英語名:Rett syndrome、英略語:RTT
概要
レット症候群は自閉症やてんかん、失調性歩行、特有の手もみ動作(常同運動)を主徴とする進行性の精神・神経疾患である。症候群名は、最初の症例報告が、1966年にウィーンの小児科医アンドレアス・レット(Andreas Rett)によってなされたことに由来する。X連鎖優性遺伝病(男性は胎生致死で患者は全員女性)であり、1999年、責任遺伝子がX染色体上のMECP2 (methyl-CpG binding protein 2)であることが明らかにされた。この遺伝子がコードするMeCP2タンパク質にはメチル化された遺伝子のプロモーター領域に結合し、その遺伝子の発現を抑制する性質があることから、本症の神経病態は、神経細胞内のMeCP2の機能不全による遺伝子発現調節の破綻と考えられている。
近年、MeCP2は、神経細胞だけでなく、グリア細胞など種々の脳細胞でも発現していることが判明し、これらの全体が本症の精神・神経症状に関与している可能性が示唆されている。最近、本症候群患者の皮膚細胞からiPS細胞が作製されるようになった。今後、このようなiPS細胞を神経分化させたレット症候群患者由来の神経細胞を用いた研究により、神経病態のさらなる理解や治療薬の開発が期待されている。
臨床像
生後しばらくは正常発達をとげるが、乳児期(生後6か月から1歳半)に異常に気付かれ、以後進行性の経過を示す。頚定は正常だが、おすわり・寝返りはやや遅れ、幼児期になると徐々に症状が進行し、本症の特徴である手もみ動作(常同運動)や自閉症状、てんかん発作、過呼吸、不眠などの症状が出現する。
小児期になると進行が緩やかになるが、成人期には筋緊張が低下傾向から亢進傾向に変わり、運動の減少がみられ、車いすでの生活が必要となる。さらにパーキンソン病様症状に発展することもある[1]。
レット症候群の責任遺伝子
レット症候群の発症率は女児10,000人に1人といわれている。レット症候群の原因遺伝子は、家系解析によりX染色体長腕末端Xq28領域に存在するMECP2遺伝子であることが判明している。典型的なレット症候群患者の80%がこの遺伝子の変異を有する。本症候群と同様の症状を呈する患者の中に、CDKL5(cyclin-dependent kinase-like 5)遺伝子の変異を持つ患者も報告されている[2]。
患者におけるMECP2遺伝子の変異
MECP2遺伝子において、現在までに300を超える様々な変異が報告されてきた。また、変異のタイプにより正常なMeCP2タンパク質の機能への影響が異なることが明らかにされてきた。一方、本症候群では、患者ごとに重症度や臨床経過に大きな差異があることが知られている。従って、本症患者の臨床的差異の要因の1つに、遺伝子変異の違いが想定されている。例えば、MeCP2のN末側領域(核内移行シグナル)の欠損(フレームシフト)変異はミスセンス変異と比較して重篤な症状を示す。例えば、ミスセンス変異の1つであるR133C変異は部分的にタンパク質機能が保たれているため患者は比較的軽症であるのに対し、欠損変異である能R270X変異の患者は重篤な経過を辿る[3]。
X染色体不活化の臨床的影響
レット症候群患者の重症度に影響を与える第2の要因としてX染色体不活化の影響がある。X染色体不活化とは、女性の父由来・母由来の2本のX染色体はどちらか1本がランダムに不活化される女性特有の現象のことをいう。多くの女性では、父由来Xが不活化された細胞と母由来Xが不活化された細胞は半々に存在するが、一部の女性ではどちらかの細胞が非常に多くなっている。レット症候群患者集団(全員女性)においても、正常女性集団と同様に、①半々に存在する患者、②父由来Xが不活化された細胞が多めの患者、③母由来Xが不活化された細胞が多めの患者、の3タイプが存在する。しかしながら、本症患者の多くは、父由来のX染色体上にMECP2遺伝子変異を有するため、①の患者は中等度の臨床症状、②の患者は軽症(変異MECP2のある父由来のXが不活化された細胞の多いため)、③の患者は重症(正常MECP2を有する母由来のXが不活化された細胞の多いため)、となる傾向になると考えられている[3]。
MeCP2タンパク質の機能
MeCP2(methyl CpG binding protein 2)はメチル化修飾されたDNAに特異的に結合し、Sin3aやヒストン脱アセチル化酵素(HDACs)などと複合体を形成することで遺伝子発現の抑制に関与していることが知られている。このようなDNAやヒストンタンパク質の修飾に依存する遺伝子発現制御機構をエピジェネティクス機構とよんでいる。
またMeCP2は、c-Ski、NcoR、DNAメチルトランスフェラーゼ(DNMTs)やATRXなどさまざまなタンパク質と相互作用することから、クロマチンの凝集を引き起こすことで転写が不活性な状態を作り上げていると考えられている。
MeCP2によって転写が抑制される標的遺伝子の探索が盛んに行われており、これまでに脳由来神経栄養因子(BDNF)、ゲノム刷り込み遺伝子DLX5やインスリン様成長因子結合タンパク質IGFBP3、シナプス間の接着に関与するPCDHB1などが報告されている。しかしながら2008年、Mecp2ノックアウトマウスとMecp2過剰発現マウスを用いた発現マイクロアレイを用いた解析から、視床下部において数千の遺伝子が調節を受けていること, そしてその標的遺伝子の85%はMeCP2により転写が活性化されているという報告がなされた。MeCP2が直接、遺伝子のプロモーター領域に結合し、転写因子CREB1などとともに標的遺伝子の発現を活性化することも報告され、MeCP2が転写抑制・活性化双方に関与していることが示唆されている[4]。
レット症候群の神経病態
本症のモデルマウス(Mecp2欠損マウス)や本症患者の死後脳の解析から神経細胞の樹状突起の数や分岐の減少がみられることから、本症の神経病態はシナプス形成やシナプス伝達機能の異常であると想定されてきた。この仮説をサポートするように、Mecp2欠損マウスでは神経伝達物質の自発的放出やシナプス可塑性が減少していることも報告された。
また、さまざまなMecp2コンディショナルノックアウトマウスが作製され、神経細胞の種類や脳領域特異的なMeCP2欠損マウスによる研究が行われ、ドーパミンニューロン特異的Mecp2欠損マウスは運動失調を、セロトニンニューロン特異的Mecp2欠損マウスは攻撃性の増加を、さらに扁桃体特異的Mecp2欠損マウスは学習や記憶の障害を、視床下部特異的Mecp2欠損マウスは摂食障害や攻撃性などの、ストレスに対する反応が見られることが報告された。これらのマウスはいずれもレット症候群の症状の一部しか呈していなかったが、最近作製された前脳のGABA作動性ニューロン特異的にMecp2を欠損させたマウスにおいては、GABA作動性ニューロンの機能異常症状だけでなく、レット症候群の多様な症状を呈していた。このことから、GABA作動性ニューロンの正常機能にはMeCP2が必須であり、GABA作動性ニューロンの機能障害が多様な精神・神経症状の発現に関与していることが示唆された。
さらに近年、グリア細胞(アストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリア)にもMeCP2が発現し、脳機能に寄与していることが報告されている。グリア細胞から分泌される突起形成を促進する分子の減少や神経細胞へ毒性を与える分子の増加を引き起こしている事が示唆され、グリア細胞においてもMeCP2が重要な遺伝子発現調節をしていると考えられる。神経細胞のみならずグリア細胞の異常もレット症候群の病態に大きく関与していると考えられ、グリア細胞を標的とした新たな治療法の開発につながることが期待される。
レット症候群の治療戦略
レット症候群の治療に向けた基礎研究はこれまで様々報告されている。例えばMeCP2異常により減少するBDNFの発現量を増加させる薬剤による治療では本症モデルマウスにおいて一部の症状が改善されることが報告されている。また正常MeCP2の発現を増加させる治療戦略も研究されており、ゲンタマイシンなどのアミノグリコシド投与により神経症状改善効果があることが報告されているものの、有効な治療法としては確立していない[4]。
一般に、本症のような先天性疾患では根本的治療は困難とされてきたが、患者の福音となるような報告が最近2つなされた。いずれも動物モデルの段階だが、1つは本症の神経症状を模倣するMecp2遺伝子欠失マウスに、正常なMecp2遺伝子をOFFの状態で導入しておき、症状がかなり進行した生後3ヶ月の段階でONにしたところ(導入遺伝子をONにする薬を投与)、症状が改善し、長生きした、という報告である。もう1つは、生後2ヶ月に、正常マウス由来の骨髄細胞を上述のMecp2遺伝子欠失マウスに移植したところ、移植した骨髄細胞がミクログリアとなり、KOマウス脳内で貪食機能を発揮して、神経症状の軽快につながった、というものである。
近年、iPS細胞技術の開発で、レット症候群患者由来の神経細胞が作製され始めた。これを用いた、さらなる神経病態の理解と、治療薬開発や細胞移植治療に向けた研究が加速していくことが期待される[5]。
参考文献
- ↑
Lotan, M., & Ben-Zeev, B. (2006).
Rett syndrome. A review with emphasis on clinical characteristics and intervention. TheScientificWorldJournal, 6, 1517-41. [PubMed:17160339] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑
Matijevic, T., Knezevic, J., Slavica, M., & Pavelic, J. (2009).
Rett syndrome: from the gene to the disease. European neurology, 61(1), 3-10. [PubMed:18948693] [WorldCat] [DOI] - ↑ 3.0 3.1
Chahrour, M., & Zoghbi, H.Y. (2007).
The story of Rett syndrome: from clinic to neurobiology. Neuron, 56(3), 422-37. [PubMed:17988628] [WorldCat] [DOI] - ↑ 4.0 4.1
Samaco, R.C., & Neul, J.L. (2011).
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Gadalla, K.K., Bailey, M.E., & Cobb, S.R. (2011).
MeCP2 and Rett syndrome: reversibility and potential avenues for therapy. The Biochemical journal, 439(1), 1-14. [PubMed:21916843] [WorldCat] [DOI]
(執筆者:三宅邦夫、久保田健夫 担当編集者:高橋良輔)