「外国語学習」の版間の差分

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 英語の母語話者は,生後1年前後から就学時までにおよそ3,000~10,000語を獲得し,教養ある大人はおよそ20,000ワードファミリー(基本語とその屈折形および派生形を同じ語として数える方式)を知っていると言われる<ref>'''Goulden, R., Nation, I. S. P., and Read, J.'''<br>How large can a receptive vocabulary be?<br>''Applied Linguistics, 11, 341-363'': 1990</ref>。外国語学習では,少なくとも学校教育の中で母語話者並みの語彙数を習得することは困難であると同時に,学校教育では授業時間数は限られているため,優先度の高い語彙選択が行われており,テクストにおける占有率(coverage)や使用範囲(range)など使用頻度(frequency)をはじめとして,有用性を考慮する必要がある。しかし,教授・学習すべき語彙は,頻度のみで決まるものではなく,題材性とも密接に関係しており,テーマに関係する語は低頻度であっても扱う必要がある。日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示,2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度,高等学校学習指導要領(2009年告示,2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では,1,800語程度,あわせて3,000語程度を学習することとなっているが,語彙の選択は教科書によって異なる。
 英語の母語話者は,生後1年前後から就学時までにおよそ3,000~10,000語を獲得し,教養ある大人はおよそ20,000ワードファミリー(基本語とその屈折形および派生形を同じ語として数える方式)を知っていると言われる<ref>'''Goulden, R., Nation, I. S. P., and Read, J.'''<br>How large can a receptive vocabulary be?<br>''Applied Linguistics, 11, 341-363'': 1990</ref>。外国語学習では,少なくとも学校教育の中で母語話者並みの語彙数を習得することは困難であると同時に,学校教育では授業時間数は限られているため,優先度の高い語彙選択が行われており,テクストにおける占有率(coverage)や使用範囲(range)など使用頻度(frequency)をはじめとして,有用性を考慮する必要がある。しかし,教授・学習すべき語彙は,頻度のみで決まるものではなく,題材性とも密接に関係しており,テーマに関係する語は低頻度であっても扱う必要がある。日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示,2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度,高等学校学習指導要領(2009年告示,2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では,1,800語程度,あわせて3,000語程度を学習することとなっているが,語彙の選択は教科書によって異なる。


 言語運用を可能にする語彙知識は,人間の脳内に存在すると仮定されているメンタルレキシコン(mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Levelt(1989)によれば,語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されているレキシーム(lexeme)と語の統語(syntax)および意味(semantics)に関する情報が保存されているレマ(lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref name=ref2>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に,ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding),獲得される。これらの語彙情報は,一度に獲得されるものではなく,言語経験によって少しずつ情報が付加され,ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして,脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は,言語理解や言語産出のプロセスにおいて,[[検索]]され(retrieval),利用される。こうしたプロセスは,外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。
 言語運用を可能にする語彙知識は,人間の脳内に存在すると仮定されているメンタルレキシコン(mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Levelt(1989)によれば,語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されているレキシーム(lexeme)と語の統語(syntax)および意味(semantics)に関する情報が保存されているレマ(lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に,ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding),獲得される。これらの語彙情報は,一度に獲得されるものではなく,言語経験によって少しずつ情報が付加され,ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして,脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は,言語理解や言語産出のプロセスにおいて,[[検索]]され(retrieval),利用される。こうしたプロセスは,外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。


 言語刺激は,音韻的,視覚的,意味的に符号化され,貯蔵されることが知られているが,外国語学習の環境においては,音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば,よく言われることであるが,語彙項目の中には,文字として見れば理解できるが,音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては,メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが,音韻の表象は登録されなかったか,または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は,音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており,文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが,音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり,リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり,結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも,いくつかの可能性が考えられるだろう。
 言語刺激は,音韻的,視覚的,意味的に符号化され,貯蔵されることが知られているが,外国語学習の環境においては,音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば,よく言われることであるが,語彙項目の中には,文字として見れば理解できるが,音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては,メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが,音韻の表象は登録されなかったか,または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は,音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており,文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが,音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり,リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり,結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも,いくつかの可能性が考えられるだろう。
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==== 言語産出のプロセス ====
==== 言語産出のプロセス ====
 音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに,Levelt(1989<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における'''語彙仮説モデル'''がある。このモデルでは,まず,スピーキングのプロセスとして,'''概念化装置'''(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは,'''形式化装置'''(FORMULARTOR)で文法コード化(grammatical encoding)および音韻コード化(phonological encoding)の操作が施される。ことのとき,メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報によって統語的表象を構築し,レキシーム(lexeme)情報によって音韻表象が構築される。最終的に'''調音'''(ARTICULATION)がなされて,発話(アウトプット)に至るプロセスが示されている。
 音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに,Levelt(1989<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における'''語彙仮説モデル'''がある。このモデルでは,まず,スピーキングのプロセスとして,'''概念化装置'''(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは,'''形式化装置'''(FORMULARTOR)で文法コード化(grammatical encoding)および音韻コード化(phonological encoding)の操作が施される。このとき,メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報によって統語的表象を構築し,レキシーム(lexeme)情報によって音韻表象が構築される。最終的に'''調音'''(ARTICULATION)がなされて,発話(アウトプット)に至るプロセスが示されている。


 外国語のスピーキングにおける困難点は,①発音を知らない,発音の仕方が分からない,②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない,③文法知識の欠如,文をすぐに構築できない,④正確さを気にしすぎて,間違いを犯すことを[[恐れ]]る,⑤母語で考えて,それを外国語に置き換えようとする,などが挙げられる。
 外国語のスピーキングにおける困難点は,①発音を知らない,発音の仕方が分からない,②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない,③文法知識の欠如,文をすぐに構築できない,④正確さを気にしすぎて,間違いを犯すことを[[恐れ]]る,⑤母語で考えて,それを外国語に置き換えようとする,などが挙げられる。
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=== 繰り返し接触による潜在学習 ===
=== 繰り返し接触による潜在学習 ===
 外国語学習においては,'''模倣'''(imitation)や'''繰り返し'''(repetition)が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が,上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschak, Loney, and Borreggine (2006) は,Pickering and Branigan (1998) の文完成課題を用いて,刺激文への接触回数が[[プライミング効果]]に与える影響を調査した<ref>'''Pickering, M. J., & Branigan, H. P.'''<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>''Journal of Memory and Language, 39, 633–651'': 1998 </ref>。その結果,英語母語話者の場合,刺激への接触回数が増えにつれてプライミング率が高くなった。また,Morishita and Yokokawa (2012) <ref>'''Morishita, M., & Yokokawa, H.'''<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>''Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA'': 2012</ref>も日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ,全体として,母語話者と同様の結果得られ,自動的 (automatic) で無意識的 (implicit) なプロセスであるというPickering and Branigan (1999) の主張を支持する結果となった<ref>'''Pickering, M. J., & Branigan, H. P.'''<br>Syntactic priming in language production<br>''Trends in Cognitive Sciences, 3(4), 136–141'': 1999 </ref>。しかし,20回程度の接触では,低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており,学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。
 外国語学習においては,'''模倣'''(imitation)や'''繰り返し'''(repetition)が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が,上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschak, Loney, and Borreggine (2006) は<ref>'''Kaschak, M. P., Loney, R. A., & Borreggine, K. L.'''<br>Recent experience affects the strength of structural priming<br>''Cognition, 99, B73–B82'' :2006</ref>,Pickering and Branigan (1998) の文完成課題を用いて,刺激文への接触回数が[[プライミング効果]]に与える影響を調査した<ref>'''Pickering, M. J., & Branigan, H. P.'''<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>''Journal of Memory and Language, 39, 633–651'': 1998 </ref>。その結果,英語母語話者の場合,刺激への接触回数が増えるにつれてプライミング率が高くなった。また,Morishita and Yokokawa (2012) <ref>'''Morishita, M., & Yokokawa, H.'''<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>''Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA'': 2012</ref>も日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ,全体として,母語話者と同様,自動的 (automatic) で無意識的 (implicit) なプロセスであるというPickering and Branigan (1999) の主張を支持する結果となった<ref>'''Pickering, M. J., & Branigan, H. P.'''<br>Syntactic priming in language production<br>''Trends in Cognitive Sciences, 3(4), 136–141'': 1999 </ref>。しかし,20回程度の接触では,低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており,学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。


 先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する統語的プライミング現象は,言語産出のみならず,言語理解においても見られる<ref>'''Tooley, K. M., Swaab, T. Y., Boudewyn, M. A., Zirnstein, M., & Traxler, M. J.'''<br>Evidence for priming across intervening sentences during on-line sentence comprehension. Language<br>''Cognition and Neuroscience, 29(3), 289-311'': 2014</ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への潜在学習(implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref>'''Wells, J. B., Christiansen, M. H., Race, D. S., Acheson, D. J., & MacDonald, M. C.'''<br>Experience and sentence processing: Statistical learning and relative clause comprehension<br>''Cognitive Psychology, 58, 250-271'': 2009</ref>。外国語学習においては,'''明示的指導'''(明示的に言語知識を説明し,教えること)の有効性も主張されていると同時に,言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり,'''宣言的知識'''(declarative knowledge)を'''手続き知識'''(procedural knowledge)に変容させることも可能であるように思われるが,今後の研究が望まれるところである。
 先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する統語的プライミング現象は,言語産出のみならず,言語理解においても見られる<ref>'''Tooley, K. M., Swaab, T. Y., Boudewyn, M. A., Zirnstein, M., & Traxler, M. J.'''<br>Evidence for priming across intervening sentences during on-line sentence comprehension. Language<br>''Cognition and Neuroscience, 29(3), 289-311'': 2014</ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への潜在学習(implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref>'''Wells, J. B., Christiansen, M. H., Race, D. S., Acheson, D. J., & MacDonald, M. C.'''<br>Experience and sentence processing: Statistical learning and relative clause comprehension<br>''Cognitive Psychology, 58, 250-271'': 2009</ref>。外国語学習においては,'''明示的指導'''(明示的に言語知識を説明し,教えること)の有効性も主張されていると同時に,言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり,'''宣言的知識'''(declarative knowledge)を'''手続き知識'''(procedural knowledge)に変容させることも可能であるように思われるが,今後の研究が望まれるところである。
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