「行動テストバッテリー」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
8行目: 8行目:
</div>
</div>


英:behavioral test battery  
英:behavioral [[test]] battery  


{{box|text=
{{box|text=
18行目: 18行目:
 複数の[[テスト]]を組み合わせたテストバッテリーがマウスの行動解析に用いられた研究が初めて発表されたのは1963年である<ref name=ref1><pubmed>5679627</pubmed></ref>。この時用いられたテストバッテリーで、Irwinは50種類の観察項目について数値化し、マウスの行動特性を定量化している<ref name=ref1><pubmed>5679627</pubmed></ref>。現在用いられている基本的な行動観察バッテリーにおける検査項目のいくつか、例えば[[自発歩行]] (locomotion)、[[れん縮反射]] (twitches) 、[[驚愕反応]](startle)、などは Irwin によって提案されたテスト項目に由来している。Crawley らは、Irwinのテストバッテリーを改良・簡便化し、遺伝子改変マウスに対して用いる予備観察バッテリーとして提案した<ref name=ref2><pubmed>9213134</pubmed></ref>。この他に、簡便な行動観察によるテストバッテリーとしては、[[神経毒性]]を調べるために開発された[[機能観察総合評価]] (FOB, functional observational battery) 法<ref name=ref3><pubmed>20957639</pubmed></ref>や、Rogersらによって考案された[[SHIRPA](SmithKline Beecham, Harwell, Imperial College, Royal London Hospital, phenotype assessment) の一次検査<ref name=ref4><pubmed>9321461</pubmed></ref>などがある。これらのテストバッテリーは、主に被験体の健康状態を調べることを目的としており、[[情動]]や[[記憶学習]]などの高次脳機能を評価するためのテストを含んでいない。
 複数の[[テスト]]を組み合わせたテストバッテリーがマウスの行動解析に用いられた研究が初めて発表されたのは1963年である<ref name=ref1><pubmed>5679627</pubmed></ref>。この時用いられたテストバッテリーで、Irwinは50種類の観察項目について数値化し、マウスの行動特性を定量化している<ref name=ref1><pubmed>5679627</pubmed></ref>。現在用いられている基本的な行動観察バッテリーにおける検査項目のいくつか、例えば[[自発歩行]] (locomotion)、[[れん縮反射]] (twitches) 、[[驚愕反応]](startle)、などは Irwin によって提案されたテスト項目に由来している。Crawley らは、Irwinのテストバッテリーを改良・簡便化し、遺伝子改変マウスに対して用いる予備観察バッテリーとして提案した<ref name=ref2><pubmed>9213134</pubmed></ref>。この他に、簡便な行動観察によるテストバッテリーとしては、[[神経毒性]]を調べるために開発された[[機能観察総合評価]] (FOB, functional observational battery) 法<ref name=ref3><pubmed>20957639</pubmed></ref>や、Rogersらによって考案された[[SHIRPA](SmithKline Beecham, Harwell, Imperial College, Royal London Hospital, phenotype assessment) の一次検査<ref name=ref4><pubmed>9321461</pubmed></ref>などがある。これらのテストバッテリーは、主に被験体の健康状態を調べることを目的としており、[[情動]]や[[記憶学習]]などの高次脳機能を評価するためのテストを含んでいない。


 一方、1990年代に入り遺伝子改変マウスの表現型解析に情動や記憶学習などの高次脳機能を評価するテストが用いられるようになった。宮川らは[[明暗選択箱テスト]](light/dark transition test, 3.3.1 参照) や[[高架式十字迷路]]テスト (elevated plus maze test, 3.3.2 参照) などを用いて初めて[[ノックアウトマウス]]の[[不安]]様行動を評価した<ref name=ref5><pubmed>7877449</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>8738145</pubmed></ref>。それ以降、遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにすることで、記憶や情動など各種の行動に影響を与える遺伝子が次々と同定された。
 一方、1990年代に入り遺伝子改変マウスの表現型解析に[[情動]]や記憶学習などの高次脳機能を評価するテストが用いられるようになった。宮川らは[[明暗選択箱テスト]](light/dark transition test, 3.3.1 参照) や[[高架式十字迷路]]テスト (elevated plus maze test, 3.3.2 参照) などを用いて初めて[[ノックアウトマウス]]の[[不安]]様行動を評価した<ref name=ref5><pubmed>7877449</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>8738145</pubmed></ref>。それ以降、遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにすることで、記憶や情動など各種の行動に影響を与える遺伝子が次々と同定された。


 これらの研究では、多くの場合、テストごとに先行実験の経験を持たないマウスが使用されており、このような方法では複数の異なるテストを用いてマウスの行動特性を評価する場合には大量の被験体が必要となる。Crawley らは、さまざまな行動カテゴリーのテストから比較的簡便に実施できるものを組み合わせた行動テストバッテリーを考案した<ref name=ref7>'''Crawley, J. N.'''<br>What’s Wrong With My Mouse: Behavioral Phenotyping of Transgenic and Knockout Mice.<br>''Wiley-Liss'', 2007.</ref> <ref name=ref8>'''Crawley, J. N.'''<br>トランスジェニック・ノックアウトマウスの行動解析<br>''西村書店'', 2012</ref>。この行動テストバッテリーを用いることにより、同一の被験体に対し感覚・[[知覚]]、運動、情動など各種の行動を測定し、多くの遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにしている<ref name=ref7 /> <ref name=ref8 />。多種類の行動カテゴリーのテストを同一の被験体に対して順番に実施し、包括的な行動テストバッテリーとすることにより、限られた数の被験体を用いてマウスの行動特性を少ない労力と時間で効率的に調べることができるようになった<ref name=ref2 />。
 これらの研究では、多くの場合、テストごとに先行実験の経験を持たないマウスが使用されており、このような方法では複数の異なるテストを用いてマウスの行動特性を評価する場合には大量の被験体が必要となる。Crawley らは、さまざまな行動カテゴリーのテストから比較的簡便に実施できるものを組み合わせた行動テストバッテリーを考案した<ref name=ref7>'''Crawley, J. N.'''<br>What’s Wrong With My Mouse: Behavioral Phenotyping of Transgenic and Knockout Mice.<br>''Wiley-Liss'', 2007.</ref> <ref name=ref8>'''Crawley, J. N.'''<br>トランスジェニック・ノックアウトマウスの行動解析<br>''西村書店'', 2012</ref>。この行動テストバッテリーを用いることにより、同一の被験体に対し感覚・[[知覚]]、運動、情動など各種の行動を測定し、多くの遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにしている<ref name=ref7 /> <ref name=ref8 />。多種類の行動カテゴリーのテストを同一の被験体に対して順番に実施し、包括的な行動テストバッテリーとすることにより、限られた数の被験体を用いてマウスの行動特性を少ない労力と時間で効率的に調べることができるようになった<ref name=ref2 />。
171行目: 171行目:
 逆さ向きに吊されたマウスが学習性無力感によって動かなくなることを利用したうつ様行動のテスト。マウスを尻尾から逆さに吊るし、無動時間を測定する<ref name=ref33><pubmed>15890404</pubmed></ref>。吊されたマウスは脱出しようと動き回るが、次第に動かない時間が増えてくる。このテストでも抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref33 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。
 逆さ向きに吊されたマウスが学習性無力感によって動かなくなることを利用したうつ様行動のテスト。マウスを尻尾から逆さに吊るし、無動時間を測定する<ref name=ref33><pubmed>15890404</pubmed></ref>。吊されたマウスは脱出しようと動き回るが、次第に動かない時間が増えてくる。このテストでも抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref33 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。


 先述した不安様行動テストの場合と同様に、うつ様行動の代表的な2つのテストであるポーソルト強制水泳テスト (項目 3.4.1) と尾懸垂テスト (項目 3.4.2) でも、それぞれのテストで測定される行動の背景には共通の要因と個別に異なる要因とがある。そのため同じ遺伝子改変マウスに2つのテストを行った場合に、両方でうつ様行動の増減が同方向にみられる<ref name=ref34><pubmed>23300874</pubmed></ref>こともあれば一方ではうつ様行動が増加、他方では減少というように逆方向になることもある<ref name=ref31 />。ポーソルト強制水泳テストと尾懸垂テストは、ともに抗うつ剤の評価およびスクリーニングによく使われている。抗うつ薬の臨床における治療効果は、長期間の服用ではじめて得られるとされているが、[[wikipedia:ja:げっ歯類|げっ歯類]]を用いたこれらの実験では急性投与での効果のみが評価さていれるという問題が指摘されている<ref name=ref35><pubmed>11931738</pubmed></ref>。
 先述した不安様行動テストの場合と同様に、うつ様行動の代表的な2つのテストであるポーソルト強制水泳テスト (項目 3.4.1) と尾懸垂テスト (項目 3.4.2) でも、それぞれのテストで測定される行動の背景には共通の要因と個別に異なる要因とがある。そのため同じ遺伝子改変マウスに2つのテストを行った場合に、両方でうつ様行動の増減が同方向にみられる<ref name=ref34><pubmed>23300874</pubmed></ref>こともあれば一方ではうつ様行動が増加、他方では減少というように逆方向になることもある<ref name=ref31 />。ポーソルト強制水泳テストと尾懸垂テストは、ともに抗うつ剤の評価およびスクリーニングによく使われている。[[抗うつ薬]]の臨床における治療効果は、長期間の服用ではじめて得られるとされているが、[[wikipedia:ja:げっ歯類|げっ歯類]]を用いたこれらの実験では急性投与での効果のみが評価さていれるという問題が指摘されている<ref name=ref35><pubmed>11931738</pubmed></ref>。


===学習・記憶===
===学習・記憶===
187行目: 187行目:
 Visible platform task での成績に特に異常が見られなければ、次にプラットフォームを不可視にしてその位置を探索・学習させるhidden platform task を行う。通常、訓練の初期はランダムにプラットフォームの位置を探索するか、接触走性 (Thigmotaxis) によって壁に沿って泳いでプラットフォームにたどり着くことが多いが、訓練が進むにしたがって直接プラットフォームのある方向へ泳ぐようになる。接触走性によって迷路外の刺激を使わずに壁に沿って探索する戦略が固定してしまうとこのテストでの空間記憶の評価は難しくなってしまうのでマウスがプラットフォームを探索する戦略についても注意が必要である<ref name=ref37><pubmed>11390774</pubmed></ref>。
 Visible platform task での成績に特に異常が見られなければ、次にプラットフォームを不可視にしてその位置を探索・学習させるhidden platform task を行う。通常、訓練の初期はランダムにプラットフォームの位置を探索するか、接触走性 (Thigmotaxis) によって壁に沿って泳いでプラットフォームにたどり着くことが多いが、訓練が進むにしたがって直接プラットフォームのある方向へ泳ぐようになる。接触走性によって迷路外の刺激を使わずに壁に沿って探索する戦略が固定してしまうとこのテストでの空間記憶の評価は難しくなってしまうのでマウスがプラットフォームを探索する戦略についても注意が必要である<ref name=ref37><pubmed>11390774</pubmed></ref>。


 統制群のマウスでプラットフォームにたどり着くまでの時間や距離が短縮され、プラットフォーム位置についての学習が成立した後、プローブテストを行う。プローブテストでは、プラットフォームを取り除いた状態でマウスを自由に探索させ、プラットフォームが設置されていた領域にマウスが留まる時間の長さによって[[空間記憶]]をどのくらい保持・想起できるかを評価する。モリス水迷路は、もともとはラットを対象として考案されたテストであり、マウスでの使用には問題点も指摘されている。例えば、課題遂行の動機付けが水からの逃避ではない空間学習記憶においてマウスはラットと同等の遂行能力を持つものの、モリス水迷路においてはマウスの遂行能力はラットに比較して劣っていることが報告されている<ref name=ref38><pubmed>8916170</pubmed></ref>。また、水泳能力や[[wikipedia:ja:視力|視力]]、水に対する反応性などの違いが混交要因 (4.5 結果の解釈における注意事項を参照) となり、結果が大きく変わることがあるので実験の選択および得られた結果の解釈には注意が必要である<ref name=ref37 />。
 統制群のマウスでプラットフォームにたどり着くまでの時間や距離が短縮され、プラットフォーム位置についての学習が成立した後、プローブテストを行う。プローブテストでは、プラットフォームを取り除いた状態でマウスを自由に探索させ、プラットフォームが設置されていた領域にマウスが留まる時間の長さによって[[空間記憶]]をどのくらい保持・[[想起]]できるかを評価する。モリス[[水迷路]]は、もともとはラットを対象として考案されたテストであり、マウスでの使用には問題点も指摘されている。例えば、課題遂行の動機付けが水からの逃避ではない空間学習記憶においてマウスはラットと同等の遂行能力を持つものの、モリス水迷路においてはマウスの遂行能力はラットに比較して劣っていることが報告されている<ref name=ref38><pubmed>8916170</pubmed></ref>。また、水泳能力や[[wikipedia:ja:視力|視力]]、水に対する反応性などの違いが混交要因 (4.5 結果の解釈における注意事項を参照) となり、結果が大きく変わることがあるので実験の選択および得られた結果の解釈には注意が必要である<ref name=ref37 />。


====バーンズ円形迷路テスト====
====バーンズ円形迷路テスト====
197行目: 197行目:
Eight-arm radial maze test
Eight-arm radial maze test


 食事制限したマウスに対して、迷路上の餌を探索させることで空間記憶を評価するテスト。プラットフォームから放射状に延びた8本のアームの先端に報酬となる餌を置き、食事制限によって空腹となったマウスに迷路内で餌を探索させる<ref name=ref40>'''Olton, D. S. & Samuelson, R. J.'''<br>Remembrance of places passed: Spatial memory in rats. <br>''J. Exp. Psychol. Anim. Behav. Process.'' 2, 97–116 (1976).</ref>。一度選択して餌を食べたアームには餌はないので、効率よく餌を食べて課題を終了させるためには、既に餌を食べたアームの空間的な位置を試行中に記憶しておかなければならない。一度訪れたアームを再度選択するとエラーとなり、このエラー数が増加すれば作業記憶 (認知過程の中で、情報を一時的に保持しつつ操作を行う記憶のシステム)の低下が示唆される。最初の8回選択中の正答数も作業記憶の指標となり、正答数が少なければ作業記憶が低下している可能性が高い。8方向放射状迷路は作業記憶の評価に使われることが多いが、一定のアームにだけ餌を置いてテストを行うことで作業記憶のように一時的ではなく長期に保持される参照記憶(一般的法則・事実についての情報を保存する記憶のシステム)を評価することも可能である。
 食事制限したマウスに対して、迷路上の餌を探索させることで空間記憶を評価するテスト。プラットフォームから放射状に延びた8本のアームの先端に報酬となる餌を置き、食事制限によって空腹となったマウスに迷路内で餌を探索させる<ref name=ref40>'''Olton, D. S. & Samuelson, R. J.'''<br>Remembrance of places passed: Spatial memory in rats. <br>''J. Exp. Psychol. Anim. Behav. Process.'' 2, 97–116 (1976).</ref>。一度選択して餌を食べたアームには餌はないので、効率よく餌を食べて課題を終了させるためには、既に餌を食べたアームの空間的な位置を試行中に記憶しておかなければならない。一度訪れたアームを再度選択するとエラーとなり、このエラー数が増加すれば作業記憶 (認知過程の中で、情報を一時的に保持しつつ操作を行う記憶のシステム)の低下が示唆される。最初の8回選択中の正答数も作業記憶の指標となり、正答数が少なければ作業記憶が低下している可能性が高い。8方向[[放射状迷路]]は作業記憶の評価に使われることが多いが、一定のアームにだけ餌を置いてテストを行うことで作業記憶のように一時的ではなく長期に保持される参照記憶(一般的法則・事実についての情報を保存する記憶のシステム)を評価することも可能である。


====恐怖条件づけテスト====
====恐怖条件づけテスト====
244行目: 244行目:


===実験環境===
===実験環境===
 マウスの行動は実験時の照明の明るさ、温度や騒音などの環境条件によって大きく影響を受けるため<ref name=ref55><pubmed>11682087</pubmed></ref>、実験を行う際は環境を可能な限り統制する必要がある。すなわち、できる限り実験室内やテスト装置内の照度を一定にし、防音室のように防音加工が施された独立スペースにおいてテストを行うなどの対策を講じることが望ましい。今日では、多くの行動テストにおいて、被験体の行動をコンピュータプログラムによる画像の取得と自動解析によってデータ化することが可能となっている。自動化された実験では、被験体の近くで実験者が直接的に行動を観察し記録を行うことはなくなった。その結果、実験者は解析中に実験室から離れることが可能となり、実験者の動きや息づかい、匂いなど実験者が意図せず無意識的に発する刺激によってマウスの行動が影響される可能性は小さくなっている。それでも、実験者がマウスを扱う以上は、実験者の影響を完全に排除することは難しい。この他、実験を行う時間帯や順番なども結果に影響を及ぼし得るので注意が必要である(節4.3実験者効果とカウンターバランスを参照)。
 マウスの行動は実験時の照明の明るさ、温度や騒音などの環境条件によって大きく影響を受けるため<ref name=ref55><pubmed>11682087</pubmed></ref>、実験を行う際は環境を可能な限り統制する必要がある。すなわち、できる限り実験室内やテスト装置内の照度を一定にし、防音室のように防音加工が施された独立スペースにおいてテストを行うなどの対策を講じることが望ましい。今日では、多くの行動テストにおいて、被験体の行動をコンピュータプログラムによる画像の取得と自動解析によってデータ化することが可能となっている。自動化された実験では、被験体の近くで実験者が直接的に行動を観察し記録を行うことはなくなった。その結果、実験者は解析中に実験室から離れることが可能となり、実験者の動きや息づかい、匂いなど実験者が意図せず[[無意識]]的に発する刺激によってマウスの行動が影響される可能性は小さくなっている。それでも、実験者がマウスを扱う以上は、実験者の影響を完全に排除することは難しい。この他、実験を行う時間帯や順番なども結果に影響を及ぼし得るので注意が必要である(節4.3実験者効果とカウンターバランスを参照)。


 Crabbeらは、実験環境が行動解析の結果にどのような影響を与えるかを明らかにするため、3つの異なる研究施設において、機器、プロトコル、餌、ケージ、床敷き、ケージ内のマウスの匹数、明暗サイクル、ケージ交換の頻度、マウスの週齢などの条件を統一した上で、8種類の行動テストを実施した<ref name=ref56><pubmed>10356397</pubmed></ref>。これらの条件を統一しても、各研究機関で得られたデータの間には統計的に有意な差が生じることが明らかとなった。研究施設間で統一できていなかった条件としては、実験者、マウスの輸送条件、使用した水道水、実験室の構造、換気用フィルター、湿度などがあげられている。このようにマウスの行動表現型は、実験者が認識していないような要因によっても影響を受ける可能性がある。特に効果の小さい表現型については実験を行った研究室の環境に依存する可能性が高いと考えられ、他の研究室では再現されない場合も想定される。論文で発表されている結果や他の研究室で得られたデータについて、比較あるいは追試する場合は上記のような可能性について考慮しなければならない。また、行動実験プロトコルを作成する際には、他の研究者が追試やデータ比較を行うことができるように実験環境の情報についても詳細に記すべきである<ref name=ref57><pubmed>20194625</pubmed></ref>。
 Crabbeらは、実験環境が行動解析の結果にどのような影響を与えるかを明らかにするため、3つの異なる研究施設において、機器、プロトコル、餌、ケージ、床敷き、ケージ内のマウスの匹数、明暗サイクル、ケージ交換の頻度、マウスの週齢などの条件を統一した上で、8種類の行動テストを実施した<ref name=ref56><pubmed>10356397</pubmed></ref>。これらの条件を統一しても、各研究機関で得られたデータの間には統計的に有意な差が生じることが明らかとなった。研究施設間で統一できていなかった条件としては、実験者、マウスの輸送条件、使用した水道水、実験室の構造、換気用フィルター、湿度などがあげられている。このようにマウスの行動表現型は、実験者が認識していないような要因によっても影響を受ける可能性がある。特に効果の小さい表現型については実験を行った研究室の環境に依存する可能性が高いと考えられ、他の研究室では再現されない場合も想定される。論文で発表されている結果や他の研究室で得られたデータについて、比較あるいは追試する場合は上記のような可能性について考慮しなければならない。また、行動実験プロトコルを作成する際には、他の研究者が追試やデータ比較を行うことができるように実験環境の情報についても詳細に記すべきである<ref name=ref57><pubmed>20194625</pubmed></ref>。


===実験者効果とカウンターバランス===
===実験者効果とカウンターバランス===
 評価しようとしている遺伝子改変や薬物投与などの実験操作の効果について事前に何らかの仮説を実験者が持っている場合、無意識的なバイアスにより測定が偏ってしまうことがある。実験者の期待が実験動物の行動に影響を与える例としては、19世紀末から20世紀初頭に話題になった「[[wikipedia:ja:クレバーハンス|クレバーハンス]]」が有名である。当時、クレバーハンスは人間の言葉が分かり計算もできる[[wikipedia:ja:馬|馬]]と評判であった、しかし実際には出題をする飼い主や観客が無意識に行う動作や息づかいなどを察知して回答しており、この馬に言葉や計算などの能力があるわけではなかった<ref name=ref58>'''Pfungst, O. & Rahn, C. L.'''<br>Clever Hans (the horse of Mr. Von Osten) a contribution to experimental animal and human psychology.<br>''New York, H. Holt and company'', 1911.</ref>。このように、実験者が意図せずに実験結果に及ぼしてしまう影響を「実験者効果」と呼ぶ。実験操作や記録だけでなく、飼育時や実験時のマウスの持ち方や運び方なども行動に影響する可能性があるので注意が必要である。さらに実験者効果を排除するため、どの被験体が実験群か統制群かが実験を行う者だけでなくデータを解析する者にも、わからないように情報を伏せて実験・解析を行う[[wikipedia:ja:二重盲検法|二重盲検法]] (double blind test)を用いることが望ましい。
 評価しようとしている遺伝子改変や薬物投与などの実験操作の効果について事前に何らかの仮説を実験者が持っている場合、無意識的なバイアスにより測定が偏ってしまうことがある。実験者の期待が実験動物の行動に影響を与える例としては、19世紀末から20世紀初頭に話題になった「[[wikipedia:ja:クレバーハンス|クレバーハンス]]」が有名である。当時、クレバーハンスは人間の言葉が分かり計算もできる[[wikipedia:ja:馬|馬]]と評判であった、しかし実際には出題をする飼い主や観客が無意識に行う動作や息づかいなどを察知して回答しており、この馬に言葉や計算などの能力があるわけではなかった<ref name=ref58>'''Pfungst, O. & Rahn, C. L.'''<br>Clever Hans (the horse of Mr. Von Osten) a contribution to experimental [[animal]] and human psychology.<br>''New York, H. Holt and company'', 1911.</ref>。このように、実験者が意図せずに実験結果に及ぼしてしまう影響を「実験者効果」と呼ぶ。実験操作や記録だけでなく、飼育時や実験時のマウスの持ち方や運び方なども行動に影響する可能性があるので注意が必要である。さらに実験者効果を排除するため、どの被験体が実験群か統制群かが実験を行う者だけでなくデータを解析する者にも、わからないように情報を伏せて実験・解析を行う[[wikipedia:ja:二重盲検法|二重盲検法]] (double blind test)を用いることが望ましい。


 また、複数の装置を用いて実験を行う場合、装置ごとの特性の差異、音の反響や匂いの違いなど実験者が認識できない違いがある可能性があるので、実験群と統制群で使用する測定装置に偏りがないようにカウンターバランスをとることが必要である。また、マウスの行動には、日内変動や日間変動のような周期性を示すものもあり、行動実験を行う時間帯が群間で偏らないように注意を払う必要がある。また、集団飼育されている中から順次マウスをケージから取り出してテストを実施すると、テストを受けた順番がいくつかの行動の指標に影響することが知られている<ref name=ref59><pubmed>8140167</pubmed></ref>。このように実験の実施に際しては、各種要因を考慮してカウンターバランスをとることが必要である。
 また、複数の装置を用いて実験を行う場合、装置ごとの特性の差異、音の反響や匂いの違いなど実験者が認識できない違いがある可能性があるので、実験群と統制群で使用する測定装置に偏りがないようにカウンターバランスをとることが必要である。また、マウスの行動には、日内変動や日間変動のような周期性を示すものもあり、行動実験を行う時間帯が群間で偏らないように注意を払う必要がある。また、集団飼育されている中から順次マウスをケージから取り出してテストを実施すると、テストを受けた順番がいくつかの行動の指標に影響することが知られている<ref name=ref59><pubmed>8140167</pubmed></ref>。このように実験の実施に際しては、各種要因を考慮してカウンターバランスをとることが必要である。
257行目: 257行目:


===結果の解釈における注意事項===
===結果の解釈における注意事項===
 ある特定の行動を測定する場合、遺伝的背景・実験環境・目的の行動領域以外の行動異常など、その行動の測定結果に影響を及ぼす「混交要因」が必ず存在する。例えば、空間記憶のテストとしてよく用いられるモリス水迷路(項目3.5.1)においては、水泳能力、視力、プラットフォームに登る動機づけの強さ、逃避戦略などが混交要因になり得る。例えばあるマウスの水泳能力が低い場合、モリス水迷路でそのマウスの成績が低下していても、その原因は記憶・学習の障害でなく水泳能力の低下である可能性がある。このような場合、モリス水迷路でそのマウスの空間記憶を評価することは困難であり、水泳能力を必要としないバーンズ迷路テスト(項目3.5.2)や8方向放射状迷路 (項目 3.5.3) など別の実験で評価する必要がある。例えば、[[Neurogranin]]ノックアウトマウスは、モリス水迷路のhidden platform task においてプラットフォームが存在した領域を学習することはできなかったが、バーンズ迷路では逃避箱の存在した穴の位置を学習し、プローブテストにおいてその記憶を想起することができた<ref name=ref60><pubmed>11811671</pubmed></ref>。このマウスがモリス水迷路でプラットフォームの位置を学習することができなかった原因は、空間記憶の障害以外の要因である可能性が高い<ref name=ref60 />。このように、ある特定の行動を評価するためには、異なる混交要因をもつ複数のテストで行動の指標を測定し、評価しようとしている行動以外の影響をできるだけ小さくして総合的に判断しなければならない。行動実験によって得られた結果を解釈する際は、Morganによって提唱された「低次の心的な能力によって説明可能なことは、高次の心的な能力によって解釈してはならない」とするモーガンの公準 (Morgan's Canon)<ref name=ref61>'''Morgan, C. L.'''<br>An Introduction to Comparative Psychology.</ref>に従うことが推奨される。先の例で言えば、モリス水迷路で成績が悪かった場合において、水泳能力や視力の低下によって成績が低下していると解釈できるなら、空間記憶が障害されているという解釈には慎重になる必要がある。
 ある特定の行動を測定する場合、遺伝的背景・実験環境・目的の行動領域以外の行動異常など、その行動の測定結果に影響を及ぼす「混交要因」が必ず存在する。例えば、空間記憶のテストとしてよく用いられるモリス水迷路(項目3.5.1)においては、水泳能力、視力、プラットフォームに登る動機づけの強さ、逃避戦略などが混交要因になり得る。例えばあるマウスの水泳能力が低い場合、モリス水迷路でそのマウスの成績が低下していても、その原因は記憶・学習の障害でなく水泳能力の低下である可能性がある。このような場合、モリス水迷路でそのマウスの空間記憶を評価することは困難であり、水泳能力を必要としない[[バーンズ迷路]]テスト(項目3.5.2)や8方向放射状迷路 (項目 3.5.3) など別の実験で評価する必要がある。例えば、[[Neurogranin]]ノックアウトマウスは、モリス水迷路のhidden platform task においてプラットフォームが存在した領域を学習することはできなかったが、バーンズ迷路では逃避箱の存在した穴の位置を学習し、プローブテストにおいてその記憶を想起することができた<ref name=ref60><pubmed>11811671</pubmed></ref>。このマウスがモリス水迷路でプラットフォームの位置を学習することができなかった原因は、空間記憶の障害以外の要因である可能性が高い<ref name=ref60 />。このように、ある特定の行動を評価するためには、異なる混交要因をもつ複数のテストで行動の指標を測定し、評価しようとしている行動以外の影響をできるだけ小さくして総合的に判断しなければならない。行動実験によって得られた結果を解釈する際は、Morganによって提唱された「低次の心的な能力によって説明可能なことは、高次の心的な能力によって解釈してはならない」とするモーガンの公準 (Morgan's Canon)<ref name=ref61>'''Morgan, C. L.'''<br>An Introduction to Comparative Psychology.</ref>に従うことが推奨される。先の例で言えば、モリス水迷路で成績が悪かった場合において、水泳能力や視力の低下によって成績が低下していると解釈できるなら、空間記憶が障害されているという解釈には慎重になる必要がある。


==脳科学研究における行動テストバッテリーの役割==
==脳科学研究における行動テストバッテリーの役割==
 行動テストバッテリーを用いた解析により、さまざまな遺伝子の変異や薬物、食品などが行動に与える影響が明らかとなってきている。ここでは遺伝子改変マウスの行動テストバッテリーを用いてどのような研究が進められているかを紹介する。
 行動テストバッテリーを用いた解析により、さまざまな遺伝子の変異や薬物、食品などが行動に与える影響が明らかとなってきている。ここでは[[遺伝子改変マウスの行動テストバッテリー]]を用いてどのような研究が進められているかを紹介する。


===精神・神経疾患モデルの作製・同定===
===精神・神経疾患モデルの作製・同定===
267行目: 267行目:
 ヒトの自閉症では、5%程度の症例に染色体異常が見られるが、その中でも頻度が高い異常に染色体15q11-q13の重複がある<ref name=ref62><pubmed>15037868</pubmed></ref>。遺伝子工学により対応する染色体の重複を持つマウスが作製され、このマウスが自閉症様の行動異常を示すかどうか調べるため行動テストバッテリーによって解析が行われた。その結果、重複染色体をもつマウスは、社会的行動の異常、超音波によるコミュニケーションの障害、固執傾向の増加など、自閉症様の行動異常のパターンを示すことが明らかとなった<ref name=ref63><pubmed>19563756</pubmed></ref>。現在このマウスは、自閉症のモデルマウスとして病態の解明や治療法の探索などに活用されている。
 ヒトの自閉症では、5%程度の症例に染色体異常が見られるが、その中でも頻度が高い異常に染色体15q11-q13の重複がある<ref name=ref62><pubmed>15037868</pubmed></ref>。遺伝子工学により対応する染色体の重複を持つマウスが作製され、このマウスが自閉症様の行動異常を示すかどうか調べるため行動テストバッテリーによって解析が行われた。その結果、重複染色体をもつマウスは、社会的行動の異常、超音波によるコミュニケーションの障害、固執傾向の増加など、自閉症様の行動異常のパターンを示すことが明らかとなった<ref name=ref63><pubmed>19563756</pubmed></ref>。現在このマウスは、自閉症のモデルマウスとして病態の解明や治療法の探索などに活用されている。


 これとは別に、遺伝子改変マウスの行動表現型から疾患モデルマウスを同定するアプローチもある。ある遺伝子の遺伝子改変マウスを網羅的行動テストバッテリーにより解析し、精神疾患様の行動異常が見出されれば、その遺伝子と特定の疾患との関係を示唆する仮説がそれまでなかったとしても、そのマウスは精神疾患のモデルマウスとなる可能性がある。例えば、前脳特異的[[カルシニューリン]] (CN) 欠失マウス (CNマウス) の行動を網羅的行動テストバッテリーで解析したところ、作業記憶に顕著な障害があること、さらに活動量の亢進、社会的行動の低下、PPIの低下など一連の[[統合失調症]]様の行動異常をこのマウスが示すことが明らかになった<ref name=ref19 /> <ref name=ref64><pubmed>11733061</pubmed></ref>。もともとCNと精神疾患との関係を明示するような仮説はなかったが、CNマウスで得られた結果に基づき、統合失調症患者と健常者を対象に人類遺伝学的研究を行ったところ、CNのサブユニット・[[CNAγ]]をコードする遺伝子[[PPP3CC]]が統合失調症と関連を示すことが分かった<ref name=ref65><pubmed>12851458</pubmed></ref> <ref name=ref66><pubmed>17895921</pubmed></ref>。このように遺伝子改変マウスの行動表現型の発見が、疾患モデルマウスの同定に加え、ヒトでの疾患関連遺伝子の発見に繋がる例もある。
 これとは別に、遺伝子改変マウスの行動表現型から疾患モデルマウスを同定するアプローチもある。ある遺伝子の遺伝子改変マウスを網羅的行動テストバッテリーにより解析し、[[精神疾患]]様の行動異常が見出されれば、その遺伝子と特定の疾患との関係を示唆する仮説がそれまでなかったとしても、そのマウスは精神疾患のモデルマウスとなる可能性がある。例えば、[[前脳]]特異的[[カルシニューリン]] (CN) 欠失マウス (CNマウス) の行動を網羅的行動テストバッテリーで解析したところ、作業記憶に顕著な障害があること、さらに活動量の亢進、社会的行動の低下、PPIの低下など一連の[[統合失調症]]様の行動異常をこのマウスが示すことが明らかになった<ref name=ref19 /> <ref name=ref64><pubmed>11733061</pubmed></ref>。もともとCNと精神疾患との関係を明示するような仮説はなかったが、CNマウスで得られた結果に基づき、統合失調症患者と健常者を対象に人類遺伝学的研究を行ったところ、CNのサブユニット・[[CNAγ]]をコードする遺伝子[[PPP3CC]]が統合失調症と関連を示すことが分かった<ref name=ref65><pubmed>12851458</pubmed></ref> <ref name=ref66><pubmed>17895921</pubmed></ref>。このように遺伝子改変マウスの行動表現型の発見が、疾患モデルマウスの同定に加え、ヒトでの疾患関連遺伝子の発見に繋がる例もある。


===脳・神経科学研究のハブ===
===脳・神経科学研究のハブ===
 マウスはヒトと同じ[[wikipedia:ja:哺乳類|哺乳類]]であり、個体レベルで認知や情動などの高次機能を解析することができ、さらに遺伝子を任意に改変できるといった特長がある。マウスで発現している遺伝子の99%はヒトでホモログがあり、マウスで効果があった遺伝子の変異や多型がヒトの脳の活動や高次認知機能にどういった影響を及ぼすかを調べることができる。これらの理由から、現在の脳神経科学研究において、マウスは実験動物として最も広く使われている。遺伝子改変マウスで行動表現型を見出すことができれば、その行動と関係している可能性の高い脳部位や回路、分子などを推測することができる。これに基づいて分子・細胞・回路・個体レベルなど、さまざまな階層においてその遺伝子の機能を解析する研究に繋がる<ref name=ref67><pubmed>17524507</pubmed></ref>。このように、遺伝子改変マウスの行動テストバッテリーは、脳・神経科学研究における各階層の研究を繋げるハブとして機能することが可能である。
 マウスはヒトと同じ[[wikipedia:ja:哺乳類|哺乳類]]であり、個体レベルで認知や情動などの高次機能を解析することができ、さらに遺伝子を任意に改変できるといった特長がある。マウスで発現している遺伝子の99%はヒトでホモログがあり、マウスで効果があった遺伝子の変異や多型がヒトの脳の活動や高次認知機能にどういった影響を及ぼすかを調べることができる。これらの理由から、現在の[[脳神経]]科学研究において、マウスは実験動物として最も広く使われている。遺伝子改変マウスで行動表現型を見出すことができれば、その行動と関係している可能性の高い脳部位や回路、分子などを推測することができる。これに基づいて分子・細胞・回路・個体レベルなど、さまざまな階層においてその遺伝子の機能を解析する研究に繋がる<ref name=ref67><pubmed>17524507</pubmed></ref>。このように、遺伝子改変マウスの行動テストバッテリーは、脳・神経科学研究における各階層の研究を繋げるハブとして機能することが可能である。


===脳内中間表現型の探索===
===脳内中間表現型の探索===
284行目: 284行目:


==今後の展望==
==今後の展望==
 現在、マウスにおいてすべての遺伝子のノックアウトマウスをつくるというプロジェクト「[[wikipedia:ja:国際ノックアウトマウスコンソーシアム|国際ノックアウトマウスコンソーシアム]]」 (IKMC, International Knockout Mouse Consortium)<ref name=ref75><pubmed>17218247</pubmed></ref>が国際的に協調して行われており、その中ではコンベンショナルなノックアウトマウスだけではなく、[[Cre-floxシステム]]によるコンディショナル(時期・部位特異的)ノックアウトマウスをすべての遺伝子について作製するというプロジェクトも進んでいる<ref name=ref76><pubmed>21677750</pubmed></ref>。これらのプロジェクトで作製されたマウスの表現型解析についても国際的な協力の下に行われており、国際共同開発プロジェクト「国際マウス表現型解析コンソーシアム」 (IMPC, International Mouse Phenotyping Consortium) では、IKMCで開発したノックアウトマウスの眼の形態観察、血液検査、各種の生理学的な指標の解析を大規模に行っている<ref name=ref77><pubmed>22566555</pubmed></ref>。
 現在、マウスにおいてすべての遺伝子のノックアウトマウスをつくるというプロジェクト「[[wikipedia:International Knockout Mouse Consortium:国際ノックアウトマウスコンソーシアム|国際ノックアウトマウスコンソーシアム]]」 (IKMC, International Knockout Mouse Consortium)<ref name=ref75><pubmed>17218247</pubmed></ref>が国際的に協調して行われており、その中ではコンベンショナルなノックアウトマウスだけではなく、[[Cre-floxシステム]]によるコンディショナル(時期・部位特異的)ノックアウトマウスをすべての遺伝子について作製するというプロジェクトも進んでいる<ref name=ref76><pubmed>21677750</pubmed></ref>。これらのプロジェクトで作製されたマウスの表現型解析についても国際的な協力の下に行われており、国際共同開発プロジェクト「国際マウス表現型解析コンソーシアム」 (IMPC, International Mouse Phenotyping Consortium) では、IKMCで開発したノックアウトマウスの眼の形態観察、血液検査、各種の生理学的な指標の解析を大規模に行っている<ref name=ref77><pubmed>22566555</pubmed></ref>。


 しかし、このような大規模解析においては、行動表現型の解析はごく簡単なスクリーニングに限定されており、例えばIMPCにおいて必須の実施項目とされている行動テストは筋力 (grip strength) と感覚 (acoustic startle/PPI, auditory brain stem response) のテストのみである。このように現状では限られた行動テストしか実施されておらず、重要な行動表現型が見落とされてしまう可能性がある。今後、高次脳機能の解析を含めた行動テストバッテリーによる網羅的な解析プロジェクトが実施され、作製された遺伝子改変マウスの行動表現型が解析されれば、新たな精神疾患モデルマウスの同定や、さまざまな遺伝子の脳における新規機能の発見などの成果が次々と得られると期待される。
 しかし、このような大規模解析においては、行動表現型の解析はごく簡単なスクリーニングに限定されており、例えばIMPCにおいて必須の実施項目とされている行動テストは筋力 (grip strength) と感覚 (acoustic startle/PPI, auditory brain stem response) のテストのみである。このように現状では限られた行動テストしか実施されておらず、重要な行動表現型が見落とされてしまう可能性がある。今後、高次脳機能の解析を含めた行動テストバッテリーによる網羅的な解析プロジェクトが実施され、作製された遺伝子改変マウスの行動表現型が解析されれば、新たな精神疾患モデルマウスの同定や、さまざまな遺伝子の脳における新規機能の発見などの成果が次々と得られると期待される。
290行目: 290行目:
 日本国内で行動テストバッテリーによるマウス解析を行っている施設としては、先述の藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室のほか、[[wikipedia:ja:理化学研究所|理化学研究所]]、[[wikipedia:ja:遺伝学研究所|遺伝学研究所]]などがある。各施設で解析されたデータをまとめてデータベース化し、バイオインフォマティクス的な解析を可能にしようという試みがなされている<ref name=ref78>http://www.mouse-phenotype.org/ Mouse Phenotype Database</ref>。得られた大量のデータを解析することで、各種指標間の関係や環境パラメータの行動に与える影響などマウスの行動解析についての基礎的な知見が得られることが期待される。藤田保健衛生大学と生理学研究所では同一のプロトコルによってさまざまな遺伝子改変マウスが解析され、全て同じ形式でデータが蓄積されているため、得られたデータは容易に比較できる。しかし、異なる施設間では通常プロトコルが異なっており、さらにプロトコルの記述方法についても異なることが多いために、得られたデータの比較が難しいという問題がある。この問題を改善するためにプロトコルの記述方法の統一をする試みも進められている<ref name=ref57 />。
 日本国内で行動テストバッテリーによるマウス解析を行っている施設としては、先述の藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室のほか、[[wikipedia:ja:理化学研究所|理化学研究所]]、[[wikipedia:ja:遺伝学研究所|遺伝学研究所]]などがある。各施設で解析されたデータをまとめてデータベース化し、バイオインフォマティクス的な解析を可能にしようという試みがなされている<ref name=ref78>http://www.mouse-phenotype.org/ Mouse Phenotype Database</ref>。得られた大量のデータを解析することで、各種指標間の関係や環境パラメータの行動に与える影響などマウスの行動解析についての基礎的な知見が得られることが期待される。藤田保健衛生大学と生理学研究所では同一のプロトコルによってさまざまな遺伝子改変マウスが解析され、全て同じ形式でデータが蓄積されているため、得られたデータは容易に比較できる。しかし、異なる施設間では通常プロトコルが異なっており、さらにプロトコルの記述方法についても異なることが多いために、得られたデータの比較が難しいという問題がある。この問題を改善するためにプロトコルの記述方法の統一をする試みも進められている<ref name=ref57 />。


 近年では、ゲノムワイド関連解析 (GWAS, genome-wide association study, 脳科学辞典の該当項目参照) により、疾患や行動特性に関連を示す遺伝子や遺伝子多型が報告されるようになった。ヒトの認知機能に対しても、知能テストや言語機能テストなどで構成されるような高次脳機能テストバッテリーが実施されており、ヒトの各種の脳機能とそれらに関連する遺伝子の情報が得られている<ref name=ref79><pubmed>19734545</pubmed></ref> <ref name=ref80><pubmed>21835680</pubmed></ref>。これらの遺伝子の欠損や変異を導入したマウスを作製すれば、ヒトには適用できない各種の解析手法を用いて当該遺伝子やその多型の機能的意義をより詳細に評価することができる。また、遺伝子工学の技術が発展したことにより、マウスだけではなくラット<ref name=ref81><pubmed>15057803</pubmed></ref>、そして霊長類であるサル(マーモセット)においても遺伝子改変動物を作製することが可能となった<ref name=ref82><pubmed>22225614</pubmed></ref>。霊長類のように高等な動物の脳機能は、より人間に近いと考えられており、高次脳機能における遺伝子の機能をさらに詳しく明らかにできると期待されている。このような目的のために、今後はマウスだけではなく、これらの動物種にも適用できる行動テストバッテリーの開発と整備が望まれる。
 近年では、[[ゲノムワイド関連解析]] (GWAS, genome-wide association study, 脳科学辞典の該当項目参照) により、疾患や行動特性に関連を示す遺伝子や遺伝子多型が報告されるようになった。ヒトの認知機能に対しても、知能テストや言語機能テストなどで構成されるような高次脳機能テストバッテリーが実施されており、ヒトの各種の脳機能とそれらに関連する遺伝子の情報が得られている<ref name=ref79><pubmed>19734545</pubmed></ref> <ref name=ref80><pubmed>21835680</pubmed></ref>。これらの遺伝子の欠損や変異を導入したマウスを作製すれば、ヒトには適用できない各種の解析手法を用いて当該遺伝子やその多型の機能的意義をより詳細に評価することができる。また、遺伝子工学の技術が発展したことにより、マウスだけではなくラット<ref name=ref81><pubmed>15057803</pubmed></ref>、そして霊長類であるサル(マーモセット)においても遺伝子改変動物を作製することが可能となった<ref name=ref82><pubmed>22225614</pubmed></ref>。霊長類のように高等な動物の脳機能は、より人間に近いと考えられており、高次脳機能における遺伝子の機能をさらに詳しく明らかにできると期待されている。このような目的のために、今後はマウスだけではなく、これらの動物種にも適用できる行動テストバッテリーの開発と整備が望まれる。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<references />
<references />

案内メニュー