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[[Image:前頭眼窩野図new1.jpg|thumb|right|300px|'''図.ヒト(左)とサル(右)の前頭前野外側部(上)と前頭眼窩野(下)'''<br>図中の数字はブロードマンの領野。]] | [[Image:前頭眼窩野図new1.jpg|thumb|right|300px|'''図.ヒト(左)とサル(右)の前頭前野外側部(上)と前頭眼窩野(下)'''<br>図中の数字はブロードマンの領野。]] | ||
前頭眼窩野は[[前頭葉]]の腹側面(下部)に位置しており、この脳部位には[[視覚]]、[[聴覚]]、[[体性感覚]]とともに[[味覚]]、[[嗅覚]]情報も収斂している。[[扁桃体]]を中心とする[[辺縁系]]とも密接な結びつきがある。この脳部位の損傷患者や破壊[[wikipedia:ja:サル| | 前頭眼窩野は[[前頭葉]]の腹側面(下部)に位置しており、この脳部位には[[視覚]]、[[聴覚]]、[[体性感覚]]とともに[[味覚]]、[[嗅覚]]情報も収斂している。[[扁桃体]]を中心とする[[辺縁系]]とも密接な結びつきがある。この脳部位の損傷患者や破壊[[wikipedia:ja:サル|ザル]]においては[[情動]]反応と[[動機づけ行動]]に異常が見られる。また[[学習行動]]の消去が困難になるとともに、[[逆転学習]]に障害が生じる。この脳部位は[[報酬]]や嫌悪刺激の価値の評価に関わるとともに、それらの予測、期待にも関係している。またこの脳部位は情動・動機づけに基づく[[意思決定]]に重要な役割を果たしている。 | ||
== 前頭眼窩野のなりたち == | == 前頭眼窩野のなりたち == | ||
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この脳部位を破壊したサルにおいても、消去がなかなか生じない、逆転学習が困難である、という人と同じ障害が見られる。さらに破壊ザルが、「報酬価値を減少させる」操作に敏感でないことも知られている。すなわち、ほぼ同じ価値(おいしさ)を持つX,Yという食べ物があったとして、Xだけたくさん食べさせる、という操作をすると、通常のサルなら、Yという食べ物を取るのには熱心でも、Xを取るのは熱心でなくなる。ところが前頭眼窩野を破壊したサルはYに対してと同じようにXをとるためにも熱心であることが知られている。 | この脳部位を破壊したサルにおいても、消去がなかなか生じない、逆転学習が困難である、という人と同じ障害が見られる。さらに破壊ザルが、「報酬価値を減少させる」操作に敏感でないことも知られている。すなわち、ほぼ同じ価値(おいしさ)を持つX,Yという食べ物があったとして、Xだけたくさん食べさせる、という操作をすると、通常のサルなら、Yという食べ物を取るのには熱心でも、Xを取るのは熱心でなくなる。ところが前頭眼窩野を破壊したサルはYに対してと同じようにXをとるためにも熱心であることが知られている。 | ||
== | == 前頭眼窩野のニューロン活動とfMRI研究 == | ||
サル前頭眼窩野には,報酬や嫌悪刺激に応答したり、そうした刺激の予測,期待に関係して「予期的」な活動変化を示したりするニューロンが見出される。最近の研究では、サルの眼窩野ニューロンが報酬や嫌悪刺激の価値(好ましさや嫌悪度)を反映した活動を示すことが明らかにされている。すなわちサルにとって、Aという報酬は価値が高く、Bという報酬は価値が低い場合、例えばサルにとってAの1単位と、Bの3単位がほぼ同価値という場合、眼窩野のニューロンは、Aの1単位とBの3単位の報酬には同じ応答を示す(共通通貨で表されるような価値を反映した活動を示す)ことが知られている。また「価値を減少させる」操作をすれば、その減少した価値を反映した活動を示す。 | サル前頭眼窩野には,報酬や嫌悪刺激に応答したり、そうした刺激の予測,期待に関係して「予期的」な活動変化を示したりするニューロンが見出される。最近の研究では、サルの眼窩野ニューロンが報酬や嫌悪刺激の価値(好ましさや嫌悪度)を反映した活動を示すことが明らかにされている。すなわちサルにとって、Aという報酬は価値が高く、Bという報酬は価値が低い場合、例えばサルにとってAの1単位と、Bの3単位がほぼ同価値という場合、眼窩野のニューロンは、Aの1単位とBの3単位の報酬には同じ応答を示す(共通通貨で表されるような価値を反映した活動を示す)ことが知られている。また「価値を減少させる」操作をすれば、その減少した価値を反映した活動を示す。 | ||
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近年の[[fMRI]]研究では、報酬や嫌悪刺激に関連して前頭眼窩野の活動を調べた研究は多いが、この脳部位は解剖学的に[[wikipedia:ja:副鼻腔|副鼻腔]]に近く、呼吸に伴う空気の動きの雑音の影響を受けやすいことから、この部位のデータの信頼性は他の部位のものより劣る。 | 近年の[[fMRI]]研究では、報酬や嫌悪刺激に関連して前頭眼窩野の活動を調べた研究は多いが、この脳部位は解剖学的に[[wikipedia:ja:副鼻腔|副鼻腔]]に近く、呼吸に伴う空気の動きの雑音の影響を受けやすいことから、この部位のデータの信頼性は他の部位のものより劣る。 | ||
人における[[非侵襲的研究]]によると、好ましい刺激や嫌悪刺激の呈示に対して前頭眼窩野はそれらの価値を反映した活動を示すとともに、そうした刺激の期待・予期過程に関しても活性化を示す。刺激としては、食べ物、飲み物、性的刺激、さらにはお金や社会的評判、芸術的対象(美しい、醜い)も含まれる。また、「価値を減少させる」操作に対しても前頭眼窩野はその減少した価値を反映した活動を示す。さらにこの脳部位は疲労感に関係した活動変化も示す。 | |||
なお、多くの研究で前頭眼窩野の11,13野を中心とした内側よりの部分は報酬を、[[12野]]と中心とした外側部よりの部分は罰を表象する、とされるが、否定的な研究もあり、この脳部位内で正負の価値が異なった部位で表象されているかどうかはまだ議論の対象である。一方、前頭眼窩野内で、後ろよりの部分は報酬や嫌悪刺激そのものを捉えることにより関わり、前よりの部分ほど視覚や体性感覚刺激と味覚・嗅覚刺激との連合に関わること、より抽象度の高い刺激(社会的刺激や芸術的対象)への反応が見られることが示されている。 | なお、多くの研究で前頭眼窩野の11,13野を中心とした内側よりの部分は報酬を、[[12野]]と中心とした外側部よりの部分は罰を表象する、とされるが、否定的な研究もあり、この脳部位内で正負の価値が異なった部位で表象されているかどうかはまだ議論の対象である。一方、前頭眼窩野内で、後ろよりの部分は報酬や嫌悪刺激そのものを捉えることにより関わり、前よりの部分ほど視覚や体性感覚刺激と味覚・嗅覚刺激との連合に関わること、より抽象度の高い刺激(社会的刺激や芸術的対象)への反応が見られることが示されている。 | ||
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ダマジオはこうした障害のメカニズムについてソマティックマーカー仮説somatic marker hypothesisを提唱している<ref name=ref3/>。彼は情動、動機づけには常に「身体的、内臓系の反応」(ソマティック反応)が付随すると考えた。そして(1)前頭連合野腹内側部は外的な刺激とそれに伴う情動、動機づけを連合する場所と考えられる。(2)この連合が成立している場合には、外的な刺激が認知されると、腹内側部でその連合に基づいたソマティック反応を身体、内臓系に生じさせる信号が出るが、その信号は「良い」あるいは「悪い」という価値に従いマークされている。(3)このマーク機能は意思決定を効率的にするように作用する、と考えた。腹内側部に損傷をもつ患者では、外部状況が認知されても通常なら生起するソマティック・マーカーが起こらないため、マーカーがあれば可能であるような迅速、適切な行動が出来なくなると考えるわけである。 | ダマジオはこうした障害のメカニズムについてソマティックマーカー仮説somatic marker hypothesisを提唱している<ref name=ref3/>。彼は情動、動機づけには常に「身体的、内臓系の反応」(ソマティック反応)が付随すると考えた。そして(1)前頭連合野腹内側部は外的な刺激とそれに伴う情動、動機づけを連合する場所と考えられる。(2)この連合が成立している場合には、外的な刺激が認知されると、腹内側部でその連合に基づいたソマティック反応を身体、内臓系に生じさせる信号が出るが、その信号は「良い」あるいは「悪い」という価値に従いマークされている。(3)このマーク機能は意思決定を効率的にするように作用する、と考えた。腹内側部に損傷をもつ患者では、外部状況が認知されても通常なら生起するソマティック・マーカーが起こらないため、マーカーがあれば可能であるような迅速、適切な行動が出来なくなると考えるわけである。 | ||
アイオワ・ギャンブル課題中に被験者の体に発汗([[自律神経]]の働きからくる)を調べることができる装置をつけておくと、健常者がA, Bのカードを選択しようとする際には、20枚目くらいで発汗量に増加がみられる。20枚目というと、まだA,Bのカードが不利であることは意識化されていない段階であるが、生理的な反応が出ることにより、被験者の意思決定は有利なものになるわけであるが、前頭前野腹内側部損傷患者ではそうした反応が出ないのである。 | |||
ダマジオの説は、意思決定における感情の果たす役割や、無意識的判断というものについて神経的基礎を与えるもので、多いに注目を集めているが、実証されているとは言い難く、批判も少なくない。たとえば、ロールズなどは、腹内側部損傷患者が適切な意思決定ができないのは、罰刺激のような負の経験に基づいて反応変容ができない、という前頭眼窩野に見られる消去や逆転学習の障害の反映と解釈すべきとしている<ref name="ref4">'''Rolls ET'''<br>The brain and emotion. <br>Oxford Univ Press 1999</ref>。 | ダマジオの説は、意思決定における感情の果たす役割や、無意識的判断というものについて神経的基礎を与えるもので、多いに注目を集めているが、実証されているとは言い難く、批判も少なくない。たとえば、ロールズなどは、腹内側部損傷患者が適切な意思決定ができないのは、罰刺激のような負の経験に基づいて反応変容ができない、という前頭眼窩野に見られる消去や逆転学習の障害の反映と解釈すべきとしている<ref name="ref4">'''Rolls ET'''<br>The brain and emotion. <br>Oxford Univ Press 1999</ref>。 | ||
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情動・動機づけ制御機能に障害が考えられるものに「社会病質」Psychopathyもある。これは他人の痛みを感じることがなく、他者に暴力的な反応をしても罪の意識を感じず、同じ犯罪を繰り返し行う行動傾向を指す。社会病質者では、前頭眼窩野の活動性が(うつ病)と違って低いが、この脳部位の損傷で社会病質者になるという報告はない。社会病質者の多くには[[扁桃核]]に障害があり、その結果として前頭眼窩野の働きに障害が出ると考えられている。 | 情動・動機づけ制御機能に障害が考えられるものに「社会病質」Psychopathyもある。これは他人の痛みを感じることがなく、他者に暴力的な反応をしても罪の意識を感じず、同じ犯罪を繰り返し行う行動傾向を指す。社会病質者では、前頭眼窩野の活動性が(うつ病)と違って低いが、この脳部位の損傷で社会病質者になるという報告はない。社会病質者の多くには[[扁桃核]]に障害があり、その結果として前頭眼窩野の働きに障害が出ると考えられている。 | ||
前頭眼窩野の情動・動機づけ機能は神経伝達物質の[[ドーパミン]],[[セロトニン]]、[[ノルエピネフリン]],[[GABA]](ガンマアミノ酪酸)などによって支えられている。その中でセロトニンはこの脳部位の情動機能を支えるのに最も重要な神経伝達物質である。[[PET]] | 前頭眼窩野の情動・動機づけ機能は神経伝達物質の[[ドーパミン]],[[セロトニン]]、[[ノルエピネフリン]],[[GABA]](ガンマアミノ酪酸)などによって支えられている。その中でセロトニンはこの脳部位の情動機能を支えるのに最も重要な神経伝達物質である。[[PET]]研究によると、[[うつ病]]は前頭眼窩野のセロトニンの働きの異常が関係していると考えられる。うつ病治療に用いられる薬物の多くは前頭眼窩野のセロトニンの働きを高めるように作用する。 | ||
[[wikipedia:ja:トリプトファン|トリプトファン]](たんぱく質に含まれるアミノ酸)はセロトニンの前駆物質であるが、このトリプトファン成分だけ除去した食事を実験的に続けると、回復していたうつ症状がぶり返す場合があることが知られている。健常人にトリプトファンを除去した食事をしてもらうと、前頭眼窩野の損傷患者で見られるように、攻撃的傾向が増したり、逆転学習の障害が見られたりする。サルにおいてセロトニンを神経伝達物質とするニューロンは、長期の報酬予測の制御に関係していることも知られている。人では、実験的にトリプトファンを欠乏させると短期的思考が多くなり、過剰にすると長期予測の割合が増すという報告もある。うつ病患者では、特に前頭眼窩野の脳内セロトニン低下により長期予測機能が低下しており、結果として目先のことしか考えられないという短期的思考になり、将来に希望が持てなくなるという仮説も提示されている。 | [[wikipedia:ja:トリプトファン|トリプトファン]](たんぱく質に含まれるアミノ酸)はセロトニンの前駆物質であるが、このトリプトファン成分だけ除去した食事を実験的に続けると、回復していたうつ症状がぶり返す場合があることが知られている。健常人にトリプトファンを除去した食事をしてもらうと、前頭眼窩野の損傷患者で見られるように、攻撃的傾向が増したり、逆転学習の障害が見られたりする。サルにおいてセロトニンを神経伝達物質とするニューロンは、長期の報酬予測の制御に関係していることも知られている。人では、実験的にトリプトファンを欠乏させると短期的思考が多くなり、過剰にすると長期予測の割合が増すという報告もある。うつ病患者では、特に前頭眼窩野の脳内セロトニン低下により長期予測機能が低下しており、結果として目先のことしか考えられないという短期的思考になり、将来に希望が持てなくなるという仮説も提示されている。 |