状態を呈する。
発生期の脳原基全体との関係
発生ステージの進行に伴って、脳・脊髄の原基の壁にはニューロンが現れる。ニューロンは、壁の外側(基底域)に配置される。このとき、神経前駆細胞は、依然「細長く頂端基底を結ぶ形」を呈しているが、神経上皮時代に比して長さを増している(「放射状グリアradial glia」とも称される)。この頃の神経前駆細胞も、神経上皮細胞と同様にエレベーター運動・INMを行なうのだが、核運動はニューロン域にくい込まない範囲に限られる。このエレベーター運動・INMの軌跡・範囲によって「脳室帯 ventricular zone(VZ)」と称される組織学的部位(Pax6、Hes1/5、Sox2などの転写因子やKi67やPCNAなどの細胞周期マーカーによって陽性の核が充満)が規定され、ニューロン分布域と区別できる。VZには神経前駆細胞の頂端部分百マイクロメートル分ほどしか含まれないが、その場におけるエレベーター運動・INMは、神経上皮におけると同様である。したがって、VZも、この現象の起きる場所として有名である。
VZ中のエレベーター運動・INMには、上述の「軌跡の限界」に加えて、もう一点、神経上皮時代とは異なる特徴がある。 VZが存在する頃、すなわちニューロン産生が活発な頃、頂端面で起きる分裂から生じる娘細胞の運命は、片方が未分化(頂端プロジェニター apical progenitor)、片方が分化(ニューロンまたは基底プロジェニター basal progenitor)、という2方向的に決まる事が多い(「非対称細胞分裂」、「バイナリーな運命選択」と称される)。このような場合、分化に向かう頂端面生まれの娘細胞は、「一方通行・片道切符」的な核移動を示す。すなわち、G1期までは頂端面に結合性を持ったままで基底方向へ核が動かされるが、その後頂端面との結合が断たれ(脱上皮化のごとくに)、頂端向けの核移動局面は起こらない。
メカニズム
1995年にMcConnellらによって行なわれ始めたスライス培養の手法の進歩に伴って2001年以降、哺乳類脳原基中でのエレベーター運動・INMが明瞭にライブ観察できるようになり、ゼブラフィッシュ胚を用いた in vivoライブ観察も始まった。こうしたイメージング手法と遺伝子操作、薬理学的実験などの組み合せを通じて、最近、エレベーター運動・INMの分子機構が徐々に理解されるようになってきた。微小管に依存した機構、アクトミオシンに依存する機構、さらには細胞集団中で能動的な核移動により受動的な核移動が引き起こされる可能性、またギャップジャンクションの関与などが唱えられている。
意義
エレベーター運動・INMの意義については、まだ詳しくは分かっていない。組織形成、細胞産生など、いくつかの視点で研究が進められつつある。こうした研究は、ヒトの先天性脳疾患の病態解明につながる可能性がある。また、ES細胞から人工的に作成された神経上皮様の構造体においてもエレベーター運動・INMが起きる事も分かっている[7]ので、幹細胞研究の一環としての意義も深い。さらに、ヒトの脳の形成・進化を論じるうえでの細胞生物学的な注目点の一つとしても意識されている。
参考文献
- ↑
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