逆行性伝達物質
橋本谷 祐輝
Albert Einstein College of Medicine, Department of Neuroscience
狩野 方伸
東京大学 大学院医学系研究科 医学部
DOI:10.14931/bsd.2204 原稿受付日:2012年7月17日 原稿完成日:2012年9月26日
担当編集委員:河西 春郎(東京大学 大学院医学系研究科)
英:retrograde messengers, retrograde signals
条件
ある物質が逆行性伝達物質として働くかどうかは以下の基準を満たす必要があると提唱されている[1]。
- 逆行性伝達物質を合成あるいは放出する能力がシナプス後部にある。
- 合成や放出の過程を阻害すると逆行性伝達が起こらなくなる。
- シナプス前終末に逆行性伝達物質の標的となる受容器が存在する。
- その受容器を阻害すると逆行性伝達が起こらなくなる。
- その受容器のアクチベーター、あるいは逆行性伝達物質を投与することで逆行性伝達と同様の効果が発揮される。
種類
脂質
脂質のなかではエンドカンナビノイドが最も詳しく調べられている逆行性伝達物質である[2]。エンドカンナビノイドによる逆行性シナプス伝達はシナプス前終末に局在するカンナビノイド受容体I型(CB1)の活性化を介して引き起こされる。脳の非常に広い範囲の多くのシナプスでこの逆行性シナプス伝達が報告されている。詳しくは後述。
アラキドン酸が海馬において逆行性伝達物質として働き長期増強(long-term potentiation: LTP)や長期抑圧(long-term depression: LTD)を引き起こすことが提案された[3][4]。しかし、アラキドン酸を逆行性伝達物質と考えるには十分な実験的証拠がなく疑問視されている[5]。現在ではアラキドン酸自身ではなく、その代謝産物が逆行性伝達物質として働くことが考えられている[6]。海馬CA1においてシクロオキシゲナーゼ-2 (COX-2)によってアラキドン酸からプロスタグランジンE2が作られ、それが逆行性伝達物質として興奮性シナプス前終末に存在するプロスタグランジンE2受容体を活性化し、シナプス伝達を促進させることが報告されている[7]。
エイコサノイドの一種である12-(S)-HPETEが海馬CA1の抑制性ニューロンから放出され興奮性シナプス前終末に存在するTRPV1を活性化しLTDを誘導することが報告されている[8]。
気体分子
一酸化窒素 (NO)はセカンドメッセンジャーとして働くことが知られているが、特に海馬のLTP誘導において逆行性伝達物質として働くことが報告されている[9][10]。NMDA型グルタミン酸受容体を介して流入したカルシウムがNO合成酵素を活性化することによってL-アルギニンからNOがシナプス後部で作られる。細胞外へと放出されたNOはシナプス前終末の内部に入り、可溶性グアニル酸シクラーゼを活性化しcGMP産生とそれに引き続きcGMP依存性プロテインキナーゼの活性化を引き起こす。その結果、神経伝達物質の放出が促進される。海馬以外にも例えば腹側被蓋野[11]、視床下部[12]、大脳皮質[13]、脊髄[14]などでNOによる逆行性シナプス伝達が報告されている。
NOが順行性伝達物質としても働くことが、特に小脳のLTDでよく調べられている[15]。小脳プルキンエ細胞に入力する興奮性の平行線維終末からNOが放出され[16]シナプス後部に入り、可溶性グアニル酸シクラーゼを活性化する。その結果、cGMP/cGMP依存性プロテインキナーゼのカスケードが活性化しG-substrateをリン酸化する[17]。リン酸化したG-substrateはホスファターゼの阻害剤として働き、別経路で活性化されたプロテインキナーゼCと合わせて、最終的にAMPA型グルタミン酸受容体のリン酸化およびエンドサイトーシスを促進する方向へ向かう。
一酸化炭素も逆行性伝達物質として働くことが示唆されているが[18][9]まだそれを支持する十分な証拠は揃っていない。
神経栄養因子
神経栄養因子は順行性あるいは逆行性に分泌され神経細胞の分化、軸索伸張、発達期のシナプス形成に重要であることがよく知られている。一方で成熟シナプスにおいて逆行性伝達物質として働きシナプス伝達を促進する急性効果もある。例えばBDNFは高頻度刺激によって生じる細胞内のカルシウムイオン濃度上昇によってシナプス後部から放出され、シナプス前終末のTrkB受容体を活性化し、シナプス伝達を促進する。海馬[19]や大脳皮質[20]あるいはアフリカツメガエルの視蓋[21]において、興奮性シナプスや抑制性シナプスでBDNFによる逆行性伝達によってLTPが誘導されることが報告されている。
TGF-βなど他の神経栄養因子も逆行性伝達物質として働く可能性がある[22]。
ペプチド
オピオイドの一種であるダイノルフィンが逆行性伝達物質として働くことが知られている。ダイノルフィンは海馬歯状回の顆粒細胞において電位依存性カルシウムチャネルを介するカルシウムイオン流入によって小胞から分泌される[23]。顆粒細胞の樹状突起から分泌されたダイノルフィンは貫通線維のシナプス前終末に存在するκオピオイド受容体を活性化し、グルタミン酸の放出を抑制する[24][25][23]。最近、視床下部でもダイノルフィンが逆行性伝達物質として働くことが報告された[26][27]。
ダイノルフィンの他にも様々なペプチドが樹状突起から分泌されることが知られているが[28]、それが逆行性にシナプス伝達を調節するかどうかは定かでない。
古典的神経伝達物質
グルタミン酸やGABAといった神経伝達物質が特定のシナプスでは逆行性伝達物質として働く可能性が報告されている[29][30]。大脳皮質では興奮性シナプスや抑制性シナプスにおいてグルタミン酸やGABAによる逆行性シナプス伝達が起こることが報告されている[29]。小脳ではグルタミン酸[31]が脳幹ではGABAが[32]逆行性伝達物質として働くことが報告されている。特殊なシナプスとして嗅球の僧帽細胞と顆粒細胞間のdendro-dendritic結合でGABAによる逆行性伝達がみられる[33]。
セロトニンやドーパミンも樹状突起から放出されることが知られているが、逆行性伝達物質として働きシナプス伝達を制御しうるかどうかはまだ定かでない。
エンドカンナビノイドによる逆行性伝達
上記のほとんどの逆行性伝達物質が脳の限られた範囲のシナプスでのみ働くのに対して、エンドカンナビノイドによる逆行性伝達は脳の非常に広い範囲で起こる。カンナビノイド受容体にはCB1とCB2があり、CB1受容体は脳にCB2受容体は主に免疫系の細胞で発現している(CB2受容体も一部、脳での発現が認められる)。CB1受容体は興奮性ニューロンあるいは抑制性ニューロンの神経終末に発現しており、その発現パターンは脳部位によって異なる。例えば海馬では、一部の抑制性ニューロンに強く発現しており、これに比べて興奮性ニューロンには一様に低く発現している。海馬の抑制性ニューロンのうちでも、パルブアルブミン陽性バスケット細胞にはCB1受容体が存在せず、コレシストキニン陽性バスケット細胞に強く発現するといった、極めて選択的な発現パターンを示す。これらの入力を短期あるいは長期に抑制することで記憶・認知、運動制御、鎮痛、食欲調節、報酬系の制御、神経保護などの様々な脳機能に関与する[2]。
エンドカンナビノイド産生機構
エンドカンナビノイドの一種である2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)はシナプス後部のニューロンの脱分極によるカルシウムイオン流入、あるいはGq/11タンパク質共役型受容体の活性化によって作られる(図2)。2-AGは前駆体であるジアシルグリセロール(DG)からDGリパーゼ(DGL)によって作られる。シナプス後ニューロンで強い脱分極が起きると電位依存性カルシウムチャネルが開いてカルシウムイオンが流入する。細胞内カルシウム濃度がµM以上に達すると、2-AGが産生される(図2)。また、グループI代謝活性型グルタミン酸受容体やM1/M3ムスカリン受容体といったGq/11タンパク質共役型受容体の活性化によってホスホリパーゼCβを介する経路で2-AG産生が引き起こされる(図2)。この場合、細胞内カルシウム上昇は必要ない[34]。さらに、こういった受容体の活性化と脱分極による細胞内へのカルシウムイオン流入が同時に起こると、2-AG産生が相乗的に促進される。これは、PLCβがカルシウム感受性を持つため、受容体活性化と同時に細胞内カルシウム濃度が高まると、PLCβ活性が増強するためである[35][36] (図2)。
逆行性シナプス伝達抑圧
上記のような刺激によって産生された2-AGは細胞膜を通って逆行性にシナプス前終末に局在するCB1受容体を活性化する。活性化したCB1受容体は共役するGi/oタンパク質を介してシナプス前終末の電位依存性カルシウムチャネルの開口を抑制し、神経伝達物質の放出を抑制する(図2)。ニューロンの脱分極によって生じるエンドカンナビノイドによる逆行性シナプス伝達抑圧をdepolarization-induced suppression of inhibition/excitation (DSI/DSE)とよぶ。脱分極したニューロンに入力する抑制性入力が抑えられる場合がDSI、興奮性入力が抑えられる場合がDSEである。単なる脱分極と違い、生理的条件に近いシナプス刺激によってエンドカンナビノイドによる短期の逆行性シナプス伝達抑圧が起こることがわかっている[37][38][36]。この場合、上述のようなGq/11タンパク質共役型受容体の活性化と細胞内へのカルシウム流入の相乗効果で2-AGが作られると考えられる[39]。
エンドカンナビノイドは細胞外を非常に限られた範囲でしか拡散できない。海馬では10~20μm程度しか拡散しないと考えられている。2-AGの分解酵素であるモノアシルグリセロールリパーゼ(MGL)はシナプス前終末に局在しており、逆行性に運ばれて来た2-AGを速やかに分解する[40](図2) 。
エンドカンナビノイドには代表的なものとして2-AG以外にもアナンダミドがある。2-AGが様々なシナプスにおいて逆行性伝達物質として普遍的に働くのに対してアナンダミドは限られたシナプスにおいてのみ逆行性伝達物質として働くと考えられている。
長期抑圧現象
エンドカンナビノイドは長期抑圧現象 (LTD)の誘導にも寄与する。興奮性シナプスでみられるエンドカンナビノイド依存性のLTDは、背側線条体、大脳皮質、側坐核、小脳、海馬、背側蝸牛神経核などで報告されている。一方、抑制性シナプスでは、扁桃体、海馬、大脳皮質、腹側被蓋野などで報告がある。
エンドカンナビノイド依存性のLTD(eCB-LTD)誘導にはLTD誘発刺激中にエンドカンナビノイドが産生されてシナプス前終末のCB1受容体が活性化されることが必要である。海馬ではCB1受容体が5-10分間、活性化されることがLTD誘導に必須であることが示されており、LTDの維持にはCB1受容体活性は不要となる[41]。LTD誘発刺激条件は脳部位によって様々であるがシナプス後部ニューロンへのカルシウムイオン流入あるいはグループI代謝活性型グルタミン酸受容体の活性化を介してエンドカンナビノイド産生が引き起こされることが明らかになっている [42]。エンドカンナビノイドは興奮性シナプスで作られるので、抑制性シナプスで起こるeCB-LTDは異シナプス的に誘導されるLTDである。小脳を除いて、eCB-LTDの発現は、これまですべてシナプス前性の可塑的変化によることが示されている。しかし数分間のCB1受容体の活性化がどのようにして長期の神経伝達物質放出の抑制を誘導するのかについてはまだよくわかっていない。海馬においてはシナプス前終末におけるRIM1αの作用と、カルシウムイオン流入によるカルシニューリンの活性化が必須であることが示されている[42]。
同じシナプス後細胞へのカルシウムイオン流入でもエンドカンナビノイド依存性のLTD以外にもLTPなどのシナプス可塑性が引き起こされる。どのようにしてこれらのシナプス可塑性が選択的に引き起こされるのかに関してはほとんどわかっていない。少なくとも大脳皮質のスパイクタイミング依存性のLTP/LTDでは選択的に起こるようである。プレーポストの順番で刺激されるとNMDA受容体が働きLTPが誘導され、逆の順番ではグループI代謝活性型グルタミン酸受容体が強く活性化され上述のPLCβ活性の相乗効果でエンドカンナビノイドが作られLTDが誘導される[43]。また背側蝸牛神経核ではLTPとエンドカンナビノイド依存性のLTDが同時に起こるがLTPがマスクされ結果LTDが観察されるといった実験結果もある[44]。一方、小脳ではプルキンエ細胞の脱分極でDSEと他の可塑性が時間差をおいて引き起こされることが報告されている[31]。
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