語用論

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中村 太戯留
慶應義塾大学
松井 智子
東京学芸大学
DOI:10.14931/bsd.5870 原稿受付日:2015年5月11日 原稿完成日:2015年6月21日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)

英語名:pragmatics

 語用論とは、話し手と聞き手(ないし書き手と読み手)を想定した場合、聞き手が「話し手が伝えたいと思っている意味」を理解できるのはどうしてか、を研究する学問である。皮肉表現や比喩表現が重要な研究対象である。代表的な理論には、発話行為論協調の原理、そして関連性理論がある。一般的な言語処理に関与する神経基盤に加え、内側前頭前野や、右半球皮質下領域の関与が示唆されているが、一貫した見解は得られていない。語用論の障害は、言語の社会的使用の異常さとして特徴づけられており、その背景として「心の理論」障害説、「弱い中枢的統合」説、そして「実行機能」障害説という代表的な説が報告されている。

定義

 語用論とは、話し手と聞き手(ないし書き手と読み手)を想定した場合、聞き手が「話し手が伝えたいと思っている意味」を理解できるのはどうしてか、を研究する学問である[1]

主な対象

 皮肉表現や比喩表現といった非字義的な表現の解釈は、このヒトに特有な語用論の能力が機能することによってはじめて可能となる。

 皮肉(ironyまたはsarcasm)は、一見するとポジティブな発話内容と裏腹に、発話者のネガティブな態度や批判的な態度を聴者に伝えることを意図している。例えば、テニスの試合で惨敗したAさんが「もう少しで勝てたのに」と発話した際、それに対してBさんが「もう少しで勝てた」と復唱したならば、その復唱は皮肉であり、「実際にはその反対のことを伝えることをBさんは意図している」とAさんやそれを聞いた周りの人々は推測することができる。この場合には、明らかに事実(文脈情報)と異なる発話をしているということを手掛かりとしている。

 比喩(metaphor)は、ヒトの想像力をかきたてる方法の一つで、文字通りの意味ではない意味を想起させることを意図している。例えば、「香水は花束だ」といっても香水は花束には含まれないし、属性でもないため、意味的な逸脱が生じており、文字通りの意味ではない意味の想起が促されていると考えられる。

主な理論

 代表的な理論(言語的モデル)としては、発話行為論協調の原理、そして関連性理論を挙げることができる。

 発話行為論に関して、オースティン[2]は、われわれが何かを話すとき、何かを言うだけでなく、何かを行う、と主張し、発話行為論を展開した。まず、(a)「マットに猫がいる」という事実確認文に対して、(b)「私はこの猫をタマと命名する」という遂行文を区別している。そして、(c)「マットに猫がいる」という文は事実確認であると同時に、暗黙に「猫をマットからどけてほしい」という発話意図を読み取ることができる。(a)のように単に何かを言う行為を発語行為、(b)のように何かを言いつつ遂行する行為を発語内行為、そして(c)のように何かを言うことによって遂行する行為を発語媒介行為と呼んだ。

 協調の原理に関して、グライス[3]は、会話の参加者は4つの原則(量に関する原則、質に関する原則、関連性に関する原則、様式に関する原則)を守ると仮定し、聴者は「話者のこれらの原則の違反」に気づくことで、話者の発話意図を推測するという論を展開した。量に関する原則:話者は「聴者が理解するために必要かつ十分な量の情報」を提供しなければならない。質に関する原則:話者は「自分が信じていないことや根拠のないこと」を言ってはならない。関連性に関する原則:話者は「当面の話題と関係のないこと」を言ってはならない。様式に関する原則:話者は「曖昧な表現を避け、簡潔に、順序よく」言わなければならない。

 関連性理論に関して、スペルベルとウィルソン[4]は、関連性という認知効果処理労力のバランスで定まる情報の属性を手掛かりとして、聞き手は「話し手が伝えたいと思っている意味」を推論しているという論を展開した。認知効果は、私たちの心的状態に何らかの変化を与えることで、例えば、気づきやものの見方の変化はその代表例である。一方、認知効果を得るためには、ことばを理解するための処理労力を払う必要があり、関連性は両者のバランスにより、刻々と変化すると考えられている。これにもとづいて、認知の原則と、コミュニケーションの原則を提案している。前者では、ヒトには受け取った情報からなるべく少ない処理労力で最大限の認知効果を得ようとする先天的な傾向があることを強調している。ただ、ヒトのコミュニケーションにおいては、前置きを理解しないとその次に来る話のポイントが理解できないことはしばしばあり、この原則だけでは、特に認知効果のない前置きの理解のために処理労力を払うことが説明できないという難点がある。そこで、後者では、ヒトは「会話の発話者は先行して払う処理労力に見合う認知効果を含んだ情報を提供している」ということを自動的に予期する傾向があることを強調している。

 いずれも、言外の意味(文字通りの意味ではない何らかの意味)を、入手可能な手掛かり情報をもとに推論する、という認知機制のモデル化を試みている。

神経基盤

 内山他(2012)[5]は、成人を対象としたfMRI実験にて、皮肉理解では扁桃体比喩理解では尾状核が特別な役割を果たし、また両者に共通して内側前頭前野が関与することを報告している。

 皮肉理解において、内側前頭前野と左下前頭回が重要な役割を果たすことが報告されている[6][7][8]。内側前頭前野は、メンタライジング(mentalizing)、すなわち他者の意図を推測する際の重要な神経基盤と考えられているのに対して[8]、左下前頭回は複数の言語情報や手掛かり情報の統合に貢献している可能性が示唆されている[6]。なお、一般に、左下前頭回は、意味的な処理や評価において、極めて重要な役割を果たしていると考えられている[9][10][11][12][6][13]

 比喩理解において、左下前頭回、左中側頭回、左下側頭回、左内側前頭前野、左上前頭回、右下前頭回の関与が報告されている[14][15]。左下前頭回は意味的逸脱の検出、左中下側頭回は意味関係の照合、左内側前頭前野は意味関係の一貫性の推論、右下前頭回は何らかの比喩理解プロセスに関与している可能性を示唆しているが、一貫した見解は得られていない。詳しくは、「連想・比喩」の項を参照のこと。

 このように、言外の意味の理解においては、一般的な言語処理に関与する神経基盤に加え、内側前頭前野や、右半球皮質下領域が関与している可能性が示唆されている。

障害

 語用論の障害(語用障害)は、言語の社会的使用の異常さとして特徴づけられており、これは自閉症スペクトラムの鍵徴候でもある[16]。語用障害が生じる背景としては、「心の理論」障害説、「弱い中枢的統合」説、「実行機能」障害説などがある。

 「心の理論」は、誤信念課題の達成に代表され、第一次水準の「心の理論」と、第二次水準の「心の理論」とに大別される。前者は、「AさんはXという信念を持つ」という“他者の表象”の認知で、後者は「AさんはXという信念を持つ、とBさんは考えている」という“他者の表象”に関する表象の認知である。Happeは[17]、第一次水準の「心の理論」をもたない事例では直喩を理解できても隠喩が理解できないこと、第一次水準の「心の理論」をもつが第二次水準のそれをもたない事例では隠喩の理解はできるが皮肉の理解および皮肉の区別ができないこと、そして第二次水準の「心の理論」を達成した事例では皮肉を理解しそれととを区別できることを報告している。安立他[18]は、アスペルガー障害の特徴として、比喩文理解が良好であるにもかかわらず、皮肉文理解が注意欠陥・多動性障害高機能自閉症と比較して特異的に低いことを報告している。

 「弱い中枢的統合」説では[19]、情報の断片には注意するが全体的な一貫性に注意できない状態に関して、「中枢的統合」が弱いとみなしている。結果として、ことばの解釈において文脈情報が利用できず、曖昧文の理解においては、最も一般的な意味を選択してしまうという特徴がある。

実行機能」障害説では[20]、感情認知や「心の理論」とは別の、柔軟な行為系列の方略を計画し、実行に際して無関係反応を抑制する能力としての実行機能のみが、自閉症群と非自閉症群とを分ける要因としている。

そして、これらの比較検討においては次の特徴が挙げられている[21]。「心の理論」障害は高次の水準で意識的に行われる特に社会情動領域にかかわるコミュニケーション処理をさまたげ、話し手の視点を利用できなくする。「弱い中枢的統合」は低次のコミュニケーション処理に影響し、文脈を利用して非字義的意味を導き出すのを困難にする。そして「実行機能」障害は高次の水準で意識的に起きるコミュニケーション処理に影響し、硬くて具体的な情報処理に偏るため、たとえば皮肉理解を困難にする。

関連項目

参考文献

  1. Wilson, D. & Wharton, T.
    最新語用論入門12章.
    今井邦彦編, 東京:大修館書店: 2009.
  2. Austin, J
    How to do things with words.
    In J. O. Urmson (Ed.), Cambridge, Mass. : Harvard University Press:1962 (『言語行為』, 坂本百大訳, 大修館書店)
  3. Grice, P
    Logic and conversation.
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  4. Sperber, D. and Wilson, D
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