「クオリア」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
 
104行目: 104行目:
 ただし、長期にわたる神経細胞のつながりを変える、という実験はモデル動物で多く行われている。特に、[[イタチ]]を使った視覚・聴覚経路つなぎ変え(rewiring)の実験は、特筆に値する<ref name=ref28><pubmed> 10786784</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>10786793</pubmed></ref>。
 ただし、長期にわたる神経細胞のつながりを変える、という実験はモデル動物で多く行われている。特に、[[イタチ]]を使った視覚・聴覚経路つなぎ変え(rewiring)の実験は、特筆に値する<ref name=ref28><pubmed> 10786784</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>10786793</pubmed></ref>。


 この実験では、片側の脳半球の[[聴覚野]]に、片方の[[眼球]]からの視覚入力が入力するように、[[視床]]のレベルで神経経路のつなぎ変えをイタチが生まれて間もないころに行った{{refn|このつなぎ変え実験は、[[内側膝状体]](ないそくしつじょうたい、medial geniculate nucleus)という、耳からの聴覚情報を大脳聴覚皮質に伝える役割を担う視床(ししょう)部位において、出生直後にこの聴覚情報を伝える経路を片方の内側膝状体でカットする。すると、目からの視覚情報を大脳視覚皮質に伝える神経が、この内側膝状体の神経とつながってしまう。そのため、つなぎ変えが行われたイタチでは、片側の通常の脳半球では、視覚情報が視覚皮質に、聴覚情報が聴覚皮質に伝わるが、つなぎ変えられた側の脳半球では、視覚情報が聴覚皮質で処理される。|group=註}} 。イタチが成長した後で、「つなぎ変えを行わなかった側の」脳半球を使って、聴覚と視覚の簡単な[[弁別課題]]の訓練が行われた。イタチが十分にトレーニングを積んだ後、つなぎ変えられた側の[[聴覚皮質]]だだけで処理された視覚入力が、視覚と聴覚、どちらに感じられたかをイタチに報告させると、なんと、イタチは視覚と感じられたという報告を行った<ref name=ref34 />。また、つなぎ変えをされたイタチの[[聴覚野]]の神経細胞同士のつながり方は、通常の聴覚野のそれよりも、視覚野の神経細胞同士のつながり方により近いと考えられる機能的な特性が見つかった<ref name=ref28 />。
 この実験では、片側の脳半球の[[聴覚野]]に、片方の[[眼球]]からの視覚入力が入力するように、[[視床]]のレベルで神経経路のつなぎ変えをイタチが生まれて間もないころに行った{{refn|このつなぎ変え実験は、[[内側膝状体]](ないそくしつじょうたい、medial geniculate nucleus)という、耳からの聴覚情報を大脳聴覚皮質に伝える役割を担う視床(ししょう)部位において、出生直後にこの聴覚情報を伝える経路を片方の内側膝状体でカットする。すると、目からの視覚情報を大脳視覚皮質に伝える神経が、この内側膝状体の神経とつながってしまう。そのため、つなぎ変えが行われたイタチでは、片側の通常の脳半球では、視覚情報が視覚皮質に、聴覚情報が聴覚皮質に伝わるが、つなぎ変えられた側の脳半球では、視覚情報が聴覚皮質で処理される。|group=註}} 。イタチが成長した後で、「つなぎ変えを行わなかった側の」脳半球を使って、呈示された刺激が聴覚と視覚のどちらであったかを答える、という簡単な[[弁別課題]]の訓練が行われた。イタチがトレーニングを積んだ後、つなぎ変えられた側の[[聴覚皮質]]だだけで処理された視覚入力が、視覚と聴覚、どちらに感じられたかをイタチに報告させると、なんと、イタチは視覚と感じられたという報告を行った<ref name=ref34 />。また、つなぎ変えをされたイタチの[[聴覚野]]の神経細胞同士のつながり方は、通常の聴覚野のそれよりも、視覚野の神経細胞同士のつながり方により近いと考えられる機能的な特性が見つかった<ref name=ref28 />。
   
   
 実際につなぎ変えを行われたイタチになったらどのような感じがするのかはわからない。しかし、似たような状況は、ヒトで[[感覚代行]](sensory substitution)と呼ばれる現象として報告されている<ref name=ref2><pubmed>14643370</pubmed></ref>。感覚代行の例としては、眼球から視覚野への経路の損傷のせいで、視覚を失った患者に対して、視覚入力を聴覚・触覚を通して伝えるという手法がある。感覚が代行された患者の中には、音を通して、もしくは腹や背中に与えられる振動を通して、視覚が経験されると報告するヒトもいる。
 実際につなぎ変えを行われたイタチになったらどのような感じがするのかはわからない。しかし、似たような状況は、ヒトで[[感覚代行]](sensory substitution)と呼ばれる現象として報告されている<ref name=ref2><pubmed>14643370</pubmed></ref>。感覚代行の例としては、眼球から視覚野への経路の損傷のせいで、視覚を失った患者に対して、視覚入力を聴覚・触覚を通して伝えるという手法が挙げられる。感覚代行を行った患者の中には、音を通して、もしくは腹や背中に与えられる振動を通して、視覚が経験されたと報告する患者もいる。
   
   
 神経細胞同士のつながり方とクオリアの関係を研究する上で、[[共感覚]](synesthesia)も強力な研究対象の一つとなりうる<ref name=ref24 />)。[[共感]]覚を持っている人々は、ある種の感覚(たとえば、色の視覚)を感じた時に同時に他の感覚(たとえば、味や音)を感じる。共感覚保持者の脳部位は、共感覚をもたない人々にくらべ、共感覚を引き起こす部位同士のつながりが解剖的に強いことが示されている<ref name=ref25><pubmed>17515901</pubmed></ref>。しかし、今のところ神経細胞の詳細なつながりはわかっておらず、なぜある特定の視覚刺激(たとえば、数字の「1」)が、特定の共感覚(たとえば、「赤い色」)を引き起こすかについてはわかっていない。今後の脳イメージングの発展によっては、特定のつながり方と特定のタイプの共感覚の関係性が明らかになる可能性がある。
 神経細胞同士のつながり方とクオリアの関係を研究する上で、[[共感覚]](synesthesia)も強力な研究対象の一つとなりうる<ref name=ref24 />)。[[共感覚]]を持っている人々は、ある種の感覚(たとえば、色の視覚)を感じた時に同時に他の感覚(たとえば、味や音)を感じる。共感覚保持者の脳部位は、共感覚をもたない人々にくらべ、共感覚を引き起こす部位同士のつながりが強いことが示されている<ref name=ref25><pubmed>17515901</pubmed></ref>。しかし、今のところ神経細胞同士の詳細なつながりのパターンはわかっていない。なぜある特定の視覚刺激(たとえば、数字の「1」)が、特定の共感覚(たとえば、「赤い色」)を引き起こすかについてはわかっていない。今後、脳イメージング技術が発展し、現在よりもより詳細に神経細胞同士のつながり具合がわかるようになれば、特定のつながり方と特定のタイプの共感覚の関係性が明らかになる可能性がある。
   
   
===理論的なクオリア研究===
===理論的なクオリア研究===
117行目: 117行目:
 統合情報理論によれば、あるニューロンが脳内のどの部位に位置するかは、そのニューロンが生み出すクオリアには直接関係がなく、そのニューロンが他のニューロンとどのようにつながっているのこそがクオリアを決定するはずである。イタチのつなぎ変えの実験では<ref name=ref28 /> <ref name=ref34 />、つなぎ変えられた聴覚野内のニューロン同士のつながり方のパターンは、通常のイタチの聴覚野内のニューロン同士のつながり方よりも、視覚野内のつながり方に似ていたと考えられる。これは、統合情報理論による、クオリアに関する予言と辻褄があう。
 統合情報理論によれば、あるニューロンが脳内のどの部位に位置するかは、そのニューロンが生み出すクオリアには直接関係がなく、そのニューロンが他のニューロンとどのようにつながっているのこそがクオリアを決定するはずである。イタチのつなぎ変えの実験では<ref name=ref28 /> <ref name=ref34 />、つなぎ変えられた聴覚野内のニューロン同士のつながり方のパターンは、通常のイタチの聴覚野内のニューロン同士のつながり方よりも、視覚野内のつながり方に似ていたと考えられる。これは、統合情報理論による、クオリアに関する予言と辻褄があう。
   
   
 統合情報理論が正しいかどうかには関わらず、ニューロンのつながり方とその活動具合からクオリアが決定されるという理論は、原理的には、他人であろうと、[[サル]]や[[ネズミ]]であろうと、コウモリであろうと、人工物であろうと、あるシステムがクオリアを感じるのか、そのクオリアはどのようなものであるかについて予言ができるはずである。ただし、その予言が本当に正しいかどうかは、実際にそのシステムにならないかぎり、直接の検証はできないだろう。直接の理論検証として可能なのは、自分自身の(もしくは他人の報告された)クオリアについてである。そのような理論が、まだ発見されていない錯覚も含んで、予言・説明し、長時間にわたる訓練や人工神経回路埋め込みなどによるクオリアの変化を予言・説明し尽くすのであれば、クオリアの理論としてはそれ以上を望むのは難しいだろう。
 統合情報理論以外にも、ニューロンのつながり方とその活動パターンからある種のクオリアが生み出される、と提案するような理論であれば、原理的には、他人であろうと、[[サル]]や[[ネズミ]]であろうと、コウモリであろうと、人工物であろうと、あるシステムがクオリアを感じるのか、そのクオリアはどのようなものであるかについて予言ができるはずである。ただし、その予言が本当に正しいかどうかは、実際にそのシステムにならないかぎり、直接の検証はできないだろう。直接の理論検証として可能なのは、自分自身の(もしくは他人の報告された)クオリアについてである。そのような理論が、まだ発見されていない錯覚も含んで、予言・説明し、長時間にわたる訓練や人工神経回路埋め込みなどによるクオリアの変化を予言・説明し尽くすのであれば、クオリアの理論としてはそれ以上を望むのは難しいだろう。また、逆に言えば、そのような検証こそが、統合情報理論などを検証する最も有効な手立てである。


==まとめと展望==
==まとめと展望==
 クオリア問題は、[[意識と脳の問題]](the mind-body problem)の本質であり、これまで、哲学者による議論が中心であり、果たして脳科学がアプローチできる問題なのかすらはっきりしなかった。
 クオリア問題は、[[意識と脳の問題]](the mind-body problem)の本質であり、これまで、哲学者による議論が中心であり、果たして脳科学がアプローチできる問題なのかすらはっきりしなかった。
   
   
 しかし、近年のクオリアにまつわる概念の整理と、実証的な意識の心理学・脳科学研究の発展、さらに、ニューロンの結合パターンの変化に伴うクオリアの変化という現象と、それを説明・予言する理論の登場で、クオリア問題の現状は変化しつつある。今後は、クオリア研究も哲学者だけでなく、脳科学者が研究する対象となっていくだろう<ref name=ref14><pubmed>22625852</pubmed></ref>。
 しかし、近年のクオリアにまつわる概念の整理と、実証的な意識の心理学・脳科学研究の発展、さらに、ニューロンの結合パターンの変化に伴うクオリアの変化という現象と、それを説明・予言する理論の登場で、クオリア問題の現状は変化しつつある。これまでは、クオリア問題は哲学者だけが相手にする種の問題だと見なされてきたが、今後は、具体的に脳科学者が研究する対象となっていくことだろう<ref name=ref14><pubmed>22625852</pubmed></ref>。


== 註釈 ==
== 註釈 ==
3

回編集

案内メニュー