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====ミクログリアの出動==== | ====ミクログリアの出動==== | ||
[[二光子励起顕微鏡]] | [[二光子励起顕微鏡]]によって脳に傷つけることなく深部に存在する細胞の動きを捉えることができるようになり、固定された組織標本では認識できない、多くの新しい発見がなされている。その中でもミクログリアのダイナミックな活動の可視化はこの細胞の機能の解明に役立っている。特に興味深いのはミクログリアの突起の正常時の柔らかではあるがダイナミックな動き、そして、損傷部位に対するミクログリアの突起の早い反応とその後の損傷部位への移動の過程である<ref><pubmed>15831717</pubmed></ref>。 | ||
先にも述べたようにミクログリアの細胞表面にはMHC分子が発現しており、その姿は末梢におけるマクロファージのそれと一致する。静止状態のミクログリアからは想像もできないが、損傷部位に浸潤した活動期のミクログリアの形態はアメーバ状になり、活発に細胞貪食活動を示す(図14)。その姿はマクロファージと区別がつかない。しかし、損傷部位の血管は透過性が高まり、末梢のマクロファージの浸潤を許している可能性が高いので、損傷部位に集まっているアメーバ状の細胞がすべて活性型のミクログリアとは言い切れない。とはいえ、静止型のミクログリアが活性化状態になり細胞貪食性を持つアメーバ状に変化する様は組織学的に正確に捉えられている<ref><pubmed>15895084</pubmed></ref>。 | 先にも述べたようにミクログリアの細胞表面にはMHC分子が発現しており、その姿は末梢におけるマクロファージのそれと一致する。静止状態のミクログリアからは想像もできないが、損傷部位に浸潤した活動期のミクログリアの形態はアメーバ状になり、活発に細胞貪食活動を示す(図14)。その姿はマクロファージと区別がつかない。しかし、損傷部位の血管は透過性が高まり、末梢のマクロファージの浸潤を許している可能性が高いので、損傷部位に集まっているアメーバ状の細胞がすべて活性型のミクログリアとは言い切れない。とはいえ、静止型のミクログリアが活性化状態になり細胞貪食性を持つアメーバ状に変化する様は組織学的に正確に捉えられている<ref><pubmed>15895084</pubmed></ref>。 | ||
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脳に整然と配置されているミクログリアが脳細胞を無差別に攻撃するなどありえない。では、どのような条件でミクログリアの活性が高まり、そのようにして特定の損傷を受けた細胞のみを貪食するのか。 | 脳に整然と配置されているミクログリアが脳細胞を無差別に攻撃するなどありえない。では、どのような条件でミクログリアの活性が高まり、そのようにして特定の損傷を受けた細胞のみを貪食するのか。 | ||
損傷を受けた脳細胞からはATPが放出される。細胞外液のATP濃度は正常状態では低く保たれているので、ATP濃度の高い部位はそこに損傷細胞が存在することを示す信号になる。ミクログリアは多様な[[プリン受容体]]を発現しているが、そのうち、[[P2X4受容体]]が刺激されると、ミクログリアの突起はATP濃度の高い方向に向かって伸びて行く<ref><pubmed>17299767</pubmed></ref>。さらに、その部位に近づくと、[[P2Y12受容体]]が刺激され、[[BDNF]]などの[[ニューロトロフィン]]を遊離する<ref><pubmed>20653959</pubmed></ref>。この段階では損傷部位の修復のために機能しているようである。ここまでの過程を見ると、損傷を受けた脳細胞はATPを救助信号として、「私を見つけて、助けて、Find me and help me」と叫んでいるようである。 | |||
ところが、その救助がすでに間に合わない状態である場合にミクログリアはアメーバ状に形を変えて、その場に移動する。そして、損傷を受けた細胞を貪食する。この時、貪食する必要のある死んだ細胞を見つけ出している。これが成り立つためには、死にかかった細胞から出される信号を認知する必要がある。実はミクログリアにはもう一つプリン受容体、[[ | ところが、その救助がすでに間に合わない状態である場合にミクログリアはアメーバ状に形を変えて、その場に移動する。そして、損傷を受けた細胞を貪食する。この時、貪食する必要のある死んだ細胞を見つけ出している。これが成り立つためには、死にかかった細胞から出される信号を認知する必要がある。実はミクログリアにはもう一つプリン受容体、[[P2Y6受容体]]が存在している。この受容体は不思議なことに、ATPやADPには反応しない。発見以後しばらくはその役目が不明であったが、やがて、P2Y6受容体を活性化するのは[[ウリジン二リン酸]]([[UDP]])であることが明らかにされた<ref><pubmed>19262132</pubmed></ref>。 | ||
UDPは通常細胞外に遊離される分子ではない。死にかかった細胞からごく少量遊離されるだけである。P2Y6受容体がUDPで刺激されると、ミクログリアのアメーバ運動が活性化され貪食機能が活性化される。こうして、貪食能が高まったミクログリアが周辺に分布する細胞のすべてを貪食するのはない。もう一つ条件がある。死んで細胞膜が壊れた時に、提示される膜成分のリン脂質の成分である[[ホスファチジルセリン]]である。これを提示していることを認識して、その細胞のみを貪食する。このホスファチジルセリンは「私を食べて信号、Eat me signal」なのである<ref><pubmed>3464483</pubmed></ref>(図15)。ミクログリアは単なる破壊者でも、無差別な掃除係でもない。非常に高度な認識機能を備えた、環境整備係として機能していることがわかる。 | |||
====シナプスの保守点検==== | ====シナプスの保守点検==== | ||
ミクログリアが神経回路の保守点検にも関わっている。これも蛍光タンパク質発現させたミクログリアの形態の二光子励起顕微鏡を用いた長時間ライブイメージングによって明らかにされている。先に述べたように静止状態のミクログリア(ラミファイド型)は静止状態とはいいながら、沢山の突起をゆらゆらと動かせている。この突起の動きには生理学的目的があるようで、正常なシナプスには1時間に1回、一回あたり5分間ほど接触することが観察されている。一方、使われないシナプスにはこのような繊細な管理を行われていない<ref><pubmed>19339593</pubmed></ref>。接触時にミクログリアとシナプスの間でどのような情報交換が行われているかは不明だが、ミクログリアの神経回路形成への重要性を示唆する重要な事実である。 | |||
ミクログリアがシナプス回路の維持再編に積極的に働いていることの証拠はまだある。視覚回路の中継核である[[外側膝状体]]で活発に行われている左右の視覚路の選択の過程である。未熟な視覚回路では左右両側の[[視神経節細胞]] | ミクログリアがシナプス回路の維持再編に積極的に働いていることの証拠はまだある。視覚回路の中継核である[[外側膝状体]]で活発に行われている左右の視覚路の選択の過程である。未熟な視覚回路では左右両側の[[視神経節細胞]]からの入力を受けているが、それが発達に応じて主に同側からの入力が除去されて行く。この過程でミクログリアによる不要物処理機能が発揮される<ref><pubmed>22632727</pubmed></ref>。 | ||
ではこのような選択的な除去はどのように行われるのだろうか。最終的にはミクログリアの貪食機能が発揮されるものと考えられるが、どのようにして不要シナプスを認識しているのだろうか。これには前述の脳内免疫細胞としての性質が使われているらしい。例えば、ミクログリアに発現している[[wj:補体|補体]]分子、[[C3]]の合成が、その合成の活性化因子[[Clq]] | ではこのような選択的な除去はどのように行われるのだろうか。最終的にはミクログリアの貪食機能が発揮されるものと考えられるが、どのようにして不要シナプスを認識しているのだろうか。これには前述の脳内免疫細胞としての性質が使われているらしい。例えば、ミクログリアに発現している[[wj:補体|補体]]分子、[[C3]]の合成が、その合成の活性化因子[[Clq]]の存在により高まり、[[C3受容体]]を多く発現しているシナプス部位を認識して除去するという仕組みである<ref><pubmed>18083105</pubmed></ref>。また、MHCのClass1が神経傷害時のシナプス除去に関与している可能性を示唆する証拠もある<ref><pubmed>15591351</pubmed></ref>。ミクログリアが脳内の免疫細胞だと考えられているもののまだその実体は十分に解明されていない。その能力がシナプスの消長に積極的に関わるとすれば、神経回路の構築や維持における最重要因子としてその機能を再認識する必要がある。 | ||
[[ファイル:Kudo Fig16.png|thumb|right|350px|'''図16.神経因性疼痛発症におけるミクログリアの関与'''<br>'''A''' 痛覚情報の二次感覚ニューロンへの伝達は抑制性介在ニューロンにより抑制されるので、自動的に弱められる。<br>'''B''' 神経因性疼痛時は活性化されたミクログリアから遊離されるBDNFがK/Cl交換ポンプを抑制するので、二次感覚ニューロン内のClイオンレベルが高まり、抑制性ニューロンからの信号が逆に促進的になり、痛みはむしろ促進される。]] | [[ファイル:Kudo Fig16.png|thumb|right|350px|'''図16.神経因性疼痛発症におけるミクログリアの関与'''<br>'''A''' 痛覚情報の二次感覚ニューロンへの伝達は抑制性介在ニューロンにより抑制されるので、自動的に弱められる。<br>'''B''' 神経因性疼痛時は活性化されたミクログリアから遊離されるBDNFがK/Cl交換ポンプを抑制するので、二次感覚ニューロン内のClイオンレベルが高まり、抑制性ニューロンからの信号が逆に促進的になり、痛みはむしろ促進される。]] | ||
====神経因性疼痛==== | ====神経因性疼痛==== | ||
「[[神経因性疼痛]]」(neuropathic pain allodynia)とは[[帯状疱疹]]の後遺症や手術や怪我の後遺症として、損傷部周辺の[[触覚]]が激しい[[疼痛]]として感じられる疾患である。その成立メカニズムについては長い間、謎となっていた。しかし、この疼痛のメカニズムにミクログリアが関与していることが明らかになった。 | |||
図16aに示すように、[[痛覚]]や触覚に関わる知覚神経信号は[[脊髄後根]]から[[脊髄後角]]に入力し、そこで、[[二次知覚ニューロン]]に乗り換える。このシナプス部位には知覚神経からの[[側抑制]](lateral | 図16aに示すように、[[痛覚]]や触覚に関わる知覚神経信号は[[脊髄後根]]から[[脊髄後角]]に入力し、そこで、[[二次知覚ニューロン]]に乗り換える。このシナプス部位には知覚神経からの[[側抑制]](lateral inhibition)回路が組み込まれており、過剰な入力を和らげている。[[wj:皮膚|皮膚]]に障害が受けた時に痛みは比較的短い時間で和らぐのはこの仕組みによる。この回路には[[GABA]]を[[伝達物質]]とする抑制性介在ニューロンが関与している(図16A)。 | ||
この部位で生ずる神経因性疼痛の発症メカニズムは次のような仕組みによることが明らかにされている(図16B)。知覚神経の末梢部に激しい損傷があると、知覚ニューロンの入力部位である脊髄後角周辺に多数のミクログリアが集まる。このミクログリアは上述のように[[brain derived neurotrophic factor]] | この部位で生ずる神経因性疼痛の発症メカニズムは次のような仕組みによることが明らかにされている(図16B)。知覚神経の末梢部に激しい損傷があると、知覚ニューロンの入力部位である脊髄後角周辺に多数のミクログリアが集まる。このミクログリアは上述のように[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain derived neurotrophic factor]], [[BDNF]])を遊離する。おそらく、損傷を受けた知覚回路の修復のためと考えられる。しかし、このBDNFが二次知覚神経細胞において細胞内のClイオンとKイオンの量をコントロールするための[[Clイオン/Kイオン交換ポンプ]]を止めてしまう。結果として、二次知覚ニューロン内のClイオン量が異常に増え、Kイオンが減少した状態が作られる。この状態では痛覚や触覚などの入力を側抑制するために遊離されたGABAによって、[[Clイオンチャンネル]]が開口すると、細胞外へのClイオンの流出、すなわち[[脱分極]]を生じさせることになる。痛みや高まった触感覚を和らげる仕組みが逆に促進してしまう<ref><pubmed>12917686</pubmed></ref>。この状態はミクログリアの活動が続く間は回復することはない。従って、ちょっとした痛みや触覚が異常に強く入力されてしまうのである。触覚も過剰になると痛みと感ずるというやっかいな疾患である。原因が解明されたことによって神経因性疼痛の有効な治療法も開発されてきている。 | ||
==関連項目== | ==関連項目== |